2019年5月31日金曜日

恋するExOL

だれがキナコだって?(笑)
笑っちゃう。
それに私、あんなこと言わない。
「文化度の高いセックスは生殖とは無縁」なんて!当たり前っちゃ当たり前だし逆さ読みしたらどこかの国のどこかの頭の悪い超右翼女性議員と似たり寄ったりの発想になっちゃうやん?
「サド先生をお読みにならなくっちゃ」なんて論外!そんな変な口調、ぜんぶマサユキの創作だからね!
私のことあんまり知らないくせにイメージだけで語るんだから・・(笑)。
身長180以上のMtFレズビアンてのはホントだけどそんなひと世の中にゴマンといるでしょ。(まぁ50,000人はいないかもしれない、日本には。でも世界を見ればどうでしょ?)
身長は悩みでもあるしそうでもない。MtFで身長の高いのが悩みというとそのように勘ぐられるかもしれないけど(そういうひともいるかもしれないけど)FになったんだからFらしく可愛らしい身長の低い女の子に憧れるなんて気持ちは皆無。
ただ背が高いことは(特にMだったときには)なにかと羨ましがられるけどそんなにいいことばっかりでもないぞと思う。あらゆる(日本の)扉は頭を低くしてくぐるように入らないといけないし、それでもよく頭をぶつけるし、電車に乗ると吊り輪がざざーッと顔や上半身にぶつかってきて鬱陶しいことこのうえないし、カプセルホテルではカプセルに身が収まらないし、椅子やテーブルや台所の流しなど日本人の(特に女性の)体格に合わせて作られた家具什器はのこらず使いにくいし。小さい頃から続けてきたフィギュアスケートを思春期に身長がぐんぐん伸び始めて諦めなければならなかったのはいちばんショックだったけど、まあそのあとダンスに転向したしけっきょくはFになるという選択をしたんだからそれはそれでよしとしよう。ダンスはバレエの素養などを必要としないたぐいのコンテンポラリーダンスで身長(というかこのちょっと特殊な体型)を生かせるし、フィギュアやってた頃の癖は微妙に生かせるところも邪魔になるところもある。
で「得恋したばかり」ってお願いだからそれだけは言わないでほしいんだけど・・(涙)
だってまだ片想いなんだもん。たぶん両想いにはなりそうにない片恋なんだもん。相手はどうやらヘテロ。私によく懐いてくれてるけどきっとそれだけだし・・。それにこの夏が終わったらたぶんもう逢えないし・・。
でもなんだかウキウキふわふわしていることだけは確かなの。片想いでもなんでもやっぱり恋は愉しいの!
こんなにわかりやすいヒトメボレはないんじゃないと自分で自分を揶揄したくらいカンペキなcoup de foudre。あの子が先生に紹介されて「〇〇でーす!」と名乗ってぴょこんとお辞儀をしたときにその弾けるような笑顔とパンチのある短躯にひと目で魅入られた。一緒に踊るうちにそのしなやかながら力強さのある活き活き弾むからだの動きに魅せられた。おしゃべりすると(いまどきの女子高生の標準かもしれないが)ちょっとお馬鹿で物知らずでそれでいて好奇心旺盛でどこまでも無邪気なところに見惚れた。初対面の私の髪に遠慮なく触れ引っ張りまでしてウィッグじゃないことを確かめてから「うわぁ・・綺麗な銀色ですねえ!これってなにかイメージしてます?『エリザベート』のときのタカラヅカの〇〇さんみたいですねぇ」などと言う。うれしくてニタニタ笑っているとこんどは私の腕時計を見つけシャツのカフスをめくりまでして遠慮なくさわりながら「へ〜いまどき腕時計してるなんてめずらしい。カッコいいですね〜!これってどこかのブランドの高〜い時計なんですかぁ?」などと聞く。おもわず調子に乗って腕からはずしてさわらせてあげる。挙句の果てには「〇〇さん(私の本名)笑うと目尻が垂れてすっごく優しい目になるのねぇ!その笑顔がとってもステキ!」(いや客観的に見れば元おっさんが女子高生になつかれてニヤけてるだけなんですけど・・)。「それになんだかすごくノーブルな感じ!どこか外国の王子さまみた〜い!」「王子さまって・・私オンナなんですけど」「ええっ!ああっそうでしたよね?」ちょっと大袈裟を装った微妙な反応。私の低い声や大きな手から元オトコだったのはバレてたのかもしれないし或いはあくまでタカラヅカの男役みたいな女性だと思ってたのかもしれないし・・。
・・って私、なに書いてんだ。
はい、のちのちの展開はまたのちのちご報告します。
ってやっぱりぜったい無理なの。その後いろいろおしゃべりしてみてもやっぱりヘテロであることは間違いなさそうだしきっとカレシもいるんだろうし。この子には私みたいなもExオッさんレズビアン(略すとExOL?)よりも同年代の爽やか系もしくはイケメンくんのカレシがふさわしい。顔あわせるたびにかの女のあたらしい表情に気づいて何度も惚れ直しては恋心のつのる私に引き換え、かの女のほうでは私のことを「ちょっと特殊な性別らしいけどまあまカッコよくて気やすくて寛大な先輩」ぐらいにしかみてくれてないのは態度や言葉の端々からわかるし・・。
ああっ!なんてなんてなんてなんてありふれてて陳腐で凡庸で通俗的でダメダメダメなの?
これじゃーまだしも「サド先生を・・」のほうがマシだったかしら?
で、こんな尻切れトンボで終わりなわけ?
だから「煙たがられる」てか?
はいそうでございますぅ〜(笑)
片想い中のキナコはこれが絶望的な恋であるとわかっていても舞いあがって舞いあがってしょうがないのでございますぅ〜!(笑)

2019年5月30日木曜日

マルはバカではない

勿論オレは妊娠なんてしない。バカではないからな。
ちなみに一人称はオレ。クラスに何人かボクっ娘(一人称「ボク」で喋る女子)はいるが、ぶってる感じで嫌だ。オレとしてはオレがいちばん居心地良いのだが、だからといって他人の前で「オレ」で喋るとボクっ娘とおなじく変に(別の方向に)ぶってる感じに思われそうなので他者に対しては「あたし」などをつかう。(それでも時に「オレ」が出てしまう。そうそう奇異にはおもわれていないようではあるが。)
一人称オレではあるが性自認オンナで性的指向はヘテロだ。同性に対してはディープキスまではあるがそれ以上は経験ない。
で、バカの話だった。
オレはバカではないから決して妊娠などしない。ペコに説教などされなくても。
めんどくさいから説教させておくけど。
バカはうちのハハだ。ハハは母だ。ハハハハだ。ハハハハハハハハ・・といくら笑っててもまにあわないくらい大バカだ。
バカはすぐ妊娠する。
オレのうえに年子のアネがいてオレと弟のあいだに9年が空いている。あのオヤヂと9年たってもまだやる気があったのかよ(みたいなことを)ハハに訊くと、困った顔して、いやそれはずーっとやっていて(あるいはやられていて)何度も堕胎したのだという。
いま8歳の弟は体力的にこれが最後のチャンスかもしれないと思いオヤヂに泣いて縋ってお願いしてキープすることにしてめでたく産んだのだという。
何度も堕胎?
結婚している夫婦で?
どうでもいいけど避妊ぐらいしろよ。(ああペコのセリフだ)
・・だってお父さんが嫌がるんだもん。
おめえら原始人か。
(・・これがわが両親か。)
・・いつもわたしのアタマが悪いせいにされてたのよ。
・・わたしがバカなせいで排卵日とか危険日とかの計算まちがいするのだと。
それは、しかし。それ以前のバカのせいではないのか。
(・・ああ目が赤くなりそうだ。)
ことほど左様にハハはバカだ。
そのうえいつもバカだバカだと言われ続けて自分でもそれを否定しないから余計にバカになる。
バカと言われ続けてン十年。
寧ろ(むしろ)バカに安住している。
たとえば日常のワンシーン。
我が家の夕食はハハのバカを血祭りにあげる場だ。
ハハがなにかバカを言う。
おもしろ可笑しく言えればよし。もしダメならオヤヂが不機嫌なままで盛り上がりなく「お母さんはバカだな」の冷たい一言で終わる。
面白いバカ話ができた場合。
オヤヂが大声で「お母さんはバカだなあ!」と晴れやかに言う。
みんなが大声で笑う。
ひとしきり笑う。
(で、その日がたとえば肉鍋だとする。)
「お母さんはバカだから良い肉と悪い肉の区別がつかないよなあ」
「お母さんはこんな旨い肉も味がわからないよなあ」
「お母さんに肉なんかやってもブタに小判だなあ」
「お母さんに肉をやるなよぉ」
「お母さんなんか麩ぅでも食うてればいいんだから」
ということになりハハは肉に箸をつけることができない。
(最後にみんなの食い残しがあれば未練がましく食っている。)
勿論オヤヂはいちばんおいしい肉を取る。
おいしい肉を食いながら自慢話をする。ひとしきり。
自分がどれだけ部下に崇められているか。人格者であるか。
会社の実績にどれだけ貢献してどれだけ大事にされているか。
自分がどれだけ物知りであるか。
それからオレにくる。
「〇〇(オレの本名)は賢いから肉をどんどん食べなさい」
「東大合格のためにも食べなさい」
「おお、どんどん食べなさい」
ひとしきり二人で食べる。
それから弟が負けじと手を挙げる。
「ボクもアタマがいいよ!」
「そうか」とオヤヂが目を向ける。
「その証拠を示しなさい」
「昨日の塾の算数テスト、クラスで3位だった」
「3位か。それではまだ賢いとはいえないな」
「つぎはぜったい頑張る」
「よし。それでは肉食べていいぞ」
弟は勢いづいて、他の家族に真相を知られぬうちにとでもいうように慌てて肉をかっさらい口に押し込む。ガツガツ食べる。
弟はハハに似てバカだが、この家ではバカはバカを見、アタマが良いと得することだけは早いうちに見抜いている。
そんなことしてもなーんも自分の得にはならないことをまだ理解せずオヤヂに愛されることがまず至上命令だから塾の宿題は解答を丸写しする。塾のテストはできる子の答案を盗み見て丸写しだと気づかれるから気づかれないよう適度に修正して良い点を取る。毎回クラス3位のからくり。
バレるのが早いか。弟がその無益さに気づくのが早いか。
まぁ小3では無理あるまい。
弟はハハに似て犬の目をしている。
ヒトの愛情をもとめて(瀬戸内サンに倣って「需める」と書きたいところだがここはひらがなにしておこう)一心にヒトを見あげる犬の目。つぶらな瞳。
ちがうのは、ハハの目には既に絶望が宿っていることだ。絶望的にもとめる目であり返報がけっしてないことを知っている目であり恨みがましい目である。その恨みがましい目がオヤヂの虐めゴコロに火を点ける。
「お母さんがあんな目をするから余計に虐めたくなる」
「虐められっ子はあんな目をするから余計に虐められるのだ」
「虐めっ子は元から悪いわけではない。虐めっ子を虐めっ子にするのは虐められっ子のあの目なのだ」
(という理屈。)
弟の犬の目にはまだ希望がある。返報すなわちオヤヂの愛情をもとめてキラキラ光る。
このごろはオヤヂと一緒になってハハを苛んで(さいなんで)いる。
オレはイジメには加わらないけどな。
傍観者は既に加害者か。それならそうだけど。
それよりいちばん呪わしいのはオレがこの家でいちばんオヤヂに似ていることだ。
まるい顔、まるい体、陰険な目。物心つくとオレは嫌というほどオヤヂに似ていた。
オレの目と、オヤヂの目は、陰険な猫の目だ。
かわいい猫目ではない。ひとを見くだす目。
生まれたときからはじまったアネとオレとのデスマッチで先勝したのは当然可愛げのある目を持ちあわせたアネである。(アネは猫型とも犬型ともどちらにも分類しがたくその目は時に応じて犬っぽくも猫っぽくも光るがとりあえずこの家では一番の美形である。幼児の折の写真を見ても申し分なく可愛らしい。)幼き頃オヤヂからもハハからも溺愛されるアネをオレは猛烈に嫉妬した。
逆転したのはアネが小3オレが小2で揃って進学塾に行き始めてからでアネは中の下がせいぜいだったのがオレはいつもトップで最難関確実と言われた。
それからアネは早々に闘いを降り中高は中堅私学に進学したあと大学はここから遠く離れた地方の女子大を選んで両親を失望させた。名前を聞けば地元では誰でも知ってる名門女子大であるらしいが近年偏差値の降下が甚だしく定員を集めるのにも難儀する凋落校。そんなもんそちらの地元で地元の老舗企業のOLになるとか地元の金持ちの息子を摑まえるための嫁入り道具にするとかには重宝かもしれないが600キロ離れたこの地からそんな大学行ったところでなんの役に立つかよ? ホンキで彼の地の金持ちのボンボンを摑まえるつもりでもなければ両親への意趣返しで人生降りたとしか思えない選択をアネは(そんなにも若い身空で)してこの家から去った。
ひきかえオレは最難関の女子進学校に首尾良く合格。中高通じて成績最優秀をキープ。直近の模試で東大文I B判定(限りなくAに近い)。正直本人はA判定の文IIIでもいいと思っているがオヤヂに言わせるととんでもない必ず文Iに合格しゆくゆくは官公庁の役人あくまで弱者を虐める強者の立場にオレを立たせたい。ひとを見くだす目をして。
「おまえが男だったらよかったのに」
紫式部か。
「でもいまの時代は男も女もないからな。おまえはかならず東大法学部に行け。おまえは人の頭に立つ子だ。オレに似ているからな。」
そういうときだけ男女共同参画。そういうオヤヂは実は三流大学しか出ていない。
会社でも碌な地位を与えられていない。それなのにプライドだけは一人前で自分が誰よりも賢いと思っている。
自分が知っていることを客観的に吟味する基本的な手続きも知らず自分が(たまさかに)知っていることを絶対的に正しいと信じている。日本語版Wikipediaを修正しまくるのがオヤヂの趣味でしかし修正してはすぐに上書きされるのが常でパソコンに向かって毒づいているのをよく目にする。(ま、Wikipediaじたいそういう仕組みなのかもしれないが。)ことほど左様にオヤヂはバカだ。
オレはバカではないからこういう家族が大嫌いだ。
この家族の全員をオレは見くだしている。
ことほど左様に見くだすしかない家族を持ったのが
オレの悪しき宿縁。オレの鎖であり枷である。

2019年5月29日水曜日

アクチベータ

 チェックインが済むとクラークの男は私に小さな石鹸のようなものを手渡した。黄色みをおびた白の粉石けんを固めたような物体。「これは部屋の水系をアクティベートするものだ。部屋に入ったらまずこれを井戸に放り込め。それから5分待つと水が使えるようになる。」と言う。部屋に入ってみる。荷物を置き、窓を開け、ぐるりと室内を確かめると、なるほど部屋の隅に円筒形の腰までの高さぐらいの物体が床から生えるように立っているのが見え、これが井戸なのか?覗いてみてもそこは暗闇でかなり奥底の深いようで何も見えない。耳を澄ますと幽かに(かすかに)水の揺蕩う(たゆたう)音がするような気がする。気がするだけで確信がもてない。念のためバスルームの扉をあけ(バスタブがない。シャワーだけ。いまどきはこれが普通。ま、仕方なかろう)、洗面台のカランをひねってみる。何も起こらない。カランを締め直し、部屋にもどって件のアクチベータを井戸に投げ入れる。何秒かたって(かなり深そうだ)ちゃぽーんと響く水音がして確かにそれが井戸なのだとわかる。ベッドに座ってきっかり5分待ち、再びバスルームに入ってカランをひねると、少しためらうように空気がこぼこぼと出てきたあとに水が勢いよく噴き出した。てのひらで受け止めるとこの地にあっては貴重であろう冷たく清冽な水で、試しにコップに汲んでみるとさーっと水泡(みなわ)が消えたあとは塵ひとつ見えない、光に透かしてみてもおかしな色は少しもついていない、透明な美しい水だ。(が、もちろんそのまま生水を飲むわけではない)。
 再び部屋に戻って荷物の整理を済ませベッドに腰をおろして暫しぼんやりする。傍らにかつて付き合っていた女の幻像がいるような気がする。「あなたはそうやっていつも・・・」「あなたは・・・なんだから」。私のこれこれこの言動のこういう点が気に入らないから、ついてはここをこう改善してくれ、と言ってくれればよいものを、一気に「あなたはいつも・・・する」「あなたは(これこれこういう種類の人間)だ」になる。でも言われてみると彼女の言う通りで、確かに私はその種の人間なのだった。他人に対する気遣いに欠けている。言われてみると確かに他人のことなど気遣ったことがない。彼女のほうは気が利き過ぎるほど気が利いて、私がなにか身動きをするとすぐに私の必要とするものが向こうからやって来た。それがいちいち的確なので、初めて知り合った頃は気味悪いほどで、この女は自分の考えていることを悉く読めるのかと疑ったぐらいだ。いちど「不気味なぐらい手際が良い」と口にしたら「馬鹿」と言われた。のちのち世間ではそれが女性によくあるむしろ通常のことで、私自身が他者に対して気が利かなさ過ぎるということを学習した。それにしても(私の基準にしてみれば)かなり極端な学習だったと思うが。
 最後の喧嘩をしたのもこの地への旅だった。いま泊まっている宿よりもランク違いに高級なこの地で一二を争う有名なラグジュアリーホテルだった。ラグジュアリーといってもこの地だからかなりお得なのよ。だとしたらここを選ばなきゃ損じゃない?と言う彼女を憎んだ。着いた途端なにか些細なことで口喧嘩となり、いつものように私は言い負かされ不貞腐れ(ふてくされ)旅の疲れもあってそのまま大きなベッドを独り占めして眠ってしまった。目が覚めるともう夜で、部屋は暗く彼女の姿はなかった。私は煙草に火を点け(当時は吸っていた)暗いままベッドに座っていた。どれくらい待っただろう?わさわさと物音がして部屋のドアが開き、ぱたんと閉まり、彼女が帰ってきた。私に気づくと「あらあら暗いまま!どうして明かりを点けないのよ?」とかなんとか言って、明かりをつけてまわり、最後にベッドの傍に立つと私を見下ろすようにして「夕食、ひとりで食べて来たわ」と言う。そういえば眠りこむ寸前に彼女が「おなかが空いた。ちょっと早いけど晩ご飯に行こう」と言い、わたしが「まだ腹は減ってない」と答えた記憶がある。「どこで食べたんだ?」「この上のレストラン」「ホテルのレストラン?」(私だったらありえない選択)「こんな国では珍しい本格的なフランス料理ですごく美味しかったわよ。美いワインもあったし。」。私が腹を空かせていることはわかっているだろうに、わざとそのまま突っ立っている。「街に出ないか?」「何しに?」「決まってるだろう。オレの晩ご飯」「もう食べたし」「お前は、だろ」。なんで付き合わなきゃいけないのよ?と目が言っていたが、口には出さなかった。そのままたっぷり時間をかけてわたしを見下ろしている。当時の私は(これも今とちがって)昼食であれ夕食であれ独りで食べることには耐えられなかった。それも知り尽くしている彼女は、さああなたに恩を着せるわよとばかり十分に時間をとってわたしを睨め(ねめ)つけた末に「いいわよ。じゃ行きましょ」と言った。
 その地は高低差のある道の入り組んだ街で、あたかも平地に一応の区画割りをしたあと空から大きな親指と人差し指が降りてきて土地をぎゅっとひねりあげたかのようだった。ひとつの道をたどるとそこは曲がりくねり、上ったかと思ったら下っていく。ぐるっとまわるともとの交差点に出る。そこにはあらゆる肌の色の人間がいて、そのなかでもいろんな民族系、ちいさな部族系がいるようだった。ブロークンな英語がどこでも通じたが、それとはべつにこの地の共通語もあるようで、「こんばんは」と「ありがとう」だけはその言葉を覚えて言うようにしたが、どうやらそれもこの地の多数派の言語であるに過ぎないらしく、そうではない耳慣れないアクセントや発音のおしゃべりをあちこちの隅で耳にした。「ありがとう」は何度も聞き何度も口にしたが、どうもそれを口にするタイミングがこの地の習慣と異なっているらしく、「どういたしまして」にあたる言葉を言うべきときに「ありがとう」を言い、逆のときに逆を言っているようではあるが、「どういたしまして」を言うべきときにもけっきょく「ありがとう」を連発してしまい、また変な顔をされるのだった。
 お祭りではない普通の夜だったが、街は明るく喧噪に充ちていて、皆が楽しみ興奮し「踊ろう」「踊ろう」と口々に言っているかのようだった。わたしは歩きまわるだけで愉快でたまらず、あちこちの細道に折れては迷子になり、またもとの交差点に出、また異なる人々の群れに目をやり耳を傾け、すべての路地に足を踏み入れねばおさまらない勢いだったが、彼女が次第に疲れて不平を言ったので、レストランに入ることにした。英語で「東風」という名が添えてあるが土地の言葉で「×××」という名前が大書してあってそれが屋号であるらしい。ウェイトレスにこの店の名はどう読むのだと聞くと「×××」と言い、復唱すると笑っただけでそれが正しい発音なのかどうかわからない。一般的な「東風」というのではなく、どうやら土地に吹く特別な風の名称であるらしい。料理は土地の材料を使って少し中華風のアレンジがしてあるようで、美味かった。土地の酒も美味しかった。連れはもちろんあまり手をつけなかったが私はもりもり飲み食いした。彼女はすぐ帰りたがったが私はそのまま帰りたくなかったので、踊る店を見つけて入って少し踊った。彼女は見ているだけだった。
 ホテルに戻るとフロントクラークの女性に「明日は東風がきついようですから窓をしっかり閉めておやすみください。」と言われ「×××のことか?」と訊くと莞爾(にっこり)笑って「そうです。」と答えた。翌朝、東風は来なかったようで至極平穏な朝を迎えたが、その代わりとでもいうように彼女が消えていた。書き置きもなにもなかった。そしてそのまま私の目の前にふたたび姿を現すことはなかった。
 それからもう20年以上が過ぎている。同じ街の同じ入り組んだ街路なのに猥雑さがかなり薄められ、小綺麗になって世界のどこでも目にするチェーン店もわざわざ目立つように見かけられた。人々の活気も心なしかややトーンダウンした感もあったが、それでも「踊ろう」「踊ろう」と口々に言っているかのようであるのは、変わらないこの地の気質のようにも見えた。広場のあったところに出ると20年前にはなかったガラス張りの筒状のビルが建ちその前に大きな噴水ができていて、夜ともあって色とりどりのイルミネーションがほどこされ、大小さまざまの噴水がリズムにあわせて水のショーを繰り広げるのであった。人々はそれに見入ってのんびり噴水のまわりに座ったり寝そべったりして冷たい水がかかるのをむしろ喜んでいた。20年前に入った「東風」なるレストランは見つからなかった。場所も正確には覚えていなかったが、たぶん新しい店になったんだろう。
 20年前のフロントクラークの女性の言葉を思い出し、このホテルでは尚更であろうと思い窓をしっかり閉めて眠ることにした。白いペンキのところどころ剥げた木製のぼろっちい鎧戸である。
 翌朝、鎧戸の割れ目や隙間から針穴写真機のように入って来る光が美しくその眩(まばゆ)さに目覚めたつもりが、光ではなく音で目が覚めたことに気づく。それは鎧戸をがたがた揺らせ隙間から入り込んでこちらのガラス窓まで激しく打つ風の音だった。窓の傍まで寄ってみると、外を相当な勢いで風が吹いているらしい。風が捲き揚げるのか、砂がざざっと鎧戸にぶつかるような音も聞こえてくる。東風か・・。それにあたる土地のことば「×××」を忘れてしまっていた。風が収まるまでしばらく発てないな。窓も開けられない。隙間から入る光が外の映像やいろんな色の光を映して部屋のなかをダンスするようであるのを、そういえば針穴写真機はもとはカメラ・オブスクラというのだったっけか。カメラというのはいまのイタリア語でも部屋を意味するのだった。などとぼんやり考えながら・・。そのカメラに閉じ込められゆきかう光の戯れのなかにいる我を愉しみながら・・。

2019年5月28日火曜日

あまりの駅

あまりの駅は唐突にあなたにやってくる。それはある日の終電うとうとしているあいだに降りる駅を乗り過ごして車窓の外にぽつぽつひろがる街のあかりをながめているといつのまにか終着駅も過ぎたみたいでまったく見知らぬくらやみにときどきぽつぽつと光がみえるようになる。街はどこまでつづくのだろう?地上はどこまでつづくのだろう?みえる光がまったくなくなってくらやみになればどこへ着くのだろう?この電車はどこまでいくのだろう?その先にあまりの駅がある。
あまりの駅は生涯に数回だけあなたにおとずれる。もちろんおとずれないままに終わるひとだってたくさんいる。だけどあまりの駅がおとずれてしまえばおしまいだ。あまりの駅を知らなければならない。あまりの駅に気づかなければならない。あまりの駅をのがしてはならない。でもそこで降りてはならない。

2019年5月26日日曜日

sketch(というラベル)

世界中の街をほっつきあるくのが好きなんだけど、もちろん資金にも時間にもそう余裕があるわけではないから全世界行くわけにはいかないし(できたらたくさんのところに行きたいけど)、あまり下調べせずに行ってあてずっぽにあるきまわるもんだから折角行っても必見の場所を見逃していたりするし、こまめに写真撮ったり見たもの食べたもの経験したことの記録取ったりしないし(いっとき動画は撮ってて編集して作品にしたりしたこともあったけど・・これはまた機会あったらやりたいけど)、ただ、わたしにとって重要なのは、どこかわたしの知らない街へ行ってその街の空の下にいること、だけなのだと思う。旅行で見た美しいものの印象を言葉で説明しようとしてもやっぱり写真や動画に敵わないし、普通に旅行日記書いてたんでは世界中を巡っている(あるいは現地に住みついている)プロ〜セミプロの旅人たちにはとても敵わない。で、わたしにできることを考えて、いつもの手で妄想入れた印象記を書くことを思いついたわけです。したがって全てのsketchに現実の下地がありますが、いろいろ混ざってたり虚構や妄想がいっぱい盛ってあったりわたしの記憶に埋蔵されてる「嘘旅日記」ということで続けてみようかな、と。
たとえば某所で「スケボー少年たちのいる風景が好き」と書いたのが「リプレイ」「内辺」に反映されてます。いずれも現実の記憶の再編です。

2019年5月25日土曜日

内辺

昔から在る繊維系の卸売市場の広い敷地がありそれを周囲から突き刺そうとするかのように鋭く図々しく割り込んでくる新しい(といってもそれほどピカピカに新しいわけではない)ショッピング系のビルがいくつかありそのあまった隙間を体裁だけ公園にしたものだからその公園はずいぶん変なかたちをしている。あまって突き出たところに言い訳みたいに何かの碑が立っていたり(現地の字で書いてあるので読めない。いや一字一字発音することはかろうじてできるが意味が分からない。)現代彫刻が突き刺してあったりする。管理事務所かそれとも何か小さな博物館でもあるのかと疑った立派なガラス張りの建物は単にトイレがあって地下の自転車置き場につながるだけの建物であった。三つの地下鉄駅からちょうど等間隔ぐらいの距離にありどこに行くのもどこから来るのも不便。というか、わざわざこの公園を目指して来る人はあまりいないと思われ一つの地下鉄駅から別の地下鉄駅へ歩いて移動しようという人なのかここを突っ切るのが一番近道とばかりに通り道にしている。それでも帰宅時間にあたるであろうこの時間帯にそれほどの集団移動はなくサラリーマン風OL風が三三五五急ぎ足で通り抜けていくのみ。のんびりしているのは近所の住民たちか犬とか幼児とか荷物とかあるいは杖だけとか連れて公園の変なかたちの内辺に沿ってつつましくしつらえられたベンチにもっとひっそりぽつぽつ座っている。そんな公園もそれが唯一の美点なのか(あるいは欠陥なのか)開発の残滓の地の歪みの名残なのだろうおもしろい高低差があってそれが斜面だったり段差だったりするもんだからスケボー少年たちの格好の餌食である。この地のスケボー少年たちはみんな白い顔をしていて端正な顔だちの子も素朴な顔の子もいればおしゃれな子もそうでない子もいるが全体的に上品で育ち良さげに見える。現地の言葉で遠慮なく声かけあいながら滑っているのがまるで鳥の歌のように聞こえて心地良い。
ああ、いいな。夕暮れのこういう気分がいいな。その頃はその国のことばをほとんど解さなかったわたしの耳に少年たちがほたえる(「ほえたてる」の誤植ではない自動詞「ほたえる」)声はメロディとしてごくごく近しいのに意味は殆ど分節せず気分だけはすこしわかって心地よくてたまらない。わたしはわたしも付近住民なんですという顔しておんなじようにひっそり気配を殺してベンチに座り急ぎ足で通り抜ける帰宅民らを横目で流しながらスケボー少年たちをぼんやりうっとり眺めているのだった。

2019年5月24日金曜日

波が来る

足を踏み出したとたん空気のなかに匂いの霧が分厚くたちこめているのに気づく。それは小さな風となって鼻孔を打ち、このなにやら香辛料と埃の香りがこの街の印象を決定づける。黄白く乾いた道を住居に邪魔されながら折れ曲がり折れ曲がり行くと、溝のならびに沿って粗末な布がけの屋台が建ち並んでいる道に出る。屋台は裸電球を連ねた線でつながっていて、何軒かおきに同じものを商う店が出現するもののどれも異なる食物を売っていながら味付けにはおなじ香辛料を使っているのか同系統の匂いの流れが縞模様をなして旅人の鼻に流れこんで来るのだ。屋台の主らはこのくにでは少数派であるはずの中東系の顔つきをしていていずれもいずれも姿かたちもみすぼらしく難民だかまだ貧しい移民だかの風情である。その子どもらは道ばたに座り込んでなにやら石を使った遊びをしていたり猫と戯れたり道を駆け回ったり。屋台の客らも同じく故郷の味を求めて来るのか同じ顔つきの難民だか移民だかの風情の人々か、あるいは好奇心でこの異民族の屋台を冷やかして歩くこのくにでは多数派であるらしい裕福な風情の人々か、あるいはさまざまな出自の旅人たちか。そういえば朝から何も食っていないことを憶い出し俄に(にわかに)腹が減ってきたので店先を冷やかしてあるくだけでなく何軒かおきにおなじものがあってこの屋台通りでは最も売れ筋であるらしい食べ物を求めることにする。まず匂いを確かめ作り方を確かめ「これは何だ?」と聞くと知らない言語の知らない言葉が返ってきて「・・・?」と鸚鵡返しすると「ちがう・・・だ」とまた言う。「・・・?」とまた鸚鵡返しすると首を振り、私がうまく発音できないのを笑う風だが嫌な笑い方ではなく、こちらも笑ってひとつ求める。どら焼きのような生地を揚げた皮の部分は玉蜀黍(とうきびorとうもろこし)だかなんだか穀物の味しかせず、中身はトマトと肉の組み合わせかと勝手に想像していたら肉気はまったくなく赤はトマトでもなく豆をくたくたに煮たもので赤はもともとの豆が赤いのかそれとも別の赤い材料が入っているのかわからない。先ほどから嗅覚だけで利いていた香辛料が口の中で強烈に弾け、同時に鼻まで逆流した。おいしいともまずいともいえず、ただただ初めて食べた味だった。旅先で初めて食した味は口に合わぬと切り捨てずとにかく食べる主義であるし空腹でもあったし求めたものは最後まで食べる。と、先ほどまで満天青空だったのが俄に(にわかに)灰色の雲が立ちこめ太い破線を描いて雨が落ちて来る。慌てて屋台の隙間の雨除けになる布のあるところに退避し、目の合った店主に「雨だね」と声をかけるとまたもや聞き知らぬ言語で「・・・だ」と言う。彼らの言語で雨を「・・・」と言うのかと問うとそうではない、雨のなかでもこれは特殊な「・・・」なのだと言う。pの音から始まりあいだに発音できないhに似た音が入り最後は曖昧なuに似た母音で終わる言葉だった。繰り返したがまたもや発音できないこちらに対して微笑が返って来ただけだった。
いつのまにか中東系の顔が少なくなり、大勢の人々が縁日の屋台が本宮まで続いているように道の先に皆が目的地としあるいはそこから帰ってくる場所があることに気づき人の流れとともに道なりに歩いていく。脇にスロープのついたコンクリートの階段を上がっていくと本殿ならぬ巨大な白い箱型のショッピングセンターがあらわれ人々はそこに吸い込まれそこから吐き出されていくのであった。買いたいものがあるわけではないのだがそこまで来たのだから本宮に参っておこうと中に入ると中も巨大な倉庫のようでありとあらゆる商品が見本品は別として箱のままで積み上げられ買い物客はカートを押しながら店の中を縦横無尽に歩きまわり箱のままの商品をどんどんカートに放り込んでいくのである。気づくと店員らはアフリカ系ばっかりで買い物客らは若いカップルで来ているコーカサス系がちらほら目に付くほかは見渡す限り東洋系の人々ばっかりでなかでもしゃべっている言葉から(普通話の)中国系が多い。買いっぷりの良いのもその中国系の人々でカートはたちまち商品の箱で満杯になりしかも家族みながその満杯のカートをそれぞれに押しているのである。私だって外からみれば立派な東洋系だがその人たちと同様に見られるのが癪なわけでもないのだが買いものが目的ではないのだということを誇示するようにカートは押さずしかし店内の小道を残らずまわると先ほどの屋台の道よりももっとどっと疲れがやってくる。それにしても屋台のところからして中東系とかここではアフリカ系とかコーカサス系とか東洋系とか民族系なんて虚構であることぐらい心得ているのに、なんだってこんなふうに綺麗に色分けできてしまうのだ?この地では?とりわけ謎なのがアフリカ系の人たちでこの地ならばもっとたくさんいてしかるべきなのに屋台通りではほとんど見かけなかった。この店の中でも客としてはほとんど見かけない。だが、この店の店員という店員、見る限りすべてアフリカ系の人たちなのだった。なんなんだこのくには?そういえば店の品物はなぜか白が多くていかにも白の店、白人の店、白人の趣味の店といわんばかりなのだ。(その割に客に白人は尠い(すくない)が)。よく見ると店のロゴらしいマークのそばに国旗があってそれはどうやら北欧系のくにの国旗なのだ。そのロゴと国旗の麗々しく飾られた店の真ん中にさらに上階に上がるエスカレーターと階段がありここは神殿をなぞらえて階段をどんどん上がっていくと最上階はテラスのようなところに出ていく。そこも真っ白に塗られていて白い大きな船の船首部分の甲板のようなしつらえになっている。遠くに海が見渡せる。ああ、こんなところに海が。海は沖のほうが泡立つような風情で綿を丸めて並べたようにも見える。船の舳先にあたる部分から下を覗き込むと波打ち際が見えたが波は押し寄せてはいず逆にすーっと引いているように見える。私の知っている海とは違うようだと思っていると、もくもくもくと遠くのほうで綿のように見えていた泡立ちがこちらに向けてゆっくりと押し寄せて来ているのが見えた。波が来るのだ。でもあんなに遠くから? 海を知らぬ身で何が正解かわからないまま再び階段を下り買い物客の喧噪を抜け階段を下り屋台の続く道までやってくる。

2019年5月23日木曜日

リプレイ

美術館に来てみたら美術館は閉まっていた。はじめ閉まっているともわからなかった。後日開館日に再訪してみてそこが入り口だとわかった開口部は閉館日にはぴったり閉ざされて単なるのっぺりした塀となり普段はそこが入り口なのだということすらわからない。おかげで閉館であることを知らずどこが入り口なのかしらん?と探す当方はぐるり四方ではなく建物のかたちの都合で変形五角形となった周囲をぐるり一周めぐって矢張り塀しかなく腑に落ちずに二周目を回り終え三周目に入った直後ようやく角っこの柱の上に美術館の印があってその下に小さな金属プレートがあるのに気づきそこに開館日が記されてあって本日はそれに当たらない旨を漸く理解する。
なんでちゃんと調べてから来ないかな。どっと疲れてふいと息をつきあらためて美術館の建物を見上げるとてっぺんに金の馬がいて晩い(おそい)午後の陽差しにだるそうに光っていた。金ぴかに光って私を見降ろすような位置にいてもべつに私を馬鹿にするでもなく澄ましているのでもなくただただただただそこに居た。
わざわざここまで出向いた徒労感をなんとしよう? でも美術館の表側にはそれほど広くもないが悪くない公園がゆったりと広がっていて水辺までつづく段差のそちこちに若い子たちが思い思いに集っているのだった。少し歩いてベンチに腰をおろしスケートボードに興じる子らの一群れ(ひとむれ)を見るともなしに見ていると彼らはいまどきラジカセを使ってラジカセから音楽を流しながらしかしその音楽に合わせるわけでもなく上手い子も下手な子も思い思いに愉しげに滑っているのだった。いちばん小さい子で9〜10歳ぐらい大きい子で16〜17歳ぐらいといったところか。しかしあんたらいつの時代の子どもやねん?ヨーロッパの若者はアメリカより10年単位で遅れるんかい?(周回遅れかそれとも周回遅れの先端か?)。それとも、もしやしてその一群(いちぐん)そっくりタイムスリップでもして来たんかい?
と思った矢先ラジカセからふいに私も知っている英国の流行歌が流れる。それがたしか4〜5年前の歌。また幾重にも折り重なったタイムラグにくらくらくる。私がいっときしつこくしつこくリプレイしていたその曲は若き黒人ミュージシャンの歌のくせして麻薬性あるヨナ抜きメジャーの旋律を持っていて、ある女性の名前に直結しその女性の名前を聞きたいだけの動機でしつこくしつこくリプレイしていたその歌が、なぜかここでもしつこくリプレイされあたまのなかで流れるメロディと共鳴してスケボーする彼らの動きを目で追いながら私の感情もいったい今の今にあるのかかつてのあのときのかつてを繰り返し繰り返しリプレイしているのかわからないままスケボー少年らの同じルートを何度もなんども繰り返し滑る動きとともにいったりきたりしながらすこしずつの差異をくわえながらやはりリプレイを繰り返すのだった。
んな感慨に耽りつつもはや立つ気がしなくなって快く重たいお尻を石のベンチにかるくめり込ませながらみるといつのまにか空の色・空気の色が薄暮にうつろうとしている。夕食にはまだ早い。もうすこしこのリプレイを眺めていようか。(だってリプレイには麻薬とおなじく習慣性があり快くて快くて快くてなかなか抜け出せない。・・って重言か)。
なにかかるいお酒が飲みたいな。いやむしろ強めのショットか・・。
わたしはもううごきたくないんでだれかもってきてくれ。
と日本語でつぶやいてもこの無邪気そうな顔たち稚い体躯たちのなかにそれがわかりそうな子はひとりもいそうにない。

2019年5月19日日曜日

tribe(というsaga)

LGBTQ(Qっていつから入ったんや?それなら「Q」だけでもよさそなもんやのに・・)の世界は、いっときgender関連のグループをやってたこともあって、ふつうに身のまわりにあって決して特殊なものだとはおもっていない。けど反面、決して自分が彼らを代弁できるなどと畏れ多い立場だとも思っていない。
だけど、現実には性自認が生物学的性別と一致し性指向はヘテロといういちばん退屈なありようでしかない自分が、小説世界のなかではどんな性にもどんな性的指向をもつキャラクターにもなれる。って昔から「ボヴァリー夫人は自分」が小説家なんだし・・という冥利なんだか宿縁なんだか、愉しみつつ苦しみつつ、聞きかじりのことを勝手に解釈して失礼ではないかしらなどとも思いつつ、書いているという次第です。
『佐野和宏の指』は2004年の作品。当時ウェブ上で連作をやりとりしていたさる作家さんにお題をいただいて書いたうちの一作です。ただ、ここで創作した登場人物の一人ひとりにはわりと愛着あり。彼らが生きる街のある時代のsagaを書き継いでいきたいなぁ・・と思いつつ。また、できれば書きます。
ちなみに現実の佐野和宏さんにはふとしたご縁で一度だけ酒席をご一緒させていただいたことがあり(もちろん先方は覚えていらっしゃらないでしょうが) 、ピンク女優の誰某さんに似ているとお誉めの言葉をいただいて舞い上がったことがあります。
(ああ、こういうナルちゃん(現天皇ではない)語りがとめどなくなってしまうのがわたしの悪弊でもありますが・・)
ところで、読んでいただいたみなさまは、この掌編のオチ、わかりました?
いや、書いた本人が、あれ?これってオチどこだっけ?と考えこんでしまった😅
作家本人が忘れてしまうオチって…(爆)

2019年5月18日土曜日

佐野和宏の指

「マーサーユーキー」
「マーサーユーキー…」
 いつもの間延びした呼び方で篤彦の呼んでる声が聞こえる。
 声の糸に引っ張りあげられるようにとろとろと夢から目が覚めてみると、呼んでいるのは島ちゃんだった。

「マサユキ」と、みじかく呼ぶ島ちゃんの声。
「ああ…」
「よく寝てたね」
「うん」
「また夢見てたの?」
「うん」
「いつもの夢?」
「うん」

 ちょうど映画と映画のあいだの休憩時間で、『荒野の決闘』の主題歌が流れていた。
 『黄色いリボン』のあとはいつもこれ。で、そのあとはいきなりマカロニウエスタンになって『夕陽のガンマン』。
 映画産業華やかなりし頃は、この映画館もいつも満員の客を呑み込んでいたのだろう。そのときにかかっていたのが西部劇なのかもしれない。あるいは単に現在の支配人だかオーナーだかの趣味なのかもしれない。ここはいつも西部劇のテーマ曲がかかっている。
 天井が高くてスクリーンが大きくて、館内のどこの席からでもゆったりと映画を見ることのできる、とても良くできた映画館。
 いまはピンク映画専門館だ。

  Oh my darling, oh my darling,
  Oh my darling Clementine....
  You are lost and gone forever,
  Dreadful sorry, Clementine.

 西部劇の主題歌にしてはなんて甘い歌。でも映画好きではないひとには、ただの男男した「雪山讃歌」に聴こえるのだろう。
 この歌を聞きながら寝入ると、決まって床屋の夢を見る。
 男とセックスするときも、決まってこの夢を思い出す。
 夢のなかに分厚い靄のように漂って推移していくあらゆる音が、耳のなかにつぎつぎと聴こえてくる。

 ちきちきちきちき…と、小鳥が嘴をたたく声
 床屋のおやじが鋏を叩く音。
 ぴたぴたぴたぴた…と、小鳥が尾羽をたたく音
 床屋のおやじが頬をたたく音。
 バリカンのグわーという音。
 ガーがジーになりまたガーになる。
 そして殺人者たちが大仰に登場し、白い布を大きくはためかせる。鏡を割る。
 鏡の前で明日の死人たちが、怯えるほどに強がってみせて、胴震いしながら敵を威嚇する。
 そしてそれが、すぐ映画の決闘シーンに直結する。
 ばきゅん!ばきゅん!ばきゅん!
 どすん!うがー!ばたん!
 歴史的な事実ではごくわずかの持続時間しかなかったOK牧場の決闘が、映画では何倍もの長さに引き延ばされたと、なにかの記事で読んだかな。

 サラリーマン風ハゲオヤジと一戦終えて席に戻ってくると、スクリーンのうえでは佐野和宏が派手な発射音を響かせながらピストルを振り回している。
 西部劇ではなく、明らかに香港ノワールをパクったガン・アクション。ジョン・ウーばりのスローモーション。
 でも演出なんてどうでもいい。オレがピンク館に足繁く通うのは、佐野和宏に会うためでもある。
 この突出した映画俳優は、相手が男だって女だってかまわず、そうすることが当然のようにあっさりと、暴力的にしかも優しく、相手のからだを奪ってみせる。ファックする。
 佐野が画面に登場するとオレはおもわずためいきをついてしまう。
 隣に誰が座ってようが(もちろん島ちゃんであろうが)つぶやかずにはいられない。
「あいつにヤられてみたいな…」
 それが隣に声をかけるきっかけになったりする。

 島ちゃんとは幼稚園時代からの幼馴染み。
 小学校の半ばくらいから篤彦が加わり、三人で高校卒業までいつもつるんでた。
 からだのでかい篤彦は、小柄な島ちゃんとやせっぽちのオレとのボディガード役。なぜか女の子によくもてたオレたちふたりから、女の子を払いのける役割までしていた。
 島ちゃんはそれでもしっかり自分好みの女の子を確保してつきあっていたけど、オレは篤彦がそうやって難癖つけて払いのけてくれるのをこれ幸いと、あんまり女の子とつきあったことはなかった。
 かといって中学までは自分がホモだなんて自覚もなかったけどね。…オレって性欲が無かったんだ。なんか周りの男たちがみんな毎日毎日性欲が溢れて困るみたいな話ばっかりしてるのがものすごく奇妙で、別世界のドウブツであるような気がしていた。
 篤彦は、はっきりとは言わなかったけどオレにひそかに恋してたらしい。でもオレは篤彦とはいつも距離をおいてつきあっていて、あいつの気持ちを知っててわざと島ちゃんとばっかり仲良くしてたりした。
 実際、なんでも秘密を打ち明けられるのは島ちゃんのほうで、篤彦に対するときにはなんだか一枚壁を隔てて接しているような気がしていた。卒業してから大学が離ればなれになって、彼とはあんまり会わなくなってしまった。

 でもなぜか、オレがなにかをするときにはいつも(なにかをしなくても)、いまでも篤彦の声が耳の奥から聞こえる気がする。
「マーサーユーキー」
「マーサーユーキー」
「マーサーユーキー…ったら」
「なにやってんの?」

「なにやってんの?」
と、耳の奥だけに聞こえる篤彦の声にこたえながら
「オレ、なにやってんだろ?」
と、その言葉を自分で反芻する。
「篤彦、オレさぁ……」
「……オレ、いま、ピンク館でウリやってる」

 あれはまだ高校1年頃だったとおもうけど、島ちゃんとふたりでこの界隈で遊んでたときに男に声をかけられて、君達なら一晩10万は軽く稼げるけどどう?って言われた。
 すぐ見当ついてそのときは逃げたけど、また示し合わせて島ちゃんと出かけた。
 しばらくは男子高校生としての節度を保って(笑)?ウリはやらずにいたのだけれど、また、お尻だけは処女でいようね(笑)と互いに約束もしていたのだけれど、あるとき気づいてみると、ふたりとも互いに黙ったままいつのまにか両方のハードルを易々と越えていたのを、どちらともなく告白しあった。告白して笑いあって、もっと友達度が深くなったような気がした。
 篤彦は、そのことを知らずに卒業していったけど。

「篤彦、オレさぁ…………ピンク館でウリやってる」
「えーーーホント?」
「ホントだよ」
「そんなんでお金になるのぉ?」
「ならないよー。小遣い貰うだけ。だからただの趣味。密やかなお楽しみ」
「お楽しみかーーー。なにが楽しいのーーー???」
「なにが楽しいんだろーねー? 自分でもわかんないやーーーー」

 ほんとはわかってる。
 このオレのからだを承認してほしいからだ。(シャレじゃないけど)。
 オレのからだ、どんどん変わっている。自分でも怖いくらい、まいにちまいにち変わっていく。
 生まれてから20年経ったある晴れた日に、初めて自分はオンナだと気がついた。
 それから3年してようやく認めてくれるオトナがいて、コレは治療できるのであると説得されて、ホルモン投与が始まった。
 元からのオンナだって化粧っけなしに汚いジーンズで歩き回ってるやつがいるように、オレは化粧とか女装とかはホントは嫌いだけど、医者にいくときには女装しないといけない。女言葉も嫌いだけど使わなければいけない。心理的にも行動的にもオンナとして振舞わないといけない。とってつけたようにそうやってオンナを演じると、たいていのひとがオンナだとおもってくれることは、あるていど(オトコやってたころから)知っていた。
 だけど、いつものきったないジーンズ穿いてぼさぼさの頭で出かけると、やっぱり7・3ぐらいの確率でオトコに見られる。この映画館のモギリのおっさんは付き合い長いし、オレをオトコ以外のなにものかであるかもしれないなどと疑ったこともないだろう。引っかける客のオヤジの大半も、疑いなくこちらをオトコと見るようだ。
 それでもホントはオンナだし…
 ニセモノだった部分がどんどんとれてホントのオンナになっていく…。
 どこまでがホンモノでどこからがニセモノかがわからないくらい…
 急速にホンモノになっていく。日が替わるごとに、なにがホントだったのかわからなくなってくるのだ。
 だからそんな自分が怖くて、一日ごとに、だれかに自分を承認してもらわないと、いてもたってもいられなくなる。(こんなことは医者には言えないけど)。
 自分を、というよりは、自分のからだを。
 だから、ちゃんとからだを見てもらうことが、必要なのだ。
 見てもらうだけでなく、抱いてもらうことが、必要なのだ。

 とりあえずキスから始まるもののすぐに股間の的へと延びるテキの手をとって胸に導く。
 ささやかなふくらみにふれると、オヤジたち、気色悪げな顔をしたり、バツの悪そな顔したり、嫌悪感を露わにしたり、好奇心むきだしにしたり…。その顔をたしかめながら上半身を半ば露わにして、十分に自分のからだを見てもらう。
 オレのからだをみつめる相手の目をたしかめたうえで、テキのもう片方の手を今度は股間に導く。と、相手がみるみる安心するのがわかる。
 無言でやり終えるのがある種の作法みたいなもんなので、そのままなにもコメント聞かずに終わることも多いのだけど、「ニューハーフってやつか?」みたいに聞くやつもいる。
 曖昧に肯定する。どう呼んでくれてもかまわない。
 ほんとはオンナだってことにも自信がない。
 オレはオレだなんて陳腐なことを言う気もない。
 ただ、このからだを見てほしい、抱いてほしい、だけだ。
 そのつど、見知らぬオヤジたちに。
 あるいは、映画のなかに入っていけるものならば、あのオトコのかたまりみたいな佐野和宏に?

 ほんとは島ちゃんがいちばん好きだ。
 でもこんなにつきあいが長いのに、もちろんガキの頃から互いの性器もなにもかも知ってるし、性的なふざけあいっこもいっぱいしてるのに、オトナになってからは一度も性関係を持ったことはない。
 持ってはいけない、とすらおもっているところがある。

 島ちゃんは立派なバイセクシャルで、ホモのオヤジ相手にウリ始めてばりばり稼ぎ始めてからもつきあってる女の子がいて、30になれば結婚するのだという。カノジョに操たててるつもりなのか、女相手のウリはしない。
 もちろんピンク館で気まぐれのように男ひっかけるなんて金にならないから、ちゃんとあちこちの店と契約してしっかりがっちり稼いでいる。オレには言わないけど貯金もしているらしい(笑)。
 週に一度ぐらいここをのぞきに来るのは、オレのようすを見に来てくれるためだけだ。
 オレに向かって直接は言わないけれど、だれかに「あぶなっかしくてみてらんない」みたいなことも言ってたらしい。
 ついでに、高校の頃からオレとおんなじ映画オタクでもあるから、新作のピンク映画をきっちりチェックしていく。期待の新人監督が現われたりしたら、そのことで話が弾んだりする。

 島ちゃんが、契約してるお店につれてってくれて飲ませてくれる。ときどきここで会う変な女三人連れとまたおしゃべり。
 サッカーボールみたいな顔と体型していつも元気で勢いのあるブスのマルは、17のニンフォマニア。
 ペコは、基本的に美人系なのになぜだか頬から目の端にかけての皮膚がいつも突っ張っていて変な顔。ちょうどマルの倍の齢だっていうから34でバージン。
 キナコは20代半ばのMtFレズビアンで、身長が180cm以上あるのが悩み。
 この三人がいつもつるんでる光景もなんだかおかしい。
 ペコはバージンの強みで妄想だけはどんなことでも妄想するという。ハル・ハートリーの映画でそんなキャラクターがあったな。ニンフォマニアでポルノ作家でバージンの女。イザベル・ユペールはとてもそんなふうには見えなかったけど…(笑)。
 妄想のなかでペコは男にも女にもなるし両性具有にも性別の無い存在にもなんでもなるという。相手も男でも女でもなんでもかまわないし、どんなシチュエーションでも、どんなセックスでも、なんでもやる。でもそれはオナニーのおかずとかいうのではなく、オナニーは即物的にただのオナニーで全然別物なんだという。妄想はあくまで妄想。アタマのなかだけの世界。
 でも現実には、ペコは神経質なところがあって、他人にすこしでも触られるのがいやなタイプ。特に髪の毛には絶対に触らせない。
 自分の無いはずのペニスがアタマのなかで立ったりするのだという話をしていて、急にオレに話を振る。
「んでさ、あんたは自分の無いはずのヴァギナが濡れる気なんかするわけ?」
「…んーいや。あー…。わかんない」
「ウシロの穴の感覚とは別もんなの?」
「…んーーーあーーたぶん別もん」
「で、そのナントカ治療が進んでくとペニスは取ってしまってヴァギナをつくったりするわけ?」
「それも、いまんとこわかんない」
「ペニスはちゃんと立つしちゃんとイクんでしょ?」
「うん」
(…でもそのことはオレがオンナであることと、なんら矛盾するとはおもわないんだけどな…)
 と、オレはくちのなかでつぶやくのだが、わかってもらえるような気がしないのでだまっている。
「両方あるといいなぁ!あたしなんて心底そう思うよ!」と、ペコ。
「あったってさぁ、あんたの場合やんなきゃ宝の持ち腐れじゃん」と、マル。
 引き続きマルの話になる。
 そりゃ妄想だけならなんでもできるもんな。からだを傷つけることないもんな。妄想だけのほうがいいよぉ、羨ましいよぉ…と、マルは心底うらやましげに言うのだけど、もちろんすこしもうらやましがってなどいない。
 あたしなんてペコとは正反対に「触りたがり」だからさ、誰といてもこう~~やって(そばにいる誰でも腕や肩や膝やあちこち触りまくりながら)触っていないと安心できないんだけどさ、だから男ができるたびに、いつもいつもくっついていたくて、ずっとずっとずっとくっついてるんだけどさ、ホントは肌が弱いもんだから(実際、赤ん坊のような柔らかそうな白い肌をしている)、そうしてるとすぐ肌が荒れてくんのよ。ちょっとした刺激でキスマークなんてすぐできちゃうしさ、それがなかなか消えないしさ、キスしまくってると唇も荒れるしさ、セックスもしまくってるとあちこちの粘膜がすれてこすれてむけてしまって痛くてたまんなくなっちゃうしさ、膀胱炎にはなるしさ、挙げ句の果てには妊娠しちゃうしさ。
「おい」と34歳バージンがすかさずツッコミいれる。
「いいけど避妊ぐらいしろよ」
「一応してるつもりなんだよ」
「それはしてねえっていうんだよ」
 ひとしきり、セーフティ・セックスに関するペコのお説教。
「いやあね。あなたがた」とキナコが得意そうに
「妊娠なんかしちゃうのは野蛮だっていうの。ほら同性愛だってSMだってフェチだって文化度の高いセックスは生殖とは無縁なのよ。サド先生をお読みにならなくっちゃ…」
 得恋したばかりのキナコはこのごろノロケ話ばっかりで、あとの二人から煙たがられている。
 (マルは男つくってもいつもレンアイではないからノロケ話にはならない)。
「でもさぁ、レズビアンってどんなことするのぉ?」
「あーんなことも、こーんなことも、そーんなことも…(笑)。ご希望ならば実地体験させたげる」
「遠慮する」と、ふたり。
「あーんまりやりまくってるから舌なんか脱臼したりなんかして」
「えーーーー舌って脱臼するのぉ???」
「しないしない(笑)。なんであんなとこに関節があんのよ」
「ちがった。舌を骨折しかかったりなんかして(笑)。で、脱臼したのは小指よぉ」
「えーーーーなんでそんなとこ脱臼したりなんかするのぉ(笑)???」
「っと待った!だいたい舌に骨があるのぉ(笑)?」

 脱臼ね。
 オレの高校時代の同級生もよくやってたな。アメリカンフットボール部の選手みたいだ。
 そういえば、映画の主題歌であるときには歌われない1番の歌詞は、たしかボーイスカウトで習ったかな。
  In a cavern, in a canyon,
  Excavating for a mine,
  Dwelt a miner, forty-niner,
  And his daughter Clementine.

2019年5月15日水曜日

幾時代

あのおなじとき
死をえらぶ友人がいて
おなじとき
恋に落ちる友人がいた。
わたしは思い出す。
あなたの曖昧な微笑を
あなたがたの
ころがるような嬌声を。

おなじとき
わたしはどうしていただろう?
ふかく しずみこんでいたか
それとも ふわふわ
まいあがっていたか
(もちろん おぼえているけど わざとね)

それから幾時代を経て
わたしたちは おなじことを くりかえす。
恋にはじける友人がいて
死にむかう友人がいて

わたしは ここにいる。

2019年5月10日金曜日

tarahine(という作品)

2005年に書き始めた連作。ブログのかたちで嘘日記を書き継ぎ、最終的に小説みたいなものになればいいなと思ってた。未完なのでまだ書き継ぐつもりでおります。
構成要素は夢と現実と妄想ですが、でもまあすべて嘘(フィクション)のかたちに整えております。(って当たり前か・・)

まいにち毎朝, 押し寄せてくる

 ひとがみな、なにかの待合せがあればきちんと約束の時間、約束の場に到着する。なにかの催しや会があれば遅れないように所定の場所に到着する。会社や学校には定時に必ず着いている。ある時間になるとある特定の場所に、そこに関わりのある特定の人々が、ちゃんと集まっている…。そういう事態が、なにか不思議でたまらない気がすることがある。
 自分がその時間になればそこに行っているべきであるということを頭に入れて、間に合うように各種交通機関を使って出かけ、到着する…ということがどうしてこれほど多くの人々に(というかほとんどの人間に)可能だというのが不思議だ。
 わたし自身はよく“抜ける”こともあるが、自分がちゃんと時間通りに行ければなにか奇跡のように思える。よくやったと誉めてやりたい気がする。毎日毎日まちがわないようにその日やるべきことをきちんと実行するなんて、まるで奇跡のようだ!
 記憶は一日ごとに再構築されている。昨日との連続線は毎晩寝るたびにいったん切れて、朝目覚めるときにゆっくりつなぎあわされる。「今日は何をするのだっけかな…?」と記憶をよみがえらせる作業をねぼけた頭のなかでゆっくりめぐらせているのがわかる。
 昨日と同じ自分のようでも少しずつ変わっていて、その不連続面は朝目覚めたときに最も大きくあるような気がする。子どもならば、昨日よりもひとまわり成長している。老人ならば、がくっとあるいは少しだけ昨日よりもなんらかの身体的機能を喪っている。病人や怪我人ならば、昨日より目立ってあるいは少しだけ回復あるいは悪化しているのが、朝の体調で自覚される。肥ったり痩せたり〔筋肉や脂肪がついたりとれたり)体格が変わるときも、毎朝毎朝のペースで更新されていると思う。
 カフカの『変身』が朝目覚めるところで始まっているのももっともだと思う。大島渚だったかが、「学生の自主映画はほとんどが朝目覚めるところから始まっているのですよ」と言ってたような記憶があるが、それももっともだと思う。
 朝目覚めるといきなり昨日との連続線が断ち切られていて、昨日までの自分でない自分になっている。『変身』はある日を境に引きこもりになってしまった孤独な男の寓話と見えなくもないのだが(そんな比喩的な読み方をしないほうが面白いことは面白いが)、昨日とちがう自分、昨日とちがう世界になってしまったら、もうどこへも出られなくなってしまうだろう。(いや「出かけなくてよくなった」といったほうがただしいかもしれない)。
 そこからまた別の連続線が始まり、家族のなかの“異物”(=虫)としての再構築が始まるのだが…。
 アンジェリーナ・ジョリーだかミラ・ジョヴォヴィッチだかが主演したなんだかのゲームを元ネタとしたSF映画で、その場にいる人物らがみんな記憶喪失に陥っていて、誰が悪者か、誰が良い者か、本人たち自身にもわからないというようなシチュエーションがあったと記憶する。
 なんか、それっておかしくない? 記憶喪失に陥る前“悪者”だった者は、記憶喪失に陥っているあいだ、どのような倫理観で行動するのだろう?(映画では、他者への思いやりなども常識的にある“普通に良い奴”の言動様式を取っていたような気がするが…。) で、記憶を取り戻した途端、自分は“卑劣漢”だったことを思い出し、悪人にふさわしい狡猾な心根を取り戻し、卑劣で悪い思考様式に沿って行動するというのだろうか?
 記憶がないあいだの“普通に良い奴”のそいつと、“卑劣漢”のそいつと、どちらがほんもののそいつなのか。
 悪漢になるなら、なるだけの個人史というのがあったはずなのだが、それが一気に襲ってくるか、一気に奪われたときにはどうなるのだろう? 一気に襲ってくるときの恐ろしさはどんなだろう?…それが毎朝繰り返されたら…?
 実際、それは毎朝繰り返されているのだ。それは毎朝、喪われたものへの哀惜ときっと満たされることのない虚しい願望のないまぜになった一瞬の甘い傷みのなかで“今日の自分”を再構築するとき、押し寄せてくるものの恐ろしさである。
 目が覚めたらなにもかもすっかり元どおりで、いちばん幸せなときのわたしであったなら…。しつこいぶつぶつがいっぱい手指にできる前の赤ちゃんみたいなやわらかい肌だったら…。胸とおなかに傷痕ができる前だったら…。老いのしるしも、癌の芽もまだ見当たらない、生まれたてのような肉体だったら…。これからたっぷり学びなにかを究めていく余裕のある若々しい頭脳だったら…。
 恋人が去る前だったら…(失われたものを惜しむ夢はいつも“去った恋人がまた戻ってくる”というかたちをとってあらわれる)。悔やんでも悔やみきれない、惜しがっても二度と戻っては来ない。いくら見ても見果てぬ夢。ぼんやりしているうちに空しい願いはひとつひとつ消去されて、はっきり目覚めたときには、ひどく貧弱な現実がぽんと残されているだけ。何十年間積み重ねた肉体の老い。すり減らした精神の衰弱。どこかで確実に生長している癌。手指は痒いし、部屋は狭いし、お金はないし、そばにいてくれる人もいないしね!
 或る朝目覚めて、(わたしならぬ)虫になっているのと、こんなふうに絶望的な“わたし”がどどっと押し寄せてくるのと、いったいどっちが堪えがたいのだろうか・・・?

2019年5月6日月曜日

夢(というラベル)

「駱駝」は2015年のある朝の明晰夢をもとにした作品。
夢がもとになる作品は多い。ちなみに「靴」はわたしの夢では身過ぎ世過ぎを象徴しているらしく、この頃は、このままではやってけないのであたらしい収入源を・・というのが喫緊の課題であった。
「鶏のうた」のなかでは 「とさか」が、わたしが昔からよくみていた「床屋の夢」をモチーフにした作品。なんだかわたしにとって大事な夢であるらしい。

駱駝

目覚めると駱駝が三頭、山なりにつらなって訪れる。
なんで駱駝?ふとくちびるを過ぎてしまったつぶやきに、回答はすぐ与えられる。
「害がなさそうで」「可愛い感じで」「それでいて押しつけがましい」「抵抗できなそう」「おもたそう」「楽だってのがいちばんじゃないの?」「それとも落第?」「ラク・だい!」「らく・やん?」
ああ、いい。もう、いい。そんなとこで。
で?
ひきつづいて靴が示される。ここ1週間ばかりずっと靴だ。そろそろ買い替えの時期であるらしい。
わたしの好みがこのように把握されているのかが他人事(ヒトゴトと発音してくれ)のようで興味深い。これではまるでブランド大好きなナチュラリストではないか。ナチュラリスト?その定義は?回答はすぐ与えられる。・・

駱駝もまたナチュラリストの象徴ではなかったか。とぼんやりとまだ靄のなかにある脳細胞でぐるぐるまわしているまに、コーヒーをエスプレッソマシンでなくパーコレータで手ずから淹れようとするじたい、じぶんは変なやつだよなと。声に出したら揶揄の大合唱が押し寄せそうなので口のなかで必死に押し込めながら。
醗酵バタアも趣味品ではあるがこちらは同調者が多いので慎重になる必要は無い。とはいえ、口に出さずにいたほうが無難であることはいうまでもない。冷凍庫にまだあるコンクレートな麺麭をしっかりとりょうのてのひらで掴みだす。コンクレートであること。が貴重だ。

2019年5月5日日曜日

鶏のうた(という作品)

2005年の連作。「骨と皮」から「喉」にいたるまで17篇の断片で構成されています。
投稿が若い順になってしまいましたが、右側のプルダウンメニューの上から順番に読んでいただければ幸いです。

 性格と頭脳の出来からすればフランクリンに話すがよいが、上司に稟議きる企画書としては、情報は旧米大資本カルテルによって身ぎれいに消化しやすいようパッケージされ薔薇ばらでしか手に入らない。どいつもこいつも類似してる癖に少しずつ規格とは離れて同じものはファジーとして見つからない。地球のどこにいるかで様相は距離に応じて異なりファッションとしては差異を要求してもフラクタル係数は一致するのかもね。
 とここまで書いたところで、入ってきました最新の情報によりますと、どうでもよいことに血道をあげる暇人またはオセッカイいや多分おなじく年金の喰い逃げはどこにでもいるもので、逆に今回ゴミとして取り除かれた部分を保存し腑頒けしている機関もございます。興味のある向きは、テレショッピングまたは型録通販またはホームページを開設する予定があるのかないのか知ったことではないが、追って沙汰を待て、とのことであることを付け加えておくものである。
 でもって締めるにはふさわしいだろうと思念する。

玉紐

 生まれつきひょろひょろ紐とたよんなくねじれた血管とで結びつけられ鯑は印刷粒子の集合だったのだ。このうえは粒つぶを見つける限り捻り潰していくことにしか永らえることの意義はない。ひと粒ひと粒はじけてだんだん軽くなる。残った姿を予想しながら地図で消していくのはいさぎよくないぜ運命あなた任せが美しいのだ琵琶湖だって淡路島だってそのようにつくられたんだろさ。そして最後まで破壊しつくせば初めて終に美しい無の死にいたるであろう。
 こいびとはいつも後ろからやってくる。僕のあいには玉も紐もその中間もないはずなのに主導権はいつもあなたにしかない。
 発声機関としてオーソライズされている場所ばかりでなくヒトの体ってほんとにいろんな音を奏でることができる。そんなふうに、穏やかさにつつまれて睡りたかった。
 なのに残響の具合いが良くないのだ。見た目には滑らかな壁がクセモノ。最後にはささくれだち、ぶつっとちぎれたのからだらしなくたわんだ奴からすりきれた奴から枝毛した奴から数々のリヴァーブ、ディレイにおける人工混沌のきわみになってしまう。ぼこぼこの不愉快きわまりないゆらぎ。
 ざわめいている。
 ざわついている。
 こんなカクテルパーティから最初の光の一条を取り出そうなんて誰が考えついたのか。いや誰もが思いつくシックへの向こうみずな誘惑なのか。ほんとの自然の最初の満員電車を夢見るなんて。延々たどりつけない混雑ゴールに向かって迂回が続くのかと思ってぞっとしたぜ。

あな

 さいごの最后に後夜祭の残り火も消えジンとするよな静寂のなかに瞳孔だけが冴えわたる。ケチであることは否定しないし別に恥しくも思わないけど、おカネに関しては執着しない。むしろ金銭はバラ撒いても、体を動かしたり気を使ったりするエネルギーをできるだけケチって、ワタシのモノを貯め込むのが吝嗇作法なのである。もっともセンチメンタル・ヴァリューはすぐ褪せるので新陳代謝は活発に行うが良いが、選択基準を決定する価値は御老公の印籠でも新興華族の紋所でも斜に構えた与太でもなくとりあえずの出たとこ勝負にする。
 そして月の盈虧の刻一刻はできるだけ無駄にしたくない。目的への最短距離とか何か役に立つことをしてなくちゃ気がすまないとかいうのでなく、それが愉しい時間ならいくらでも嘗めてなめて味わい尽くすけれど、厭な時間はできるだけ短縮するのでなく回避するように努めるのです。だから大抵、終日ぼお~っとしてたりうとうと眠ってたりすることが多い。どうしても逃げられないとなると、単に必要なだけの時間を快楽に転換する工夫を行う。うまくしたもので脱糞行為とその結果の確認とは、両方とも愉しいといえばたのしいし苦しいといえばくるしいが片方の苦痛の時間がもう片方の愉悦を倍加するはたらきをするので、エネルギーの調整とそこから得られる快楽との収支決算は常に幻想の利益を上乗せして最適化しコスト・パフォーマンス良好なのよね。
 前庭には勿体ぶりっこしないほどのさりげない羞いをこめうねうねうねる銘石の小道に沿って端麗に刈り込まれた芳香性の常緑樹を配してあり、香気が気持ち良く立つようにいつも梅雨どきの朝方の如くしっとりと水気を含んでいる。玄関を開ければ後庭の明りがほんのり見えて仄暗い座敷を幽谷のように引き立たせる程よい町家。訪なう度に建て替えられているのに、松の薪で入念に燻され三百年ほどの煤を堆積した洞窟のような室内には、代赭色の奇天烈なお不動さま(めちゃエグい)の掛軸が何処やらからか差し込む風に揺れてぱたんぱたんはしゃいでいる。白けた笹と竹と木の塀でおおわれた後庭がいちばんの見どころで、都会育ちの(スラムから出た)亭主は理想の田舎の自然の憧憬の歴史的再現の再現に無闇矢鱈に盲滅法に精力を傾けていて、客人が観察するごとに自由自在に文脈くそくらえの出鱈目に姿を変えていた。夏蜜柑や柿、栗、石榴、無花果、琵琶、杏、李などおおらかな果樹から始まって、桜、梅、辛夷、木蓮、椿の花の木。菫、野苺、桜草、連翹、蒲公英、詰草、狗尾草、烏の豌豆、犬のふぐり、野路菊、露草、蓬、萩、白粉花、薄、撫子、女郎花、数珠玉と続く野草の絨毯。牡丹、水仙、芍薬、躑躅、石楠花、菖蒲、紫陽花、槿、芙蓉、葵、百合、菊、桔梗、龍胆と季節の定番。蕪、大根、菜の花、大豆、茄子、胡瓜、じゃが芋にて生活色な風情を愉しみ。手洗の傍には梔子または沈丁華。これ以上香りや色彩の強過ぎるものは異国情緒を戦略的に取り入れるのでない限り不適とされていた。黄葉する樹、紅葉する樹、どんぐりを落とす樹。銀杏、楓、櫟、樫、椎、橡、楢・・・追っかけていくといつしか風にざわめく枝葉の先が見えなくなって深い無名の雑木林へと迷い込む。もちろん草木だけでなく小鳥や昆虫や虫偏のつくあらゆる生き物や池の魚も必需項目で、例えば十姉妹や文鳥など馴れた鳥だけでなく、どこかの伝手でこっそり入手した目白、鵯、鴬、鷽、鶸、鵲、懸巣、駒鳥、山雀、四十雀、不如帰、椋鳥、仏法僧のたぐい。孔雀や鸚鵡や鵺のいる一角も。実は亭主の泣きどころは声の綺麗な小鳥たちより目の無いのが鳥料理。内緒の阿舎の一郭では、鴨、鴫、鳩、鶉、鶫、山鳥、雉子、ほろほろ鳥、鵞鳥、七面鳥。雀は好きなときに表通りから獲ってきて親の仇のようにまるごと焼いて頭からばりばり食っていた。従ってここで催されるのはジビエ特集の室内楽演奏会で、魚介特集の交響楽は休暇中の海辺の別荘に年一度と限られている。
 上の口は無理やり閉ざされ歯も舌も使い方を忘れられて見果てぬ快楽に空しくからまわりするばかりなのに、下の口はいつも開店花盛りでもうだだぼれに腫れきってほんとは硬骨の固いものをとおしたいのにポロック絵の具のクリーム軟らかいものしかとおせなくなってしまった。ひどいたとえだが穴あきすとに憧れてなりきれない痔瘻なのだから仕方ないといえば仕方ないのかもね。
 三代前からここに住みなしている人は、罠も迷路も時間も体から知り尽くしているので、この黒い森も怖くもなんともない。二世の子供たちは学校で地理を学ぶからアタマで森を認識していて、よほど不注意でない限り穽に落ちることはない。よし落ちても慌てず騒がず通りかかった狸にいくばくか握らせて引き上げてもらう術を心得ている。分別ある旅行者は初めからこの地帯には近寄らない。困ったちゃんは、近年越してきてどう血迷ったのかここに住むことを決意した無謀な連中で、無数の陥穽の絶好の餌食だった。ただに優雅に森を散歩していたつもりが知らぬ間に足が沈み腰が沈み気がつくと地面が目のあたり樹木はあざ笑うかのように先っぽ遠く天に伸びている。あとはそのまま流砂にのまれて沈み込むだけ。やっぱしメチャえぐい。

あしのうら

 めを凝らすと、ふっと消える面影
うつくしい顔は、いつもフィルムの向こうに見える。鉛ガラスの蒼みがかったフィルターにぼやけて見える。ギンギン陶酔音のカーテンの向こうに、それだけ強調されて見える。おまえの
肉聲を聞いたことがない。でもたしかにその膚に指先をあてて
流れる血を聴いたことがある。
 恋しくて堪らぬ、足跡の
美味いたべものは、きまって原型をとどめぬぐちゃぐちゃの煮込み料理である。それに溢れるばかりの恩寵をふりかけて、みかけは嘘吐きWASPから教育されたようにみえても、かぎりなく陽炎に類似して地盤との接触面は純粋そのものに変わりのない穢れなき宗教集団である。憎らしいわりにはしおらしいトコもある無邪気ねカワイイなどとおとしめてはバチがあたるぜ。教育の行き届いた子供たちにはこんなに背筋のぞわっとするよな民主の悪臭がするけど、ほんに放埓放縦無双の快感は、音痴かつ聡明な悪餓鬼連中に造反有理。街ずれ貴族の理屈あるナンセンス。くしゃみ一発。
 感情は、
薬指の爪先から忍びこむ。
痺れるようにひそやかに
 幻聴
 幻臭
 幻覚
 幻みみず脹れになるまでマッチの火を灯し、一族の故郷の村を刺青で染めあげるのは、移り気な観音さまがマサカリ切分音を刻むすてきなビートだったと思う。
 吠えて吼えて哭いて啼いて唸って呻いて哀しき原点を覆い隠すには、微妙にのんびり鼓動とずれあうリズムがいちばん良い。だるい#7にディミニッシュに二ヌキに宙吊りの4にキンカン沁みる打ひびく。たったふたつのコード進行に早くずれ遅くずれしわがれてふるえてはずす声の誘惑。脳感帯に擦れてこすれてエンドルフィン。体が沈む沈みこむ。だんだん重く堕ちていく。沈む。沈む。墜落する。床全面にへばってもまだ止まらない精緻なリズムは床にめりこみぢめんにくいこみ地球のもっと芯に近いところまで落下運動あなたを誘う。
 すっかりご機嫌でおもいきり鼻の穴ふくらむ笑顔と宇宙からあやつられているとしか思えないけざやかな自動運動とをたたえながら、むらさきいろのチョコレート垂らした
鶏の
歌手は、
ぴかぴかのフロアに熱を吹き込む。
粗悪な円盤に生気を吹き込む。
しっかりかたくなったセックスにリズムを吹き込む。
きみには真っ黒のドレスが良く似合うね。
(たぶんきんきらオレンジと相性が良い)
(そんな感じに、砂粒みたいにしのびこむ雑音たち)
「きみのあしのうらが心配だ」と男が言う。
いつものおふざけ陽気をちょっと鹿爪てみせながら。
「関係ないわ。見解の相違よ」と女が言う。
意地っぱり内股ざまにハイヒールをかえしながら。男は、
そして男の背後の観客は、そのちょっぴりの仕草が見たかっただけなのだ。(ミンス肉なんかよりずっとかんじるぐっとくる)
そこにシンクロして
 去年のみじかい夏を過ごした絵葉書その他で有名だろけど現物見れば意外にこじんまりとしているピンクと白の洋館のある広い敷地のかたすみの、カストラート部屋でおきた殺人事件の犯人は、かみさまの恣意でひとりの夜鳴鴬に指名される。この節の燔祭を生きたものにするためには描写が不可欠だが、テレビにそんな暇はない。少なくとも登場人物のカオが描き分けられていれば、多種多様民族は満足という建前になっているのだ。だからVTRで
「撃ち殺して」とカナリアは言う。
「ガツンとさせて」と仔羊は言う。
「冷やして。もっと」と猿は言う。銀河にとろける焼肉の眼差しで。
 取りつけ騒ぎCDに殺到する衆愚も難儀せず、皆が皆ひつこいほどにくりかえし賢いそうだ。あしのうらと愛の国土はきっと親戚にちがいないなんて蒸気にまみれ、今夜かぎりはみんな同郷なんて淳朴阿呆なおんなじ共同体のおなじ食い物のおなじ宗教に属し、同じ地面を踏んづけているのはこれほどまでに快い。たとえ捧げものがいちばん下敷きにされても本人お月さまやりたいカメレオンでも。そして同じ時刻
 地面から浮き上がったひとびとは

砂ずり

 海域の地盤は三層から成る石灰岩層である。ほとんどが氷河期に形成された脆い割れ目くらいの軟らかさで、この時季は四六時中冷たい霧雨が停滞し海水はちょうどあなたの体液とおなじ組成で程良い温度にあたためてございます。静脈が青筋たててプルトニウム・ブルー無数の毒砂のつぶつぶ上空に向けていっせいに舞い上がり、ごおっと咆哮たてて頭上にふりかかってくる埃のむれ。
 島と大陸の最短海域は、虫垂管側で「恣意」サンドケでは「矢印」と呼ばれる。この海を骨格または口腔で結び地続きにする戦略は古くは第二帝制期に遡り具体計画も立てられたがサロンの反対によって突然中止になり以降は繰り延べに継ぐ繰り延べで皮肉や冗談の種ともなっていた夢が急速に再浮上し事業認可条約が締結されたのが漸く丙寅歳虐殺の日曜日10年前のことだった。
 一般に侵略課のお仕事は潜在需要を掘り起こし潜在顧客を叩き起こしようやっと顕在化したときに具体的なアプローチに入ることができるのです。山猫ヤマアラシの大きなターゲットをめぐる華麗なる駆引きを想像する人もいるかもしれませんが、実際はそれ以前に地道な活動が必要です。敵国籍の船舶はみな海賊船といいますが、スキャンダルも含めて隠蔽の自由の成否が営業を80%までくり抜いていくのです。
 てはじめに西欧をテリトリーに定めてライセンス契約締結。その後すぐ顕現したニーズは、中南米で進めていた最下層を掬い取る外道漁にぴったりだった。
 撒き餌に用いられるバラクーダ諸君は、朝できるだけ余裕をもって出勤し正確に丁寧に準備をしていただきたい。
「商品代金××円と消費税××円で××円になります」
 口腔工学の歴史に新しい1ページを加えたその一匹は、'88年9月鞭毛をくねらせながらサンドケに向かった。竪坑から100mの皮膚を虫垂管に向かって約16km掘り進む。
「××円お預りします」
 見張り塔から指定された神経症が発現するとすぐ営業チームは次の作戦に入る。分裂した顧客へのアプローチはサロン・プロジェクトの計画に協力し競合他社の動向も把握しつつ仕様と見積りを拘束する病状をつぶさにモニターし、ネゴシエーションの最前線に立つのが任務だ。
「××円のお返しになります」
 摘出にいたるまでの経緯は複雑を極めた。
 最後に確認サインをし、領収書をお客さまにお渡しします。万一クレームやトラブルが発生したときも、誠意をこめて対処すること。決してくちごたえしたり、卑屈になってはいけません。
 毎朝仕事に出る前に、鏡の前でユニホームをきちんと着こなしましょう。まめに洗濯し、アイロンをかけ、ほころびなどは繕い、シワなどがないか確かめてください。ボタンやファスナーは全部止め、ネクタイもきちんとしめましょう。髪型やお化粧は清楚な感じを心がけて。汚れた髪やお仕事のしにくい髪型、厚化粧などは厳禁です。だから〜言ってるでしょ!そんなだから12月の受注に敗れるなんて失態をやらかすことになんのよ。
 失注の最大の原因は技術力不足だった。いくらバックアップしているといっても韓国の有力メーカー各社も直接侵攻活動を展開していたのだ。しかし翌'87年、情勢は一転する。客先の新しいゲリラ技術の血を導入する必要もありコンペティターの案もその点では不十分で、運命のシャンペンをクリアすることが条件になったのだ。
 中立帯包囲網を突破したのは頭にOのつく姓をもった西部劇大好き部隊長の離れ技だった。駐在先のホテルでアイデアを練りネーミングまでやってのけ契約書仕様はコンセプトだけだから、新しい工夫がさまざまに詰めこまれる。駐在員を集めて十数回にわたるテクニカル・ミーティングが行われた。
 使用済みのトンネルは自動的に巻き取られるシステム。衛生的で無駄のない手術です。清潔に高級に恒久に世界平和に貢献する普通の企業からのご提案です。
 少しでも多くを得るために、餌は服を替え顔を変え足のサイズをあわせ損をするのは正直者ばかりと夢と倫理だけはいっちょまえの心貧しきこすっからさで醜悪にぶきっちょにどんどん片輪になりなさい。ひるがえって顔よく気前の良い普通の企業は傷ひとつ受けなかったが、はじめっから捨て石となるべく定められていた多くの犠牲のもとに、サンドケ・虫垂間を結ぶ口腔の延長経路は、'99年開通のはこびとなりました。たった9年の遅れは遅れのうちにも入らないとってもめでたい夢と平等の音頭であった。

むね

 弦楽器のちいさな室内はおしゃべりで充ちている。尊敬するひと憧れのひとに好きなともだち愛しいともだちふつうの知合いひそかに熱愛してる相手に実は忌み嫌っている奴等ときおりアクマも天使も虻蜂蚊フライに擬似餌のたぐいも通り過ぎる。つまりだれも黙ろうとしない脳味噌の嵐みんな我先に自己主張しておおきな聲だして。不協和音だい好き不のぶぶんではなくとにかく和のつくものはなんでもね渓川の速い流れのみずの筋のように遁走するのはもっと好きおいついて絡んでまた逃げてべつのとくっついて出血するほど傷つけて有るものはかたまって淀み或るものはいつのまにか消えみなわとともに放生す。
 おばあさんの知恵。あなたがたに一言いっておくが世界のすべての人にとってたったひとつしか意味をもたない言葉、宇宙にたったひとつしかないもの、唯一無二を示す言葉は、ダメですよ。若い両親としてはそれが愛情の徴だと素朴に思っていたから、祖先の押しつけは意外だったしそれが自分たちの義務とでもいわんばかりに反抗した。プチブル這い上がりかけのゴージャスであればそれで満足とする余りに他愛ない無知だったが、それが歴史に消えない汚点を残した。
 うるさい。うるさい。うるさい。言葉がうるさい。うるさい言葉ばっかり。言葉はみんなうるさい。うるさくない言葉なんてありえない。だから黙りな。黙らせたい。音楽ではまったくない、どんな音符も発音も意味をもってしまう、言葉ばかりが耳に溢れる世の中などにやってきたくなかった。
 といっても、上空から見れば大したことのない鼻の頭のにきびのように欠落点がぼつぼつぼつと続いている程度だ。ここは砂漠だから雲もない。衛星が三個見えれば位置も深さもわかる。唯一無二の樹は天候と政治の意図のもとに曲げられ撓められ刈り込まれて盆栽の風流な枝振り。蜃気楼すべてのかたちすべての波に宇宙の印がある。すべての細胞すべての元素すべての素粒子に名前がある。
 身長不詳。
 体重不詳。
 人相不詳。
 年齢不詳。
 性別不詳。
 国籍人種民族不詳。
 思想信条不詳。
 いずれも不問に処す。差別になるもんね。
 念仏三唱山椒参照しても先祖の体の奥深くあった元の体系は失われてしまっている。学者諸君はもっともらしい注釈づけに我を忘れているが解釈はいずれも無効。何も知らない。何も知らないとだけ、明言すべきなのだ。
 過剰または欠落しかない。もろもろの海底の帰順点にさえ純粋音源もオリジナルの楽譜も見あたらない。いにしえ髣髴とさす粗悪シミュラークル麗しく手渡され足渡され使い古され使い回されゴミばかりがうるさくってしょうがない。べつに気持ちいいサウンドが欲しいってんじゃないの。喧噪は喧噪として街のまっただ中に放り出されて、右も左もわからずおたおたして不安におののいていたほうがましだった。ただのノイズが、ある日いきなりどこかの外国語に違いないことがわかる。次の瞬間、意味が飛び込んでくる。何もかも分かる。意味のある熟語になる。耳ふたいでも襲いかかってくる。指示する。命令する。強姦する。
 何処やらから拾い集めてきた受け売りの受け売りのそのまた受け売り知識だけでよくもそれだけ確信がもてるもんだ。孫の孫引きおばあさんのまがいもの庭園は、誤謬ただしてあげる衷心の不在とアホ相手にする面倒臭さと想像力の欠陥とほとんど吝嗇にまで高められた彼女の素直さと信心深い無批判聴衆のおかげで、このうえなく堅固なキッチュ趣味を誇っている。聞き覚えの実践の真似の経験のそのまた伝播って長い時間がちょん切られる今だから、強迫的な鑑定書は増えるいっぽうだしそれに拮抗して素朴派の思い違い独善的な勘とやらもはびこるばかり。
 最後に「はいこれでチャラね」って言えばほんとにチャラになると思ってた時代もあった。「いままでのことは全部嘘だ」といえば本当の嘘になると思ってた。事実は、現実として常に3乗を生産するから、すべての感情のすべての直観の真と偽と裏とで時間のすべてに百万だら雑音を残しながら進んでいく。
 顔は悪いが美声のみを誇る医師はその声だけで多くの患者をファックしながらここでも大きな過ちを犯した。リビドー至上論で構造にも法則にも歴史にも一切眼を呉れなかったもので、恥しい好き勝手なんつう幸せな死後をプレゼンテーションしてしまったのだ。わかっていながら最後は「はい、これでみんなチャラね」って逃げ去っていく。なに後始末くらい誰かがしてくれるさ。それが天職の公務員だっているんだから。
 (なお、中間地点のどの点を取ってみても偽IDは欠落している。削除されたのか、失われたのか、それとも初めから存在しなかったのか、現在調査中。抜取り検査よりもブロックバスターがふさわしい。)

尾羽

 アンプラグドのAいきます。ああああああああああああああああああああああああああああああああくびああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああいたああああああきたあああああああああああああああとひとつひとつ根を詰めて鉛筆で枡目に記入するああああああああああああああああああああああああああああなんて嘘よ単にAのキーを押し続けるあああああああああああああああああやっぱり嘘ね植字工が丁寧に拾ってくれるああああああああああああああああああああああああでもなく写植オペレータが打ち続けたあああああああああああああああああああああああああああああああああああでもなく単にコンピュータが転写したあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああなのだああ!あなたはフツオの性格について、生活についてバックグランドやキャリアやヒストリーについてどのような想像をなさいますか?
 これがクエスチョン。
 答は、『メタメタメタ言の葉遊び』今月号の最終ページの消しゴムの下にあります。うそ冗談。答はありません。
 極楽鳥は長椅子の曲線に沿ってなあんだ馬鹿にしてやがると伸びをしてついでにあくびしてまたついでにポテトチップスの屑を探った。しゅっと静電気のはじける音をたてて白い焔が燃え上がる瞬間もお!また睫毛が焼かれてかれてかれおちるブー!
 答はアタマの裏側に貼りついています。ただし偽の手紙かもしれませんけどね。ピンポーン!
 それからまたまたついでに申し添えますと、それは単なる例示ですから、どんな展開も憶測も曲解も捏造もまたご自由に。

とさか

 電気屋の広告塔のてっぺんが禿頭のように波のあいだに隠れるのを横目で見る。それがめじるしで入り込む通りの裏手の露地は、いつも七五三の樟脳の腐った匂いがした。
 表通りには豚の臓物を白味噌で煮込んだ喧噪が覆っていたが、こちらに入ると塀を立てたようにしんと静かだ。
 新喜劇の書割のようなしもたやの並びに、めざす理容院のキャンディー棒が認められる。
 無愛想で無遠慮で無作法で不器用でおまけに不気味でさえある床屋の主人は、わたしが忍び入るなり
「また来たね」
と迷惑そうにリノリウムの床めがけて吐き捨てた。
「ここに来るのは初めてだけど」
と言うと、
「なんでそんなこと確信もって言える? おれにはもって生まれたハンチってものがあって、学士せんせごときに教えて貰わなくたって、既視感覚と現実の間隔の区別くらいつくのさ」
と鼻を叩いてみせる。
 斜向かいの角の三流館で何の映画がかかってたかすぐ思い出した。議論したってはじまらないたぐいの輩だ。
 ふと見ると、店主の飼っているなまいきそうな顔をした九官鳥までが加勢の様相。あのつるんとした毛羽も店主の美髪技術のたまものだろうか。
 ガラスの向こう側でプロデューサ兼エンジニアがヴォリュームを上げたように、外界が俄にうるさくなってきた。子供たちの遊びさわぐ声かと思ったが、すりガラスを通してみても人っ子ひとり見えない。中性子が降り注いでノイズをたてているのだろうか。全身の皮膚がちくちくするような蝿の音。早く、気持ち良く鬚でも剃ってもらいたい。
 店の中のたったひとつの椅子に座ると、外のノイズはしばらくたゆたったあと、すっと消えた。
 わたしはその日、童貞喪失の日のためにと母が誂えてくれた枯葉色のソフトスーツを着込んでいたが、椅子に座らせるなり店主は裁ちばさみを振りかざし、そのスーツの背中の正中線に沿ってジョキジョキジョキと切開するのだ。それから前へまわって前髪をひと房またジョキンと切除。ショックだったがこれも儀式なのだろうかと、わたしは声ひとつあげず虐待に耐えた。
 背中のぱくんと開いたスーツの上に貫頭衣をすっぽり着せ、得意そうにわたしの頭のサイズを目測しながら、店主はとろとろに白いひげそりクリームをといていた。懐かしいおとこの性のにおいがツンと立つ。
 わたしは自分の爪先をぼんやりと見つめながら、ここにさっき通り過ぎた血がまた再びめぐってくるのは、どれくらいの間なんだろうと脈の速度を計っていた。この手が問題なんだ。ごつごつした手先と、大きな足先。どんなにうまく隠したつもりでも、これだけは気づかれてしまう。それがなければ美男だから、うまく装えば女でとおるのに。
「兄ちゃん」
といきなり割り込む。
「戦況はどうかね?」
 相手にしたくない。
「黙ってたってあんたの言うことくらいは想像つくさ。帽子の網の目がうたってくれら。ああ、でもあんたら無口な奴らのご意見など信用しないさ。戦力評価がどだい間違っている。新世界のルンペンプロを安く見積らないことだね」
 つい乗せられた。
「きみはどう思うの?」
「思うことと実際に起こっていることとのあいだには必ず乖離があるさ。そうだろう? それに実際に起こってたってそれが現実とは限らない。そうだろう? 公式発表は盲だし歴史的評価は嘘っぱちだし、そうしている間に流れにまみれて無名戦士も有名ヒーローもどんどこ倒れていく。それを事細かに描写したところで彼らを軽蔑したことにしかならないさ。そうだろう? あんたの質問は馬鹿げているね」
 見事にはめられた。こちらがムッとするだけ得意になる。
「うん。まだまだ青いね。このひげそり跡は大好きだよ。あと三時間もすればまた不精ひげになりさがるってやつだ」
 掌でわたしの顎をくるくると撫でまわしてその厚みと温度とを測っている。(わたしがいつも愛人のふぐりをそうするように)
 ふと思い当たった。
「では訊くが」
「よし、それでなくちゃ」
「きみはわが国の建国神話の重要なキャラクターの一人だ。そうだろう? 別にわが国特有のものではなく、どこの文明にも普遍的に見られる人物像だ」
「おいおい、おれに名前を授けてくれようってんじゃないだろうな。大きなお世話だよ。入ってくるとき気がつかなかったかね?」
「店の名前ならもちろん見たさ。ずいぶん長い屋号で忘れてしまったけれど」
「よろしい。何と名付けようと明日は違う名称になっている。メラニー小母さんの壷、逃亡者エヴァンス、どんどん逃げる消失店ってのがキャッチフレーズなんだ」
「だけど床屋には違いない」
「明日はまた商売替えするさ」
 それは知っていた。いつだったか子供の頃によく前を通ったここは、鳥や獣の剥製や音の出そうにないギターや複雑にごてごての抽出の組み合わさった開きそうにみえない箱やこれはガイジンのものだと教えられた奇妙な器物の数々などがはたきの隙間に積み上げられてある古道具屋だった筈だ。あの頃の緑色の看板にどんな記号が書かれていたかはもう忘れてしまった。天狗か天邪鬼かに違いないという思い込みは、たったいま記憶のなかに捏造したものだろうから。
「嘘だよ」
 わたしが少し黙り込んだのを勘違いしたのかちょっと同情するような口ぶりになった。
「今日の床屋は明日も床屋だ。その次の日も、昨日が床屋だったからまた明日も床屋だ。そしてその次の日も、また次の日も。言葉と記憶がある限りそうだ」
 自分を憐れんでいるかのように
「この無限に見える退屈に罠がある。ひょいとつまんだその日には、床屋はいつのまにか温泉マークに変身してるってわけさ。その瞬間を知っているかい? 記憶が消滅するその瞬間に出食わすことって。ふいに目の前の点が霞になるって。恐ろしい経験だ。あんまりたびたびするもんじゃない」
「僕なんかしょっちゅうだよ」
「本を読んでる人種はこれだからきらいさ。その気になってるだけなんだ。現実に毎日毎晩欠かさず横町を曲がらないと、そんな経験するわけないさね」
「毎日歩き続けていると称する人間はこれだからきらいさ。ただ漫然と歩くだけで僕より先に行っているとなんでいえるんだ? 道もろくすっぽ知らないくせに」
 パチパチパチと鋏を立て続けに鳴らした。
「ちょっと元気になってきたね。それでなくっちゃ」
 注意ぶかく切断の長さを測るふりをしながら
「道を知らなくて歩く奴がほんとに土地勘のある奴っていうんだ。アジア人は歩く人種だ。そうだろう。走ることしか能のない毛唐の尻馬にぶらさがっている奴にはわからないこともあるさ」
 指先に残った髪の切れ端をためつすがめつ眺めて、気に入らなかったらしく、えいと小声で背後に投げ捨てた。
 口答えを反芻してみたが、またくだらない突っ込みをされそうだから黙ることにした。
 幸いおやじのほうも、審美観だか数列癖だかの想念にかられているらしく、しばらくわたしを忘れてくれた。
 鋏を使うリズムに身を任せて、わたしは離れてきた戦場に思いを馳せた。わたしは当事者なのだから、世界の父親を気取る写真家の見るように見るわけにはいかない。しかし韜晦からも特権からも逃げたかった。袖の横を砂嵐が吹き上げていく夜、人間たちには冷酷で豹だの鰐だのに対してだけ家族のような愛着をもって接すると告白したおばさんルーテナントは、わたしを愛してはいるが同じテントの下で寝るわけにはいかないと耳元で聶いて、一途な少年の想いを砕いたものだった。共栄圏の再来を夢み**族との連帯をぶちあげるくだらない女だったが、わたしは勝手にこいびとと決めつけていた。その翌日はまた闘いだ。めくるめく花崗岩の飛礫またつぶて大理石の卓またテーブルうごめく成金矢印に継ぐ矢印戦ペイントに次ぐペイントのまた上塗り。敵も味方も、核兵器に化学兵器に生物兵器に神経戦にありとあらゆる手数足数を持っているのは周知されているから、マンモスコンピュータの情報戦によって相手を弱らせ封じ込めるコア戦争しか方策はなく、しかも可能性もノウハウもついでに憎悪も無限に近くあった。戦闘の担い手はいわばウィルスだから光学顕微鏡で見えるわけはないが、死人は正しい確率で毎日出ていた。素人観察家がどう言おうと闘いはまだ決着がついたわけではなく、明日はまた戦場なのだ。識閾下戦術が眉唾だとはとっくにわかっていたが捕虜の数値を正確に掴むアルゴリズムはまだ確立されておらず、ほんとのところこのわたし自身、敵の側なのか味方の側なのか確信が持てないでいる。
 ふいに鶺鴒の尾羽根を打ち鳴らすようなぴたぴたぴたという聲が聞こえた。「一寸」よりも好きな「鳥渡」というコトバを思い出した。好ましい刺激。すぐに消えたので、店の外の何かか、おやじの鋏の擦れ合う音か、わたしの耳の中で鳴ったのか、特定できなかった。内耳の蝸をめぐる血流を聴きたくて、わたしは目を瞑った。
「オーカイ、兄ちゃん。どんなふうに切ってほしい?」
 九官鳥が嬉しそうに羽根を二~三度ばたばたさせながら繰り返した。
「切ってほしい? 切ってほしい?」
「なに? なんだって? 髪型のこと?」
「ほかに何か切ってほしいものでもあるのかね?」
「もう随分切ったじゃないか。今ごろ訊くなんて」
「これが家元の流儀なんだ」
 わたしはふくれた。
「どうでもいいよ。そもそも髪をどうかしたくてここに来たわけじゃない」
「テーマは喪失だからな」
「そこまで言ってない」
「いずれにせよ、あんたのイメージは、ここを境にドラマチックに転回するんだ。ここに来なくても同じことだがね。髪もひげも鼻毛も、昨日と今日と明日じゃ随分変わっているのさ」
「おとうさん、哲学者だね」
 鼻先で嗤う振りをしたが内心動揺していた。かれの言葉に震えたのではもちろんない。記憶がよみがえったわけでも、ましてや髪のなくなる不安でもなかったが。
 ここにはやっぱり来るべきじゃなかったんだ。どうして来てしまったんだろう?どうして戦闘中のあの戦場をおきざりにしてきてしまったんだろう?休暇なんかいらなかったんだ。あそこではあんなにほしかった休暇なのに。でも取るべきではなかったんだ。
「おおっ、見つけた!」
「今度は何さ」
「ここがあんたの性感帯だね。へへ、そうだろう?」
 決めつけディスクールにはもううんざりだ。
「別にそこだけが感じるわけじゃないよ」
「ここだけとは言ってない。ここもあんたのひとつのクリトリスってだけさ」
「きみの言うところのものに関しては、僕は持っていないほうの性だ」
「普通それを持っているほうの性だと言うんだぜ。知らないわけでもなかろうに」
 何をかいわんや。
「あんたの髪型は神代の昔からちゃあんとおれの頭ん中にあるから安心しなって。敵か味方かを区別するやりかたなど、百万のヴァリエーションがスタイルブックにあらかじめ書かれてある」
 また見透かされたような気分になって脈が波打った。
「見なよマツダランプの燈台だ。うちの店はちゃあんと味方さ。あんただってそのとおり。彼方を気取ることなど所詮できないって」
 否やっぱり理解されてない。ほっとした。
 とともに、やるせない侮蔑が胸に溢れかえった。なんでこんな低脳を相手にしてんだろ?僕にはやるべきことがあるはずなのに。行くべきところがあるはずなのに。
 かるい焦燥感そして倦怠感。ちょっと元気になった九官鳥は、カタログの名付けられたスタイルを次々にまくしたてていた。再現しようにも、そんなものに興味のないわたしが覚えきれない、口当りの良い横文字の、エスカレートするごとに長ったらしくなりまたシンプルに収束するネーミングの増殖。
「こら調子に乗るな!あほ」
 店主が鳥籠を睨みつけて鳥を脅した。
 鳥は餌をくれる主人の言いつけに素直に従った。
 また鋏の音だけになった。
 それからバリカンのグわーという音になった。ガーがジーになりまたガーになる。
 また鋏。
 剃刀。
 鋏。
 バリカン。
「ところで、うちは化合物半導体どころかレーザーメスもあるんですぜ。なんなら切除手術もいたしますがね」
「折角だけど、僕の癌の部分はちょうどうまい具合いに敵の戦闘ガンがくり抜いてくれたよ」
「そりゃラッキーだったね」
「宝くじなみさ」
 また鋏。
 そして剃刀。
 さっき鶺鴒かと聞いた音が、また執拗に耳を撃ってきた。小さな音だけど耳元でしつこくしつこく聞かされると、メガトン爆発をウォークマンで聞いたみたいな気分になる。
 黙っているとわたしの顔に白粉をはたき、眉を描き、瞼を染め、唇を塗りつぶし、爪まで丁寧に整えてくれた。
 最後に、おやじは油でセットしたちょび髭をこすりながら、黙って鏡を見るようにわたしを促した。
「もうできたの?」
「仕上げの早さが売りさ」
 わたしの貫頭衣を取り去り、勿体つけて鏡の覆いをさっと引き剥した。
 わたしは三歳の頃のわたしに戻って、うっとりと鏡の中の披露を見つめた。
「これなんていうスタイルなの?」
「俗称モヒカン。通称サンシャイン。尊称アデレーダ。卑称は発音不能。ただしい名前は秘密とされている。王様の髪型だぜ」
 それから店主は、店の奥から腕一杯の羽根飾りを抱えて来て、一つひとつ由来を確かめながらわたしの頭に挿していった。赤道直下の赤や橙や緑や黄や紫。ささやかな満艦飾だが、これが平時における王様の普通の装飾なのだそうだ。
「戦場に出るときはどうするの?」
「あんたはもう戦場には帰らない。そうだろう? もう戦闘員としての資格を剥奪されたのだから」
 ああそうだったのか。
 なつかしい認識。
 悲しくはなかったが、四肢から一気に気が抜けるのを感じた。
「僕は、死んだの?」
「そうは言ってない。俗信に依れば、あんた自身にとってあんたはいつまでも生きている。死んだ瞬間など自分にゃ見えないもんな」
「僕の恋人と、僕の愛人と。それから・・・おかあちゃんはどこにいるの?」
「おれに訊くことじゃないな。外へ出て誰かに教えてもらいな」
 入っていったときとはうって変わって満面の愛想をたたえ、ガラス戸をわざわざ開けてくれてわたしを送り出しながら、店主はまた蛇足を加えた。
「兄ちゃん。おれの理想のマッチョスタイルを知ってるかい? アフリカの三波ハルオと呼ばれている例の鶏の歌手だよ。あんたみたいな可愛い少年兵には、思いっきりの愛をこめてワザをかけるのさ」
 露地に一歩足を踏み出したわたしは、その瞬間からもうあぶくの合間におぼれて、唄の最後のフレーズを聴くことは遂にできなかった。

笹身

 酔って帰ったときのうちのお茶漬けが最高に美味い。お父さんはちょっと堅めに炊いたご飯が好きなはずなのに、あんなにべちゃべちゃ姫飯の柔らかめがおいしいなんて女と一緒になって、これから一生、好きなものも食べられずに過ごすつもりなんだろうか。
 ぎゅっと絞ってさぱさぱするのが上品のしるしだと幼きみぎり、朝はいつもコーヒーカンタータで始まった。それから姉はチェンバロ僕はヴァイオリン。確執する家族などに用はないが敢えて飛び出すほどの対抗措置も阿呆らしい。目を瞑って聴くと五重奏うつくしくお気に入りのヴィオラに耳を澄ませると愛の弦楽器。このうえなく繊細で不実な微笑のようにくるくる交替して交代にその抗体を語るのでなく欲望そのものを後退し昏い幽い杳い山のアナアナと茶化す原理。
 皇太子きどりの父さん貯め込んでためこんで仮装ドルメンに刻みつけてきた軌跡はみなニセモノと判明。シテもワキもサシもあったものかはみな代役。鷲や鷹が無理だから木莵、このはずく、梟の類。恐龍いうにおよばず満足に蛇もいなくてイモリに蜥蜴。由緒正しき女郎蜘蛛の代わりに幾百万種のダニ。ドサ回り出稼ぎ出張中の蝙蝠には薮蚊、黄金虫には茶羽根ゴキブリといった具合い。
 角までくるともうリュミエールの香り漂っていて、我が家の新しい女主人の自己主張が知れた。あれって名前はきれいだけど要は白い花花くちなし隠花植物お化粧室の匂いなのよね。先妻に一番よく面差しの似た長女はまのあたりにした瞬間、鼻に皺よせて軽蔑をあらわにし以降、家に近寄ろうともしなかった。
 協奏曲ていねいに肉体を歪め隠し理想の循環にまで昇華させる。至高の俗界にむけ上昇しまた下降し力強くまた弱く。波のように小さくまた大きく寄せては返すゆかしい快楽。何度でもいっていいあのなつかしいモチーフ。
 陰陽学もヘルメス学もブードゥーの知恵すら無効な賎民には、呪いもまじないも屁でもない嫌味もききやしない。文殊もガブリエルも呆れてもの言えない昼過ぎのうわなり打ち伝説にてちびちび痛めつけるしかないか。風呂用に購入したアルコールだらけの日本酒が効く。近所の悪餓鬼スパイに仕立てて七夕が決行の日。庶子が学校から持ち帰る笹の葉いちまいにとびっきり贅沢な毒を塗っておく。
 前後の盛り上げがないと小さな死も大きな死も死として感知されない。もっともっと念入りに仕上げられ思索的な火葬が待っている。急に入って上昇運動が本命。上がる揚がるもっと高く。そして木管の宇宙は頭蓋骨の天辺あたりに豪奢な穴が開いている。

右翼

(オフ)
 ルールは?
 ナンデモアリのナンモナシ。
 でも滲み出てくるものはつきまとう筈だから、減点制にしましょう。
 オッケイゴー!
(オン)
 うちの仔猫ちゃんたちには、みんなそれぞれの名前がありそれぞれの顔がありそれぞれの声がございます。だけど遊ぶときには、それぞれの位置と役割に従って番号を割り振ります。猫ちゃんたちが動いて位置が変わるごとに、番号は自動的に変わります。あくまでできるだけ公平な初期条件と本人の契機と運動によるもので、うちじゃ先に生まれたから一郎、次男は次郎なんて馬鹿な名前はつけませんのよ。どんな猫ちゃんにとっても、わたくしは恋人なんです。ハハオヤなんてものではありません。
 よくあるオハナシで恐縮ではありますが、うちの猫ちゃんたち、ヒロキとヒロミだって、この地球に生きるいきものなんです。かれらが滋養のあるペットフードを好んでたべ、毎日ちがう献立でないと満足せず、たまに鼠やヤモリやツバメの生肉を狩ってくるからといって、誰がそれを責められましょう。
(オフ)
 減点59。
 ちょい待ち。わたくしとわたくしのイエに関しましてはそんなとことっくに逸脱したうえで発言しております。想像力のかけらもないあまっちょと見損なわないで。じゃ伺いますがあなた、これが面白くないとどうして言えて? 結構。面白くないにはいくらでも理屈はつきますけれど、面白いに文句は要りませんものね。
(オン)
 ごめんなさい。本題に戻ります。ご質問は何でしたっけ?
 ああ、そうでした。環境のお話でしたね。座標にはごく普通の非ユークリッドフィールドの一種を用いますが、ここには大きな罠がございまして、猫ちゃんが動くたびごとにランダムな穽が開くようになっています。一番よく動く子がいちばん大きな穴に呑込まれるのは非常によくあることですし、かとって全く動かない子の足元に、穴のほうが勝手にやってくることだってございます。陥穽にはどれにも名前がなく徴がなく、第8感までのどんな感覚の網にも確率的に捉えられることはございません。
 人数には制限はございませんが、できるだけ少ないほうが珍重されます。量を追求するのが目的でなく、きっちり適正量でもっともエレガントな解答を求めるのが美しいのよ。アタリマエじゃない。
 前衛陣にはいちばんコンサバな子を選びます。なぜならそこを前衛と名付けたとたんそれより前に出よう前に出ようとするお茶目な子が必ずいるからなのよ。後衛は位置的には最も高いところにおきます。ここにくるのは、生まれてこのかた××など触ったこともない血統書つきお墨つき(どこがお墨を出すのかも大切なポイントです。そこにお配りしました参考資料に正確な等級づけがしてございます。これに不服不満があるかたはどうぞ退席なさいませ)正真正銘のセレブです。中衛は別名オルタナティヴとも呼び、不幸を好み情緒不安定で頭の悪い子供たちのすべてをあてがいます。将軍としましては私的感情はできるだけ慎むべきなのでございましょうけど、わたくしどうしてもここに来る子たちは好きになれません。独得の体臭がありまして本人たちも悩みに悩んで毎日のようにお風呂に入って口臭剤だのデオドラント剤だのアルコールだのクラックだのアイスだのあらゆる匂い消しを常用しているのですが、すればするほど下品になるばかりで、運悪くぷんぷん匂いのするタクシーに捕まってしまったからにはひっきりなしに煙草を吹かすくらいしか抵抗のしようがないのと同じ理由で、嫌匂権とやらを振り回したくもなりますわ。ほんとのところこの子たちの流れをどういうふうにつくるかが勝負の分かれ目になるのですが、わたくし自身がタッチすることはほとんどございません。
 ほんとにわたくしの愛する子たちときたら、分泌物も排泄物も腸内細菌もオーラもみんな馥郁うっとり蕾ほころびたばかりのかぐわしい花の香りがいたしまして、もういつなんどきどこでもかしこでも触れずにはおられません。ほんとにめちゃくちゃに可愛くて愛おしくて、抱き上げて頬ずりして毛を撫でてキスして舐めてねぶって掻いてやって・・・。
(オフ)
 減点2
(オン)
 ごめんなさい。つい我を忘れる性癖がございまして。
 次に、定石をいくつかお話ししておきましょう。後に述べます作戦との組合せで、それこそ砂利の一握まで含めたすべてのヒマラヤのピークほどございますから、ここですべての可能な戦闘形態について触れることはできません。ただいまわたくしの監修で大辞典を編纂中でして、第一巻と第三巻だけは既に出ております。ロビーで販売もしておりますから、どうぞご利用なさいませ。なお全十二巻を予約された方には、割引のうえわたくしのサイン入り素敵なプレゼントもございましてよ。
(オフ)
 減点31。
 ところで今やっと気づいたけど、持ち点または制限時間をあらかじめ決めておかんと何の意味もないんじゃないか。
 あらナンモナシっておっしゃったくせに。ルールはこれからお話しすることに含まれているのよ。たまたまこの風が吹いている間にしゃべったことについてだけ今回の約束にしましょうよ。
 う〜ん・・・。
 いくわよ。
(オン)
 みなさまもご存知のとおり、いちばん高い塔の猫の足元にある煉瓦色の鶏(本場ではピエルと呼ばれる)を瞬時に締めてはがし、前衛を走るいちばん早い猫の唄の行間に置くことが賭の発端です。鶏は圧力の法則に従って高いほうから低いほうへと伝導しますが、プラスとマイナスはここでも逆転していて、鶏が飛ぶためには、一番まえにいる子から後ろに向かって運動が受け渡されなければなりません。だから塔と前海との距離を測ること、その間のどれだけの級数を隔てるかが定石になります。禁じ手は、塔と前衛の一人とをまっすぐ結ぶこと、それとオルタナティヴを限りなくゼロに近くしてしまうことです。後者の場合、後衛が何人いるかどんな順列をしているかを問いません。このため、審判によっては、本人たちがオルタナティヴのつもりでいるのを後衛と判断し、オフサイドを取ることもございますから、注意したいものです。ただ実際問題として(常識でお考えになればすぐお分かりのとおり)そんなことは滅多にありません。
 フォーメーションの第一は、最初の禁じ手を左方向に一人だけ乱したものです。作戦の第一は、この乱れた一人が、他のオルタナティヴよりも速く前方に向かって走ることです。もちろんほかの兵隊は、列を崩さないように正確に同じ速度で前へ進まなければなりません。最初に一番前に出ていた子が海面に到達するのとほとんど同時に、乱れた一人の子がそこに到達します。到達と同時に引き剥がされた煉瓦色の鶏は新しく前に出た子の頭を打ち、倒れへこませます。その子が十分死んだことを確かめた後、海は干潮に向かって動き、ゲームが再開されます。この定石は最も単純で判りやすいものですが、それだけに敵にたやすく見破られ阻止される危険性が高いもので、近代戦においてはほとんど用いられません。ただし裏の裏を読んでも裏切りと罵られることのなくなったポスト近代戦の時代に入ってからは(倫理リンリと五月蝿い鈴虫じじいらは放っといて)、再び用いられる頻度も高くなりました。作戦にふさわしい、比較的賢く相対的に失くしても惜しくない素材が得られたときに、これを使う手はあります。成功したときにはとってもきれいですよ。
 もうひとつの最もシンプルな作戦は、この一かける一を90度くるっと回して展開する後の方の禁じ手を一人だけ前方に乱したフォーメーション(まだ通し番号はございませんが仮に最終番としておきます)から、その乱れた一人が走るものです。この場合、乱れるべき逸材は神に最も愛されるタイプを選ぶ必要がありますから、記録に残らぬ大昔はともかく、わたくしのこれまでの豊富な体験の中でも見たことのない全くありえないといってもいい作戦ですね。ミエミエ過ぎて余程の天災の塔と人知をあつめた乞食を選ばない限り成功はありえませんが、稀だということはすなわち敵の目をあざむく確率も高いということで、もしこれが成功した暁には、不死の霊峰まるごと呑込むほどの涙なみだの感動物語として、後々まで語り継がれることになるでしょう。もうそれを想像しただけで、ほらわたくしの瞳もうるんでうるんでほろほろほろほろろろ・・・。
(オフ)
 減点5。
 非道いじゃないの!これはほんものの戦争なのよ。お遊びじゃないのよ!
 だから手加減もしない。いやオフに持ち込んだのはさっきの判断もまだであったことだし。
 ほっといて!これあなたのチョンボ。失策を罰する手だてはないの?
 勿論ある。じゃんけんに似てニーチェの悪循環に似て至高の権力者なんてどこにもいないもの。
 じゃ審判交替。
(オン)
 ほ〜んとにごめんなさいね。戦闘中のゲームと全く同じ条件にしておりますもんで、検閲機能がうるさくってね。必要悪とでも申しましょうか。それがなければ、ゲームをすることも海を見ることも猫を飼わなければ生きていけないこともないのですものね。苦悩もない代わりに楽しみもないわね。極楽ごくらく。でも本音いって尻尾切り刻むようなSM大好きなわたくしにとっては、阿呆みたいに空虚な世界よ。ああこれは失言。
(オフ)
 承知のとおりの減点6735589703154982666458800136742531。
 それ素数?
 浮動小数点コプロセッサがございませんからね!
 ふん!
(オン)
 定石の第二は、フォーメーション第一から少し係数を変えてみたものです。一番目だつ子は囮になって敵の動きを撹乱し、その間に目だつ子に近い二人が本命になります。
 これを詳しくご説明するためには、まず敵がどういう体制と歴史と願望をもっているかを把握しておかなければなりません。たぶん賢明なみなさまにはとっくにお気づきのことと存じますが、ゲームは完璧な非対称を構造としておりまして、敵は水中に棲息する冷血の輩です。攻撃のときには水面に出てきて、海面上約33呎のあたりを踏み場にして音もなく移動します。動き方は縦横斜め自在で速度も可変ですが、なにぶん頭数が数え切れないほどなので、ちょうど流体力学の法則に従ってしか逃走できない宿命があります。向こうからわらわらと上陸してくるさまは、あたかも天が割れてすべての女神童神それぞれに比類なき美しき神々が顕現するかのようで、見慣れているはずのあたしですら息の止まる美しさですが、もちろんこれは幻で敵は邪悪きわまる腔腸生物ですから、ながく気を取られてはいけません。わたくしの兵隊がすべて猫だというのも、かれらがそうした女子供の鬼幻に一瞬たりと目を奪われることのない野蛮なとぎすまされた感性とやらを備えているからにほかなりません。
(オフ)
 誤ってエンドレステープに録音されていたため以下再生不能。もとに戻る。

レフトウィング

 キャピタルの中央に出るには地表のうらがわに沿ってのろのろと走る電車網の駅しかない。繰り返し訪れる地殻のしわぶきに疲労して、ここももうすぐ封鎖されるという。
 空しい繁栄を偲ばせる大袈裟な高速道路網は、屋根を成すようにすっぽり街を覆っている。そこに出入りするステーションは街のセンターからかなり離れた西の郊外に一ヵ所東の郊外に一ヵ所あるだけで、そこもあまり利用されることなく、大型トラックや小型ひこうきやリニアの類は轟音をたてながらときたまキャピタルの上を素通りしていくばかりだ。
 街の端のほうへ行くほど高架は低くなり、真下を通ると、警告する獣の吠え声のような断末魔のようなオルガスムのような新交通機関の波が断続的に体感される。
 もっと敏い耳ならば、このさかまくようなうなりの渦の中に金属質のハム音がかすかに飛び交っているのを感じ取ることができるだろう。この鋭い風波は、街の中心に行くほど濃く密になってぶんぶんびんびん神経を切り裂いて走るかまいたちの群れ。ごじゃごじゃにもつれた繊維の塊になる。
 密度は一定しない。濃密な円柱の時間などどこにもない。そのつど直径の違う球になって溶媒の中を遊走する感覚素だ。牝から離れた女類の囁く部屋の周辺で貧乏な哺乳類はいちばん美味しい場所を捜しあてることに長けている。辺縁の低周波領域と中心の高周波領域の境目あたり。巧みに黄金分割が引かれるあたりに、いつもの商人宿を見い出す。
 坂のいちばん下にある駅を降りて石畳を昇ってすこし行ったところ。瞼の上にコンクリート性の心臓がある。そこがキャピタルの繁華街それとも最も辺境か、いつも混乱してわからなくなる。地の傾斜がまん中をめざしているのか周辺がいちばん高いのかそれとも変則的に波打っているのか、いつも不安定だ。表面上。パチンコ玉をそっと置いてみればころころと流れる。どっちの方向へ?感覚とはいつも逆の方向へ。やはり傾斜はあるのか。あるに違いないが、不安定だ。
 ひからびた運河と埋め立てられた川とで構成されたこの街には、水気というものがなく何も腐るものはない。運河ぞいにびっしりと虱のようにたかっているのは、顔の赤黒いまたは黄黒い浮浪者たち。虱の吐き出す白い糸が道に沿って地の傾斜にしたがって風や磁力につられてふわふわ流れ漂い束になって縺れて、街に特有の迷路をつくっている。
 糸玉を解きほぐすことがとりあえず目先の目的なのだが、ほぐしきれないのは最初からわかっている。生き物の最初を起点として最後が目標とかけ離れた到着点となるひと続きの迷路。否応なくつるつる出てくる繊維に沿ってつんのめるように歩きまわる。
 表面下にはとろりとしたテクスチャーの中に竪穴、横穴いろいろ掘って性格の規格化された経済人たちが住みなしている。しつこく巣食う夢を手品のように鮮やかに増産し切り売りしながら肥満し街をどんどん細らせていく。擬装土を歩く動物にはヴィブラートの幻想化が必要だ。街角の隅ずみに権力を及ぼすべく。あらゆる真皮の下に受肉のリズムを流しこむべく。あちこちに力学の見えない集落があるのだが、絶えず盛衰を繰り返し人種も人口もさまざまに移り行くので正確な実態を掴んだためしがない。
 皮膚にふかく食い込んだ亀裂に沿ってわざとらしい翡翆が植えられ染色体毒殺をふりまいている地下一帯は、どんどん延びる博物館。街の油虫の境界線である。館内には念入りに殺菌され漂白された標本の虫たちがプログラムに沿って交配され、外に棲息する微笑み鼠の世界では仁義無き生存競争がヒトの約20分の1のスパンで繰り返されていて、大型黒色種が小型茶色種に駆逐され壊滅的な打撃を受けながらも創造者としての誇りだけは譲り渡さず一時的な自殺協定が結ばれている。地熱による奇形が定着した白色種は生命力の弱さを逆手に取って巧妙にプログラムの内部に入り込んで寄生し、宿主を破壊しシステムを改変し無意味を奪還し外の秩序も内のネットワークも取り返しのつかない混乱が指摘されている。
 抜け穴が運良く辿り着ける美術館のその建物には、コロラチューラが現在に属すのか含まれるのか時間の波間に顔を出すつるつるの顔だけが彼女と呼べるのか果てしない論議と計算式がだらだらと続く一郭がある。終わりのない難問の遊戯の快楽をあがなうように、一定の確率で殺人事件が起こるその都度、手慣れた手つきで事件を解析してみせる探偵が雇われる。
 そこから異次元にある衛星放送の群衆が待ち望むショータイム。


 みすごせば闇のふくらむ聲。まにまにあなたはおおきくなる重くなる。いくつもの波の遥か向こう側そんなに緑の島の遠くからやってきてモノクロームほどにすきとおった顔をして予告なくわたしを襲う。とてもぶあつくわたしをふせる。重い。(フィルムの回る音)
 凄っごく重い。たっぷり蜜ふくみくちいっぱいの夢にいるあいだは、なにもかもがミルク色の闇。ただひとすじのさけび聲。
 一齣ひとコマ整然と細かく仕切るのが規則だそうだ。定められた時間を区切り、次の部屋また次の部屋へと追い立てられ、範囲内でそれなりに工夫をこらすのが職人だそうだ。次から次へとシークエンス刺激すてき驚き。
 つかのま。唐突に苦味に変わるタールと血と剥がれ落ちた老廃細胞とで愕然と。
(ここにいるのは死後の夢なのか。)
(轟く雷鳴も稲光もついに無く)
 気がつけば転がりはじめている。待っている。呼んでいる。蟻ぢごくの主はうしろむきにふかくもっと深く、砂丘に沈みこみ犠牲を招き寄せている。それなのに加速度を増してすずしくやってくるいきなりと裏切りと。がらがら分散するアルバムにデッサンに。ぱあっと花散る紙片たち。泣きたいほどにあなたは重い。
 いつかは着色しなければならないときがくる。黄色か橙かどんなにテクニカラーの声なのか赤かアグファかわたしが決めなければならない。
 東男としてはやっぱ富士にする。ここは石鹸のくに蒸気の群れひとの肌あわあわあたたかく、心地よく終まうことができよう。ほの明るい青紫とチェリーピンクの光の考察する間があっただけ幸せと思いねえちゃん愚図愚図してたらおかみが請求書持ってにこやかにお邪魔さん。どうする?いくか?いこうよいっちまう週末までまだ微かな希みはつなごう。
 ぷかぷか湯だまり。浅いくぼみ。あちこち飛び散ってはだかで漬かって(眼鏡は割れて)まるで血の池に見える。
 こんな夜、
 ヒトがメイクラヴの隙間にすっぽりはまりこんで夢中の沈黙の空疎のただなかにあるとき、例のヒネ鶏アルトの(言葉のない)唄が、聴こえてくる。
 スピリチュアル
 この不味い(冴えたギターの縁にきわどく立ち)コーヒーにスピリッツを一滴だけ落とそうか(電子音の分厚い靄におおわれて) それで少しはマシになるなら(どうして沈黙はいつのまにか)
 マシになるさ(どろどろの雄弁にすり替えられるのか)
 (なまのAをください)
 (なまのAをください)
 (その黝いカラオケボックスの先にある)
 (なまのAをください)
 化粧箱に入れられ飾り棚に美しく並べられた警告の巻など見るもうんざりなのだが、いまはそんな神話を検証するくらいしか仕事がない。どこがロマンチックやねん。
 かったるいアタマに収められたものはもう整理されてしまってカオティック鏡はない。編集され切り取られたテープの端っこに、ほんとうに記録しておきたかった音楽があったはずなのだ。貼っつけられた写真の裏側に、ほんとうに焼きつけておきたかった記憶があったはず。
 死すべき螺子
 カチッと外れる。

 余剰脂肪でまっしろになるまで栄養ためて膨れあがらせるのは三歳までで十分なのだ。たった六歳の女の子が愛の苦悩とやらでちびちび消費することを、十一歳の男の子が思い遣り派手に昇華させることを知っているのに。
 血圧は腎臓を圧迫する。くたびれた皮袋にはくたびれた唾液をちびちび溜めこんでいくべきなのに。そもそも袋なんて必要あんのか組織は自己増殖するから一部を切り取ってタンクで培養すれば望むだけの機能も成分も生産できよう。何でもかでもバイオと名付けりゃヤの字のつくプロモータ多角化の一部門を僭称することたやすい。
 をちこち垂れこめてくる汚い茶色に錆びついた細やかな水蒸気が揺れて降りてうるさく耳元でぶんぶんするから、もっと分厚い雲の帯をかぶせなければならない。アクマの耳とあしゆび気狂い科学者とやらは愚鈍生真面目典型タイプ。カッコイイのはいつも上手にはずれている人だけど、ほんとに死ぬほど好きになるのはいやんなるほどおイモちゃんなのね。ぺたぺた貼りつけられた沢山の記号は世間じゃプラスの看板ぶってるけどノンノン軟弱ボオイでいいのアナクロ獅子ふぁいたあくちをきわめて罵倒しマイナス要因ばっかりならべたてるのは好きのあかしなのよ。馬鹿げた単純化なんども復活する田舎もん教祖は走り続けることと立ち止まることしか能がなく、正しき弁を熱に浮かされだらだら流し続けて、それでも脂肪味の大好きな信徒たちは追っかけ喚き叫んで保護団体に電話かけまくる。あなたもあなたもあなたもこなたもそなたもソナチネも毎週火曜日が脂肪たっぷり旨くて安いお祭り騒ぎ。接した途端いきなり漏らす呆れるほどの素早さ。
 虚空に向かって開いたこの霧函の内側にはαもβもγも一緒くたに飛び交ってカスケード・シャワー頭上がカーンと抜けてジンジンするほど天井が途方もなく高いのか空気が硫酸銅めいて渇いて澄んで張りつめているのか。最初のぶ~んがアンプで増幅され特大スピーカーの声帯&鼓膜を震わせる。その同じ時刻
 構成を計算するMCは簡略に親しみやすく思い違いも甚だしく飛んでもない通辞つきでアジテータと優しいセンセイの熱っぽさをこめて。
 色には赤と黒しかない。燠火のじくじく燃えるアンタレス蠍かたかたと暗函を揺るがし、幻燈にうつる影法師ひかりの幕に隠れて怠惰な熾天使たちゆらりゆら。
 罅割れが聴こえる。ところどころ破綻して熱い中身が噴き出す。予め定められたサイズの溶鉱炉に配合され、音程の定まらないネイティヴ魔女の坩堝をかきまわす。ひゅんひゅん風切る翼の埃。ちり舞い降りてざばざばの雨が降る龍巻台風サイクロン或いはキング・デイヴの新しきメッセージソングか。
 切なき願い
 ごくナイーヴな欲望の
 津波
 沫
 大潮
 泡立ち
 いくつもの筋になって
 走り
 走り
 まだ止まらない
 すべての塀によじのぼり
 まだ
 まだ
 もっと
 もっと
 右手突き出しうろうろ虚ろな眼を動かして落ち着きのない子も利発煥発ぴりぴり身を細らせる子も、睡眠誘うなまぬるさも決してねむっちゃいない底冷えも、みな目を開けたつもりになって湧きあがるたったひとつの球に融合し際限なく再現なく奔り出る共感にもっとかたく目を瞑るこの同じ時刻。
 地球まるごと布団にくるみ真綿みたいに絞める分厚い雲の層。淡いところ熱いところまだらにゆらいで突ん裂く爆撃機も、カタルシス名告るにはあまりにせつない。

ハアト

 脱走兵は、再現癖から逃げ出すことができない。オリジナルは信用してないからセコハンの、再現の再現のまた再現のさらに再現。デジタル音は劣化しないがアナログ音は三回目以降は目に見えて耳に聴こえて曖昧化していく。
 べつだん気にしているわけではないが。
 一週間ばかり、4分20秒のあのチューンだけを繰り返し繰り返し再生している。
 古墳あとにちがいないこんもり丘のやわらかくくびれたところから、浪速王朝の別嬪王女さまが寝かされていたに違いない自分の穴に帰った。まいにち愛人を狩ってくる御猟場の音合わせのざわめきが快い。カッターナイフのように細身を斜めにして萎びた街の空気をスカッ
スカッと切りながら、舞踊のあしどりトロット気狂いあるき急ぎ去って行くかの女の、顎の線と鼻筋しか残らなかった。
 今日の乾電池もたっぷり収穫された。これで一週間は大丈夫。布団がわりの古新聞など読まなくたってもう長いこと休戦していることはわかっていたので、脅えたふりして虚勢を張らずとも愛の行為に夢中になることができる。
 カチッとも音のしない光信号による指揮者の合図で、トランスに入るとまもなく、陽のあたる方角に優しいさんざめきが聴こえ、がらがらと竹の引戸を開けてニンフォマニアの妹がやってくる。いつものこけし模様の風呂敷包みとダンボール箱を抱え。さっさとかれの寝ているそばに座り込み、華奢な指先をあぶなっかしく走らせ箱の中から本日のクスリを取り出す。一本一本セロファン紙を破って、犬の皇子の巻にふと目を止め、糸のように縮れてゆるやかに巻いた体を怠惰に伸ばしてそれを再生した。ロンド・カプリチオ。
 おまえって奴はいつもそうなんだ。勝手にあがりこんで勝手におれのものに手を出して自分だけ楽しんだまま行っちまう。
 妹が振り向くのを知っている。媚びて微笑って(そんなことないよ。お兄ちゃんの傍にいたいから来るんだって。)それがかの女にいちばんよく似合う甘ったれ声は、軍服の左ポケットの中だけで聴こえる。
 偏愛する巻が終わるのを待たず、次のフレーズが始まるのを知っている。風呂敷を解いて、両親が詰め込んでくれたお芋やら缶詰やらお弁当の残り物やらソースのたっぷりかかった冷えたお好み焼きやら冷凍してタッパに詰めた人参入りカレーやら竹の子ごはんのおにぎりやら柿やら葡萄やらプリンやら・・・メニューはいつも決まっているのだ。お腹が空いていようといまいと。しかしいつも飢えている。ゆっくり演じられるスプーン一口ひとくちの変奏曲をがつがつむさぼり。はじめから軽く変敗している。発酵は巧みに抑制されている。
 その間を縫ってチックの呟きオペレッタ。ハイドロちっくに親鶏とのかけあいになりながら、だんだんこもりきる。(あたしって結構・・・結構・・・結構)しかり。しかり。(ウソ。ホント。ながいこと低能な女の子には悩みなんてないと思ってたでしょ? あたしって馬鹿だけど四文字熟語あまり知らないけど結構カンの良いヒトなんだ。あたし泣いてたんだから。うるうる怨んでたんだから。)否。否。否センチメンタルになるな。(あたしって結構・・・・アレなんだ。)然り。
 抜け落ちた黒髪の打楽器の音ながく延び、注射針は先で割れる。(いつも夢みてた。ぼおっとしてた。)お乳といわずミルク吸う口元めもと。おまえになめられて、おれはどんどん赤ん坊になる。(あッそうなんだ。)
 胸がつかえてげっぷする間もなくタンタンのフィルムが快い。妊娠もしてないのに(想像妊娠さえしてないのに)妊娠中毒症で脚がむくんでさ。(もう歩けない。)漫画の吹替えに聞き入っているうちに。可哀想だけどそろそろ時間だ。おまえを解剖しなければいけない。(いやっ。うそお!冗談)あばら骨を一本いっぽんハサミで伐り取り、ぴくぴく温かい心臓を掴み出す。大豆蛋白ばかり食ってるくせにこの見事に弾力ある不随意筋肉組織はどうだ。(あたし原型が見えるたべものはだめなの。お魚もお肉も野菜も果物もナマっぽい匂いがしてペケ。あたしが食べるのはケーキとハンバーグとジュースとアイスクリームだけ)文化も自然もへったくれもなくコーンスターチとレシチン人工甘味料グルタミン酸ソーダどっちゃりのテリヤキソースの香りのする妹のリンパ球よ。つらくて顔を見られないから、こうして後ろから抱き締めるよ。ほら触れただけでもういきそうだ。(うん)汗の匂い分泌物の匂い腺の匂い(ビタミン剤の匂い)。内臓の匂い(未消化のうんこの匂い)。ツンと鼻先にきて涙が出そうな血と胆汁と腐った廃棄物の匂い(鉄分の多い健康な新鮮動脈血)。この金ッ気を味わうためには、杜松の実で口臭を消さなければならない。余剰物ばかりがまわりに溢れる透明な反復運動。
 それでやっと思い出した。この妹には尻尾がある。
 尻尾ごと、啜り泣いている。
 音節は一つまたひとつとデクレシェンドする。眉がない。瞳がない。頬がない。鼻がない。唇がない。舌がない。(でも何処かしらに口はある。)顔が無い。重い髪の毛はだんだん軽くなる。ウドンゲみたいにふわふわ浮き上がる。しまいに刈り上げになる。つるつるのハゲになる。濃厚なエキスのある複数のクライマックス。
  幾百のレプリカ。レプリカの愛人。妹のレプリカ。またレプリカレプリカ再現するたびに薄くなっていく。強いメチルに声を殺し。涙を流す軍国少年の顔は初めっから見えていない。

 イントロからじっとり腰のあたりに重く拙い拍子が染みつく。恨みがましい
高田さんの芽はうんざりだ。
 ただいまご紹介にあずかりました高田さんのセクションは、高田さん一人ではとても捌ききれない音符をかかえているのに、高田さんはガンとしてアシスタントを入れず、システムの見直しを行わず、自分ひとりのよたよたによたったふしまわしに誇りすら持っている。白色レグホンばかり数千羽のヒステリー牝鶏は、朝な昼な夕な夜な薄っぺらな卵どんどん産み、産むそばから取ってやらなければ、踏みつけてバリバリにしてしまうのだが、高田さんが24h.走りまわってもとっても追っつかないで、彼女の青いプラスチック籠にはいつもボロボロにヒビ割れさがいた卵が積み上げられる結果になり、そんなもん特価も廉価も投げ値もつけよがないから、ただに店ざらしになった山なりの卵を購う人とてなく、陽ざらしのまま腐り果てていくその運命に高田さんは執着し、ザンバラ頭振り乱し休暇も取らずノーメイクの悲惨な姿で鶏の尻を追っかけまわしているのだ。
 はあ~ア
 高田さんはぎょろ目でおなかだけ肥えあとは額も顎も乳も尻も小さく貧相で鳥類に進化し損ねた魚類のように見えるが、それでもレッキとした人間の女である。その頑固はいかにもジェンダーとしての女の眼の玉。忌むべき卑猥神聖として別の眼から覗き見される乙女の運命の星のもとにある。美味しいかまずいかなどは不問にしなければならぬ。ゆくりなくも切り分けたあなたの偏見によれば機能だけの眼は透明になるいっぽうだが、要はぶつぶつフライパンにはじけて遊離する蛋白質なのさ。そこまでおばちゃんは退屈している。
 はあ~ァ
 眼は地球を腐らせる。不幸せもんは単なる変人としか見做されない。価値のある物体しか買ってもらえない。言い訳ばっかし血液型もICカードも結構毛だらけお尻のまわりは記念切手でノドが詰まってさ。ああぷくぷく若い新鮮な卵が欲しいもんだ。もっとむくむくふくらませて最高に美味しいマフィンをつくってあげるのに。
 こぶしがまわるコイルに似たレム睡眠くるくるまわるまわす。まわす。まわす。揺らんゆらん指の股は
 もっと鈍くなれ。
 一針ひと針痛みをコレクションしながら、
 ふるえる。ふるえる
 もっと刺してどんどん刺して
 もっと鋭くなれ。
 麻痺してしまえ
間隔なく
起伏のないケロイドが面をおおい、シンチグラムの浸蝕しない孔に
化粧焼けにすりきれ赤蜻蛉ぷるぷる鳥肌たち。
 きょうは新しい人に出会いましたか?
くりかえし
くりかえし
いくらでも新しい
いくらでも朽ちて
 毎日くすりを飲まなければならない。少しずつ量を増やさなければならない。
くりかえし

 膝も臑も腿も踝もふくらはぎからあしのうらまで念入りに刈り上げることが必要だ。やさしく可愛く飼われるために。
 すべての毛根を一本いっぽん引っこ抜くことが必要だ。未開文明根絶してもう生えないように。御一頭様約一時間のボディケア&エステティックは細心かつ迅速に。慎重に過ぎるトリマーはお客様にもスタッフにも迷惑です。丁寧にグルーミングした鼻先は、とてもさわやかにアルコール消毒した空気を呼吸するだろう。
 朝御飯前のほんのちょっとした気まぐれのつもりだったのに、アソシエーションでは哀れな独居老人の慰問と取りちがえたらしく、老いて肥えて小さく縮んだ黒いアルトを配達してきた。まあそれでも折角あしを運んでくれたのだからと、朝食のテーブルに三人まとめてご招待したのだが、歌わなくてもいいのだよトクしたねと囃されても、それが尊厳にかかわるらしく、洗面所に突っ立ったままムスッと口をきかない
鶏の
歌手と
異様に明るいパッパラパーの少年配達人二人を前に、私の美しきワンルームのチューニング狂いっ放しで、まったく酷い朝となった。
 一羽持ってくるのに二人で来ることもないやろに・顔見合わせ無邪気に笑いながら、やあ近頃は鶏の数よりも職員数のほうが多くてツマリ若い新入りはどんどん入ってくるのに鶏は高齢化して死ぬ一方で、結果人間が鶏にコキツカワレル羽目になるんですよねって、あんたねその論理は明らかにオカシイ。一人あたりの労働量は減って、それでもあんたら高い給金取ってるんでしょうが。単純労働笑顔を売りさばいてヒトは逆説を何よりも愛し、居心地良く居座るから、当然の如く幾千万のチキンはかっさばかれる。だったら人間雇わなきゃいいでしょうに・イイエ義務教育卒業したら誰でも一度は入隊することになってるんですよって、何の疑いもなく晴れやかに殺戮に精を出す可愛い顔した少年たちよ。
 こうして今朝はすべてのニュアンスあとかたもなく消去され色残らず混濁してまっさらの光になる清々しさ。頭上には白い地球儀ふりつもる。
 さっさとブロイラーご祝儀にくわえ島へと飛び去っていくご清潔な翼人たちのきっちりのこしてった緑色の糞を塵取りに掃き取りつつくそったれめの面倒はもうみきれない。

骨と皮

 蛇足ながらフツオくんは人間である。
 とまでは多分いえる。情報はそこまで。くんづけから推論するに隣席はかれが男性であると言い張るのだがそんなことだれが断定できるものかよ。
 フツオの唯一の手がかりは、ちりぢりになって国土のあちこちで消費されてしまったあとポイ捨てされた残骸のかれかれにかれたかれの骨と古地図のパッチワークみたくボロボロにきたなく骨に貼りついた皮でしかない。というのもやせやせにやせたかれには肉というものがほとんどなかったせいでもあるが、わずかにのこった皮の裏側には意外としっかり黄色い脂肪がのっていて隙間なく骨を覆いだれがパウチっこしたのやら空気もすっかりぬけてもはや剥がせない状況になったらしいのである。それは、消息筋によれば、たった一人の職人にしか分離することのできないしろもので、その肝心の一人はついに件の骨と皮を目にすることも耳にする機会もなく、雲散霧消してしまったと伝えられる。可哀そうなフツオくん。
 私見では、ここで仕事を打ち切るのがいやしくも平成21世紀の地球環境情報化社会日本国名誉ビジネスマンの良心といえるのではないだろうか。にもかかわらず続けなければならないのは、ひとえに私のポジションにかかわっている。ああ、むごいことはひらたくいうけど、私には経費つぶしにろくな仕事が与えられる余地がないのであったった。それでもなんでもリストラされるよりましだもんねで史料編纂室にしがみついているわけなのであったのであるのであったった。
 従ってここに再現するのは、穴だらけにちぎれた皮の部分からほんなもん区別できるかよゴミちりあくた異物を注意深く取り除き、くだくだにくだかれた骨のかけらを注意深くつなぎあわせ、ぐにゃぐにゃに残った腱の部分を照合してなんとか合致した部分だけをクリップし切り貼りして記録しておくものである。いいかえれば、ここにはフツオの原型はまるっきりといって見出しえないということになる。