2019年5月5日日曜日

あな

 さいごの最后に後夜祭の残り火も消えジンとするよな静寂のなかに瞳孔だけが冴えわたる。ケチであることは否定しないし別に恥しくも思わないけど、おカネに関しては執着しない。むしろ金銭はバラ撒いても、体を動かしたり気を使ったりするエネルギーをできるだけケチって、ワタシのモノを貯め込むのが吝嗇作法なのである。もっともセンチメンタル・ヴァリューはすぐ褪せるので新陳代謝は活発に行うが良いが、選択基準を決定する価値は御老公の印籠でも新興華族の紋所でも斜に構えた与太でもなくとりあえずの出たとこ勝負にする。
 そして月の盈虧の刻一刻はできるだけ無駄にしたくない。目的への最短距離とか何か役に立つことをしてなくちゃ気がすまないとかいうのでなく、それが愉しい時間ならいくらでも嘗めてなめて味わい尽くすけれど、厭な時間はできるだけ短縮するのでなく回避するように努めるのです。だから大抵、終日ぼお~っとしてたりうとうと眠ってたりすることが多い。どうしても逃げられないとなると、単に必要なだけの時間を快楽に転換する工夫を行う。うまくしたもので脱糞行為とその結果の確認とは、両方とも愉しいといえばたのしいし苦しいといえばくるしいが片方の苦痛の時間がもう片方の愉悦を倍加するはたらきをするので、エネルギーの調整とそこから得られる快楽との収支決算は常に幻想の利益を上乗せして最適化しコスト・パフォーマンス良好なのよね。
 前庭には勿体ぶりっこしないほどのさりげない羞いをこめうねうねうねる銘石の小道に沿って端麗に刈り込まれた芳香性の常緑樹を配してあり、香気が気持ち良く立つようにいつも梅雨どきの朝方の如くしっとりと水気を含んでいる。玄関を開ければ後庭の明りがほんのり見えて仄暗い座敷を幽谷のように引き立たせる程よい町家。訪なう度に建て替えられているのに、松の薪で入念に燻され三百年ほどの煤を堆積した洞窟のような室内には、代赭色の奇天烈なお不動さま(めちゃエグい)の掛軸が何処やらからか差し込む風に揺れてぱたんぱたんはしゃいでいる。白けた笹と竹と木の塀でおおわれた後庭がいちばんの見どころで、都会育ちの(スラムから出た)亭主は理想の田舎の自然の憧憬の歴史的再現の再現に無闇矢鱈に盲滅法に精力を傾けていて、客人が観察するごとに自由自在に文脈くそくらえの出鱈目に姿を変えていた。夏蜜柑や柿、栗、石榴、無花果、琵琶、杏、李などおおらかな果樹から始まって、桜、梅、辛夷、木蓮、椿の花の木。菫、野苺、桜草、連翹、蒲公英、詰草、狗尾草、烏の豌豆、犬のふぐり、野路菊、露草、蓬、萩、白粉花、薄、撫子、女郎花、数珠玉と続く野草の絨毯。牡丹、水仙、芍薬、躑躅、石楠花、菖蒲、紫陽花、槿、芙蓉、葵、百合、菊、桔梗、龍胆と季節の定番。蕪、大根、菜の花、大豆、茄子、胡瓜、じゃが芋にて生活色な風情を愉しみ。手洗の傍には梔子または沈丁華。これ以上香りや色彩の強過ぎるものは異国情緒を戦略的に取り入れるのでない限り不適とされていた。黄葉する樹、紅葉する樹、どんぐりを落とす樹。銀杏、楓、櫟、樫、椎、橡、楢・・・追っかけていくといつしか風にざわめく枝葉の先が見えなくなって深い無名の雑木林へと迷い込む。もちろん草木だけでなく小鳥や昆虫や虫偏のつくあらゆる生き物や池の魚も必需項目で、例えば十姉妹や文鳥など馴れた鳥だけでなく、どこかの伝手でこっそり入手した目白、鵯、鴬、鷽、鶸、鵲、懸巣、駒鳥、山雀、四十雀、不如帰、椋鳥、仏法僧のたぐい。孔雀や鸚鵡や鵺のいる一角も。実は亭主の泣きどころは声の綺麗な小鳥たちより目の無いのが鳥料理。内緒の阿舎の一郭では、鴨、鴫、鳩、鶉、鶫、山鳥、雉子、ほろほろ鳥、鵞鳥、七面鳥。雀は好きなときに表通りから獲ってきて親の仇のようにまるごと焼いて頭からばりばり食っていた。従ってここで催されるのはジビエ特集の室内楽演奏会で、魚介特集の交響楽は休暇中の海辺の別荘に年一度と限られている。
 上の口は無理やり閉ざされ歯も舌も使い方を忘れられて見果てぬ快楽に空しくからまわりするばかりなのに、下の口はいつも開店花盛りでもうだだぼれに腫れきってほんとは硬骨の固いものをとおしたいのにポロック絵の具のクリーム軟らかいものしかとおせなくなってしまった。ひどいたとえだが穴あきすとに憧れてなりきれない痔瘻なのだから仕方ないといえば仕方ないのかもね。
 三代前からここに住みなしている人は、罠も迷路も時間も体から知り尽くしているので、この黒い森も怖くもなんともない。二世の子供たちは学校で地理を学ぶからアタマで森を認識していて、よほど不注意でない限り穽に落ちることはない。よし落ちても慌てず騒がず通りかかった狸にいくばくか握らせて引き上げてもらう術を心得ている。分別ある旅行者は初めからこの地帯には近寄らない。困ったちゃんは、近年越してきてどう血迷ったのかここに住むことを決意した無謀な連中で、無数の陥穽の絶好の餌食だった。ただに優雅に森を散歩していたつもりが知らぬ間に足が沈み腰が沈み気がつくと地面が目のあたり樹木はあざ笑うかのように先っぽ遠く天に伸びている。あとはそのまま流砂にのまれて沈み込むだけ。やっぱしメチャえぐい。

0 件のコメント:

コメントを投稿