2019年9月29日日曜日

アツヒコよ

殺しちゃったぞ。ついに。
でも現実のキミは生きている。

2019年9月25日水曜日

死。篤彦の

死はからだを貫く風穴のようなものとして表象される。
たとえば銃の登場するあらゆる映画のように。
しかし別のかたちの死もある。それはゆでたまごの薄皮のようにからだにひっつき
皮膚に塗る麻酔剤のように ひとの 表面の感覚を麻痺させ
徐々に 徐々に 生を 奪う のだ。

つらくて 語れない。アツヒコの死を。
でも語らなければならない。

みんなが気にかけていた。
みんなが見護っていた。
みんな知っていたのだ。すでにその麻酔剤が、たっぷり何年もかけて、アツヒコの表面に塗布されていることを。
そしてじわじわ じわじわと かれのいのちを麻痺させていくのを・・
最期の最期の瞬間まで みんながみまもっていた。
でも、だれも、その最期の瞬間に立ち会った者はいなかった。
アツヒコは だれにも看取られずに 死んでいったのだ。

最後のエントリーは「もう寝る。」だった。
「もう目覚めなくてもかまわない」があとにつづいていた。
半時間後に気づいた誰かが「おい、起きろ!」と書いた。それから、そのほかのだれかも、そのほかのだれかも、「起きろ!」と書いた。「起きてくれ」と懇願する者も、「大丈夫?」とか「心配しています」とか綴った者もいた。
でも、みんなが、広場で起きている惨劇を 自宅の安全なアパートの高い窓から眺めている状態だったのか?
これだけたくさん書きこんでいるそのうちの だれかが、きっと駆けつけてくれるだろう、あるいは通報してくれるだろう、兎に角なんでもアツヒコを救うためのなんらかの適切な手段を講じてくれるだろう、と、みんな、ただ、みているしかできなかったのだ。
広場ではなく、そこはネットのヴァーチャルなひろばだから、画面の向こうには じっさいには見えていない アツヒコを。

そこまで周到だったかれをむしろ褒めるべきなのか?
そうやって、ブログを通じて、かれをみまもっていただれ一人として、アツヒコが現実に住んでいる住所だったり連絡先だったりを知らなかったのだ。
だれも 駆けつけるすべを知らなかったのだ。

そうしているうちに ながいあいだ かれをむしばみつづけていた 死は
最期の最期の瞬間まで ゆっくり ゆっくりと かれをそこないつづけて
かれの表面を 溶解し
かれの 肉を 熔解し
かれのこっかくを 融解し
そして
ついに かれの いのちをうばった のだ。

そりゃあ

責められるべきは ぼくたちだ。
わかってる
でも 酷いよ アツヒコ
ひどすぎる
こんなふうに おまえに 死なれてしまう
ぼくたちの
いや ぼくの
身にも なってくれ。

2019年9月22日日曜日

闘病とは言わんぞ

(これ書いたときから13年経ってますが状況あんまり変わってないですかね?)
いまでも普通の(自分や近親者が癌になったことのない)人たちには「癌=死病」というイメージがあるかもしれないし、もちろん今でも治療困難で間近な死が避けられない癌もたくさんあるけど、たとえば映画になった『阿弥陀堂だより』など南木佳士さん(もともとお医者さん)の小説を読んでたりすると、ひと昔前の医者たちの意識、患者やその周囲の人たちの意識はこうだったのねぇ〜という「明治は遠くなりにけり」的な感慨しか思い浮かばん。思いっきりええかげんにいえば「そんなに深刻にならんでもええのに...」という感じ。
もちろんこのかんの医学的治療的環境の変化はすごく大きい。オールマイティな特効薬とか画期的な治療法とかが発明されたわけではないが、癌もエイズも知らん間に患者がなかなか死ななくなったのは、いくつものいくつものいくつもの新薬や治療法が発明・発見されていて、どれもが「決定打」ではないにせよ、取っ替え引っ替え使ってなんとかコントロールしていくうちに、自然の寿命と等しくなるぐらいになっているという算段。
それもあるが、たとえ死が避けられない場合でも、死そのものに対する意識、あるいは死を迎える意識も変わってきたような気がする。死というものはそれほど深刻なものではない、必ずしも悲劇というわけではない、なにか軽快なもの、ポップなもの、場合によっては楽しみに待つべきもの…でさえあるかもしれない。
「生」の側にあくまで固執すること(死すべき患者を生の側に引き戻すこと)が「癌」(病、死)との闘いであり、それに敗北することは絶対的に避けたいことであり、敗北、降伏は圧倒的である・・・とかいうんじゃなく、少なくとも、果敢に闘うばかりが肯定されるべきではなく、苦しんで苦しんで最後まで苦しく生きるよりは、楽に死を迎えるほうがいい場合だってあるじゃないという意識も確かにあって、むしろ肯定的に捉えられていますな。周りが本人に押しつけるのはよくないと思うけど・・ただ現実には(特に日本では?)周りが勝手に押しつける「尊厳死」も多いようではある。
いや実は、あくまで生に固執する「闘病」的意識こそ、近代のある一瞬に特有の特殊な意識であって、実はその前の時代はずーっと人類にとって「死」はもっと仲良しさんだった気もしないでもないのだが...。

2019年9月19日木曜日

抛物線

ととっととととトととととととととととととととっととト滑らかに抛物線をえがいてとんでいく宇宙の運命線を前にときどき時折に個にとり微分すれば個個にずれずれにずれそれそれに逸れながらすべての動線はある終点をめざしてたいくつに惰性で飛んでいく。つねに一定速度で跛行する紆余曲折しながらもひとつの方向をめざしてしか進まない悪癖めいた宇宙の法則。君の暢気な上目使いをだらしなくうけとめながらこの平和を不幸色で掻き乱してやりたくてたまらない衝動線を紫の爪先に挟んでなぞりながら、このグループみんなのあいだで愛されているひとに関して存在感まったく稀薄で銀髪ながくたらし白い薄葉の服が似合い全体的に透明で青白い雰囲気でなんで愛されているのかというと、それはこのグループの特質が、みんなで整列して前の人の背中にぴったりくっつく。くっついて肥ったひとは胎児型に丸まり痩せたひとはジャックナイフ型に折れピタっと前に重なり背後から重ね餅に重ねられ、気持ち良く半眼を瞑りどんどん重なっていくからだ。そうやってみんながかさむあいだにかれだけは稀薄な幽霊みたいにみんなの体をすり抜けていくことができるのでグループの接着剤として機能しうるのである。かれに優しく髪を撫でられながら一団のカナメとなる位置に鈍りになまった刃の惰眠を貪る君よ。終点がすぐそこに透けてみえる心細さも悲観も幸福の拒絶もただ一緒にいて一緒に心細がってなんて思わないの。接着霊に最も愛されていながらそれに気づかぬ君はかかっ呵々かかっかかかかかかかかかかかかかかっカカとわらっておればいい。かろやかに跛行する霊線を辿りながら

2019年9月15日日曜日

私は影が待てなくなる

私は影が待てなくなる。
こころの繊い夕暮れ土佐堀にうつる光の放射線をながめはしゃいでかしましく雲にかくれているよそさまの影が待てなくなる。
つるつる流れる若いきれいに栗色メッシュに染めた髪の毛いっぽんいっぽんに光の鼠をはしらせ boys きみたちの影が待てなくなる。
婁婁る艶めくほむらほのほの耀として消えなんとする刻いらだたしく喰いちぎりはむこうてゆかむとするをなつかしげにみやる我等が淑女あなたの影が待てなくなる。

私のあずかり知らぬ
勝手に世界はよそで厳密に織りあげられなお織りおり私はつねにゴミ除去され遅れて到着する。
預言は既に過去となる瞬間その隙間より遥かフィルムの瑕として固く硬く消し難く在るだろう。
間抜けな預言者は未来予知するつもりで過去から発散され夢かいまみたのち再度現われるのみ。

逆周りにあらごうて荷馬車牽く馬
パラシュート
風ふくみ貧しい妊娠線ひきちぎらんとゆらがう白い布
蝦蛄のしっぽ
うごめく人のおよびかいくぐり男の口に咥えられうごめく魚の尾
ローヴァー

遅れること と引き延ばすこと の退屈な間隙
視界の端をトコトコ点線たどって走り去るローヴァーがいる。
この中間
とても待ってなんかいらんない
中立地帯
を待てなくて夢みるのだ

宙にうつる
待ちくたびれた夢のなかを魚の浮きぶくろの弛緩してながく虚数ふきしきり
4台のローヴァーが通りかかった。
地下駐車場の黒はカラッポでうつくしい置き石としてふたりの暗黒人の銃による対決の書き割りとなる。
黄緑がかった子はケバケバしい青とローズの光のなかにやってらんねえよって顔して頻りに居場所を誤った。
ともだち家族がぎっしり詰まったビリジアンのミニ。ゾクっぽ~い
そして色わかぬ遂に見えない1台はコートダジュールの猫の彼方に掴み込められ伏してねたんで刻まれる。は
レルヤ
いちばん大切なのが見えない。見えないから色わからない。色はある。色はあるんだ。だって確かにあったのだからあるのだから。待てない先に見えないだけであって
私を決して乗せることのない
私が決して乗ることのない
小鬼の運転する走る止まる壊れる燃えるそのうごきだけが灰白質に目撃され
夢が夢だと分別さす徴として四海の橋を架け駆け賭けぬけていく。

待っても待っても待ち人は背後にいる。影を
待てなくなる私をつらぬいていく

馬の影
たった一頭の馬の
私は影が待てなくなる。
うしろへ

2019年9月13日金曜日

13階の視線

うーん、自己憐憫ととられずにこの話ができるかどうか・・。

学生時代に住んでいた京都から自覚的に住む場所を選び直したとき、出身は兵庫県だけど実質は大阪の辺境の出だったもので、大阪らしい大阪の下町に住みたくてそういう街を探し、うっかり4号棟の13階という物件を抽き当て、地名を見てもなんだかさる歴史上の人物の怨念に関係ありそうな地名で、そんな迷信に気をとられるのは馬鹿げているとはわかっていながら、入居して数年経ってある人生のカタストロフに遭遇。それからまたしばらくあって阪神淡路大震災があり、けっきょくは「その後」の人生を長く身を潜めて生きるみたいな意識で長々とその時期を過ごしてしまいました。
いまから思うと軽い鬱もあったのかなぁ・・摂食障害もやってたし。

時期の変遷を画するのが相棒のパソコンで。最初期はNEC機にBASICで命令して遊んでた頃、MS-DOS、フロッピーディスク、友人や仕事の取引先に勧められてマッキントッシュに趣旨替え。あとはマックひとすじ(アンチWindows)、パソコン通信には手を出さなかったのでマック機のときにインターネットに接続し始め、それからネット付き合いが広がりはじめたところまで・・。
911(英語で読んでくれ)からそういえばもう18年経つのだねぇ・・と一昨日語学の先生と話をしていてその911のときにまさしくNYに住んでいてまさしくあのビルに職場のあったネット友達ほか数人で当時ウェブチャットよりも早かったナントカという仕組みのチャットで刻々現地の様子を知らせてもらいパソコンに張りついてたことを思い出します。
となると2000年代に入ってからはもう回復期か・・それまでは振り返ればホントに沈潜期。なーんも生産的なことしてないし上昇も成長もしてない。普通の人のライフステージでいえば最も生産的であるべき年齢層をそんなふうに過ごしてしまったことはいまからおもえば痛恨の極みでとても他人(ひと)には勧められないけれど、これもまた迷信的にいえば宿命でもあったのでしょうか・・。

その場に住んでいた頃の意識を「13階の視線」「13階の死線」と呼んでました。13階のベランダに立つと川が見下ろされ東向きなので向こうの山が白みはじめ暁どきから日の出が見渡される。わたしはいつここから落ちてもおかしくないしふと落ちたくなる衝動にかられるかもしれない。恐怖であるとともに恍惚でもありました。だからベランダに立つことは怖くてようせんかった。その身代わりとしていろんなもの投げ落としましたな・・。

2019年9月11日水曜日

マイ オウルド シルヴァ フレイム

よそゆき仕度できました
Tさんがお連れくださるというのですものどこへでもまいりますわ。うふふふふふふふ・・・女はわらって帯を解く。
おいおいおいおいそれはよそゆき仕度を解いているのではないのかい
武装解除は攻撃のしるし男はだまって身構える。緑の矢ふりしきる滴りの野原において

広津神社境内ななめに横切り感情の刃先につとふれてから石段をおりていく蝸牛にあいさつをわすれ
眼下におさえる善美堂にめばりをくっきりいれた若侍のゆうれいが透りぬける。
侍の名は○○△△××衛門と記載したところでゆめまぼろしだから瞬時伏せ字にかわり
菊さまの表札を(まだご健在かと)そっと確認してからゆるゆるおりていく蒼谷の砂利道でいつもながれていた。
いつもかすんでいた。
僕の
マイ オウルド シルヴァ フレイム

そこできまって草履をなくしたといいつのるのだ。どうしてくれるのよ草履がないと歩けないじゃないの!どうしてくれるのよ大事な草履なのに?!
え?なくしたのはおれのせいなの?
だってここまでつれてきてから・・・ついてきたのはだれだってんだ?阿呆くさと顔をそむける。
だって草履がないと歩けないじゃないの!歩けない草履がないと歩けない・・・あとは涙とリフレイン 草履がないと・・・草履がないと・・・草履がないと・・・
ここは夢なので同情もしないし実務的な対応もしない。それどころかあまりの阿呆らしさに吐き気をおぼえ・・ここでお助けばあさんでも飛んでこないことには話にもなんにもなりゃしないが
そんな都合のいいもんは天からも地からも勿論かなたからもあらわれず
びっこひく二人三脚ひこひこひきずりながら哀れを全身にした
泣く女

男はひたすら
平身低頭

おぼえているのは 女のひかがみ 男のぼんのくぼ
ふたりの ひょこんとくぼんだ箇所に ひゅんとたましいがすいこまれて たゆたい
つかのま すくせがふれあった。
ぼんのくぼ とろんと伸びる六角形帽子の吸い込まれていく白壁のお堂を向こうに見てからに
黄金色の枯葉の裏山に這い登るくるぶし白足袋はぐじょぐじょ銀鼠によごれてぬれて裾からげ
ふくらはぎ ひかがみ いたいけに伸ばしきり ゆるやかな坂ひとのぼりひとのぼり 大股の男にふーふー追いつきながら喘ぎ喘ぎの合間合間に一齣一齣わたしの罪を数えあげてみせるのだ。嫁入り支度にもってきた乳白硝子の金魚鉢粉々に壊してしまった・おとうさんの写真をいれてた銀の額縁失くしてしまった・大切に窓辺に吊りさげていた薔薇の枯花ぱりぱりに割ってしまった・つるつるに磨いた赤林檎たべてしまった・お気に入りの天竺鼠の毛皮の靴取りあげてしまった・・・わざとじゃないわざとじゃないって幾度も幾度も謝ったじゃないか・・その代わりじゃんけんに勝ったらぴかぴかの緑の靴をくれるって約束だったわ・あたしずっと以前に勝ってたのにいざ頂戴っていうと引換期限はとっくに過ぎているからってくれなかった・・いまごろそんなこと言われたって・・おまけに頂戴頂戴ってその場を動かないあたしを物乞いのように餓鬼のように扱ったわ・秘書があたしを目の仇にして憎々しげに追い出しましょうかというのを止めもしなかった・・そりゃ状況をはたから冷静に公平に見りゃあんたは単に卑しいさもしい性悪女でしかなく・でも俺だけは事情を知っているのだからそれでいいじゃないか・・知ってて言わないのは卑怯よ・あたし悔しくて悔しくて足摺りして悔しがってもあなたはあたしを冷たく見おろすだけ・・見おろしてなんかいないただ気の毒だと思う・・それが見おろしてるっていうのよ恨みつらみ妬み嫉み僻み自己卑下どうせあたしなんか低脳無知の哀れな女だとおもってるわけ・・だけどもう緑の靴はあげられない期限切れだから気の毒だと思うけど・・たったひとそろいの緑の靴よ・それだけそれだけそれだけなのに・・・長々長々長々続く追っかけっこ。
もうそこまでは側溝も疎水も水道橋も通じていない奥山にこれほどまでに踏みこむまでにふたり彷徨い来た末に
わたしがついに根負けして平身低頭するまでに。
あなたは勝ち誇った顔面つきあげさらに大泣きに泣き崩れ
せなかからおおう全身で敗北をあらたにする。

ちろちろ燃ゆる銀のほむら女神の立ちつくすてっぺんにまでいちどもいったことがなかった
ままに もう銀は錆び ほのおもひくく消えかけて
あおぎみても頂上はもうみえない

平身低頭
するほうが勝っている。
という世にもありふれた人の世の法則の卑猥卑俗卑近ぶりにふたりして唖然呆然うちひしがれながらもやっぱり僕は
平身低頭するしかないのだよ。どっちが
勝った負けたしかなかったね。君と僕とのあいだでは

2019年9月8日日曜日

て、インパクトあるタイトルですねぇ・・。
とはいえ最新の生存率データによれば(種類にもよるけどわたしのやったのなんかは)、もはやまったく死病でもなんでもないのですけどね。
そもそも癌って漢字の字面が凶々しく、いかにも死に至る岩の塊って感じ。でも英語(や主な西洋語では)ただの可愛い「カニさん」ですから。ま、しかし英語(や西洋語)ネイティブにとって「蟹」が可愛いかどうかはわからんか。彼らにとって蟹はやっぱり凶々しく長い肢を広げて死病を身体に張りつける存在なのかもしれないし・・。(しかしいつも思うんだけど英語(や西洋語)話者が星座を聞かれて、「蟹座」と答えないといけない人はその語感を気にしたりしないんだろうか?「あなた何座?」「cancer」だなんてね。)
話がずれた。tarahine(ブログ連載中のタイトルは『85歳からダンス』)という連作のテーマは「身体」ですからして病気の話は避けて通れません。
筆者が別のハンドルネームでやってたフェミニズムのサイトで「絶対書いてね」とエールを送られ「絶対書くから」と約束した以上ぜったい書くつもりでいるし、そしてどうせ書くなら当たり前の闘病記だの病気がモチーフの(口当たりの良い)物語だのにはしたくないし。
常々世間にある闘病記だの闘病ドキュメントだの物語の中でギミックとして使われるケース(少女マンガの白血病といえば定番でしたもんね)は言うに及ばず、真面目にテーマやモチーフに織り込んだ物語とかノンフィクションとかでさえ、何を読んでも何を見ても、この病気の語られ方そして読み取られ方が、いったん当事者になってみるとものすごく違和感のあるものなのです。(と、これは多かれ少なかれ当事者になったことのある方ならみんな感じておられると思う)。
描かれる細部がやっぱり微妙に違ってたりずれてたり(物語の鍵になってる部分にそういう間違いがあると目も当てられないし)、また端的に患者はすべて健気に癌と闘う悲劇のヒロインとはかぎらないし(筆者は少なくともちがうし)。・・ただスーザン・ソンタグではないがやはり隠喩としての病という側面はあるかもしれない・・それはまた追い追い書いていきますが。
2つ前のエントリーにある「瘤のある自画像 」という詩を書いたときにはまったく気づいてなかったけどこれはあきらかに事態を預言していたことになるし・・。
で、これはちゃんと言っておかないといけませんが、(これを言うためのエントリーでもあるのですが)、現実の筆者の状態はこれを書いてる時点で初発も再発も無事乗り越えて長期寛解状態が長く続いています。(定義上「完治」とは言えないんです)。まあ立派にサバイブしたものと考えられますので、どうぞご心配なく。
なおtarahineの連作はフィクションの嘘日記で主人公は現実の筆者であって筆者でありませんので全てが筆者の体験とは限りません。念の為

2019年9月1日日曜日

その後のその後

 「局所再発は全身再発の一症状であることも、局所再発のみの場合もあります。後者の場合は手術や、放射線治療により治癒します。3cm 以下の胸壁再発、腋窩リンパ節または内胸リンパ節の再発(鎖骨上リンパ節再発は予後不良)、無再発期間が2年以上の場合は予後が良好なことが多いです。このような人の5年無再発率(新たな局所再発または遠隔再発)はある最近のデ−タによれば25%、10年無再発率は15%である、10年の局所コントロ−ル率は57%です。」----(アメリカの医療文書の翻訳)※南雲吉則・川端英孝氏による。
べつの資料によればIIIB(遠隔転移なくリンパ節への局所再発)で5年生存率35%,10年生存率20%。5年後生きてる確率1/3か。10年間のパスポートを使い切れる確率は2割か。それにしてもこのおなじ文書が「再発乳ガンはしばしば治療に反応しますが、治癒することは稀です」で始まってんだもんな。
 わたしはすでにわたしの晩年期にはいっている。
 なんで85歳かというとお役所の出してる日本人の簡易生命表というデータで見ると女85歳の平均余命がだいたい7.5年ぐらい(じわじわ延びてはいるが)だからだ。
 統計には疎いもんで「平均」とかこういう概念には弱いけど、ま、そんなもんと思っといてまちがいないでしょ、と見通したてる。
 ふつうの85歳でどうでしょうね。ふだんが健康なら、なんとなくここまで生きたんだからあと10年ぐらいは悠々生きられるような感じがある。だけど20年は生きられないんじゃないかって気もしてる。だけどひょっとしたら100歳越えてしまうかも…という気も一方ではあるかもしれない。それは、でもむしろ長生きリスクか。ひょっとしたら来年、再来年ぐらいにでも病気して、ぽっくり逝ってしまえるかも。そういうほうが楽かも…とも思っているかも。
 たぶんわたしもそんな感じ。10年は楽々いきそうだけど20年は生きられないかも。来年再来年にでも(いや明日にでも)また再発・転移が見つかれば、やばいとこだったらそれから1カ月とか1年以内とか3年とか5年とか…。
 とりあえず、今日明日に死ぬことはないだろう(もちろんほかの病気や事故ってこともありうるが)。今週はだいじょぶだろう。といいつつ、新たな日、新たな週を迎えている。ああ、今日も無事。明日も無事そう…。
 いつやってくるのか、確率はわかるようでわからない。自分に起こることはそれかそれでないか二者択一であってシュレジンガーの猫みたいに50%の確率で生きてるなんてありえないもんな。ぜったい当たる占いじゃあるまいし確実にわかるわけはない。遠いようで近い。死の姿を、ごく間近に感じたときと間遠に感じるときがある。その距離感。

PS : これ書いた時点から数値ははるかに改善されてるはずです。念のため。