2019年8月30日金曜日

瘤のある自画像

まずアンバー。
アンバーをダークに溶く
次第にダークに
底辺にはチャコールグレーをすこし毛羽だたせ
黒いシルエットとの境界線はくっきり
うえのほうは光色の黄を刷き
うっすらなでしこ
それから
灰色のまじったみずいろ。
みずいろ
みずいろはだんだん
上方にむかってだんだんインディゴブルーに
深くなる。
(どうしてこんな色に出会えるんだろう)
(どうして・・・)
のスキマに
ふいに鏡面が割りこむ。
白く白いハイライトを点々と置いてゆきながら
ゆれるチャコール
ゆれるアンバー
ゆれる黄
ゆれる水色
そしてインディゴ
そのつどあたらしい
波うつ水面
またふいに消え去る。
「うし」というコトバが
こないだから肩胛骨の内側あたりに
滞留している。
かたく
確実な質量をもち
おもく
輪郭をもって
そこに居住しているが
ちっとも不快ではない。
くくくくくく・・・とふくみわらいがもれそうな諧謔とメランコリーを帯びて
「うし」
「うし」
と自ら発音される
「うし」は
いまにも腿の前面あたりに第2の出張所を
ヒップのえくぼのあたりに第3の出張所をつくって
子分たちを送り出しそうな勢いである。
暴力団的に自動的に描かれるポートレートに
「うし」という瘤が
複数で
不法滞在する。
あちこちで勝手に
「うし」
「うし」と
自ら発声する。
いつか移動する日まで
そしてまたふいに現前する
アンバーと黄のひかりとブルーとは
あおじろく放電する一定の厚みをもった狭めの肩と
くろく繊いくるぶしと
スローハンド早撃ちする恐怖のまなざしをそなえて
ひとをその場に凍らせたあげく
まったく不似合いな優しいコトバをくちにする。
目的語をとらない「愛する」
そういえば
フランス語の動詞の変化はまずこれで学ぶのである。
目的語をとらない「愛する」
日本語にはないコトバ
きのうはもっとのんびりしてて
「ひとはひとをいとおしくおもうものである」
という述懐のうらに
きょうは
「だれからものぞまれないひと」
があって
ひとりでにうごきだす。
かってに移動をはじめる

2019年8月27日火曜日

恋唄

文脈から切り離され
歴史の流れからそこだけ ほわり浮き上がった身体
それとも 肉体?

好きな人よりも まるで関係ないひとの肉体のいちぶのほうがナマナマしくみえる。
19:45発新快速野洲行待ちの列に並んだ
金髪のにいちゃん(たぶんモンゴロイド)の耳たぶの背面のピアス穴近くに
こびりついたちいさな血のかたまりだ。

対してこちらは
逆光の朝陽にほわりと浮かんだ イマージュだけの白いプラットフォームだ。
恐ろしい視線だけのプラットフォーム
たまに ひらりふわりと気まぐれ風をヴェールにふくませ
必殺微笑み光線を呉れる。
で、すぐまたヴェールは平常顔にたれる。

わたしはプラットフォームにせっせと植栽する。
思惟的な三色すみれだったり
規範のひこばえだったり
麝香鹿の爪
あなたがあやつる
八角形の糸車だったり
アホネタとか馬鹿っ話とか 世間がいう類(たぐい)のぐだぐだだったり
きのう偶然2度も聞こえてしまった
Love Is a Many-Splendored Thing
だったり。

あの血はいつまで液体だったのだろう?
「ちょっとちくっとしますよ」といいながら、例の看護婦さんにあたれば針は全く痛くない。
わたしはまるで液体とおもえない赤黒いbodyがすこしだけ渦をたてながら透明な円筒に吸い込まれていくのを注視している。
・・・あなたのばあい抗***抗体が見つからないんです。90%の人には見つかるのですがあとの10%の人には見つからない。だけど最近、新しい検査方法が保険承認されましてね。それだとあとの10%の人でも見つかる可能性が大きい。まだ実験室レベルのデータしかないので確かなことは言えませんが。あなたの場合もきっと見つかるとおもいます。見つかったらそれがマーカーになるし・・・。
わたしはなんとなくこんなイメージかなとええかげんに聞いている。抗***抗体のこともこれまでの検査法と新しい検査法のちがいも先生は丁寧に図を描いて説明してくれるのだが。
なんだかアルファベットと数字でできた略語をずいぶん覚えたよ。略語をもとの英語に戻せばどうなるかもだいたいは言えるよ。忘れててもぜんぶ手帳にメモしてあるよ。だけどわたしに残るのは抽象でもない具象でもない中途半端に陳(ふる)びてしまったイマージュにすらなっていない記号の断片だけだ。
その断片たちが生きたわたしの肉体を刺し示すわけだ。先生のおっしゃるには・・・
それとも身体を?

あなたのナマの身体を刺す記号が欲しいだけなのか?

金髪のにいちゃん背中まぢかから凝視してても痴漢と間違われる気遣いのない位置に立って
ロス・アラモス色に輝く例のプラットフォームをまたミラージュする。
目前の軟弱産毛そのものの肩(だけど決して悪くはないむしろ好ましい)よりもさらによわよわしい
“紡ぐひと”の肩になっていた
すこしひだりにかたむいていた あなたの肩を抱きたいとおもうのだが。
“紡ぐひと”の手つきになっていた その指の背に
そっと触覚をすべらせてみたいとおもうのだが。

2019年8月23日金曜日

その後(というラベル)

それは「post festum」(祭りの後)でもありますし「aftermath」(厄災の後)でもあります。
後者は特にThe Rolling Stonesのそれというわけではありませんが、前者は木村敏のそれでもありますし、Karl Marxの意図するところもすこし入っています。

いつからか、わたしは「その後」を生きている、ということを意識するようになりました。
意識し始めたのは、阪神淡路大震災後だったかもしれないし、もっと以前、わたしが当時住んでいたおなじ部屋で、ある危機を脱したことを意識した「その後」だったのかもしれません。そもそもが先の戦争の戦後に生まれた世代であり、若者たちが世界的に異議申し立てをしていた祭りのあとにやってきた世代というのもあるかもしれません。
そしてそのあとも、東日本大震災と原子力発電所事故の厄災を経て、その感覚は潮の繰り返し寄せるようにますます強くなっていくようでもあります。

わたしがいつごろからインターネットに接続し始めたか覚えていませんが、初めて自分のウェブページを持った記録は残っていて1996年10月とあります。
jajaという名義でウェブ上で詩を書き始め、その詩を通じて他の詩人の方々ともウェブ上で交流を始めました。
jaja名義でウェブにあげた最初の詩が先の「救命艇」になりますが、これが『ボール箱に砂場』のラストにあたる作品の「続き」みたいになっていて、その時期を脱けた「その後」であることがはっきりわかります。
それが「その後」のわたしのはじまりとなり、その意識はいまでも続いています。
アフターマス 「その後」を画する詩には、このラベルをつけていきたいとおもいます。

その時期、おなじjaja名義で、映画好きのネット先達のお仲間に寄せていただいたり、きっつい洗礼も受けつつ、ものすごく楽しい日々を過ごしていましたね・・。
ほんとに偶然なんですが、この記事を準備している最中、そのネット先達のお一人が亡くなっていたことを知らされました。
直接は(つまりリアルでは)存じ上げない方なのですが、その、なんだか「消える」ようにネット上からいなくなってしまわれたその方のありようなどにも思いを馳せ、あの当時の映画好き仲間たちとのやりとりも思い出し、すこし感傷に浸ったことでした。

当時のネット環境はウェブページつくるにも自分でhtml手打ちするし、ブログはまだなくBBS(掲示板)を雛形だけもらってきて自分で作ったり、ウェブチャットが遅いのでもう少し早いチャットのシステムがあったりなどして、まだまだネットを通じての交流のかたちが定まっていなかったころ。
その後、ブログがぶわーっと流行り、わたしは便利にはちがいないけどいろいろ仕様が決まってるのが少し鬱陶しいなと思いつつ、いっときは8つぐらい運営していました。
その後、Facebookの時代になって、わたしはこれには決定的になじめず、さらにTwitterやInstagramの時代になって、またうまく乗っかっていけず、馴染めないというよりは、この3つのSNS、それぞれの「仕様」に踊らされるのが決定的に鬱陶しいのですよね。自分の気づかないところで仕様に制限され動かされ見させられている・・。とはいえ、アカウントは持っていてそれなりに使ってはいますけど・・。

2019年8月20日火曜日

救命艇

あそこに見えるのは ほら
死刑囚のからだが拘置所から斎場までを辿った
うねくね延びて縺れてつながるたったひと筋の線です。

線は本質的に抽象だから視線に とらえられることはない。だけど

線は分割され
わかたれ壊されカチ割られ毀(こぼ)たれて
惜別する遊離片を撒き散らしながら
なめらかな海岸線となってゆきて延びてゆきます。
どこへ?
ふたたび ここへ

なつかしい死びとたちよ こんにちは
あの視線をさまよっていたころからもう10年になるのに
わたくしはまだここにいます。

ここは鬼の住み処だと出てったあなたの
仰々しい預言はあたらず
洪水はついにやってこなかった。

かわりにわたくしのアルミサッシを揺らしたものは
こちら側からではなく
まったく逆の方向から伝波してきた。
だから
怖れつつそれでもひそかに待ち望んできた
救命艇は来たらず
かわりにひとしずくの水を入れたお椀の舟が
これより出でた。
つねは出ません。あの晩かぎり

擂鉢の
ふちに獅噛みついた人たちの
なんと恐ろしかったことだろう。
中途に脚を絡めとられた人たちの
なんと哀しかったことだろう。
まん中に呑みこまれた人たちの・・・
・・・
・・・
・・・をどれほどかさねても悼みつくせぬ
惜しみつくせぬ
かたりつくせぬ
本質的に見えない点が無数にあります。

そこまで運ぶ長いボートはつくれない。だから
ここより出立してウラジオストクへと伸ばす回路が

はからずも次のわたくしを生まれさせてしまったのです。こんなふうに赤面しながら
媚薬入りの汗と紫の瓶に入った香水とがまじりあった匂いをかぎながら
必要なクスリを飲みながら
吃りながら
こんなふうに
ものごとが決まりきったプロトコルを択びつつ陳腐に終わってまた始まるのも
仮想界が 気の狂うくらい嫉妬しても
怨んでも
怯えても
現実というものはまるで仮想を無視しているからなのか。
眼下の中洲にはふかく埋めたはずのミニーマウスがあたまを覆った泥をかきわけてまた発掘され
わたくしを脅かしつつ
わたくしのなかのこどもの気をまた踊らせる。
13階の視線
13階の支線
無数の死点たちを忘却する罪にまたはじまって

2019年8月12日月曜日

接着霊

死の像が目の前にいきなり現われた。それは、おせんべなどばりばり食いながら一面のガラス張りの窓をへだてて夜の街の光を映画みるようにぼっと眺めてたら、唐突に空一面にでかい目玉をした死に神の顔がぬっと現われガラスにへばりつかんばかりにしてこちらを覗きこんでいたという具合。あたしは怯えた。というより沈黙した。死の現前ってのはかくも圧倒的でひとから言葉を奪うのだなあというとても当り前の感想。次の瞬間、彼はバリバリバリと轟音を立てる戦闘ヘリコプターのかたちを借り、ゆっくりと照準をこちらに合わせて、あたしに向かって砲撃を開始したのだが、なんとガラスいちまい隔ててあたしは無事だったのだ! 連続する砲撃音に確かに部屋は爆撃されてめちゃくちゃに火の海瓦礫の空中に舞い散る修羅場となったのだが、なぜかあたしの身ひとつは無事...。

その事件をピークに死の像は急速にひゅるひゅるひゅるとゴムに引かれていったみたいに遠ざかり、いまは向こうのほうに小さく見える。入れ換わりにこんどは接着霊があたしのそばに寄り添いはじめた。だんだん抜けていく髪の毛とともに。
抜けていくのは抗癌剤のせいというより新しいヘアマニキュアのせいかもしれないけどね。手軽にできるようになったぶんこのところ頻繁にしてるから。

ああ、接着霊ってのがわかんないでしょ。あたしだってついこないだまで知らなかったのだ。

あたしはスパイかそれとも電気調査員みたいな仕事で各家庭をまわっている。その家は、上司の家かそれともモデルルームかそれとも上得意だったのか、わざと変な配線がしてあって、ダミーの配電盤があって、ほんものの配電盤はテーブルの下に隠してあったりする。このテーブルの下のこのリモコンからエアコンを操作するんですよとかなんとか、そこのご主人とおしゃべりしながら調査している。

その家は病院も兼ねていたのか? あたしも手術しないといけないのだが、もうとうの先から妹(現実の妹)も入院していて癌の手術を受けなければならない。しかも病状は深刻で、次の手術が最終手術になるかもしれない(つまりそれで死んでしまうかもしれない)。のに、本人はいたって元気でのんびりそのへんをパジャマで散歩してたりして、いろいろ世間話などしている。スパイのこと電気のこと...しかしよくきいてみると、彼女はこの病院(ホスピスというか癌の末期患者の病院)にいるつもりではなく、前にいた病院(普通の病院)にまだいるつもりのようすで、ああやはりもう混乱していて自分の状況がよくわかってないんやねえ...と可哀想にと憐れむような仕方ないようなあきらめるような見守るような気持ち。あたしも手術があるのでそちらに向かいながらふと見ると、長い後ろ一文字のみつあみの髪の毛が頭のお鉢ごとすぽっと落ちていて、「あれ、これ妹のだ」。抗癌剤で抜けたのか。本人は、変に手で切ったようなどうでもいいショートカットの艶の不自然な固い黒髪でいる(かつらなのか?)。あたしは手術に向かう(歩いていく)彼女を見送りながら、ああ目が覚めたときにまた会えたらいいな。でも生きて会えるのは最後だろうか? あたしが手術の最中にもう彼女は逝ってしまっているだろうか? と哀しいような諦めのようなわずかな希望に縋りつくような気分でいる。

2019年8月8日木曜日

イライラ

色には黒と白と赤しかない。
大気は完全に乾燥してO2濃度が非常に高い。
砂漠の先の
ヒトサシ指の先は
もっとも敏感であるから 燃えないように
根元をコヨリで縛りつけておく。

塩の結晶一粒
ユビサキにただしく置いて
実験は繰り返される。

「瓜たべたいか?」
「茄子くいたいか?」
「それともにくか?」
「だれのにくか?」
塩たぎらせ
死海の先に
答はいつも蒸発する。
たったひとかけらのおまえの肉は
msec.単位で塩
消費する。

次の塩を
かたすみの光の先に
血の塩を

「放棄せよ/しない」
「痙攣せよ/しない」
脈拍は同期しない。
「遊離せよ/したい」
皮膚をいくら観察しても
感触は既にすりかえられて
  とりかえしのつかないそれでも
  実験は繰り返される。

  降らぬ雨の先に
  かたりやまいのただれた舌先に
  なめるのでなく
  いやすのでなく
私はおまえの
だれよりも高い地の先に
そのユビサキを
かみちぎりたいだけだ。