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2020年4月4日土曜日

蟻走

帰らなければ
帰らなければ
帰らなければ
でも どこへ?

宿主の頭蓋骨の内側をめちゃくちゃに走りまわっているだけの蟻さながらに
あせりまくってはいるのだけれど どこへなにをどうすればよいのかわからない。
ぢめんにはつぷつぷつぷつぷつぷ無数の孔があいて足をとり 剣呑クラック縦横にはしって 腹まですっぽり嵌まってしまう
いっそ 其処から外界へ抜けられればよいのに
ぬけるに十分な大きさ だけは ないのだ。

ぴーーーごおおーーと音がして
其れ其こすぐ 高架をへだてた向こう側に環状線が発着する。ながい頭頂だけがみえる銀色の電車がなんぼんもなんぼんも目の前を走っていく あの駅に
はいるには まず正規の手続きを経てここから出なければならない。とさ
むこうがわに わたらなければならない。

距離的に最も近いとはいえ無駄無理ムラな内壁をつたってはしりまくるだけの危険を漸く察し 算段するフェイズをひとつさかのぼって チェックイン/アウトのために建設されたとの名を負う ビルヂングにもどる と
ここでもやはり蟻さながらに 上から下へ 下から上へと梯子をつたって走りまわること余儀なくされるのだ。いちばん下層のバァには わたくしにむやみな悪意をいだく女将がいて
みつからぬうちに とっとと去なねばならぬ。(ばぁさん確信に充ちてカラオケ曲をえらび終え、こちらが身を匿す数舜のちにふりかえる。こっちゃもう何ゆえの悪意であったかすら憶えていないのに)

最上階から何層か下までは見晴らしがよく液晶挟んだガラスの薄膜をへだててむこうのくうかんを滑りぬけていく電車がまぢかにくっきりみえる だけに そっちへあくがれる精神を逆撫でする。病篤し オフィスにはだれもいなくて 空の書類どころか窓を開けるカギさえ見つからぬ。闇がおとずれれば 磁界におとなしく したごう液晶のつぶつぶの配列かわって もとのもく闇 阿弥陀の唐変 木鐸止み 網の闇。(ふらんす語でともだちを意味するバァの名)

中階の注解の仲介の宙界の忠獪な管理人は どんな申請がやってきても「手続きを拒否する」ことのみ責務とこころえているらしいのだが かれの目をぬすんで窓枠に攀登り 警備人らにみつからぬよう ルーフテラスの補助線を越えることだけが
ゆいいつの越境の手段だと おしえられ
物干棒<─>線の定義をわすれぬよう 入念に
あらんかぎりの速度加速度でダッシュ!奪取を試みるのであるが──(脱種)
そこは 蟻の 身の 哀しさ 身の 数倍の 距離をはしる速度が 可能だ と 蟻つかいらは 褒めて くれても
そんなもん 屎のやくにも たたぬ
…チキコンチキコンチキコンチキコン………
だに
あっさり
捻り潰され

もういちど 幽界をさまよいありく羽目になるのだ。
宿主が
痒がっている。
ぶっとい蜂に刺されたように 二の腕が筋肉まるごとひとつぶんのかたちに腫れあがり わたくしが むちゃくちゃに はしりぬけていく感覚がするらしい。
にんげんは 生物の ヒトの 臭いがするからと ちかづくのもいやだ
おのれとて ヒトの 臭気を発するから だれにちかづいて さとられるのもいやだ
と いたがっても膚にふれることをいやがり
ぎりぎりぎり 蟻り蟻り蟻り と
艤装を擬装する蟻走のふゆに
じりじりじりじりじりジリじりジリと まなつの鈴むしの 鳴くことよ

2020年3月24日火曜日

微睡

だれかがぼくの名を呼んでいる。
ぼくが名づけられる以前の名で呼んでいる。
だけどぼくはどうやってそれをわかればいいのだろう?

覚醒と睡眠のあいだの階の要衝要衝に
交通案内をしてくれるおばさんが立っていて
わずかなチップと引き換えに夢のチケットをくれる。

長い夢を存分に愉しんでからもっと深い階に降りていくのもいいし
ごく短いイマージュを楽しんで、またすぐべつのおばさんを探しに行ってもいい。

夢の各層には大きなまるい浅い穴が水玉模様のようにぽつぽつと開いていて
ぼくらはそこをとおって睡気の重力に曵かれ
ゆっくりとだんだん深い階へと降りていくのだ。

今夜は穴を避けてごく浅い層をとびまわり
あたらしくみつけたおばさんからつぎつぎとチケットをもらって
気の向くままに点々とイマージュを渡り歩いてみる。

六角形のかざぐるま
ソフトクリームの大山椒魚
一角獣のひづめ
龍の子のこゆび
妻のあしゆび
月のきざはし
霜の刃
あまいひやむぎ
秋冬仕様にツイードを着込んだ雀
生き延びる実感
ぽろぽろこぼれるとうもろこしぱんのくず
降りしきる豆ランプの光のあまだれ
あまずっぱい観覧車に
シナモンの香りのする回転木馬
仔馬のたてがみ
水の龍のまぶたにふれる

浅い階にいるおばさんたちはみんなとても美人でセクシー。
黄色や青やピンクのミニドレスをきらきらきらめかせて
50年代ふうにカールしたヘアに色とりどりの流星や恒星や星雲をいっぱいつけて
惜しみなく笑顔を呉れる。
チケットをわたしてくれる白い手がひやっこくふれるだけで
ぼくはドキドキしてしまう。

でも どこかよそから
たぶん どこか奥のほうから
だれかがぼくの名を呼んでいる。
ぼくが名づけられる以前の名で呼んでいる。
だけどぼくはどうやってそれをわかればいいのだろう?

まぁわからなくてもいいや
気づかなくても仕方がないやと
くちのなかでいいわけしながら
(内心微かに仮借をおぼえながら)
ぼくはイマージュの浅瀬をぴょんぴょん跳んで渉るのだ。

2020年2月27日木曜日

半分だけ立て掛けてある/あるかな はるかな

あるかな
はるかな
アルカナ
あるか 
歩かな 
歩かな 
遥かな 
春かな

半分だけ立て掛けてあるよそごとにカチっと欲望をかぎり
舗道から眺めて後ろ半分だけ見えない杉の板に触れたくても触れずにおき   
第2第3ステージへとうつっていく中途半端な温度にて
それから2、3歩あとじさる蜥蜴と人間の体温を同じうする気温にて     
求心状の視点をそれそこの半径1.5cmの円に万遍無く集中すると
キャメラのファインダーにピント合わせの小さな丸い点をさぐりながら    
アウトプットは半径33.3cmの半球型の内側に遠心状に展開する
魚眼様に地球をもっとひろくまるく査収すべしと発言する          
捨象する照射の収縮膨脹は徐々に規模そのものを拡大して
バッテリー喰うストロボの発光するしないはだんだんジリジリいらいらしてきて
この序破急に終局はあるかないか
変節漢の怒鳴り声に週末は台無しかどうか                 
週末という概念そのものがあってよいか否か
終末という休暇そのものにどこへ行くか田舎                
  射ぬか
  犬か

アロンジ   ゆこう     
アレグレット はるかに    
アヴィ    えいえんに   
アヴォワール つよいいしと  
アンタンシテ きょうどをもって
アンタンドゥ りょうかい?  
アヴァントゥ なによりも   
アヴァン   さきに     
トゥ     すべては    
コモンス   ここで     
イシ     はじまる    

すべては ここで はじまる
ici

意志

緊張のあまり泣き出してしまうこどもは
訳知らぬ断絶などものともしない綜合は
童児に優しい水の音に思いを馳せている
同時に不可欠な保護観察を取寄せている
ガラス窓に青いトラックが反射していく
鳥瞰視界に最小限の視差を示唆していく
やすがれにはらはら花びらが散るとなく
ほとほと厳密な概念操作も空しくとなく

ちるとなく むなしくとなく
やすがれに ほとほと   
こだまする        
  居ぬか 

縊死の 
遺志  
医師らの
石   
石の上にも三年
 …とか

往ぬるか

往の

2020年2月3日月曜日

抵裂き難い抗

発火する家
ゆっくり回転しながらしゅうしゅうと炎を噴き上げる。
あの土台のあたりに火薬が仕込まれていたか
それが回転ステージのうえに載せられていたか

跡地のむこうがわは有名な庭園
こちらがわは再開発となる
とりあえず
古着屋ゲー血ム屋掘屋台らの簡易ガレージ店舗が
わいのわいの
軒をつらねて
黄色ジャンパーのにいちゃんらが
コークな茶封筒どを堂々と売っている。

層にかさな死期を女性職員知らせる文化施設
てらてらな黒にグレーのキャ避け難いリアスーツの細身をかためた
男子職員が案裂き難い内する
抵抗
抵熱い抗
耐え抵抗難い
抵愛着抗
の短髪のちに最上死神は階へ

階層を請求書を配達する移る
傾斜のと急を告げ鋭いめつきのるんでもなく緩い
エスカ眉毛のうすいレータ

一気に三層をつ分裂者の手紙らねている
花や樹や種子を撒きちらす草やつめこんだ黒いかばん鳥の標本の束

てっぺんに
曖昧な三角形状のなん誤配物の束をにもない
コンク誰かが勝手に手配したリートの屋上があって
周囲は足首ほど悪意の高さの柵でかこってある。

風が強いから危険です。
吹き飛ばさ狂おしきれて落ちてしまうかもしれませんよ
と職員くんがしきりに止めるのもきかず
折角ここまできたのだから
いちおうは歩い欄干から零れおちるてみようと
危ない端っこをえらんであるく
それでも
エッジから微妙に安全な距離はたもっている
つもり
でも
たぶん風が吹けば無効な距離だ。

彼がはらはらと 内側でみまもるうちに
ゆっくりと ゆっくりと ひとめぐり
するあいだ ついに風は吹かず
無事にもどることができる。
(むしろ風をのぞんでいたのかしらん?)

なんだ関か平和だ係ねぇと
むこうがわの庭園の入り口にたつ
レスト棄てがたいランの灯のにぎやかにともるのをみて

簡易店舗の涸れる陽こちらがわも
1ヵ月半もたたぬまに
愛抵抗着
なにやら変なかたちのビ耐えがたいルが立ち並ぶのだろうと
さしむける
うつそみの

2020年1月20日月曜日

たからくじ

だから
くじ
くじく
くじる
しくじる
じりり

かれはわたくしの冷凍庫に小函を蔵い忘れてかえる

じる
じるれ

わたくしのトイレットの小棚に懐中時計を置き忘れてかえる

ねやのひまに たがいちがいに長短のことなる糸くずを捨て忘れてかえる

境界線をさぁっと引いて すぐ削除する。
境界線をさぁっと引いて すぐ削除する。

べつの境界線をさぁっと引いて すぐ削除する。
またべつの境界線がさぁっと引かれて またすぐ削除される。

線を引いて 削除
線を引いて 削除

ふわふわに交差して糸屑のようになった線の残骸が
場にない場につもりつもって糸玉ガラクタのやまのようになり
その引力で 周囲をさらにおおくの 糸のかけらが旋回している。
指でつまめば たちまち消える。

ある主体は マウスの線でさぁっと描くだろうし
ある主体は キーボードを一個一個たしかめながら叩くかもしれない。
てんてん ときとき ながいじかんをかけて 彫琢し
ていねいに 細心に ちゅういぶかく しつらえたものほど
すわぁぁぁぁぁっと 豪快に削除されていく。

1999年1月1日午前1時27分頃 エレベータのなかで
酒酵素にあわさったどぐさい息とよれよれに高湿度おびた体温をまともにふきかけられる位置にいながら
われかんせずと(あるいはそれこそこころよいかのように)
幾枚もの布にくるまれてすとんと落ちるように抱かれて すやすや睡っている
ちいさないきもの
に遭遇する。

| なぐりつけるように 地におとせば すぐしぬだろう
| しぬかもしれない
| しんだら それなりに かなしんでくれるひとびとがいるだろう
| それなりに かなしんでくれないひとびともいるだろう
| (そちらのほうが とうぜん おおかろう)
| だから いつでも しんでもよい のだと
| みえぬものに あくがれるように たのしげに
| さんざぼこぼこにされた とうめいにんげんのたましいは
| つぶやくのである
| しょーがねーな とめてなんかやらねーからと
♪たのしげに うけこたえてみる やる

 りながら
こんなのはまちがっていると つよく おもう

ラヴさえぴりぴりりとはぎとってしまえば かんたん
という 公式見解も もちろんあやまっていると おもう

べたべたのラヴシャワーの視線に曝された素肌は
ねとねとになるごと 粉をふいたようにすべすべなめらかで
化粧している ほかの身体パーツよりも もっと化粧をほどこされている のだが
なんら防禦的 やくわりをはたさず
かえって ぱぱぱぱっと指圧されるとすぐ
へにょりんこんとへこんで とぽとぽにくたびれてしまう
まいなすの 傷つきやすさ 強度の欠如 欠如の強度

もっとつるつるにしあげて 汁気を剥奪すれば おはだの張りは保たれるかもしれない という
わけにもいかないんだな これが

うしろざまに
ろざまに
さまに
まさに
まに
むけに
ほれ剥がせ ほれきえろ ほれなませ ほれとのせ
!hola! と hala
いって 消えろ て・きえろ te quiero quienes? quiera quienesquiera

2019年12月12日木曜日

さ・迷う

まちなかで迷うのはなにかとたやすい
どこへ向いているのかわからなくても
いま向いている方向へどんどん歩くと
いずれ幹線道路か交差点や線路や駅や
大きなビルやショッピングセンターや
公共施設や団地工場河川寺社のたぐい
とにかく徴になるところにぶちあたる
そこでじぶんの位置を確かめればよい
歩く時間を惜しむのならしかたないが
杳い山の深い森の奥へ迷い入ることも
おなじ場所を堂々めぐりめぐることも
可能性は尠いのだから気楽に歩くのだ

通行人をつかまえてわたしはどちらへ
向かってあるいていますかとたずねて
みるのもよいしバスの標識を見るのも
よい適当にバスに乗ってみるのもよい
飛んでもないところに連れていかれた
ところでせいぜいまちのはずれの車庫
ぐらいなものバス会社が此の世の外か
ら乗り入れているなんてことはないの
だから安心していてよろしそりゃいち
ばん確かなのはタクシーを拾うことだ
けどお金もかかるしつまんないじゃな
い?ゆっくりさ迷いたい気持ちと早く
目的地に着きたい焦りどこへ着くのだ
ろうかという不安と夢想どこへも着か
ないかもしれないという宙づりどこか
へは着くだろうという根拠の無い楽観

道傍に花があって
脇に鳥がいて
子供が遊んでいて
粗大ゴミがころがっていても
目もくれないでもいいし
目くばせをくれてもいい
美いものがとおりかかっても
みにくいものがたちさわいでも
目をとめてもいいし
目をふせてもいい
だれかと喋ってもいいし
独りで呟いてもいい
音楽を聴くのもいい
本をみるのもいい
車がくれば避ければいい
ひったくりに遭えば叫べばいい

雨が降っても
夜になっても
おなかがすいても
おしっこがしたくなっても
悠悠となにもしないでもいいし
慌ててコンビニを捜すのもいい
喫茶店にはいるのもいい
誰かに電話するのもいい

ただ道をいそぐ
ただ未知を急く
ただのうごきに
なってもいいし
止まるのもよい
やめるのもよい
やめぬのもよい
引き返すもよし
やり直すもよし
終りはなくても
終りがあつても
嘉いではないか

寓話でなく
具象の街を
歩きたまへ
迷ひたまへ

2019年12月7日土曜日

かたつむりのおはなし(Go Go Slow)

かたつむりのしっぽ
かたつむりのしっぱい
かたつむりのつめ
かたつむりの鉄道
かたつむりの航海
かたつむりの後悔
かたつむりの軌跡
かたつむりの刑務所
かたつむりの保釈金
かたつむりの嘆き
かたつむりのバケツ
かたつむりの聖杯

聖なる欲望を
享けるさかづき。塩化ヴィニルよりも地球に優しいという(嘘の噂の)ポリエチレンテレフタートのシートをこまかい四辺形に切り分け、地下鉄の背後の壁にぺたぺたと隙間なく貼り付けていく
君の
不可思議な動機。
じつは世界はそれほど奥行きなく厚みなくぺらぺらの乾いたモザイクの書き割りなのだが、ポリエチレンテレフタートにお手紙を持たせておつかいにやるそこには誰かいるのかそこにはストロークを要求するべつのポリエチレンテレフタートのモザイクの貼りついた阿呆がいて船酔いブレイクダウンの指示を出す
某の
みえすいた忖度。
やはり陽気な電子が陰気な電子の振る舞いを拒絶するかのように
跋扈する跛行する跛の(差別用語をのこらず排斥した辞書の)
舞い舞い
でんでん
無視する
片目
隻眼の

かたつむりのヴェール

かたつむりのビール
かたつむりの梱包
かたつむりの販売
かたつむりの谷間
かたつむりのそよ風
かたつむりのおはなし
かたつむりのおすそわけ

おそく
おそく
かたつむりのおてがみで頂戴ナ。
かたつむりのおさそいはとどかないから。

2019年12月1日日曜日

劣性遺伝子

左足のかかとがほんのすこし深めに砂にめりこむようなリズムでそのうしろすがたはゆったりとあしをはこぶのである。きびすとかかと きびすとかかと」

頭蓋骨のかたちが うしろからみているだけで 掌ての ひらで覆いつつめるがごとくさわっているような感触あってよくわかる うしろあたまが微妙にがくがくゆれて ぼんのくぼが宙にうかぶ 吹く あそび球のようにぷくぷくへこんだり膨らんだり浮かんだり沈んだりするようにみ 。細めの肩から流れ落ちる背中の大儀そうに めにみえぬ空気のふとんの層いちまいしょって腰のあたりでひといきれ ほっと
 ぽっとくぼむまでに長いこと。そらとちゅう 宙とそら」

ゆるゆるとつっとりもっとり ......... かれの吐き出していることばことば断片ごとに引き伸ばされて、ぷーくぷーくふきだしの泡に包まれて頭上の空に消えていく。そらとくう 腔とそら」
。。。そらにあいた 孔

(わがみがくるしか
(おのれがつらか
(  なかなか
(いかさま
(うとかもん
(とつ おいつ

ふっと気づくと
そういうひとが左にまたひとり
右にふたり さんにん
左にまた よにん
ごにん ろくにん ....................
と殖えて みな いちように ほそい肩をして
らんぼうに虎刈りにされた まるい頭蓋をして
背の高い低いはあっても どうように つるんと肉の乗っていない皮膚だけの背中をして おとこかおんなか判らず
判然とせず決然となく おなじように かかとを かるく地にめりこませながら 歩をすすめている。

よにん ろくにん
よにん しちにん
はちにん よにん
正確に数えるわけでもない かれらと同調する歩幅とおなじ拍子でくりかえしくりかえす声が いつしか節になり よそごとのように ブラウン管の裏手 柔毛(にこげ)に放射された光のように 表面一枚へだてて距離を詰めることができない。みそなわし みそなえて 。おもてとひょう 面」

そういえば青い縞のパジャマの横並ぶすがたがいつかどこか此処ではない彼処(かしこ)ど処かで見た絶滅収容所へ向かう囚人たちの列に似ていたのかもしれない。せんせえ!に告げると満たされぬ こころの飢ゑとロマンティクな修辞もて笑い飛ばされるのがおちてところか。ふん!どこ何いずこ」 ふんとくそ」

かもしれぬ。かもしれる。かもしれた。劣性遺伝子裂性の列列列........。 ...列たて横列たてひとたび
しかるべき薬品スポイド一滴たらすと そこからまたたくまにアメーバ様のしみほのほとひろがりとろんとろんとろけて坂をころがりおちていくのであつた。
一坤の賽神のひとこえのようにかたぶけるかたぶきに みなとけるみのうえ。 縦立て楯 よ」

(.....やく たれか 
(たれか がみをてろおてくれるか
(がみを
(な がみを
(わ がみを
(  わがいを
(     わああいいを........

...おてくれるか? と イントネーションで判る 懇願でなく きつい命令でなく 切なる請願でなく 要請でなく ....

彼がみをのぞきこんで しかばねきけん/ここより落つるな の看板をわらって みおろしとる。たれも落ちたくて落つるものなどいやせんにて。さきから しかばねになろうかばねは おるなかねて。ふぜんにて いっつのまにか さきほどのれつびとららがぐるりとわになてはねばねを

構成しておるのがみえとおる ずら がらっとみわたすと じぃ っちょうっこうつとみてふよ。


...それはおとろしいまなざしで

2019年11月22日金曜日

トラブルトラヴェル

いつもすでに出発している此処をはなれて目的地はさだかではなく路上にあり迂回し迂路うろしながら通過列車やりすごシナハンおはなしをかたりはじめるには場所を横断しなければならない行かなければならない きつく締めてそこに県境のひろい河がありわたしたちは横切らなければならない よく似たコースを辿っても経験上浅瀬をしっている案内人がいていつものルートではない そのつどあたらしくルーチンワークのように退屈な渡りの儀式 一級河川たて札のむこう岸よその県には県の名を付したぴかぴかの建物がありナントカミュージアムとなづけられて建設中事業主体どこどこ責任者だれそれなに県ぺこ市ぽこ町岐阜蝶カップ事業費数億円開館予定2001年春小春日和見お菓子の看板アイドルが微笑みよく似た計画はあっても其たてものはふるくから其処にある旧聖なんたら会不可能なミッション病院にもとづくものであるからこそユニックなのだと元型がなければ詰まらない時代なのだと謂い だからかんぜんには壊さないむてきの煉瓦の剥がれ落ちる頑強な密閉度の高い風のとおりぬける 霊のはしりぬける魂の滞留する脱け道の分岐する無数の水路が浸みこんでいくその屋に今夜の宿を据えてあとさきは考えぬ たまたま夕食をともにしてどこから来たのかとスタッフに尋ねると吉田とな吉田でわかんない?そんな地名が南紀にあったのかきっとあったのだろうなんせ熊野だもん海のそばだか山の奥だかわかりゃしない下僕を寄越して電報を打たせる気が利かない電話がつうじないからこそ情報記録ぽんぽこりん装置送信そうしているのにチップもないくせにエラソーに水泳ぱんついっちょでどうして小銭が所有できよう一寸貸してよ厭よたとえ1セントだっていやだわいいじゃないかダーリンafter allたった50セントのことだろスマイルが呼んでんよ 待ってんよ出発してんだからたどりつかないといかんのさっして頂戴この旅を やめるわけにはいかないのぞくわけにはいかないかたりはじめる以前に帰途についてはならぬ沙汰やみにどこへかわからぬやみのよむにた闇の読むに似た病みのやまいや舞いしかど あらゆるコードが連関をもって意味のファントム肉体を構成してしまう段階を経ていちど試験管撹拌し混乱イニング裏からふたたび整列しわたしとまったくおなじ遺伝子をもつクローンが(此処にいる)わたしより少し遅れて彼の地で成長していることを知り対手にはひそかにしておもむくことにする ものかげよりガラスごしにうかがえば疾っくに細胞ではないかのじょは英語をあやつり(そりゃそーだ)わたしよりいくらか年下で(それもそーだ)なにかをコーディネートしがちなおふぃすをけんめいにやっているらしい苦手なのにな渉外障碍ひとづきあいは遺伝子に記載されていないのか いやかのじょもほんらいみにあわぬことをけんめいにやっているのだよ賢明にもよなよなよなよ仕事それが目的ではない わたしとかのじょのほかにもうひとり いるはずなのだ いるはずのない このよのものではない 精霊が ひとり そのこどもに遭わなければ 旅は終えられない ひとつのまるはない 一卵性双生児とてそれほど似ているものではないのだから こどもが どちらに似ているのかは本来どうでもいいことなのだが どーでもいいよにみえてじつは どーでもいくない むずかしいむずかる幼児コロコロかーとに載せてひいてやる ひいてもらう ひいてもらうのかひいてやるのかたぶんふたりのどちらが表になるのか裏になるのか双方髪が漆黒ベタ墨色だから並んで立っていると折り重なってひとりにみえる桎梏なさげにうっちゃりノンシャランに擦れ違いざまつぶやくHi!にHow are you doing?をつけくわえ いいからちったぁこんじょすえてけつあげろうごきはじめろ お尻かっちんリセットしてもいちどスタート スロウから徐々に加速せよ てんすうは勘定すなよ特質点のみに集中せよ 持ち駒に ならないカードはいくつある?
再見をきめる ために        離陸せよ
いまは    時の渦の ただなかにある

2019年11月18日月曜日

ちびこちびこ

とんとん一段降りるごとに肩叩かれる。死神に
とんとんとん踊り場をぐるっとまわれば殴られる。待ちかまえていた悪意に
とんとんとんとん急いで降りると足掬(すく)われる。悪戯小鬼に
とんとんとんとんとん
落ちれば5秒とかからない。
落ちるかもしれない と
落ちるに決まってる と
落ちることを知っている と
ああやはり 落ちることはわかっていた と
落下の蓋然性をめぐって
めぐりめぐるうち 知っていることを知らぬふりして
背後からつけてきている死神と
壁に塗りこめられた悪意と
段差に仕込まれている小鬼と
それでも我慢してつきあっていこうとするのは

ぶわぁぁぁっと黄色い土埃の舞い上がる分厚い あなたの匂いのカーテンの
襞につつまれ
心地良く血しぶきのスローモーションに酔い痴れて
ここがここ
ここしかないここ
いまがいま
いましかないいま
を確かめるためと 嘯(うそぶ)きながら
ときどきは不平を洩らしたくもなる。

あたまを撫でてくれ
と
しつこくしつこく要求したくもなる。
たぶんこの詰問口調があなたをうんざりさせるだろうと
なぜ撫でてくれないのか
しか囁くことのできないわたしを
それでも我慢して やしなっていこうとするのは

2019年11月10日日曜日

fragments

わたしたちは厳密な全体ではない

かたまりかけた豆腐のひとすくいを ふわっとテーブルのうえに盛りつけたように
部分部分がゆるやかにあわさって ようようひとつの全体として機能してはいるが
あちこちの部品やつなぎめが ほろほろ綻びかけたころあいをみはからって
遊離剤をくわえてばらばらにし
つながりをかるくたもちながらも
それぞれのパーツが自由に漿水のなかを ぷかぷかうかぶ諸島連合にしたところで
わるくなったところを取り除いて あたらしいものを補ったり
つなぎめを補強したり
部分部分を刷毛できれいにおそうじして 生気を注射したり
そのように全体をリフレッシュしてから
ふたたび凝固剤をくわえてかるくかため
うまくつながらないピースは 鋏で切ったり捨てたり
また新たな白紙のピースを補ったり
接着剤で接合したり
そうしてふたたび ひとつのものとして
ゆるくあわさった全体として
機能するなにものか にする。

そんなふうなものとして わたしたちは生きていける。

取り除かれた部分への郷愁もなく惜別もなく
あたらしいものへの感慨もなく歓迎もなく
ジグソーパズルほどにも 厳密でなく
粗忽な鋏で エイヤッと ピース切るええかげんさほどが
ゆるやかに たえず揺れうごいている やわらかさをたもつにふさわしい。

夜中
分解され排泄される部分部分が 大量の細かく薄いかけらになって
ところどころきらきら 記憶の反射光を呼び覚ましながら
さらさらと排気孔へと 流れ落ちてゆくのが聴こえる。
朝方
あたらしく挿入された部分部分が 真白い無関心の顔して
それぞれの場所に ぐつ悪げにおさまり
だんだん馴れて環境に応じて
赤く青くとりどりに だんだらに染まっていくのが 見わたせる。
夜明け
一旋ふと吹く感情のつむじ風に 呼吸器が一寸ふたがれ
ちいさな咳をして ふたたび常のように流れはじめる
血流の音に
みじかい永遠の
そのまた一瞬一瞬を微分した
ごくごく微細な断面のいたみを 思いやる。
それは
なんら 意味ある図形を 描いていない
にもかかわらず/だからこそ
如何ようにも 読みくだせる
抽象的なfigureである。
純にsignifiantな
第一の模様

とりわけ明るい眸をもつ解読者が必要だが
解読されると寿命がちぢむとでもいうのだろうか
野蛮人たる魂は
最も単純な構造をもつ 写真機のまなざしさえ 嫌がって拒むのではあるが。

それでもただに捨てられるばかりの断片を サンプルとしてわずかに謂集し
だましだまし撮影した無数の断片図像を 表層像として定着させ
できあがった無数の膜の断片を ひとつながりのなにものかとして再構築し
細長いテープに編集して リールに巻き取っていく。

さてさて お立ち会い!
どのようなおはなしがみえまするか
わたしたちのささやかな60年を わずか60分のフィルムにしたてあげて
何も語るな
何も読み取るな
ただ瞳を 曝してさえいればよろしい
というのは あまりに傲慢な 監督の態度である。

とりわけ暗い心室をもつ鑑定者が必要だが
鑑定されると かぎりある生命が果てしなく延びるとでもいうのだろうか
文明人たる魂は
最も簡単な操作が可能な映写機の介入さえ よろこんで いちいち だらしなく
身をゆだねるのではあるが。

そりゃ 豆腐よりは
暗闇のなかを一閃 はしりぬける光の波動として
histoireに銘記されるほうがかっこいい。
だけど
わたしたちのほとんどは それほど 重要では ない。
豆腐の蓋然性と
光の蓋然性と
誰もがふたつながら 持ちながら
光のほうは 日々無駄に流産し
ながしつづけているケースがほとんどである。
そりゃ かっこよさが
すべてでは ないけどさ。

 (そこに多声コーラスが入って)
 それでも だれしも
 めちゃくちゃに こんぐりがえった ノイズの 糸玉となって
 宇宙の複眼の 多重露光の いくつかのショットぐらいには
 互いに 捉えあって いるのである
 そして かる がるしい 糸玉どうしが
 もっとかるがるしく
 たぶん かっこよくなくてもいい
 それが しあわせ などとつぶやきながら
 もつれあい こすれあっているのであろう
 そりゃ しあわせだって
 すべてでは ないけどさ。

ふと とった 他人(ひと)の手の あたたかさが
ひとにぎりの つかのまの 妄想へとさそう
Tout とうとつに
ばか笑いしたくなるような

2019年10月21日月曜日

終わりのヴィルス

なぜ光は点滅するのだろう かげはかげとしてそのまま認識できないのだろう。なぜ
たったいま終わってしまったなにものかを 今まさに始まりつつあるなにかと
取り違えるのだろう。覚悟の欠け落ちた人間は
気づくのがいつも遅すぎる。気づいたころに
終わりは折れ重なってすでに到来していて
時の体内ふかく浸みこみ複製装置を蝕んでいる。ところどころ脱落し
誤って書き換えられたデジタル信号ほどナサケナイものはない。カウンターをこまめにリセットしても
つねにずれを生じるラップタイム。修正しようのないラグ。

除去しようのないバグ。ぞろぞろ這いずりまわるザムザ虫のこらずはぎとってしまわぬかぎり
この寝台にまれびとをむかえることはできない。めりこんだ背後から遊離し寝返りして
わたしを見据えるわたしの鏡像。光学効果をひとひねりくわえて
暗転する 見知らぬひとかげ

ショッピングセンターの柱の四面にぺったり貼りついた水たまりの
かげに予期せずすれちがうとき
わたしは人間の顔をしていない。
とうに時を終えてしまってあてなくはざまにあぶれた怪物の顔をしている。油滴ひとしずくたらして
うつるかげ

最も切実に関係するのに、わたしから最も遠いところでわたしと関係なく執りおこなわれる。わたしは
終わりに立ち会うことはできない。

壁にうずめこまれた死人の肖像画がもっとも人間らしい顔をそなえているのは
かれらが早めに終わりに気づいた聡明なひとびとだったからだ。
終わりをはじまりと勘違いするたびごとに怪物は醜くなる錠剤を一粒ひとつぶ
服用している。くすりが腕のすみずみにまでしみわたってどんより重たい

もちろん奇跡は きちんと端正に死んでいる人びとにしかおとずれないわけだし
奇跡を待ち臨むのもまたあさましい。迂濶きわまりなく
断片化し もうもとにもどせないまで書き込まれてしまった。記憶装置

ぶっこわれたなつかしの記録装置よろしく対向車線に渋滞したくるまの一台からたちのぼる女性性器の俗称の連呼に
あほがとわらいながらすれちがい終わってから そんながきっぽい
世界を構成する欲情の輪環のかたすみに
おなじように鈍くふるえている怪物の楽器もまたわたしのものだということに気づいて
ぞっとする。

確かに共振しているのにことさら誇らしく宣言しなければならない I can't hear you.
漸くたどりついた国境に飛行場の荒漠を支配しながら ざわめく あさましさに立ち会いながら
さて 出立しかねている ヴィルス熱に襲われて

瀉血しないとだめみたい
それとも血を注射する?
それともDNAファイルを差し換える?

2019年10月18日金曜日

濃密に負けまいとする

たがいちがいに不定形の帯をえがきながらやってくる稀薄と濃密に負けまいとする
力もたいしていれないのにたゆたいながら揺られながら
それでも流れにあらがう方向にむかって立ちつくしてしまう。

薄いから速いとも濃いから遅いともかぎらないし
重いから密とも軽いから稀ともかぎらないし
あ、ついでに、と思い出したように振り向いて付けなされる死の宣告
にたまたま向きあう方向に居あわせてしまう。

流れのそちこちにむすぼれとけぬよどみや渦ににた大きい小さい想いのつぶの輪郭の曖昧にぬれた塊を遺しながら
おもいぬられておみなえし流れていくのはだれなのか
みおつくしはどちらなのか
感情に全身びしょびしょにみたされ
みたされぬ愛にひたされ
ひたすら全霊を消尽して出会えばかならず暴力にぶつかってしまう
すれちがえばそのつどそのかずだけ泣いてしまう

流れの筋のわずかなすきまに祥福を透かしみて昏い明るいはただの落差である。すべてが反射し透過し遅延しながら到来する光であって
絶対光はどこにもみえないのに
うれしいときはそのつどそのかずだけ泣いてしまう
遅れながら泣いてしまう

2019年10月8日火曜日

try

現在(といっても今在るかどうかわからないが1997年4月1日小包を出しに行ったときは確かにあった)中央郵便局のあるところは(信頼できるといわれている)歴史教科書等によれば100年前から由緒ある中央郵便局であるということだが私にいまある記憶によれば30年前ここはたしかに1,000年前からここはこうだったとひとびとのいう果物卸売市場があった。ゆっくり移動撮影して7分25秒かかるほどの間口にドリーすべらせ何か寄生植物の蔓を編んだ籠をせなにオレンジ檸檬ライム西洋梨いちご杏さくらんぼアヴォカドまんごー芭蕉いろんなめずらしい果物の山とつみあげられたうえに美味しそうな白熱電球の美人ライト処々ともるひろい市場をあるきまわる。ここ1週間の滞在で見たことのなかったマンダリンがあるのをみつけへたくそな(現地に行ってからおぼえたばかりの)スペイン語で「どこの産か?」と問うと親爺は「中国産だ」という。小粒のふわっとしっかりした粒揃いに有田を見出していたわたしは重ねて「日本産ではないのか?」と問うと親爺は「ああそのとおりだ。中国の(なかの)日本だ」と答えるのでうつむいて言い訳がましく「わたしは日本人だから」と呟き「2kg頂戴」と籠をさしだす。秤に2kgぴったりのみかん籠に入れてもらい財布をさぐってお金を出そうとすると親爺はすでに市場の仲間たちとべつのおしゃべりに夢中になっていて此処1ヵ月まともな肉の配給がないとか今日はいよいよ塊肉が大量に出るらしいとかハムしか出ないのではないかとか豚のたべられないおまえは気の毒だとかハムを少しずつ削って夕食の貧しいおかずにするのはやりきれないとかひんぴんと受け渡されるハムの語感にぶっとい脚の筋肉ぷりぷり私を蹴ろうとして脹れ漲るのを感じ蹄がしゅわっと目の前とおりすぎるのをあやうく躱して私は出しかかっていたニッケル硬貨2枚引っ込め気づかれぬうちにとそそくさその場を離れる。結果的にただで手に入れたみかん背にコリント通り北へ進むと左手に酸性雨なみだたれる建国英雄の銅像といつもつるつるに磨かれている黒い石の碑があってあらかじめセットされたおざなりの花束とロウソクと泣き女(子供つき)が供えられている。ゆるやかに段をのぼり剣呑な石の喉元に籠のみかんをそのままざらんとあけてひとつかに重ねカンマがわりに手をあわせそれから自分のために3個だけ取り戻しいざりさがると2~3日前から耳について離れない声がまた執濃く囃したてるとられたものはとりかえせトランスポートとらまえるトラックにトライ・・・ざぶん!筒状に空洞になった情報端末に視線をくれ病状の宣告はあと2年の猶予をくれてもうこれいじょう睡れないわやわやといそがしくいごきまわるゆめをいちいちキャッチアップすることなどできぬ何いいだすかわからない渡来人たちのほこりに一人ひとりフォローすることなどできぬぼろぼろに穢されたうつろを抱え疲れ果ててヒジャブの少女をかどわかしてくる純情下劣にうちのめされどうにもならないどうやることもできないひとひとひとのみがわりにfuckfuckfuckをかさね無残な不潔な非人道的なここまで堕ちたくないとだれしもなぜおもうのだろう?生きるためにはどうして墜ちずにいなければ或る水準を保ってきしむ板を渡さねばならぬのだろう?ぎしぎし板をわざにゆるがせ錠をやぶるほどの酒かっくらって紫陽花をかかえたjohnnyは「今晩おれの子供が生まれたから」と嘘をのべて死をもてあそぶありふれたあかぬけないあかぎれたあそびにわたしを誘った。しょぼくれはてた贅沢にもゴールデン(すら)アンバーむさぼりそこがだれか高貴なひとの墓であることはまちがいないのに火の玉の人食い鬼のドルイド幽霊の俗説が圧し倒している天罰覿面ばちかぶりに剥き出しに曝されたごつい石をかさねた遺跡で夜明けを迎えて二人だらだらみかんの小袋を吸いながら春分だったらよかったのにねとなまりきった感覚をなぐさめあいつつかつての英語教師にwish you were hereをふくむ絵はがきを出しに中央郵便局へとまたロケバスを駆っていく。

2019年10月2日水曜日

ブランデンブルク協奏曲

(90年代)こもっていたその時期がいまから思えば「軽い鬱」だったかもしれないと本人が素人診断するのはホンモノの鬱レベルではなかったろうなということと(だって昼間にはそれなりに仕事もしていたし本人にはまともな意識があり周囲が気づいて病院に担ぎこむほどでもなかったということ)それがひとりきりの夜になるとたまらなく鬱の重みに押しつぶされる日々が続いていたことと。自殺念慮という症状があるわけだけどこれは経験した人にしかわかるめえ。「あ、自殺念慮キタ!これはいつもの鬱の症状でやばいから病院に駆け込もう」とか思える人はよほどその病気との付き合いが長くおそらく瀕死の体験も実際にして来ている人かもしれないとおもうけど、当時のわたしにそんな知恵はなく13階のベランダから身を躍らせる代わりに灰皿を投げていた。(いや、ほんまにそのことば通りに)。で、背中からしつこくしつこく重たく重たく迫ってくる鬱の重圧をなんとかやり過ごすために頼っていた最後のよりどころ(縋った藁しべ)が音楽で、そんなときに繰り返し繰り返し頼ったのがJoy Division(もちろん Ian Curtisが自死を遂げたことは知っててだからこそ身に沁みたとこもあったかも)と バッハのブランデルク協奏曲 。これはたんなる当時の私の感覚で根拠も何もないのだけれど、世間的に心を鎮めるのに良いとされるモーツァルトは当時の私の耳にはめちゃマッチョに聴こえ聴くに堪えなくて(当時の私を現実的に苦しめていたもの=迫害者はなにかマッチョ的なるものであった)それにくらべてバッハは女性的?(もしくは脱男性的)に聴こえていた。なかでもたまたま持ってたブランデルク協奏曲の4番5番6番をこの順で収録したTrevor Pinnock率いるThe English Concertの古楽器つかったCDはその再生頻度からして大袈裟に言えば(いやちいさく見積もっても)わたしの命を救ってくれたともいえます。夜中アンプのとこに駆け寄り背中まるめてヘッドホンで聴いてた自分の姿を第三者がみているように思い出すことができる。

2019年9月19日木曜日

抛物線

ととっととととトととととととととととととととっととト滑らかに抛物線をえがいてとんでいく宇宙の運命線を前にときどき時折に個にとり微分すれば個個にずれずれにずれそれそれに逸れながらすべての動線はある終点をめざしてたいくつに惰性で飛んでいく。つねに一定速度で跛行する紆余曲折しながらもひとつの方向をめざしてしか進まない悪癖めいた宇宙の法則。君の暢気な上目使いをだらしなくうけとめながらこの平和を不幸色で掻き乱してやりたくてたまらない衝動線を紫の爪先に挟んでなぞりながら、このグループみんなのあいだで愛されているひとに関して存在感まったく稀薄で銀髪ながくたらし白い薄葉の服が似合い全体的に透明で青白い雰囲気でなんで愛されているのかというと、それはこのグループの特質が、みんなで整列して前の人の背中にぴったりくっつく。くっついて肥ったひとは胎児型に丸まり痩せたひとはジャックナイフ型に折れピタっと前に重なり背後から重ね餅に重ねられ、気持ち良く半眼を瞑りどんどん重なっていくからだ。そうやってみんながかさむあいだにかれだけは稀薄な幽霊みたいにみんなの体をすり抜けていくことができるのでグループの接着剤として機能しうるのである。かれに優しく髪を撫でられながら一団のカナメとなる位置に鈍りになまった刃の惰眠を貪る君よ。終点がすぐそこに透けてみえる心細さも悲観も幸福の拒絶もただ一緒にいて一緒に心細がってなんて思わないの。接着霊に最も愛されていながらそれに気づかぬ君はかかっ呵々かかっかかかかかかかかかかかかかかっカカとわらっておればいい。かろやかに跛行する霊線を辿りながら

2019年9月15日日曜日

私は影が待てなくなる

私は影が待てなくなる。
こころの繊い夕暮れ土佐堀にうつる光の放射線をながめはしゃいでかしましく雲にかくれているよそさまの影が待てなくなる。
つるつる流れる若いきれいに栗色メッシュに染めた髪の毛いっぽんいっぽんに光の鼠をはしらせ boys きみたちの影が待てなくなる。
婁婁る艶めくほむらほのほの耀として消えなんとする刻いらだたしく喰いちぎりはむこうてゆかむとするをなつかしげにみやる我等が淑女あなたの影が待てなくなる。

私のあずかり知らぬ
勝手に世界はよそで厳密に織りあげられなお織りおり私はつねにゴミ除去され遅れて到着する。
預言は既に過去となる瞬間その隙間より遥かフィルムの瑕として固く硬く消し難く在るだろう。
間抜けな預言者は未来予知するつもりで過去から発散され夢かいまみたのち再度現われるのみ。
馬
逆周りにあらごうて荷馬車牽く馬
パラシュート
風ふくみ貧しい妊娠線ひきちぎらんとゆらがう白い布
蝦蛄のしっぽ
うごめく人のおよびかいくぐり男の口に咥えられうごめく魚の尾
ローヴァー

遅れること と引き延ばすこと の退屈な間隙
視界の端をトコトコ点線たどって走り去るローヴァーがいる。
この中間
とても待ってなんかいらんない
中立地帯
を待てなくて夢みるのだ
夢
宙にうつる
待ちくたびれた夢のなかを魚の浮きぶくろの弛緩してながく虚数ふきしきり
4台のローヴァーが通りかかった。
地下駐車場の黒はカラッポでうつくしい置き石としてふたりの暗黒人の銃による対決の書き割りとなる。
黄緑がかった子はケバケバしい青とローズの光のなかにやってらんねえよって顔して頻りに居場所を誤った。
ともだち家族がぎっしり詰まったビリジアンのミニ。ゾクっぽ~い
そして色わかぬ遂に見えない1台はコートダジュールの猫の彼方に掴み込められ伏してねたんで刻まれる。は
レルヤ
いちばん大切なのが見えない。見えないから色わからない。色はある。色はあるんだ。だって確かにあったのだからあるのだから。待てない先に見えないだけであって
私を決して乗せることのない
私が決して乗ることのない
小鬼の運転する走る止まる壊れる燃えるそのうごきだけが灰白質に目撃され
夢が夢だと分別さす徴として四海の橋を架け駆け賭けぬけていく。

待っても待っても待ち人は背後にいる。影を
待てなくなる私をつらぬいていく
馬
馬の影
たった一頭の馬の
私は影が待てなくなる。
うしろへ

2019年9月13日金曜日

13階の視線

うーん、自己憐憫ととられずにこの話ができるかどうか・・。

学生時代に住んでいた京都から自覚的に住む場所を選び直したとき、出身は兵庫県だけど実質は大阪の辺境の出だったもので、大阪らしい大阪の下町に住みたくてそういう街を探し、うっかり4号棟の13階という物件を抽き当て、地名を見てもなんだかさる歴史上の人物の怨念に関係ありそうな地名で、そんな迷信に気をとられるのは馬鹿げているとはわかっていながら、入居して数年経ってある人生のカタストロフに遭遇。それからまたしばらくあって阪神淡路大震災があり、けっきょくは「その後」の人生を長く身を潜めて生きるみたいな意識で長々とその時期を過ごしてしまいました。
いまから思うと軽い鬱もあったのかなぁ・・摂食障害もやってたし。

時期の変遷を画するのが相棒のパソコンで。最初期はNEC機にBASICで命令して遊んでた頃、MS-DOS、フロッピーディスク、友人や仕事の取引先に勧められてマッキントッシュに趣旨替え。あとはマックひとすじ(アンチWindows)、パソコン通信には手を出さなかったのでマック機のときにインターネットに接続し始め、それからネット付き合いが広がりはじめたところまで・・。
911(英語で読んでくれ)からそういえばもう18年経つのだねぇ・・と一昨日語学の先生と話をしていてその911のときにまさしくNYに住んでいてまさしくあのビルに職場のあったネット友達ほか数人で当時ウェブチャットよりも早かったナントカという仕組みのチャットで刻々現地の様子を知らせてもらいパソコンに張りついてたことを思い出します。
となると2000年代に入ってからはもう回復期か・・それまでは振り返ればホントに沈潜期。なーんも生産的なことしてないし上昇も成長もしてない。普通の人のライフステージでいえば最も生産的であるべき年齢層をそんなふうに過ごしてしまったことはいまからおもえば痛恨の極みでとても他人(ひと)には勧められないけれど、これもまた迷信的にいえば宿命でもあったのでしょうか・・。

その場に住んでいた頃の意識を「13階の視線」「13階の死線」と呼んでました。13階のベランダに立つと川が見下ろされ東向きなので向こうの山が白みはじめ暁どきから日の出が見渡される。わたしはいつここから落ちてもおかしくないしふと落ちたくなる衝動にかられるかもしれない。恐怖であるとともに恍惚でもありました。だからベランダに立つことは怖くてようせんかった。その身代わりとしていろんなもの投げ落としましたな・・。

2019年9月11日水曜日

マイ オウルド シルヴァ フレイム

よそゆき仕度できました
Tさんがお連れくださるというのですものどこへでもまいりますわ。うふふふふふふふ・・・女はわらって帯を解く。
おいおいおいおいそれはよそゆき仕度を解いているのではないのかい
武装解除は攻撃のしるし男はだまって身構える。緑の矢ふりしきる滴りの野原において

広津神社境内ななめに横切り感情の刃先につとふれてから石段をおりていく蝸牛にあいさつをわすれ
眼下におさえる善美堂にめばりをくっきりいれた若侍のゆうれいが透りぬける。
侍の名は○○△△××衛門と記載したところでゆめまぼろしだから瞬時伏せ字にかわり
菊さまの表札を(まだご健在かと)そっと確認してからゆるゆるおりていく蒼谷の砂利道でいつもながれていた。
いつもかすんでいた。
僕の
マイ オウルド シルヴァ フレイム

そこできまって草履をなくしたといいつのるのだ。どうしてくれるのよ草履がないと歩けないじゃないの!どうしてくれるのよ大事な草履なのに?!
え?なくしたのはおれのせいなの?
だってここまでつれてきてから・・・ついてきたのはだれだってんだ?阿呆くさと顔をそむける。
だって草履がないと歩けないじゃないの!歩けない草履がないと歩けない・・・あとは涙とリフレイン 草履がないと・・・草履がないと・・・草履がないと・・・
ここは夢なので同情もしないし実務的な対応もしない。それどころかあまりの阿呆らしさに吐き気をおぼえ・・ここでお助けばあさんでも飛んでこないことには話にもなんにもなりゃしないが
そんな都合のいいもんは天からも地からも勿論かなたからもあらわれず
びっこひく二人三脚ひこひこひきずりながら哀れを全身にした
泣く女
に
男はひたすら
平身低頭

おぼえているのは 女のひかがみ 男のぼんのくぼ
ふたりの ひょこんとくぼんだ箇所に ひゅんとたましいがすいこまれて たゆたい
つかのま すくせがふれあった。
ぼんのくぼ とろんと伸びる六角形帽子の吸い込まれていく白壁のお堂を向こうに見てからに
黄金色の枯葉の裏山に這い登るくるぶし白足袋はぐじょぐじょ銀鼠によごれてぬれて裾からげ
ふくらはぎ ひかがみ いたいけに伸ばしきり ゆるやかな坂ひとのぼりひとのぼり 大股の男にふーふー追いつきながら喘ぎ喘ぎの合間合間に一齣一齣わたしの罪を数えあげてみせるのだ。嫁入り支度にもってきた乳白硝子の金魚鉢粉々に壊してしまった・おとうさんの写真をいれてた銀の額縁失くしてしまった・大切に窓辺に吊りさげていた薔薇の枯花ぱりぱりに割ってしまった・つるつるに磨いた赤林檎たべてしまった・お気に入りの天竺鼠の毛皮の靴取りあげてしまった・・・わざとじゃないわざとじゃないって幾度も幾度も謝ったじゃないか・・その代わりじゃんけんに勝ったらぴかぴかの緑の靴をくれるって約束だったわ・あたしずっと以前に勝ってたのにいざ頂戴っていうと引換期限はとっくに過ぎているからってくれなかった・・いまごろそんなこと言われたって・・おまけに頂戴頂戴ってその場を動かないあたしを物乞いのように餓鬼のように扱ったわ・秘書があたしを目の仇にして憎々しげに追い出しましょうかというのを止めもしなかった・・そりゃ状況をはたから冷静に公平に見りゃあんたは単に卑しいさもしい性悪女でしかなく・でも俺だけは事情を知っているのだからそれでいいじゃないか・・知ってて言わないのは卑怯よ・あたし悔しくて悔しくて足摺りして悔しがってもあなたはあたしを冷たく見おろすだけ・・見おろしてなんかいないただ気の毒だと思う・・それが見おろしてるっていうのよ恨みつらみ妬み嫉み僻み自己卑下どうせあたしなんか低脳無知の哀れな女だとおもってるわけ・・だけどもう緑の靴はあげられない期限切れだから気の毒だと思うけど・・たったひとそろいの緑の靴よ・それだけそれだけそれだけなのに・・・長々長々長々続く追っかけっこ。
もうそこまでは側溝も疎水も水道橋も通じていない奥山にこれほどまでに踏みこむまでにふたり彷徨い来た末に
わたしがついに根負けして平身低頭するまでに。
あなたは勝ち誇った顔面つきあげさらに大泣きに泣き崩れ
せなかからおおう全身で敗北をあらたにする。

ちろちろ燃ゆる銀のほむら女神の立ちつくすてっぺんにまでいちどもいったことがなかった
ままに もう銀は錆び ほのおもひくく消えかけて
あおぎみても頂上はもうみえない

平身低頭
するほうが勝っている。
という世にもありふれた人の世の法則の卑猥卑俗卑近ぶりにふたりして唖然呆然うちひしがれながらもやっぱり僕は
平身低頭するしかないのだよ。どっちが
勝った負けたしかなかったね。君と僕とのあいだでは

2019年8月30日金曜日

瘤のある自画像

まずアンバー。
アンバーをダークに溶く
次第にダークに
底辺にはチャコールグレーをすこし毛羽だたせ
黒いシルエットとの境界線はくっきり
うえのほうは光色の黄を刷き
うっすらなでしこ
それから
灰色のまじったみずいろ。
みずいろ
みずいろはだんだん
上方にむかってだんだんインディゴブルーに
深くなる。
(どうしてこんな色に出会えるんだろう)
(どうして・・・)
のスキマに
ふいに鏡面が割りこむ。
白く白いハイライトを点々と置いてゆきながら
ゆれるチャコール
ゆれるアンバー
ゆれる黄
ゆれる水色
そしてインディゴ
そのつどあたらしい
波うつ水面
またふいに消え去る。
「うし」というコトバが
こないだから肩胛骨の内側あたりに
滞留している。
かたく
確実な質量をもち
おもく
輪郭をもって
そこに居住しているが
ちっとも不快ではない。
くくくくくく・・・とふくみわらいがもれそうな諧謔とメランコリーを帯びて
「うし」
「うし」
と自ら発音される
「うし」は
いまにも腿の前面あたりに第2の出張所を
ヒップのえくぼのあたりに第3の出張所をつくって
子分たちを送り出しそうな勢いである。
暴力団的に自動的に描かれるポートレートに
「うし」という瘤が
複数で
不法滞在する。
あちこちで勝手に
「うし」
「うし」と
自ら発声する。
いつか移動する日まで
そしてまたふいに現前する
アンバーと黄のひかりとブルーとは
あおじろく放電する一定の厚みをもった狭めの肩と
くろく繊いくるぶしと
スローハンド早撃ちする恐怖のまなざしをそなえて
ひとをその場に凍らせたあげく
まったく不似合いな優しいコトバをくちにする。
目的語をとらない「愛する」
そういえば
フランス語の動詞の変化はまずこれで学ぶのである。
目的語をとらない「愛する」
日本語にはないコトバ
きのうはもっとのんびりしてて
「ひとはひとをいとおしくおもうものである」
という述懐のうらに
きょうは
「だれからものぞまれないひと」
があって
ひとりでにうごきだす。
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