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2019年12月26日木曜日

時間の持続

こんなこと経験ある人はみな知ってることでめずらしくも何ともないだろうけど・・。
全身麻酔手術受けてみて初めて知ってびっくりしたこと。
麻酔かかってる間って、自分のなかで時間が進んでいないのね。
先に注射打たれて数を数えあげてる間に意識がなくなったという自覚はあって、次目覚めたとき、意識は眠りに落ちた時点から直に繋がってて、「あれ?今から手術始めるのかな?」とか思ってると「無事に終わりましたよ」と言われる。
眠ってたあいだの時間の感覚がなく(夢ももちろん見てないし持続した感じがなく)その間の時間をごっそり盗まれたような感じ。麻酔にかかってる間も睡眠と同じように(夢でも見ながら)とろとろと時間が過ぎていくものだと想像してたら、全く違ってた・・。
昏睡状態の人の意識もそうだろうか?

2019年12月22日日曜日

患者第一?

ときどき「医者は患者の命(利益)を最優先する(べきだ)」と信じているひとがいてびっくりすることがある。医者は人間の命を救うことを第一の目標/動機に仕事をしていることを信じているし、そうでない医者は医者失格だとでも思っている。
そうじゃないことは実際に医者と接していればすぐわかる。(もちろん辺境の医者や町医者と専門性の高い医者とではそれぞれありようが異なるだろうけど)。医者はそれぞれの専門によって異なるそれぞれのプロフェッショナリズムの内部に第一の動機も目標も、また矜恃も持っている。「患者の命」とか患者の利益とかはそれじたいを目標とするものではなく、医者が医者としての最善を尽くしたあとから結果的についてくるといったところだろう。(たとえば災害や紛争など究極の条件下にあって目の前の命を救わなければといった切迫した場面にあってさえ、そのとき医者の考えることは「自分に何ができるか」であって「どんな手段を使ってでも(極端にいえば自分の命を投げうってでも)この人を救いたい」ではないだろう。)
もちろん医者が医者という職業を志した最初の動機に「人の命を救いたい」「人に奉仕したい」という心があるだろうことは否定しない。あらゆる「奉仕(サーヴィス)」業の根っこにはそれがあるだろうから。しかし、その動機から職業(プロフェッショナル)として「医師」を選択した時点で、そして「医師」として立派に一人立ちしたときから、その人は、ただただ盲目的に人に奉仕するだけの者ではなく、一人のプロになっていますぜ。
そして、そのことはちっとも悪いことではない。オートバイを作るのがものすごく好きなホンダさんという人がいて、そのひとは消費者の存在なんて意に介さず、ひたすら自分の気に入る良いオートバイを作りたいと念じて製作に励む。そのひとが創造力に優れていて、また運が良ければ、これまで世に阿るようにつくられてきた製品とは格段に異なる画期的な製品が生まれるだろう。消費者はそのひとたちのプロとしての仕事から、自分にとって利益になる部分を都合良くもらってくればいいだけの話である。
オートバイづくりとはちがって医者の仕事は患者の身体という場をフィールドにしているし、医療にかぎらずサーヴィス業というのは消費者それぞれについて商品であるサーヴィスの内容が異なって当然でもあるし、医者と患者が少しずつ接触を重ねつつ、それぞれの要求や利害をすりあわせつつ、少しずつ微調整を繰り返しながら、実際の医療サーヴィスは遂行されていくものなんだろう。
大勢の患者が集まる病院では、一人ひとりの患者の利益を最優先することなど不可能だから、それこそ調整が必要で、どこまで自分の都合を押し通すのか、どこまでの不都合を受け容れるのか、わがままと言われるのを恐れずにどんどん要求したほうがいいみたい。単に病院の都合で不都合を強いられているのに、「これは先生(医者)がわたし/あなた(患者)のことを考えてくれてこのようにしてくれているのよ」「わたし/あなた(患者)には理解できないところもあるけどきっとこれが最善の道なのよ」とかわざわざ医者/病院の都合の良いように考えてあげる(たぶん患者の不安をのぞいてあげるための善意でもあるんだろうけど)ひとなどを見ていると、意地悪なわたしは横から口を挟んで「ちがいますよ」と冷たく言ってやりたくなるのだが(笑)、患者の気持ちを考えるとそんなこと言っちゃいけないんでしょね。どうも患者同士のなぐさめあい、周りの近親者が患者をなだめるために口々に言うことなどは、この種の欺瞞に満ちていて気にくわない。
患者と医者と(また病院と)利害がはっきり対立したり思惑がずれたりすることは当然のことなのであって、医者は「わたしはあなた(患者)のことを第一に考えてるんですよ」などと嘘をつくべきではないし、患者の側も「全幅の信頼」なんて医者に押しつけるべきではないだろう。いまだにびっくりするほどナイーブな人がいて、「先生のおっしゃることにまちがいはないから…」「先生がわたしにとって最善の道を勧めてくださるから…」と信じている患者とか、ろくに説明もせず(インフォームドコンセントをなおざりにして)「君は何も心配しなくていいから」「安心してわたしに任せていればいいから」とのたまう“名医”とかがいるらしい。そんな名医に全幅の信頼とやらを預けてそれが裏切られればなにもかもチャラのように言うひともいるが、そもそもそんな“信頼”があるかのように振る舞うほうがまちがっている。必要なコミュニケーションをせず、お互いに勝手な幻想を抱いてそれぞれが自分の都合の良いように考えているだけの信頼なんてもとから信頼じゃないぜ。
あらかじめ「各々の利害は異なる」という互いの了解があってこそ、きちんとコミュニケーションができる。互いの立場や条件、それぞれの意思を確認し、そのうえで、いろんな調整も関係も契約もできていくわけなんだから。そのコミュニケーションのベースになるのが、誠実であるとか、正直であるとか、互いを思いやることができるとか、そういう人間性への信頼ではないのかね。

2019年10月2日水曜日

ブランデンブルク協奏曲

(90年代)こもっていたその時期がいまから思えば「軽い鬱」だったかもしれないと本人が素人診断するのはホンモノの鬱レベルではなかったろうなということと(だって昼間にはそれなりに仕事もしていたし本人にはまともな意識があり周囲が気づいて病院に担ぎこむほどでもなかったということ)それがひとりきりの夜になるとたまらなく鬱の重みに押しつぶされる日々が続いていたことと。自殺念慮という症状があるわけだけどこれは経験した人にしかわかるめえ。「あ、自殺念慮キタ!これはいつもの鬱の症状でやばいから病院に駆け込もう」とか思える人はよほどその病気との付き合いが長くおそらく瀕死の体験も実際にして来ている人かもしれないとおもうけど、当時のわたしにそんな知恵はなく13階のベランダから身を躍らせる代わりに灰皿を投げていた。(いや、ほんまにそのことば通りに)。で、背中からしつこくしつこく重たく重たく迫ってくる鬱の重圧をなんとかやり過ごすために頼っていた最後のよりどころ(縋った藁しべ)が音楽で、そんなときに繰り返し繰り返し頼ったのがJoy Division(もちろん Ian Curtisが自死を遂げたことは知っててだからこそ身に沁みたとこもあったかも)と バッハのブランデルク協奏曲 。これはたんなる当時の私の感覚で根拠も何もないのだけれど、世間的に心を鎮めるのに良いとされるモーツァルトは当時の私の耳にはめちゃマッチョに聴こえ聴くに堪えなくて(当時の私を現実的に苦しめていたもの=迫害者はなにかマッチョ的なるものであった)それにくらべてバッハは女性的?(もしくは脱男性的)に聴こえていた。なかでもたまたま持ってたブランデルク協奏曲の4番5番6番をこの順で収録したTrevor Pinnock率いるThe English Concertの古楽器つかったCDはその再生頻度からして大袈裟に言えば(いやちいさく見積もっても)わたしの命を救ってくれたともいえます。夜中アンプのとこに駆け寄り背中まるめてヘッドホンで聴いてた自分の姿を第三者がみているように思い出すことができる。

2019年9月22日日曜日

闘病とは言わんぞ

(これ書いたときから13年経ってますが状況あんまり変わってないですかね?)
いまでも普通の(自分や近親者が癌になったことのない)人たちには「癌=死病」というイメージがあるかもしれないし、もちろん今でも治療困難で間近な死が避けられない癌もたくさんあるけど、たとえば映画になった『阿弥陀堂だより』など南木佳士さん(もともとお医者さん)の小説を読んでたりすると、ひと昔前の医者たちの意識、患者やその周囲の人たちの意識はこうだったのねぇ〜という「明治は遠くなりにけり」的な感慨しか思い浮かばん。思いっきりええかげんにいえば「そんなに深刻にならんでもええのに...」という感じ。
もちろんこのかんの医学的治療的環境の変化はすごく大きい。オールマイティな特効薬とか画期的な治療法とかが発明されたわけではないが、癌もエイズも知らん間に患者がなかなか死ななくなったのは、いくつものいくつものいくつもの新薬や治療法が発明・発見されていて、どれもが「決定打」ではないにせよ、取っ替え引っ替え使ってなんとかコントロールしていくうちに、自然の寿命と等しくなるぐらいになっているという算段。
それもあるが、たとえ死が避けられない場合でも、死そのものに対する意識、あるいは死を迎える意識も変わってきたような気がする。死というものはそれほど深刻なものではない、必ずしも悲劇というわけではない、なにか軽快なもの、ポップなもの、場合によっては楽しみに待つべきもの…でさえあるかもしれない。
「生」の側にあくまで固執すること(死すべき患者を生の側に引き戻すこと)が「癌」(病、死)との闘いであり、それに敗北することは絶対的に避けたいことであり、敗北、降伏は圧倒的である・・・とかいうんじゃなく、少なくとも、果敢に闘うばかりが肯定されるべきではなく、苦しんで苦しんで最後まで苦しく生きるよりは、楽に死を迎えるほうがいい場合だってあるじゃないという意識も確かにあって、むしろ肯定的に捉えられていますな。周りが本人に押しつけるのはよくないと思うけど・・ただ現実には(特に日本では?)周りが勝手に押しつける「尊厳死」も多いようではある。
いや実は、あくまで生に固執する「闘病」的意識こそ、近代のある一瞬に特有の特殊な意識であって、実はその前の時代はずーっと人類にとって「死」はもっと仲良しさんだった気もしないでもないのだが...。

2019年9月13日金曜日

13階の視線

うーん、自己憐憫ととられずにこの話ができるかどうか・・。

学生時代に住んでいた京都から自覚的に住む場所を選び直したとき、出身は兵庫県だけど実質は大阪の辺境の出だったもので、大阪らしい大阪の下町に住みたくてそういう街を探し、うっかり4号棟の13階という物件を抽き当て、地名を見てもなんだかさる歴史上の人物の怨念に関係ありそうな地名で、そんな迷信に気をとられるのは馬鹿げているとはわかっていながら、入居して数年経ってある人生のカタストロフに遭遇。それからまたしばらくあって阪神淡路大震災があり、けっきょくは「その後」の人生を長く身を潜めて生きるみたいな意識で長々とその時期を過ごしてしまいました。
いまから思うと軽い鬱もあったのかなぁ・・摂食障害もやってたし。

時期の変遷を画するのが相棒のパソコンで。最初期はNEC機にBASICで命令して遊んでた頃、MS-DOS、フロッピーディスク、友人や仕事の取引先に勧められてマッキントッシュに趣旨替え。あとはマックひとすじ(アンチWindows)、パソコン通信には手を出さなかったのでマック機のときにインターネットに接続し始め、それからネット付き合いが広がりはじめたところまで・・。
911(英語で読んでくれ)からそういえばもう18年経つのだねぇ・・と一昨日語学の先生と話をしていてその911のときにまさしくNYに住んでいてまさしくあのビルに職場のあったネット友達ほか数人で当時ウェブチャットよりも早かったナントカという仕組みのチャットで刻々現地の様子を知らせてもらいパソコンに張りついてたことを思い出します。
となると2000年代に入ってからはもう回復期か・・それまでは振り返ればホントに沈潜期。なーんも生産的なことしてないし上昇も成長もしてない。普通の人のライフステージでいえば最も生産的であるべき年齢層をそんなふうに過ごしてしまったことはいまからおもえば痛恨の極みでとても他人(ひと)には勧められないけれど、これもまた迷信的にいえば宿命でもあったのでしょうか・・。

その場に住んでいた頃の意識を「13階の視線」「13階の死線」と呼んでました。13階のベランダに立つと川が見下ろされ東向きなので向こうの山が白みはじめ暁どきから日の出が見渡される。わたしはいつここから落ちてもおかしくないしふと落ちたくなる衝動にかられるかもしれない。恐怖であるとともに恍惚でもありました。だからベランダに立つことは怖くてようせんかった。その身代わりとしていろんなもの投げ落としましたな・・。

2019年9月8日日曜日

て、インパクトあるタイトルですねぇ・・。
とはいえ最新の生存率データによれば(種類にもよるけどわたしのやったのなんかは)、もはやまったく死病でもなんでもないのですけどね。
そもそも癌って漢字の字面が凶々しく、いかにも死に至る岩の塊って感じ。でも英語(や主な西洋語では)ただの可愛い「カニさん」ですから。ま、しかし英語(や西洋語)ネイティブにとって「蟹」が可愛いかどうかはわからんか。彼らにとって蟹はやっぱり凶々しく長い肢を広げて死病を身体に張りつける存在なのかもしれないし・・。(しかしいつも思うんだけど英語(や西洋語)話者が星座を聞かれて、「蟹座」と答えないといけない人はその語感を気にしたりしないんだろうか?「あなた何座?」「cancer」だなんてね。)
話がずれた。tarahine(ブログ連載中のタイトルは『85歳からダンス』)という連作のテーマは「身体」ですからして病気の話は避けて通れません。
筆者が別のハンドルネームでやってたフェミニズムのサイトで「絶対書いてね」とエールを送られ「絶対書くから」と約束した以上ぜったい書くつもりでいるし、そしてどうせ書くなら当たり前の闘病記だの病気がモチーフの(口当たりの良い)物語だのにはしたくないし。
常々世間にある闘病記だの闘病ドキュメントだの物語の中でギミックとして使われるケース(少女マンガの白血病といえば定番でしたもんね)は言うに及ばず、真面目にテーマやモチーフに織り込んだ物語とかノンフィクションとかでさえ、何を読んでも何を見ても、この病気の語られ方そして読み取られ方が、いったん当事者になってみるとものすごく違和感のあるものなのです。(と、これは多かれ少なかれ当事者になったことのある方ならみんな感じておられると思う)。
描かれる細部がやっぱり微妙に違ってたりずれてたり(物語の鍵になってる部分にそういう間違いがあると目も当てられないし)、また端的に患者はすべて健気に癌と闘う悲劇のヒロインとはかぎらないし(筆者は少なくともちがうし)。・・ただスーザン・ソンタグではないがやはり隠喩としての病という側面はあるかもしれない・・それはまた追い追い書いていきますが。
2つ前のエントリーにある「瘤のある自画像 」という詩を書いたときにはまったく気づいてなかったけどこれはあきらかに事態を預言していたことになるし・・。
で、これはちゃんと言っておかないといけませんが、(これを言うためのエントリーでもあるのですが)、現実の筆者の状態はこれを書いてる時点で初発も再発も無事乗り越えて長期寛解状態が長く続いています。(定義上「完治」とは言えないんです)。まあ立派にサバイブしたものと考えられますので、どうぞご心配なく。
なおtarahineの連作はフィクションの嘘日記で主人公は現実の筆者であって筆者でありませんので全てが筆者の体験とは限りません。念の為

2019年9月1日日曜日

その後のその後

 「局所再発は全身再発の一症状であることも、局所再発のみの場合もあります。後者の場合は手術や、放射線治療により治癒します。3cm 以下の胸壁再発、腋窩リンパ節または内胸リンパ節の再発(鎖骨上リンパ節再発は予後不良)、無再発期間が2年以上の場合は予後が良好なことが多いです。このような人の5年無再発率(新たな局所再発または遠隔再発)はある最近のデ−タによれば25%、10年無再発率は15%である、10年の局所コントロ−ル率は57%です。」----(アメリカの医療文書の翻訳)※南雲吉則・川端英孝氏による。
べつの資料によればIIIB(遠隔転移なくリンパ節への局所再発)で5年生存率35%,10年生存率20%。5年後生きてる確率1/3か。10年間のパスポートを使い切れる確率は2割か。それにしてもこのおなじ文書が「再発乳ガンはしばしば治療に反応しますが、治癒することは稀です」で始まってんだもんな。
 わたしはすでにわたしの晩年期にはいっている。
 なんで85歳かというとお役所の出してる日本人の簡易生命表というデータで見ると女85歳の平均余命がだいたい7.5年ぐらい(じわじわ延びてはいるが)だからだ。
 統計には疎いもんで「平均」とかこういう概念には弱いけど、ま、そんなもんと思っといてまちがいないでしょ、と見通したてる。
 ふつうの85歳でどうでしょうね。ふだんが健康なら、なんとなくここまで生きたんだからあと10年ぐらいは悠々生きられるような感じがある。だけど20年は生きられないんじゃないかって気もしてる。だけどひょっとしたら100歳越えてしまうかも…という気も一方ではあるかもしれない。それは、でもむしろ長生きリスクか。ひょっとしたら来年、再来年ぐらいにでも病気して、ぽっくり逝ってしまえるかも。そういうほうが楽かも…とも思っているかも。
 たぶんわたしもそんな感じ。10年は楽々いきそうだけど20年は生きられないかも。来年再来年にでも(いや明日にでも)また再発・転移が見つかれば、やばいとこだったらそれから1カ月とか1年以内とか3年とか5年とか…。
 とりあえず、今日明日に死ぬことはないだろう(もちろんほかの病気や事故ってこともありうるが)。今週はだいじょぶだろう。といいつつ、新たな日、新たな週を迎えている。ああ、今日も無事。明日も無事そう…。
 いつやってくるのか、確率はわかるようでわからない。自分に起こることはそれかそれでないか二者択一であってシュレジンガーの猫みたいに50%の確率で生きてるなんてありえないもんな。ぜったい当たる占いじゃあるまいし確実にわかるわけはない。遠いようで近い。死の姿を、ごく間近に感じたときと間遠に感じるときがある。その距離感。

PS : これ書いた時点から数値ははるかに改善されてるはずです。念のため。

2019年7月26日金曜日

医の善意を疑え

 先般のエントリーは医学的ロゴスがしっかりした倫理で縛られており個々の医師の動機が善意・誠意で支えられていることを最低限の条件として語ったものだけど、もちろん世の中には悪徳医師も欲得医師もいるしそれ以前に医の世界であっても資本主義の論理、金儲けの動機から自由でいられるわけがないのであって・・それはまた別の話。
 もういまさら言っても詮無いことかもしれないが、ひところのピンクリボン運動に当の当事者らに(t...も含めて)冷淡な者が多かったのもその事情。「癌は早期発見・早期治療が大切」とか「乳癌を早期発見するためにマンモグラフィー検診を」とか、100%間違っているとは言えないもののかなりの程度で怪しい(どれくらいの程度正しくてどれくらい怪しいかは諸説あるので決めつけずにおくけど)言説を100%正しいかのように言いたててキャンペーン張るのは、これはどう考えてもマンモグラフィというかなり高価な機械をどんどん売るための宣伝戦略としか見えなかった。ちなみに受けたことない人は知らないだろうけど、あれが平気だという人ももちろんいるだろうけど、あんな心身ともに苦痛を強いる検査はもう二度とまっぴらごめんだねという人も多いはず。世の中にはもっと楽な検査(エコーとか)もお安い検査(エコーとか)もタダの検査(自分で触る)だってあることをもっと周知させたほうがいいんじゃないの。さらにマンモはこれまでは見落とされてきたステージ1未満の癌のタネも見つけてしまい、そんなもん当面放っておいても問題ないかもしれないのに、見つかってしまった以上放っておくというわけにもいかないということで治療の機会が増えてしまう(=医師のお仕事が増える)ことにもなるのではないか。このあたり善意と誠意の医師からは猛反論ありそうな気もするが・・。
 あと、新薬が開発されてから(そのお薬が効く)新しい病気が発見されるというのもよく知られた話で、新しい病気は言い過ぎであっても、これまで放っておかれてたようなちょっとした不具合がいきなり病気としてクローズアップ(ちなみにクロースアップが正しい発音)されて、治療せずにはおかれないような気にさせられてしまう。もちろん新薬をどんどん売るための宣伝キャンペーンなわけです。その病気を放置することによるデメリットと、新薬の副作用などのデメリットの軽重を比較するなんてことは決して勧められず、その病気を退治することが国民的一大事であるようなキャンペーンが張られる・・。(具体的に何のことを言ってるかおわかりだろうか・・)。

2019年7月25日木曜日

医学的ロゴスに抵抗する(承前)

先日見たカナダ映画。主人公はMtFをめざして加療中の少女。つまり男の体をもって生まれたものの心は女で、体も女になるべく治療中。物語の前半は頑張り屋さんの主人公が生き甲斐とするバレエに打ち込みさまざまな困難にぶちあたりつつも前向きな方向で終わるんだろうなと思わせる展開。ところが後半になるにつれ雲行きが怪しくなり遂に訪れたカタストロフでヒロインは思わぬ選択を果たす。たぶん普通の観客が見れば、あああ自暴自棄になっちゃって衝動的に飛んでもないことやらかしちゃったな・・と思いかねない行為に走る。ところが、わたしが見るに、これは、はっきり明晰な意識のもとに選びとられた彼女の選択なのだ。彼女に「(彼女にとっての)最善の道」を示唆し提案する医学的ロゴスに対するみごとな反抗。鮮やかな逸脱であり、飛翔である。一見非合理このうえなく野蛮そのものの行為であるけれど・・。(でも現実には良い子は真似しちゃダメよ。)
       
informed consentの考えかたと実践はまぁ行き渡って久しいと思う。のっけから「ぜんぶ先生(主治医)にお任せします。私たち(患者とその家族)はなんでも先生の言う通りにしますので・・」とやって、その場で患者本人に怒られた(ついでに医師にも諭された)t...の母みたいな人はいまでは少ないだろう。(それでもいまだに現人神みたいに振る舞う医師とかそれに盲目的に従う患者の話は聞かんでもないけど)。しかし患者のことを全人的に思い遣ることのできる完璧に良心的な医師がそれをやるのでさえ、consentの場は医学的ロゴスの支配する場である。ロゴスに習熟し十分な経験と知見のもとにおこなわれる医師の示唆と提案のまえに、患者ができる選択といえば、せいぜい自分のニーズのどこを優先させたいかという程度のことで、実際には治療の主導権とか決定権とかを本当の意味で患者本人が握るのは難しい。
だからといって医学的ロゴスの支配に一方的に服(まつろ)うばかりではイケナイのである。それが正しければ正しいほど・・あらゆる数値や確率やエヴィデンスでもってその合理性を堅牢にすればするほど・・。
ことに精神の病に苦しむ人を見ていれば如実にわかる。医学的ロゴスは人間の身体を管理しやすいもの困った問題を起こしにくいものに改変し収束させていく。「その方が患者本人も生き易いでしょ辛くないでしょ」という善意のもとに。ところが人間の生身の体は入ってくる異物(薬剤)に物言わず抵抗する。いわゆる耐性ができて医学的ロゴスが要求する平衡状態を保つためにだんだん薬剤量は増えていく。結果「薬漬け」という状態ができてしまう。精神の病にかぎらず、普通の人でも生活のあらゆる側面で(ちょっと眠れないとか気分がすぐれないとかちょっと便秘気味とか風邪気味とかいうだけで)薬によるコントロールが習慣化されている米国のような国では、薬漬けの平衡状態を保ってる人が多いんだろうなぁと推測する。いったん薬漬け平衡ができてしまうとその平衡を保つためには薬の量は増えるばかりなのであって、そこから脱却するには、あるときそれこそ英雄的な決心をして、体に理不尽な苦痛を強いることになろうとも減薬だの断薬だのをすることが必要になるのだろう。それは、はっきり医師以上の専門知識で武装して医師に対峙しようというN...(ちなみにアメリカ在住・日米ハーフのアメリカ人)のような姿勢がもっとも望ましいかもしれないけど、本当の意味でここから脱けようとするなら、一見非合理で野蛮な逸脱こそが必要なのかもしれない。
だからといって怪しい代替療法の数々を勧めているわけではないよ。あんなの善意の医師とはまさしく対蹠的な金儲けだけが目的の詐欺商法だからね。そんなのに頼るなんて愚の骨頂ですから・・念の為。
t...に関していえば、キモセラピストの看板掲げている主治医に、彼が前任者に代わって主治医になった瞬間から「私は抗癌剤は嫌だからね。あれだけはぜったいやらないから」(ドラッグか・・。てドラッグなんだけど)とろくな理由も言わずに連呼し(理由は一応あったんだけどこのさい理由は問題ではないと思う)実際にその選択を迫られた場面にあってさえ「んんん・・こういう場合の標準治療はコレなんだけどなぁ・・」とか気弱げに選択肢は示してくれたうえで患者本人の決定を尊重してくれました。
という話を手柄話のように語るとそれはあなたがラッキーだっただけでそれしか選択肢のない厳しいケースだってあるんだからと言われそうな気もするが、とにかくもt...に関していえば抗癌剤なしで初発を生き延び思いがけぬ(生存率がぐっと下がる)再発もやっぱり別の療法で生き延びなんとか10年以上寛解状態がつづいておりますのでどうぞご心配なく。(だれも心配してない?)
           
ところでスマートハウスの一つのアイデアとして(もう実現されているのかもしれないが)、住人がトイレに入ったりお風呂に入ったり睡眠や食事や休息時や活動時やあらゆるときの住人の身体状態を数値でモニタリングしておき、なにか異変があればなんらかの提言をしたり緊急時には救急車を差し向けたりというのがあるらしいけど、それってそれこそ医学的ロゴスによる住人の監視と管理だよね。それってユートピアですか?ディストピアですか? そのおかげで独居老人の孤独死が減るだろうとか語られるけど、既に独居老人であるわたしはぜったい嫌だな。それくらいなら(たまたま誕生日がおなじの)永井荷風のように死にたいと思う。あとには多大な迷惑をかけるだろうけどそれも頑固かつやたらプライドの高い老人の命を賭けた抵抗を表明する野蛮このうえない所業の痕跡・残骸としてご甘受いただくしかあるめえ。(・・てなにイキってんだ? BGV 伊藤大輔『忠次旅日記』のラストが流れていると思いねえ・・)

2019年6月14日金曜日

死ぬな

知っている人で自死してしまった人は数多いけど、特に辛い思い出になっている人は3人いて、ある共通点がある。3人とも、わたしにとって大切な人だったけど、特にわたしに最も近しい人だったというわけではない(そのうちの一人なんて個人的な付き合いすらなかった)こと。かれらはヒーロー/ヒロインとして死んだのではなく、無意味に死んだ(ハッキリ言って無駄死にした)こと。そして、わたしはそんな立場になかったにもかかわらず「どうしてそばにいてあげることができなかったのだろう?」と強く思ってしまったこと。
今でもその悔いがしつこくつきまとう。「そばにいてあげる」ことを想像すること自体、現実には馬鹿げたことであることはわかっている(かれらにはそれぞれその立場にふさわしい人がいた)し、もちろんわたしがそうしたからといって自死を阻止できたかもしれないなどと大それたことを思うわけでもない。それなのに、どうしてそれができなかったのだろうと悔やんでしまう。なにか、かれらがわたしの代わりになってくれたのかもしれない、という後ろめたさもあるのかもしれないけど、そういう投影はむしろ死者たちに対して失礼であろう。ただ、わたしも死ぬときには無意味に死ぬのだろうとは思う。(だから◯くん、死ぬなよ。わたしが知らんまにいなくなってしまわないでくれ・・)

2019年6月10日月曜日

三月のあけがた。夢想

ことばが春の夜の風にのり
黒い梅の枝のように
あなたにむかって どんどんのびていく。

と、おもうまもなく
あらあらしい手によって
いともかんたんに振り払われてしまった。

ぱらぱらとむなしく散ったことばは
地に墜ちて
こんどは
下へ下へとどんどんもぐっていく…

せつない重み

2019年6月7日金曜日

るおるお

るおるおと啼くものがいる
るおるおと啼くものはどこにいる
るおるおと啼くもののありかをしらず
  肉は悲し すべての書は読まれたり
と つぶやく声がある

2019年6月6日木曜日

せつな・い

虚空をやぶって
 音 が発せられる。
意味は津波のように あとから襲ってきて風景をなめつくす。
意味のやってくるまえの ほんのわずかな空隙 その刹那
不安にふるえる ことばが
いちばんうつくしい。

2019年5月15日水曜日

幾時代

あのおなじとき
死をえらぶ友人がいて
おなじとき
恋に落ちる友人がいた。
わたしは思い出す。
あなたの曖昧な微笑を
あなたがたの
ころがるような嬌声を。

おなじとき
わたしはどうしていただろう?
ふかく しずみこんでいたか
それとも ふわふわ
まいあがっていたか
(もちろん おぼえているけど わざとね)

それから幾時代を経て
わたしたちは おなじことを くりかえす。
恋にはじける友人がいて
死にむかう友人がいて

わたしは ここにいる。