2019年7月25日木曜日

医学的ロゴスに抵抗する(承前)

先日見たカナダ映画。主人公はMtFをめざして加療中の少女。つまり男の体をもって生まれたものの心は女で、体も女になるべく治療中。物語の前半は頑張り屋さんの主人公が生き甲斐とするバレエに打ち込みさまざまな困難にぶちあたりつつも前向きな方向で終わるんだろうなと思わせる展開。ところが後半になるにつれ雲行きが怪しくなり遂に訪れたカタストロフでヒロインは思わぬ選択を果たす。たぶん普通の観客が見れば、あああ自暴自棄になっちゃって衝動的に飛んでもないことやらかしちゃったな・・と思いかねない行為に走る。ところが、わたしが見るに、これは、はっきり明晰な意識のもとに選びとられた彼女の選択なのだ。彼女に「(彼女にとっての)最善の道」を示唆し提案する医学的ロゴスに対するみごとな反抗。鮮やかな逸脱であり、飛翔である。一見非合理このうえなく野蛮そのものの行為であるけれど・・。(でも現実には良い子は真似しちゃダメよ。)
       
informed consentの考えかたと実践はまぁ行き渡って久しいと思う。のっけから「ぜんぶ先生(主治医)にお任せします。私たち(患者とその家族)はなんでも先生の言う通りにしますので・・」とやって、その場で患者本人に怒られた(ついでに医師にも諭された)t...の母みたいな人はいまでは少ないだろう。(それでもいまだに現人神みたいに振る舞う医師とかそれに盲目的に従う患者の話は聞かんでもないけど)。しかし患者のことを全人的に思い遣ることのできる完璧に良心的な医師がそれをやるのでさえ、consentの場は医学的ロゴスの支配する場である。ロゴスに習熟し十分な経験と知見のもとにおこなわれる医師の示唆と提案のまえに、患者ができる選択といえば、せいぜい自分のニーズのどこを優先させたいかという程度のことで、実際には治療の主導権とか決定権とかを本当の意味で患者本人が握るのは難しい。
だからといって医学的ロゴスの支配に一方的に服(まつろ)うばかりではイケナイのである。それが正しければ正しいほど・・あらゆる数値や確率やエヴィデンスでもってその合理性を堅牢にすればするほど・・。
ことに精神の病に苦しむ人を見ていれば如実にわかる。医学的ロゴスは人間の身体を管理しやすいもの困った問題を起こしにくいものに改変し収束させていく。「その方が患者本人も生き易いでしょ辛くないでしょ」という善意のもとに。ところが人間の生身の体は入ってくる異物(薬剤)に物言わず抵抗する。いわゆる耐性ができて医学的ロゴスが要求する平衡状態を保つためにだんだん薬剤量は増えていく。結果「薬漬け」という状態ができてしまう。精神の病にかぎらず、普通の人でも生活のあらゆる側面で(ちょっと眠れないとか気分がすぐれないとかちょっと便秘気味とか風邪気味とかいうだけで)薬によるコントロールが習慣化されている米国のような国では、薬漬けの平衡状態を保ってる人が多いんだろうなぁと推測する。いったん薬漬け平衡ができてしまうとその平衡を保つためには薬の量は増えるばかりなのであって、そこから脱却するには、あるときそれこそ英雄的な決心をして、体に理不尽な苦痛を強いることになろうとも減薬だの断薬だのをすることが必要になるのだろう。それは、はっきり医師以上の専門知識で武装して医師に対峙しようというN...(ちなみにアメリカ在住・日米ハーフのアメリカ人)のような姿勢がもっとも望ましいかもしれないけど、本当の意味でここから脱けようとするなら、一見非合理で野蛮な逸脱こそが必要なのかもしれない。
だからといって怪しい代替療法の数々を勧めているわけではないよ。あんなの善意の医師とはまさしく対蹠的な金儲けだけが目的の詐欺商法だからね。そんなのに頼るなんて愚の骨頂ですから・・念の為。
t...に関していえば、キモセラピストの看板掲げている主治医に、彼が前任者に代わって主治医になった瞬間から「私は抗癌剤は嫌だからね。あれだけはぜったいやらないから」(ドラッグか・・。てドラッグなんだけど)とろくな理由も言わずに連呼し(理由は一応あったんだけどこのさい理由は問題ではないと思う)実際にその選択を迫られた場面にあってさえ「んんん・・こういう場合の標準治療はコレなんだけどなぁ・・」とか気弱げに選択肢は示してくれたうえで患者本人の決定を尊重してくれました。
という話を手柄話のように語るとそれはあなたがラッキーだっただけでそれしか選択肢のない厳しいケースだってあるんだからと言われそうな気もするが、とにかくもt...に関していえば抗癌剤なしで初発を生き延び思いがけぬ(生存率がぐっと下がる)再発もやっぱり別の療法で生き延びなんとか10年以上寛解状態がつづいておりますのでどうぞご心配なく。(だれも心配してない?)
           
ところでスマートハウスの一つのアイデアとして(もう実現されているのかもしれないが)、住人がトイレに入ったりお風呂に入ったり睡眠や食事や休息時や活動時やあらゆるときの住人の身体状態を数値でモニタリングしておき、なにか異変があればなんらかの提言をしたり緊急時には救急車を差し向けたりというのがあるらしいけど、それってそれこそ医学的ロゴスによる住人の監視と管理だよね。それってユートピアですか?ディストピアですか? そのおかげで独居老人の孤独死が減るだろうとか語られるけど、既に独居老人であるわたしはぜったい嫌だな。それくらいなら(たまたま誕生日がおなじの)永井荷風のように死にたいと思う。あとには多大な迷惑をかけるだろうけどそれも頑固かつやたらプライドの高い老人の命を賭けた抵抗を表明する野蛮このうえない所業の痕跡・残骸としてご甘受いただくしかあるめえ。(・・てなにイキってんだ? BGV 伊藤大輔『忠次旅日記』のラストが流れていると思いねえ・・)

0 件のコメント:

コメントを投稿