2019年7月8日月曜日

三人組

俺と雅之は幼馴染でご近所さん同士。一緒に電車乗って剣道の道場通ったり、やっぱり一緒に電車乗ってサッカーのクラブチームに通ったりした。母の韓国料理教室の常連である近所のおばちゃんに教えてもらったことだが、俺と雅之はその電車内で美少年コンビとしてひそかに有名だったらしい。(いや俺が「美少年」とか自称したわけじゃないし)。
しかしまあ言われてみれば思い当たる。電車の中で他人(「たにん」と読むな「ひと」と読んでくれ)の迷惑かえりみず(いやすこしは顧みて)じゃれあってた俺たちふたり、大人になってから記憶の映像を遡及的に構成すると、まあ絵になってたんだろうな。
俺は一重まぶたで顎が細く鼻筋がすっと通った典型的な東アジア系(弥生系?渡来民族系?)の顔、雅之は日本人にしては髪の毛も瞳の色も茶色っぽく二重まぶたで目大きく鼻高くハーフじゃないかと言われたりもするぐらい(本人図に乗ってそう言われると「ロシア人の血が1/4入ってるんですと大嘘ついたりしていた)バタ臭い顔(というか縄文顔?)。対照的な二人の美少年(だから自称したわけじゃないって)が、電車の中でほたえあい、大人たちの鑑賞の的になっていたわけだ。
サッカーやめてからは二人ともスポーツはしなくなったが、俺は本が好きでよく読むタイプ、雅之はおバカだけど美術的センスがあってよく絵を描くタイプ。正反対のタイプがよく二人でつるんでいた。俺がたくさん本読んでることを尊敬し、俺が言うことをなんでも信じるので、嘘ついてからかったりホラ話がどこまで通じるか試したり、バカ話に興じるのがおもしろかった。(「あんたたち見てたら漫才みたい」とはのちに知り合ったマルのセリフ。「トリオ漫才」とは言われなくて篤彦はすこし悔しそうな淋しそうな顔をしていた。)
篤彦がこの鉄壁の二人に加わったのはいつ頃だっけか? どちらかといえば小柄な俺たちに対し、篤彦はがっちりと体が大きくこち亀の両さんの少年時代か、みたいな四角い顔。そのくせ意外と気は小さく、三人の中ではリーダー格の俺の顔をいつも窺うようなところがあった。セクシャリティとかではなく男子校のホモソーシャルな関係の中で、篤彦は俺の顔を窺いつつ雅之が好きだったようだ。雅之が入ると篤彦も追って美術部に所属し、大きなどんがらにいかつい顔してニコニコ機嫌よく小柄でハーフっぽい顔した雅之に金魚の糞みたいについて歩くのが傍(はた)から見ていてちと笑える光景だった。
俺はいつしか詩を書くことを覚え、高校生のあいだに一冊の手作り小冊子を編んだ。そして雅之に挿絵を依頼した。「俺のはいいの?」と篤彦。「いい、お前のは下手だもん」と言ったときの悔しそうな顔。「それに、俺の詩の雰囲気と合わないし」と言うと、少しホッとしたような顔をした。編集作業は三人でおこなった。ああでもない、こうでもないと、詩をならびかえたり、レイアウトしてみたり、どんなイラストをつけるか下絵を描いたり、三人であたまつき合わせて何日も過ごしたのがめちゃくちゃ楽しかったな。
できあがると販売に奔走したのはまず篤彦で、ほとんど押し売りのように学校中のクラスメートに売って歩いた。俺と雅之のファンの女子は多かったので(いや、ほんまに客観的に)けっこう売れた。休日には三人でターミナル駅まで出かけていき、座りこんで通行人に売ったりもした。おもに初老以上のおっちゃん、おばちゃんらが「頑張りや〜」と声かけて買ってくれたのがうれしかったな・・。

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