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2019年12月26日木曜日

時間の持続

こんなこと経験ある人はみな知ってることでめずらしくも何ともないだろうけど・・。
全身麻酔手術受けてみて初めて知ってびっくりしたこと。
麻酔かかってる間って、自分のなかで時間が進んでいないのね。
先に注射打たれて数を数えあげてる間に意識がなくなったという自覚はあって、次目覚めたとき、意識は眠りに落ちた時点から直に繋がってて、「あれ?今から手術始めるのかな?」とか思ってると「無事に終わりましたよ」と言われる。
眠ってたあいだの時間の感覚がなく(夢ももちろん見てないし持続した感じがなく)その間の時間をごっそり盗まれたような感じ。麻酔にかかってる間も睡眠と同じように(夢でも見ながら)とろとろと時間が過ぎていくものだと想像してたら、全く違ってた・・。
昏睡状態の人の意識もそうだろうか?

2019年12月23日月曜日

お腹の脂肪を・・

tarahineの肉体をフィールドにして自分の「作品」を創りあげたのが、tarahineの形成外科医だった。
実際のところ腫瘍の摘出手術は、初発のときの全身麻酔手術、再発のときの部分麻酔手術と二度体験しているが、それ自体それほど大したことはなかったのだ。手術時間もそれほどかからなかったし、手術後の回復もスムーズだったし。むしろ身体に(心にも)大きな負担をかけたのは、再建手術の方だった。
初発のときに乳房温存手術を諦めた時点から「では再建を」と申し出ていたのだが、当時の(最初の)乳腺外科の主治医は、「でも、ま、美容のことだしね」って消極的だった。(その「美容」の文言にかなりカチンと来た。その医者の価値観からすれば癌の手術と治療は生死に関わる大問題だから真剣に取り組む。再建なんて美容上のことで生死に関わりないし必須でもないので後回しと。tarahineに言わせれば、それはQOL上必須でしょうがぁ!治療とは現状に復元して初めて治療でしょうがぁ!と吠えたくなるのだったが・・)。しかし結果的には摘出手術後しばらくして(しばらくは片っぽ欠損のまま下着だのTシャツだのに工夫して外見からはそれと気づかれぬようにしてたけど)形成外科医を紹介してもらい、話し合いの末、再建手術をお願いする次第になる。最初の主治医はその総合病院の副院長の立場にあったのだが、その先生に言わせると「若くて熱心な先生。どうしてもやらせて欲しいと切望している」。確かにその通りだった。
いまでは(美容形成と同じく)シリコンだの人工物を使った手術の方が一般的かもしれない。そっちの方が圧倒的に負担少なくて済むもんね。もちろん当時もその選択肢はあったが、なんだか人工物というのが嫌で、自前の組織(自分の体の他の部分)を持って来て作るという方法を選んだ。(この選択基準、本当に合理的かと言えばそうでないような気もする)。
で、どこの組織を持ってくるか? ここに至って選択基準はさらにボロボロになる。二つ方法あります。背中の脂肪をぐるっと持ってくるやり方、もうひとつはお腹の脂肪をよいしょっと上に持ってくるやり方。笑っちゃいますが、そう言われて「やった!お腹の脂肪を取ってもらえる!」と思わない女子はいるでしょうか?(いや、もちろんいるでしょうけど)。
愚かにもtarahineは「お腹!」と即答しました。そして、女友達らには「ずるい!」とか羨ましがられさえしましたよ。
で、実際の手術は思ったより大変だった・・。きっとそんなことの説明(インフォームド)もちゃんとなされてたんでしょうけど、耳で流してたんでしょうね・・。手術時間も予定より長くかかったし、目覚めたあとの体の感覚ももう大変で、回復にも時間がかかった。どんな時でも食べるtarahineが食欲なくなり、手術の翌日はけっきょく一日食べることができず、形成外科医に「意外とあかんたれやな」と心配される始末であった。

2019年12月22日日曜日

患者第一?

ときどき「医者は患者の命(利益)を最優先する(べきだ)」と信じているひとがいてびっくりすることがある。医者は人間の命を救うことを第一の目標/動機に仕事をしていることを信じているし、そうでない医者は医者失格だとでも思っている。
そうじゃないことは実際に医者と接していればすぐわかる。(もちろん辺境の医者や町医者と専門性の高い医者とではそれぞれありようが異なるだろうけど)。医者はそれぞれの専門によって異なるそれぞれのプロフェッショナリズムの内部に第一の動機も目標も、また矜恃も持っている。「患者の命」とか患者の利益とかはそれじたいを目標とするものではなく、医者が医者としての最善を尽くしたあとから結果的についてくるといったところだろう。(たとえば災害や紛争など究極の条件下にあって目の前の命を救わなければといった切迫した場面にあってさえ、そのとき医者の考えることは「自分に何ができるか」であって「どんな手段を使ってでも(極端にいえば自分の命を投げうってでも)この人を救いたい」ではないだろう。)
もちろん医者が医者という職業を志した最初の動機に「人の命を救いたい」「人に奉仕したい」という心があるだろうことは否定しない。あらゆる「奉仕(サーヴィス)」業の根っこにはそれがあるだろうから。しかし、その動機から職業(プロフェッショナル)として「医師」を選択した時点で、そして「医師」として立派に一人立ちしたときから、その人は、ただただ盲目的に人に奉仕するだけの者ではなく、一人のプロになっていますぜ。
そして、そのことはちっとも悪いことではない。オートバイを作るのがものすごく好きなホンダさんという人がいて、そのひとは消費者の存在なんて意に介さず、ひたすら自分の気に入る良いオートバイを作りたいと念じて製作に励む。そのひとが創造力に優れていて、また運が良ければ、これまで世に阿るようにつくられてきた製品とは格段に異なる画期的な製品が生まれるだろう。消費者はそのひとたちのプロとしての仕事から、自分にとって利益になる部分を都合良くもらってくればいいだけの話である。
オートバイづくりとはちがって医者の仕事は患者の身体という場をフィールドにしているし、医療にかぎらずサーヴィス業というのは消費者それぞれについて商品であるサーヴィスの内容が異なって当然でもあるし、医者と患者が少しずつ接触を重ねつつ、それぞれの要求や利害をすりあわせつつ、少しずつ微調整を繰り返しながら、実際の医療サーヴィスは遂行されていくものなんだろう。
大勢の患者が集まる病院では、一人ひとりの患者の利益を最優先することなど不可能だから、それこそ調整が必要で、どこまで自分の都合を押し通すのか、どこまでの不都合を受け容れるのか、わがままと言われるのを恐れずにどんどん要求したほうがいいみたい。単に病院の都合で不都合を強いられているのに、「これは先生(医者)がわたし/あなた(患者)のことを考えてくれてこのようにしてくれているのよ」「わたし/あなた(患者)には理解できないところもあるけどきっとこれが最善の道なのよ」とかわざわざ医者/病院の都合の良いように考えてあげる(たぶん患者の不安をのぞいてあげるための善意でもあるんだろうけど)ひとなどを見ていると、意地悪なわたしは横から口を挟んで「ちがいますよ」と冷たく言ってやりたくなるのだが(笑)、患者の気持ちを考えるとそんなこと言っちゃいけないんでしょね。どうも患者同士のなぐさめあい、周りの近親者が患者をなだめるために口々に言うことなどは、この種の欺瞞に満ちていて気にくわない。
患者と医者と(また病院と)利害がはっきり対立したり思惑がずれたりすることは当然のことなのであって、医者は「わたしはあなた(患者)のことを第一に考えてるんですよ」などと嘘をつくべきではないし、患者の側も「全幅の信頼」なんて医者に押しつけるべきではないだろう。いまだにびっくりするほどナイーブな人がいて、「先生のおっしゃることにまちがいはないから…」「先生がわたしにとって最善の道を勧めてくださるから…」と信じている患者とか、ろくに説明もせず(インフォームドコンセントをなおざりにして)「君は何も心配しなくていいから」「安心してわたしに任せていればいいから」とのたまう“名医”とかがいるらしい。そんな名医に全幅の信頼とやらを預けてそれが裏切られればなにもかもチャラのように言うひともいるが、そもそもそんな“信頼”があるかのように振る舞うほうがまちがっている。必要なコミュニケーションをせず、お互いに勝手な幻想を抱いてそれぞれが自分の都合の良いように考えているだけの信頼なんてもとから信頼じゃないぜ。
あらかじめ「各々の利害は異なる」という互いの了解があってこそ、きちんとコミュニケーションができる。互いの立場や条件、それぞれの意思を確認し、そのうえで、いろんな調整も関係も契約もできていくわけなんだから。そのコミュニケーションのベースになるのが、誠実であるとか、正直であるとか、互いを思いやることができるとか、そういう人間性への信頼ではないのかね。

2019年12月4日水曜日

セカンド・オピニオン

で、いろいろ信頼できる方々から忠告をいただいたり本を読んだりした末、最初に診察を受けた総合病院とはべつに2つの病院に行って、セカンドオピニオン、サードオピニオンを得ることができた。(最初に行った病院には断らなかったし検査データも持っていかずエコーだけは改めてやったから、厳密にはそう言えないかもしれないけど)。当時の焦点は乳房温存療法ができるかどうかで、最初の医師の見解はステージ( I の最終あたり)と腫瘍の大きさはともかく位置が乳首に近いから無理とのこと。2番目に会いに行った医師は当時関西でこの分野で権威とされていた人で(というわけかtarahineのエコー映像を3人の若い医師から背後で見つめられつつ先生の解説を聞く羽目になったが)、「抗癌剤でまず癌を小さくしてから手術する」という手を提案された。ここがまた思案のしどころで、いろいろ調べるうちtarahineは抗癌剤という治療法はそもそもあかんのではないかという個人的見解を得つつあったのである。あんなもん、そりゃー癌を叩くかもしれないが、同時にからだ全体を痛めつけてしまうやん。癌患者ってむしろそれで弱ってるんとちゃん?それにそのうち抗癌剤に耐性を持ちはじめるんだから結局治療効果というより延命効果しかないんちゃん?(すべてtarahineの個人的見解です。安易に同調しないようにね)。それもあって躊躇したのだが、そもそもtarahineには内分泌系の持病があることをお話ししたところ、「だとしたら、やらない方がいいですね」と。それでもうほぼ方針決定。3番目に会いに行った医師もほぼほぼ同じ意見で結局最初の総合病院に戻ることになった。(後々そこで知り合った・・途中で最初の主治医からバトンタッチした・・乳腺専門の医師が現在もtarahineの主治医になっている。)
ところでその2番目に会いに行った「その分野の権威」の先生だけど、初診予約は普通に取れた(特に誰かの紹介がなければということではなかった)し、「先生のご執刀で手術していただくことは可能ですか?」と尋ねたところ「いついつならいいですよ」とスケジュールを示してくれた(いくらお金を積まないと無理みたいなことはなかった)。それがやっぱりかなり先になるので、最初の病院に戻ったけれど、世上言われているより医学界は情実とかに左右されるということはないようだとわかった次第。

2019年12月3日火曜日

ネガティヴ・キャンペーン

ただ、まあ、「覚悟しといてな」の一言でひとつ安心したことがある。tarahineが疑心暗鬼に思ってたのが、自分がもし癌に罹ったとして、家族と一緒に来いとか言われて、家族にだけは本当のことを言われ、本人には癌であることを隠されたりしたらどうしようかと。まあ、インフォームド・コンセントが行き渡った今では考えられないけど(一部にはまだそういうのも残ってるらしいけど)、本人だけ自分が癌であることを知らぬまま(家族や周囲は知っていて)そのまま死ぬなんて最悪だと。どうであれなんであれ本人にちゃんと真実を告げてほしいというのがtarahineの意向で、それはどうやら通りそうなのだった。で、実際、家族を連れてったのは手術当日のみで、あとは全てひとりで行って決めた。医師も本人にズバリ告知(言葉を飾ったり婉曲に言ったりはしなかった)、本人の責任で治療方針を決定、という流れになった。
もひとつ告知直後の鬱になる暇のなかった要因には、「病院行こ」と決めた日から、あらゆる情報を(ネット情報も図書館情報も)調べまくり、病院で正式に告知されてからは、当時やってたMLの仲間をはじめ、信頼できる人(というか、ハッキリ言えばこういう場合に役に立ってくれる人/利用できる人)にすべて打ち明け、いろいろアドバイスを受けたこと。先行して自分でいろいろ調べてたこともあってリテラシーはそれなりにできていて、その当時でいえば茸の類(たぐい)とか蜂の巣の類とか胡散臭い情報には耳を傾けない鉄壁の構えができてたのも大きかったかな。頭の良い友人のなかにも(コレは非科学的だから胡散臭いとかコレは科学的で信頼できそうとか区別せず)「良いと言われているものはなんでも試してみれば?」と言ってくれた人や、自分の親族が末期癌でなにやらその類のものを摂取せられて回復せられた由を懇々と語られた方もあったけど、惑わされずに済んだ。べつに試してみてなにも効かなかったらそれでもいいやん、プラシーボでも効けばまたいいやん、不安を慰める気休めにもなるやん・・とか思う人もいるかもしれないけど、tarahineは持ち前の正義感からそういう業者を悪徳(癌患者の不安につけこんで詐欺商法で儲ける)と決めつけ、許せないの。自分が利用するどころかネガティヴ・キャンペーンを張りたいところだったわ・・。

2019年11月25日月曜日

覚悟しといてな

病気譚というのは「なんだ大したことないやん」と言われるとちょっとムカつく。それなりの重病と思われて「すごく大変なのね〜」といちいち親身になって聞いてくれると嬉しい。だけどそのまま悪化したり死んでしまったりするのは絶対嫌で、結果「だけど克服できてすごかったね」と言われると鼻が高い。・・という我儘なもので、そういうトラップに嵌らないように書きたいものだけど、どうしても現時点でtarahineが生きている以上、手柄話になってしまうな・・。
癌譚も世の中に溢れているけど、ついこないだテレビでやってたのは、告知からしばらくの魔の鬱期みたいな話。癌の告知を受けた人は誰でもまずどどーんと落ち込み、その事実を受け容れるのに時間がかかる。そのあいだ少なからぬ人たちが鬱になる(軽い鬱であれ本格的なものであれ)という話。まあそうでしょう。つい最近もtarahineの友人の親御さんが癌の告知を受けたんだけど、側(はた)から見ればごくごく軽いもので生存率も高いし、ましてや手術の必要もないかもというぐらいで、聞いたtarahineもその親御さんの子であるtarahineの友人も「そんなん平気やん」とのんびりしたものだったけど、告知された当人の取り乱しようといったら半端なかったらしい。「癌」という言葉の響きがまだやっぱり「死病」なのね。
ついこないだテレビでやってたのはもっと重大なケースで、それはどどーんと落ち込んで当然だと思われたけど、tarahineに限って言えば、癌を初発した当時の普段の精神状態があまり良好とは言えず、少しずつ回復傾向にあったとは言え、その前の「軽い鬱」期の名残をまだ引きずっていたゆえに、癌に気づいたことで逆に「目が覚めた」。こんなことやってる(鬱々と毎日を過ごしている)場合ちゃうで!と思ったのでした。もちろんその当時はマンモグラフィ検診なんてものはなく(あったけど有料で高価で今のように何も自覚症状なくても全員受けに行くべしみたいなキャンペーンもなかったし)、いつの頃からか右胸の乳首近くにちょっと引き攣(つ)れるような感覚(べつに痛いわけではなく皮膚がちょっとつれる感じがするだけ)があり、横になって触ってみるとその乳首の側(そば)の奥のほうに何か触れるものがある。(いわゆる「しこり」というやつだけどそれが何者か自分にできてみて初めて知った)。あれ?これっていわゆる癌ってやつ?とちゃんと気づいたのがそれこそ3か月〜半年ぐらい(正確に覚えてない)も経過したあとで(ずいぶん遅かったんです。つまり「早期発見」の原則には全く反してた。)その日の情景はよく覚えている。夜そこに触れつつやっぱ気になるな〜と思って寝て朝目が覚めてから再びその部分に触れながら「あれ?」と初めて思いが至り、そうだ確かめなきゃと思いついて、起きて洗面所の鏡の前に立ち「エイヤっ」っと声あげながら弾みつけてバンザイした。すると見事に右の乳首の側(そば)の皮膚が引き攣れ、その辺りに触れてみて奥に何者か悪いものが隠されているらしいことがはっきりわかった。・・「うっわー」・・絶句。
そしてちょっと笑ったかな。何よこれ?次の瞬間、tarahineは、なんでこんな運命がわたしに降りかかるのよ?と思い、自分が死ぬのかと思い、声あげて泣きたい気分だったけど、むしろ「あかん、こんなことしてる場合やない。一刻も早く動かねば・・」と目を覚まされた感じの方が大きかったな。鬱々と(つまりはなんもせんと引きこもりがちに)日々を暮らしている暇はないぜって。
その場で鏡みながら鏡の中のもうひとりの自分に「すぐ病院行こ」と語りかけ、以前内分泌系の病気でお世話になったことのある総合病院の診察券を用意する。ネットでその病院のウェブページ見て関連する科のいちばん偉いさんが外来初診に出る曜日をチェックする・・と。
で、病院行って診察受け、後日の一連の検査手順をまず確かめて日時を決める。触診の時点でもう医師には経験値あってほぼわかったらしくハッキリとは言わないもののギョロっと大きな眼でtarahineを見据えながら「覚悟しといてな」と正確にその文言を言い渡した。(「癌」とか「腫瘍」とか「悪性新生物」とかいう言葉をハッキリ言わないのは現行の倫理には反しているのか?)。で、検査ももともと予約が詰まってたところに「知らん顔して入れとくか?」とか看護師さんに冗談のように言いながら割り込み予約で早め早めに設定してくれたらしい。その雰囲気からしてもうtarahineも覚悟を決めていた次第。

2019年11月15日金曜日

ヴェルナー・ヘルツォーク氏のアンギラス

先のエントリー「瀧のように落ちる」という詩はtarahineが最初の入院中にみた夢のひとつをモチーフにしたもの。ヴェルナー・ヘルツォークもクラウス・キンスキーもアンギラス(怪獣)も、当時の主治医(執刀医)のイメージ。ははっ(笑)。いや、目はギョロ目だけど白髪長身の素敵な紳士でしたが。(ただやっぱりひと昔前の世代にあたる医者の固定概念があってtarahineを苛つかせるところはあった。再建を「美容の問題」と言われたりね。)
夢のなかでおちのびていく村は、それ以前に旅行した南フランスの片田舎の名もなき村を反映している。ちいさな村でありながら、中世に成立したヨーロッパの町のあらゆる相貌を備えていて、町の中にあらゆる時代が重層し、そこで丁寧に暮らしている人びとのありようが心に残った。広場の中心に立ってたのはもちろんアンギラスなどではなく、何かの石像だったとおもうのだけど・・・なんだったかは思い出せない。
こんなかんじで、旅の思い出も、手術のような激烈な(致命的な)思い出も、映画の記憶も、互いに思いがけない繋がりや重なりを形成しつつ、しずかに積み重なって、やわらかな層をなして、具体的な記憶の細部を喪いながら、なんらかのイマージュをtarahineのなかに刻印していくのである。

2019年11月9日土曜日

ヘリコプター

「手術」そのものは「戦争」「戦闘」のようなイメージで夢に出てくることが多くて、何かの映画であったように、ガラス張りになった高層ビルの高層階にいると、大きな戦闘ヘリコプターが下からゆっくり浮揚して来て外の中空に現れ、ビルの中にいる人(tarahineたち)と目が合うや、バリバリバリ・・と物凄い音を立てて銃撃して来たり・・(当然ガラスは全て破られ壊されこちらの階は火や炎や煙や爆風や爆音で大混乱に陥るのだけどなぜかtarahineはそれを受けながら生きて全体を眺めていたり・・)。
あとこれは全身麻酔で意識がなかったからありえないんだけど、あとから考えると手術の光景を夢で再現していたのかしらというイメージもあって、(まあ普通に考えれば何度も受けた部分麻酔による手術室の記憶とか、テレビや映画の手術シーンのイメージをつなぎ合わせて作ったものなんだろうけど)、やはり大きな戦闘ヘリコプターが隊を連ねて飛んできて、tarahineの大事にしている庭園の上空にやって来る。ちょうど4機のヘリがtarahineの頭上に輪を成して滞空していて、照明光を放ちながら轟々と音を立ててローターを回転させ、下を威嚇している・・。と、やおら爆撃が始まる。真下にいる者たちはそれこそひとたまりもないはずなのに、夢のなかでは別の場所にあった(藤棚みたいなところをステージとして舞台セットのように建っていた)ガラス張りの温室が、パリーンッと乾いた(むしろ玲瓏な)音を立てて、砕け散るのだ。そして一頻り爆撃が終わると4機のヘリコプターは悠々と空を引き上げていく・・。

2019年11月6日水曜日

夢と絵

その当時の tarahineは、感傷的であること陳腐であること他の女と同様であること、をことのほか憎んでいたので、よく話に聞くように「ばいばいわたしのおっぱい」とか呟きながら手術前に切り取る側の乳房とお別れの儀式をするなんてことは、絶対にぜったいにゼッタイにしたくなかった。(こっそりしていたとしても口が裂けても口外したくなかった。)(・・て、したんかーい!ってツッコミはなしね。)
そのかわり、抑圧された感情や心象が無意識にあらわれたものか、よく夢をみたり、絵を描きたくなったりした。絵を描くと、円や渦巻のモチーフがやたら出てきて、それが穏やかでなく荒々しい色彩や筆致で描かれるのが常であったり、夢のなかでは色とりどりのビーズだったりちいさなお菓子だったりとにかく一粒一粒「ちいさき良きもの」をたくさん入れた箱、袋などがあって、中身をざざーっとこぼされたり、溢れ出させたり、覆されたり、とかしてたかなぁ・・。

2019年10月30日水曜日

初発手術

もちろんtarahineが結婚したわけではない。
初めての(初発のときの)手術の印象を書いたらこんなものが書きあがった。
なんだか「結婚」そのものをごくごく普通に陳腐に記述したものに過ぎないものが出来あがってしまって、tarahine自身は唖然とするばかり。で、現実に結婚したものとさえ思われて「おめでとう」とまで言われる始末。
・・しかし、だとすれば「いやでしょうがない」なんて書くか?
それとも、世間のひとびとはやっぱり「いやでしょうがない」と思いながら「カクゴ」の結婚をするんだろうか?

2019年10月1日火曜日

自然からの復讐(もしくは懲罰)?

だいぶ以前の話になるが・・さる薬品会社のPR誌に小コラム書くためにわざわざ専門医師に取材に行ったのだが、内臓脂肪が体に悪いというのは、内臓脂肪がまるで独立した一つの臓器のように、数々のホルモンを分泌するからなのだ、という話。そのホルモンあるいはメッセージ物質は体の他の箇所に働きかけ、その個体に早死にをもたらす。高血圧だったり心臓疾患だったりのリスクを高めるんだそうで、内臓脂肪が伝えるメッセージに良いものは一つとしてないらしい。
という話を聞けば、みんなすぐそう感じるだろうか? その取材の折に医師が洩らしたこと。これってあたかも自然の摂理ですよね。群れのなかで食物を独り占めする強い(権力のある)個体があって、どんどん食べるもんだからどんどん肥って内臓脂肪を貯めこむ。そんな個体は群れにとって邪魔だから、早死にするよう自然が命令するのだ・・と。
その伝でいけば、栄養状態が良くて女性ホルモンが盛んに出ていてそれなのに妊娠出産しない個体に乳癌・子宮癌のリスクが有意に高いというのも、似たような自然の摂理ではないのか。そんな個体は群れのためにならないので、早々に癌を発生して死んだほうがいいのだ、と。それって世間が乳癌あるいは子宮癌になったその条件にあてはまる女性に対して言うのであれば、これは完全に差別であって許されることではない。エイズ禍真っ盛りの頃のアメリカで、エイズを発症するゲイの男性たちはやっぱり自然に反する行いをしているので自然の摂理で死病になるのだとか原理主義的保守派から指弾される一方、ゲイの女性では乳癌が「レズビアンのエイズ」と呼ばれるほど猛威をふるっていて(だってアメリカとか先進国のレズビアンって上に挙げたリスクに大抵あてはまるでしょ?)これまた自然の摂理的語られ方をして、当事者らを怒らせていたのだ。
・・しかしtarahineが当事者になってみて、しかもその癌がまさしく「女性ホルモンを餌にして成長するヤツです」というご託宣もとい検査結果が出てしまうと、当事者自身としてはやっぱり自然から復讐(もしくは懲罰?)されているな・・と感じずにはいられない。そのとおり。tarahineは食べるのが大好きで栄養状態良くこってり小肥りで、恋愛沙汰もそれなりにこなし女性ホルモンもおそらくたっぷり出ていて、それなのに妊娠出産しようとしない、自然に反した生きかたをしているので、自然からしっぺ返しされたのだ、と。

2019年9月25日水曜日

死。篤彦の

死はからだを貫く風穴のようなものとして表象される。
たとえば銃の登場するあらゆる映画のように。
しかし別のかたちの死もある。それはゆでたまごの薄皮のようにからだにひっつき
皮膚に塗る麻酔剤のように ひとの 表面の感覚を麻痺させ
徐々に 徐々に 生を 奪う のだ。

つらくて 語れない。アツヒコの死を。
でも語らなければならない。

みんなが気にかけていた。
みんなが見護っていた。
みんな知っていたのだ。すでにその麻酔剤が、たっぷり何年もかけて、アツヒコの表面に塗布されていることを。
そしてじわじわ じわじわと かれのいのちを麻痺させていくのを・・
最期の最期の瞬間まで みんながみまもっていた。
でも、だれも、その最期の瞬間に立ち会った者はいなかった。
アツヒコは だれにも看取られずに 死んでいったのだ。

最後のエントリーは「もう寝る。」だった。
「もう目覚めなくてもかまわない」があとにつづいていた。
半時間後に気づいた誰かが「おい、起きろ!」と書いた。それから、そのほかのだれかも、そのほかのだれかも、「起きろ!」と書いた。「起きてくれ」と懇願する者も、「大丈夫?」とか「心配しています」とか綴った者もいた。
でも、みんなが、広場で起きている惨劇を 自宅の安全なアパートの高い窓から眺めている状態だったのか?
これだけたくさん書きこんでいるそのうちの だれかが、きっと駆けつけてくれるだろう、あるいは通報してくれるだろう、兎に角なんでもアツヒコを救うためのなんらかの適切な手段を講じてくれるだろう、と、みんな、ただ、みているしかできなかったのだ。
広場ではなく、そこはネットのヴァーチャルなひろばだから、画面の向こうには じっさいには見えていない アツヒコを。

そこまで周到だったかれをむしろ褒めるべきなのか?
そうやって、ブログを通じて、かれをみまもっていただれ一人として、アツヒコが現実に住んでいる住所だったり連絡先だったりを知らなかったのだ。
だれも 駆けつけるすべを知らなかったのだ。

そうしているうちに ながいあいだ かれをむしばみつづけていた 死は
最期の最期の瞬間まで ゆっくり ゆっくりと かれをそこないつづけて
かれの表面を 溶解し
かれの 肉を 熔解し
かれのこっかくを 融解し
そして
ついに かれの いのちをうばった のだ。

そりゃあ

責められるべきは ぼくたちだ。
わかってる
でも 酷いよ アツヒコ
ひどすぎる
こんなふうに おまえに 死なれてしまう
ぼくたちの
いや ぼくの
身にも なってくれ。

2019年7月30日火曜日

ひとりで死ぬな

確かに衝撃、だった。
そこには俺たちの知らなかった篤彦の生い立ち、家庭環境、家庭の事情、そして篤彦の経験しなければならなかった余りにも苛酷なできごとのかずかず・・がこと細かに書かれていた。
凄まじいDV。肉体的にも精神的にも。
子どもの頃から、父親からも母親からも、それどころか祖母や祖父らからも、殴られ蹴られ責め立てられ、ロクな世話をされずに生きてきている。
ことにキツいのは母親で・・
篤彦の実父を追い出して別の男とくっつき、この男もまた篤彦を虐待し、その後はその男もまた捨てて若い男と駆け落ちし、篤彦の貯金に手をつけて家を出る。その後も金が必要になれば篤彦を呼び出しては、母子の情を質にとって、必要な金を巻き上げその都度裏切り去っていく。
篤彦はこの両親の借金の一部を背負う羽目にもなっているらしい。

ブログには、詳細に覚えているらしい子ども時代の、酷い仕打ちを受けた場面の一齣一齣が克明に記述され、
自分を苛んだ家族や周囲の人びとへの感情が記述され、
現在の自分の状況もリアルタイムで記される。どうやら精神科医にかかっているらしいこともわかった。

篤彦が、いつもおどおどした目をしていたことを思い出した。
いざとなると喧嘩は異様に強かった。何度か目撃したが、あんなに喧嘩慣れしたスマートな闘い方をする奴は初めて見た。まず相手の攻撃を封じ込め急所を突いて戦意を喪失させる。そして自分も相手もあまりダメージを受けない先にうまく終結させる。
それでいて、普段は臆病者を装った。トラブルには巻き込まれないように、おおきな身をいつもちいさく縮めてひっそりと、俺たち二人に隠れるように生きていた。
金魚の糞は・・隠れ蓑だったか。

ブログにはいつもコメントを寄せる常連たちがいて、篤彦を励ましていた。
一方で口汚く罵っていくコメントもあって、そういうのはすぐに削除され、ブロックするのかしばらくは消えるが、また現れる。同一人物かどうかはわからない。たぶん複数。
そういう奴らがどこやらの匿名掲示板で篤彦を名指しで誹謗中傷しているらしいこともわかった。
気になるのは、篤彦がいちいち傷ついていることだ。
自分は社会に迷惑をかけるばっかりのクズなんだからひとりで死ぬ。
自分が死ねばみな満足なんだろう。
みたいな書き込みがあっては、好意のコメントを書く読者らに心配をかけ、しばらく落ち着いてはまた「ひとりで死ぬ」が始まる。

俺はブログの最初の最初から読んで、何度も読んだ。
涙が溢れて溢れて・・たまらなかった。
篤彦、なんでこのこと俺たちに言わなかった?
なんで俺たちに助けを求めなかった?
なぜ?

マルは「失敗」したらしい。
他の読者らに混じってブログに励ましのコメントを送り続けていた。
なじんだ頃にメッセージを送り、自分の正体を明かして「一度会いませんか?」と申し出た。すると
なんとブロックされてしまい、コメントもメッセージもできなくなってしまったらしい。
「篤彦、あたしたちには知られたくなかったんだ」
「高校時代、そんなことおくびにも出さなかったでしょ」
「あたしたちだけには知られたくなかったんだ」
「・・それなのに。あたしったら・・なんて無神経なことを」
「余計に篤彦を傷つけることをしちゃったよ・・」
マルはそう言って、また泣いた。
雅之と俺とは顔を見合わせ・・どうしていいかわからなかった。
「どうする?」
「どうするって・・」
「ひとりで死なせるわけにはいかないよなぁ・・」

「そうよ」
「ひとりで死なせちゃだめよ」
それが、とりあえずの結論。

2019年7月25日木曜日

医学的ロゴスに抵抗する(承前)

先日見たカナダ映画。主人公はMtFをめざして加療中の少女。つまり男の体をもって生まれたものの心は女で、体も女になるべく治療中。物語の前半は頑張り屋さんの主人公が生き甲斐とするバレエに打ち込みさまざまな困難にぶちあたりつつも前向きな方向で終わるんだろうなと思わせる展開。ところが後半になるにつれ雲行きが怪しくなり遂に訪れたカタストロフでヒロインは思わぬ選択を果たす。たぶん普通の観客が見れば、あああ自暴自棄になっちゃって衝動的に飛んでもないことやらかしちゃったな・・と思いかねない行為に走る。ところが、わたしが見るに、これは、はっきり明晰な意識のもとに選びとられた彼女の選択なのだ。彼女に「(彼女にとっての)最善の道」を示唆し提案する医学的ロゴスに対するみごとな反抗。鮮やかな逸脱であり、飛翔である。一見非合理このうえなく野蛮そのものの行為であるけれど・・。(でも現実には良い子は真似しちゃダメよ。)
       
informed consentの考えかたと実践はまぁ行き渡って久しいと思う。のっけから「ぜんぶ先生(主治医)にお任せします。私たち(患者とその家族)はなんでも先生の言う通りにしますので・・」とやって、その場で患者本人に怒られた(ついでに医師にも諭された)t...の母みたいな人はいまでは少ないだろう。(それでもいまだに現人神みたいに振る舞う医師とかそれに盲目的に従う患者の話は聞かんでもないけど)。しかし患者のことを全人的に思い遣ることのできる完璧に良心的な医師がそれをやるのでさえ、consentの場は医学的ロゴスの支配する場である。ロゴスに習熟し十分な経験と知見のもとにおこなわれる医師の示唆と提案のまえに、患者ができる選択といえば、せいぜい自分のニーズのどこを優先させたいかという程度のことで、実際には治療の主導権とか決定権とかを本当の意味で患者本人が握るのは難しい。
だからといって医学的ロゴスの支配に一方的に服(まつろ)うばかりではイケナイのである。それが正しければ正しいほど・・あらゆる数値や確率やエヴィデンスでもってその合理性を堅牢にすればするほど・・。
ことに精神の病に苦しむ人を見ていれば如実にわかる。医学的ロゴスは人間の身体を管理しやすいもの困った問題を起こしにくいものに改変し収束させていく。「その方が患者本人も生き易いでしょ辛くないでしょ」という善意のもとに。ところが人間の生身の体は入ってくる異物(薬剤)に物言わず抵抗する。いわゆる耐性ができて医学的ロゴスが要求する平衡状態を保つためにだんだん薬剤量は増えていく。結果「薬漬け」という状態ができてしまう。精神の病にかぎらず、普通の人でも生活のあらゆる側面で(ちょっと眠れないとか気分がすぐれないとかちょっと便秘気味とか風邪気味とかいうだけで)薬によるコントロールが習慣化されている米国のような国では、薬漬けの平衡状態を保ってる人が多いんだろうなぁと推測する。いったん薬漬け平衡ができてしまうとその平衡を保つためには薬の量は増えるばかりなのであって、そこから脱却するには、あるときそれこそ英雄的な決心をして、体に理不尽な苦痛を強いることになろうとも減薬だの断薬だのをすることが必要になるのだろう。それは、はっきり医師以上の専門知識で武装して医師に対峙しようというN...(ちなみにアメリカ在住・日米ハーフのアメリカ人)のような姿勢がもっとも望ましいかもしれないけど、本当の意味でここから脱けようとするなら、一見非合理で野蛮な逸脱こそが必要なのかもしれない。
だからといって怪しい代替療法の数々を勧めているわけではないよ。あんなの善意の医師とはまさしく対蹠的な金儲けだけが目的の詐欺商法だからね。そんなのに頼るなんて愚の骨頂ですから・・念の為。
t...に関していえば、キモセラピストの看板掲げている主治医に、彼が前任者に代わって主治医になった瞬間から「私は抗癌剤は嫌だからね。あれだけはぜったいやらないから」(ドラッグか・・。てドラッグなんだけど)とろくな理由も言わずに連呼し(理由は一応あったんだけどこのさい理由は問題ではないと思う)実際にその選択を迫られた場面にあってさえ「んんん・・こういう場合の標準治療はコレなんだけどなぁ・・」とか気弱げに選択肢は示してくれたうえで患者本人の決定を尊重してくれました。
という話を手柄話のように語るとそれはあなたがラッキーだっただけでそれしか選択肢のない厳しいケースだってあるんだからと言われそうな気もするが、とにかくもt...に関していえば抗癌剤なしで初発を生き延び思いがけぬ(生存率がぐっと下がる)再発もやっぱり別の療法で生き延びなんとか10年以上寛解状態がつづいておりますのでどうぞご心配なく。(だれも心配してない?)
           
ところでスマートハウスの一つのアイデアとして(もう実現されているのかもしれないが)、住人がトイレに入ったりお風呂に入ったり睡眠や食事や休息時や活動時やあらゆるときの住人の身体状態を数値でモニタリングしておき、なにか異変があればなんらかの提言をしたり緊急時には救急車を差し向けたりというのがあるらしいけど、それってそれこそ医学的ロゴスによる住人の監視と管理だよね。それってユートピアですか?ディストピアですか? そのおかげで独居老人の孤独死が減るだろうとか語られるけど、既に独居老人であるわたしはぜったい嫌だな。それくらいなら(たまたま誕生日がおなじの)永井荷風のように死にたいと思う。あとには多大な迷惑をかけるだろうけどそれも頑固かつやたらプライドの高い老人の命を賭けた抵抗を表明する野蛮このうえない所業の痕跡・残骸としてご甘受いただくしかあるめえ。(・・てなにイキってんだ? BGV 伊藤大輔『忠次旅日記』のラストが流れていると思いねえ・・)

2019年7月24日水曜日

医学的ロゴスに抵抗する

t... wrote:
こんにちは、t...です。
○○のこと、お約束しておいてずっと放ってあってすみません。
実はあれからすぐ、乳癌の再発が見つかるということがあって、ちょっと心身ともにばたばたしてました。

N... wrote:
うーん、大変ですね。今のところ命に関わる場所ではないとはいえ、不安だと思います。t...さんのことだから、周囲にサポートしてくれる人がいるとは思いますが、そういう時にどうやってサポートするかなんてことも、あらかじめ話し合っておくなんてことも重要かもしれないですね。 
私の年代(先週28歳になりました)だと、まだ周囲にそういう話はないわけですが、ちょっと先になるとありそうなので。

t... wrote:
それにしても、医学的ロゴスのもとに自分の身体を管理されるってのは嫌なもんですね!

N... wrote:
そうそう。
私は、自分の体が十分に××ホルモンを分泌しないから十代の頃からホルモン剤を体に「入れさせられて」きたんですけど、医療に自分の体が曝されるのが嫌で約2年前にホルモン摂取を止めてしまったんですね。 
今のところ大丈夫ですけど、このまま放置していればいずれ必ず「△△症」になるのが分かっているのに、endocrinologistには行きたくないし、ホルモンを摂りたくはない。 
もちろんそれじゃ自分自身が後で苦労するのが分かっているので、ホルモンに代わる薬剤を自分でいろいろ調べて、自分が専門医以上の知識を身に付けた上で医者に行くつもりです。
どんな薬剤を選んでも(ホルモン剤を含めて)、長期的使用による副作用の調査なんて行われていないわけですから、ギャンブルみたいなものだと思いますが。

・・・(後略。あとは用件)

2019年7月23日火曜日

雅之は嘘をつく

雅之が女になろうとしているなんてもちろん嘘だ。
肩幅が狭くて小柄で、茶色っぽい(染めているのかどうかは知らない)ゆるやかにウェーブのかかった髪を長く伸ばしている。
女物のシャツやブラウスやワンピやスカートを好んで身にまとい、それがサマになっている。
だから、背後から女性に間違えられることなんてしょっちゅうある。
前から見ても、顔の輪郭はわりといかつくて鷲鼻気味の鼻にすこし難はあるけど、あどけない二重まぶたの目で大きなヘーゼルにちかい色の瞳をしていて、女の子とみえても不思議ではないアイドル顔である。
コーカサス系とのハーフとも見てみえなくもない見てくれで、知らない人にそう聞かれると「ロシア人の血が1/4混じってるんです」とか嬉しそうに大嘘つくのが常である。
でも、中身はれっきとした男の子。女物を(ファッションで)着るのと女装するのとは大違い。雅之には女装趣味はないし、性自認もはっきり男の子だ。
私が、自分が性別を選び直した経緯を話した小さな講演会で、雅之はなぜかその会場にいて、私を憧れの目で眺めていた。私は、性別をもとの戸籍の男から女に変えた。好きなのは女性で(その当時つきあってたカノジョもいたし)、だからMtFレズビアンというわけね。どうやら雅之は、そういうなんだか「とくべつな」性のありかたに憧れを抱いたらしい。
自堕落にも売春をしてるんじゃないかと、雅之の友人はマジで心配していたけれど、それも嘘ではないかと思う。嘘というよりフィクションね。そういう、現実の自分がぜったいできない冒険を、嘘物語のなかでしているだけ。
そんな大きな嘘だけでなく、こまかい嘘もしょっちゅうつく。
「今日なにしてたの?」
「だれと会ってたの?」
みたいな質問にたいして、実際に自分がそういうふうに実施した事実を話すのではなく、そういうふうにしておく嘘のおはなしを語る。いや、騙る。時と場と相手に応じて。事実はそうではないけどそうしておこう、みたいな感じ?
知ったかぶりもはげしくて、
「〇〇、知ってる?」
みたいな質問にたいして、実際に知ってるかどうかよりも「知ってることにしておくのか、知らないことにしておくのか」の方が重要らしく、しばし考えた末に、前者ならば「知ってる」と答え、後者ならば「知らない」と答える。
知らないかぶりもあって・・
重々知り尽くしていることを、まったく知らないふりして、素っとぼけて質問して、相手に語らせる。
で、聞いて初めて知ったふりして
「へ〜」
とか、感心したふりをしている。
こういうのは虚言癖というのかな?
ちょっと違うような気もする。
雅之なりのコミュニケーションの流儀?
嘘はつくけど、そのことで人を騙したり、窮地に追いやったり、自分に都合の良い状況をつくったりして、自己の利益を謀るわけではない。
他者にたいして悪意ある嘘ではなく、自分のことをこういうふうにしておきたいみたいな嘘? そういうふうにみせておこう、みたいな?
見栄っ張り?
事実とはちと異なるちいさな虚構の世界をつくりあげて、そのなかで生きている。
だから、それが嘘だとばれても、たいして悪びれるわけでもない。
罪のない嘘なので、嘘だとわかった周囲も、べつにそれを追及したりせず、嘘は嘘のままでおいといてやる。「そんなの嘘でしょ!」とか「嘘つき!」とか怒るひとは滅多にいない。
あきらかに(みんなが見抜く)嘘なのに、それが嘘だとわからないひともいるけどね。
正直に生きている人、というか嘘をつく習慣のないひとには、見抜けないのかもしれない。
というか、どうでもいいのかもしれない。
私のような同類には、雅之の嘘はかんたんに見抜けるけどね。
だって私もおんなじことしてるもん・・。
嘘は習慣性だという。でも、それってイケナイことなのかな?
嘘は方便とか、そういう話ではないのだよ。

2019年7月17日水曜日

マルという女

篤彦の最期を語らなければならない。
その前に・・マルという女のこと。
俺たちとマルは同じ高校の同窓生にあたる。俺たちが3年生のとき、新1年生として入学してきた。
元は男子校だったのが共学校になって、とりわけ優秀な女子生徒たちを確保することに成功したらしい。
共学になってからの男女の学力差が大きすぎて困っているともあとで聞いた。
なかでも優秀な新1年生の女子がいて、ひさびさに東大現役合格生が出そうだと、職員室全員色めき立っている。そういう噂が生徒の方まで聞こえてきた。教師らも嬉しそうに語っていたしな。
ところが、入学当初からその抜きん出た学力でたちまち学校中に名を馳せたその新1年生女子。夏休みの始まる前に、今度は別の方面で話題を攫(さら)っていった。
こちらはよろしくない噂で。
いやその噂、火のないところに立った煙などではまったくなく、まるっきりの事実であったこと。俺も雅之もちゃんと実体験させていただいたのだけど・・。
公衆便所
って大昔からある身も蓋もない言い草だよな。それにあまりにマッチョで俺は嫌いだけど、言い得て妙とも言えるからどうしようもない。
超優秀な新1年生を持ち上げるのに懸命だった教師らは、今度は一斉に渋い顔になり、何とか噂を揉み消そうと必死になった。けど、事実は事実であることを多くの男子生徒らが実体験してしまったんだから、しょーがない。
それに、揉み消しようにも揉み消しようのないことを、当の1年生女子が始めてしまったのだ。
彼女は、1学期の中途あたりから、昼休みや放課後に校庭や校内の共通スペースでパフォーマンスをやリ始めたのだ。そして、こちらの活動もたちまちのうちに学校中を席巻した。
本人曰く、中学生の頃からピン芸としてよくやってたという。
ちびまる子ちゃんの主題歌を替え歌にして、ピーヒャラピーヒャラ・・踊るポンポコリン・・と踊りをつけながら、学校内外の時事評論を面白おかしく歌ってみせるのである。
歌詞も巧みならば、歌声も美声ではないがすごい迫力があって、生徒らみんなの目を瞠(みは)らせた。
自虐ネタも多くて、自分の尻軽さを自分で嗤うだけでなく、教師からどんだけ説教を受けたかも抜かりなくネタにした。教師らは、ほかのことでも順繰りにサカナにされるので、渋い顔顔がますます苦虫になったけどな・・。
そこで彼女についたあだ名が「マル子」というわけ。
小さい体で色が白くまるまる太っていて、白いゴム鞠(まり)みたいだったこともあり、いつしか小さく約(つづ)まって「マル」という名に落ち着いた。
そういうわけで、あらゆる方面で学校中の注目を集めたマルだったが、当然というか同性の親しい友達はできなかったようで、またファンは大勢いたけど適切な意味でのボーイフレンドも友人もいなかったようで、なぜだか夏休み以降は、俺と雅之と篤彦の三人と行動を共にすることが多くなっていた。
篤彦は、どうやらマルに手を出さなかった男子生徒の一人だったようだ。
俺たちには知る由もなかったが、マルに説教垂れたりもしていたらしい。
同じような説教を教師らにされても洟もひっかけなかったマルは、篤彦の言うことにだけは神妙におとなしく耳を傾けていたらしい。それはそれは、俺たちには不思議だったけど・・。
つまり、力関係はこうだ。マルは俺と雅之の上に君臨する。俺は雅之を支配し、篤彦は雅之にくっつく金魚の糞。そしてマルは、この三人組の中でいちばん弱い篤彦に、頭が上がらなかったというわけ。篤彦はどちらかといえばマルを迷惑がっていたようでもあったけど。
ね、安定してるでしょ?
そんなわけで、俺たちの最終学年の2学期と3学期は、変な女のマルも入れて3人組+1匹(マルはおかしな獣みたいに俺たちに尾いてきていた)で楽しく過ごした。
でも、卒業してからはバラバラになってしまった。俺は普通の私学の文系大学、雅之は美術系の短大、篤彦は大学に行かず専門学校という選択をしたもんで。
しかも、相変わらず近所に住んでいて家同士(特に母親同士)仲の良い雅之と俺とはそれなりに付き合いは続いたが、篤彦は卒業後誰にも何も言わずどこかに引っ越してしまったらしく、連絡がつかなくなってしまった。
    *
それから2年、マルが最終学年になった頃。
本人曰く、校内では随分おとなしくなって教師らをホッとさせている。その代わり校外に活躍の場を求めていると。さる場所で知り合った年上の男たち数名とバンドを組んでいるのだと。
ある日、そのバンドの初ライブの知らせを受け取り、俺と雅之と二人、いそいそとライブハウスに駆けつけた。
またちびまる子ちゃんの替え歌でもやるのかと思っていたら、そのときは見違えるほど大人っぽくキラキラに化粧して真っ黒のコスチュームをまとったマルは、歌詞があるのかないのかわからない意味不明のコトバを、これまたわけのわからない電子音とちょっと変なビートに乗せて、がなり立てていた。
つまりは、全体としては意味不明の狂騒的な雑音に近い音のパフォーマンス。何が何だかわからなかったが、でもまあ、ともかく、カッコいいことはカッコよかったな。
で、その時のこと。
ライブが終わってからも打ち上げがあるというので図々しくも居座った俺たちを見つけると、マルは開口一番、
「篤彦はどうしたのよ?」と、絡むように言う。
「篤彦よ、なんで篤彦を連れてこなかったのよ?」
俺たちよりも篤彦に会いたかったわけね。
「えーと・・あの、だって、篤彦引っ越したらしくって、所在不明なんだ」
と事実を述べると、
「あんたら、篤彦がどうしてるか知ってるの?」
と、ふたたび絡むように言う。
「いや・・知らないけど・・」
「マルは知ってるの?」と雅之。
「あたしも知らない。でも知ってる。・・知ってるのは、篤彦が書いてるブログだけ」
「ブログ? へえ・・篤彦がブログ書いてんの?」
「そんなことするタイプだとは思わなかったけどな」と雅之。
「篤彦、まずいよ。あれ、決定的にまずい」とマル。
「へええ・・なんで?」
「読んでみるとわかる」
「へえええ・・」
そう言われたって、その時点ではなにがどうなんだか、サッパリわからない。
「あんたら、篤彦のこと、放っといちゃダメよ! ちゃんと見張ってやってよ」
「見張るったって・・居場所もわかんないんだよ?」
「そーゆーマルは、何もしないわけ?」と雅之。(ただしいツッコミである)。
「やれるんならとっくにやってるよ。あたしだって、あたしだって、あたしだって、何にもできないんだから困ってんじゃん・・」
そう言い終わると、一息、息を吸いこんでから、マルは大声で泣きはじめた。
吠えるような泣き声で、傷ついたおおきな獣のように泣いた。
泣いて泣いて泣いて・・いつまでも泣き止まなかった。
店の人も、その席にいたほかの人たちも、びっくりしてしまって、なんとかマルをなだめようとしたが、無駄だった。
長く長く長く・・続くマルの泣き声は、ライブのパフォーマンスそのものよりも、ずっとずっとずっと俺たちの記憶に残ったよ。
酔ってたうえに、なんだかイケナイお薬とかもやっていたのかな?
ふだんからハイテンションなマルが、それに輪をかけてハイテンションだったから、すぐわかったけど・・。

2019年7月9日火曜日

台風の夜

でも篤彦はもういない。
いまでは
雅之の耳のなかに響く声だけの存在になっちまった。
・・つまりこの世に生きた生身の存在ではなくなっちまった
ってこと。
その話をする前に。
一度だけ篤彦と一緒の夜を過ごしたことがある。
って誤解を招くよな(笑)。一緒にオールナイトの映画館で朝まで一緒にいたというだけの話。
あの日、台風が近づいてきていたのを気にせず、俺と篤彦と二人で、ある映画館に映画を観に行った。
入れ替え制の最終回の上映に入ろうとして、映画館のスタッフにこう言われた。
「台風が近づいていて、この上映が終わる時間帯には交通機関などが止まる可能性があります。ですので、この回の上映は中止になります。」
そうなのか、それはいいよ。
でも、だとしたら、俺たちの持ってる(金券ショップで調達してきた)前売券が無駄になってしまう。
「ん。じゃあこの前売券、払い戻ししてくれる?」
「・・あの、この前売券は明日までになっておりますので、払い戻しはできません。」
「明日までったって、俺たち高校生だよ? 今日は祝日なので来れたけど、明日だと平日だから来れない。つまり、せっかく買ったのにこの前売券は無駄になる。そういう事情があるんだから払い戻してくれないと」
「・・すみません。規定上払い戻しはできません。」
ちょっと怯えたような眼をした温順しそうな(おとなしそうな)男のスタッフだったが、いくら言っても聞かなかった。
何度かの押し問答の末、俺が「では支配人呼んで来い」と言いかけたのを篤彦が制して
「島ちゃん、もういいよ」
と言った。
篤彦は、こういうとき優しい。
客の立場ではなく店(とか売る側)の立場を理解する。
映画館スタッフが困惑しているのを目にして「もういいよ」と言った。
チェッ! 仕方なく退散した。
何する? 二人でゲーセン行って遊んで時間つぶししているうちに、本当に台風はやってきて、帰りの電車が残らずストップしているのを聞かされた。
「・・うわぁ・・どうする?」
「オールナイトの映画館でも行くか」と篤彦。
「だってさっきのとこだって上映中止だって。どこ行っても同じやないか?」
「大丈夫。俺の知ってるとこなら必ずやってるから」
「どこだよ?それ」
で、台風でも動いている地下鉄を使ってその映画館に行くと、篤彦の言うとおりだった。
顔馴染みらしいモギリのおばちゃんは、台風のなんのとは一言も言わず、俺たちが高校生であることもわかっていながら、普通にチケットを切って通してくれた。
そのときが俺は初めてだったが、あとでときどき行くようになったその映画館は、入れ替え制などとケチくさいことは言わず、一度チケット買って入ったら朝から晩まで、オールナイト明けまでいたって構わない。
あとから聞くと、俺の叔父もしばしば通ったことがあったということだった。韓国映画や中国映画をよくやっていて、ほかの館では観られないものが観られた。
ビル一つがまるごと映画館になっていて、2階の2館がロードショー館。大手がやらないような(というか落ちこぼれてきた)類の映画を封切りでやっていた。1階はロードショー落ちの映画を2本立てでやる二番館。地階は洋ピン中心のピンク映画館だった。すべての館が連日オールナイト。篤彦は中学生の頃からこの館によく来ていて、オールナイトで朝まで居たりして、モギリのおばちゃんらに可愛がられていたらしい。
実はそこに篤彦の特殊な事情があったんだけど・・でもまあ、その台風の夜はそんなことは知らなかった。
どの映画にしようか?と迷った末、封切館の一つに入った。
なんだかひどい映画だったな! B級SFの匂いがぷんぷんするチープなヨーロッパ映画で、美形の(つまり外見のよろしい)人々ほど位が高く支配階級である未来の惑星で、醜形のミュータントらが反乱軍を組織し、その惑星に侵略して悪の限りを尽くす、みたいな。で、そのミュータント軍団には、世界的に有名な醜形女優だったり、侏儒(ミジェット)の俳優だったり、ホンモノの障害者(ということば自体は俺は嫌いだけど)がぞろぞろキャスティングされているのだ。これってPC的に(もちろんpersonal computerではなくてpolitical correctnessのほうな)どうなんだ?? いや、障害者(ということばは嫌いだが)独特の身体的条件を生かした表現自体はいいと思うよ。そういうコンテンポラリーダンスだのアール・ブリュットだの素晴らしいと思いこそすれ文句をつける筋合いなどない。しかし、わざわざ「醜形ミュータントの悪の侵略軍」って設定って、どないやねん??
とは言え、篤彦と俺はゲラゲラ笑いながらその映画を楽しく鑑賞し、外ではびゅーびゅー台風の暴風雨が吹き荒れているのを聞いて、2度目の上映の途中くらいですっかり眠くなって二人して寝てしまって、気がつくともう朝で、台風一過、爽やかな綺麗な青空になっていた。気持ちよく映画館を出て朝の電車で家に帰り、遅刻して学校に行き、授業中はすやすやと居眠りした。

2019年7月8日月曜日

三人組

俺と雅之は幼馴染でご近所さん同士。一緒に電車乗って剣道の道場通ったり、やっぱり一緒に電車乗ってサッカーのクラブチームに通ったりした。母の韓国料理教室の常連である近所のおばちゃんに教えてもらったことだが、俺と雅之はその電車内で美少年コンビとしてひそかに有名だったらしい。(いや俺が「美少年」とか自称したわけじゃないし)。
しかしまあ言われてみれば思い当たる。電車の中で他人(「たにん」と読むな「ひと」と読んでくれ)の迷惑かえりみず(いやすこしは顧みて)じゃれあってた俺たちふたり、大人になってから記憶の映像を遡及的に構成すると、まあ絵になってたんだろうな。
俺は一重まぶたで顎が細く鼻筋がすっと通った典型的な東アジア系(弥生系?渡来民族系?)の顔、雅之は日本人にしては髪の毛も瞳の色も茶色っぽく二重まぶたで目大きく鼻高くハーフじゃないかと言われたりもするぐらい(本人図に乗ってそう言われると「ロシア人の血が1/4入ってるんですと大嘘ついたりしていた)バタ臭い顔(というか縄文顔?)。対照的な二人の美少年(だから自称したわけじゃないって)が、電車の中でほたえあい、大人たちの鑑賞の的になっていたわけだ。
サッカーやめてからは二人ともスポーツはしなくなったが、俺は本が好きでよく読むタイプ、雅之はおバカだけど美術的センスがあってよく絵を描くタイプ。正反対のタイプがよく二人でつるんでいた。俺がたくさん本読んでることを尊敬し、俺が言うことをなんでも信じるので、嘘ついてからかったりホラ話がどこまで通じるか試したり、バカ話に興じるのがおもしろかった。(「あんたたち見てたら漫才みたい」とはのちに知り合ったマルのセリフ。「トリオ漫才」とは言われなくて篤彦はすこし悔しそうな淋しそうな顔をしていた。)
篤彦がこの鉄壁の二人に加わったのはいつ頃だっけか? どちらかといえば小柄な俺たちに対し、篤彦はがっちりと体が大きくこち亀の両さんの少年時代か、みたいな四角い顔。そのくせ意外と気は小さく、三人の中ではリーダー格の俺の顔をいつも窺うようなところがあった。セクシャリティとかではなく男子校のホモソーシャルな関係の中で、篤彦は俺の顔を窺いつつ雅之が好きだったようだ。雅之が入ると篤彦も追って美術部に所属し、大きなどんがらにいかつい顔してニコニコ機嫌よく小柄でハーフっぽい顔した雅之に金魚の糞みたいについて歩くのが傍(はた)から見ていてちと笑える光景だった。
俺はいつしか詩を書くことを覚え、高校生のあいだに一冊の手作り小冊子を編んだ。そして雅之に挿絵を依頼した。「俺のはいいの?」と篤彦。「いい、お前のは下手だもん」と言ったときの悔しそうな顔。「それに、俺の詩の雰囲気と合わないし」と言うと、少しホッとしたような顔をした。編集作業は三人でおこなった。ああでもない、こうでもないと、詩をならびかえたり、レイアウトしてみたり、どんなイラストをつけるか下絵を描いたり、三人であたまつき合わせて何日も過ごしたのがめちゃくちゃ楽しかったな。
できあがると販売に奔走したのはまず篤彦で、ほとんど押し売りのように学校中のクラスメートに売って歩いた。俺と雅之のファンの女子は多かったので(いや、ほんまに客観的に)けっこう売れた。休日には三人でターミナル駅まで出かけていき、座りこんで通行人に売ったりもした。おもに初老以上のおっちゃん、おばちゃんらが「頑張りや〜」と声かけて買ってくれたのがうれしかったな・・。

2019年7月6日土曜日

恋するキナコ・純情篇

いまの女優で言えば(ここはあらためて時代に応じて更新されるかもしれないが)土屋太鳳か橋本環奈か。ただ、二人とも短軀で弾けるようなボディの存在感が似ているというだけであって、顔立ちはもっときつくて猫顔で、ことに目が猫目そのもので、昔昔の鈴木杏にそっくりかもしれない。
その猫娘、めちゃ素直で人懐っこく、私のことを「尊敬」してくれているのは犇々と(牛三頭分)伝わる。
あの日、私の右隣にちょこんと陣取り、私の話に真剣に耳を傾けていた。テキは、ホントにまったくどうしようもなく話をすればするほど死ぬほど無知で無教養で、単純な言い回しひとつ知らず、言葉を知らず、世界史や日本史の重要局面を知らず、抽象概念も知らない。それをいちいち解説してやると真剣に聴いている。(明日まで覚えているかどうか、定かではないが・・)。
えーと、すなわち、要点は、彼女は私のことはこのうえなく尊敬できる先輩として慕ってくれてはいるけれど、恋愛対象としてはこれっぽっちも見てくれてないということね。
・・あああ・・私ってばなんて純情でおバカなことを書いてること!