2019年12月22日日曜日

患者第一?

ときどき「医者は患者の命(利益)を最優先する(べきだ)」と信じているひとがいてびっくりすることがある。医者は人間の命を救うことを第一の目標/動機に仕事をしていることを信じているし、そうでない医者は医者失格だとでも思っている。
そうじゃないことは実際に医者と接していればすぐわかる。(もちろん辺境の医者や町医者と専門性の高い医者とではそれぞれありようが異なるだろうけど)。医者はそれぞれの専門によって異なるそれぞれのプロフェッショナリズムの内部に第一の動機も目標も、また矜恃も持っている。「患者の命」とか患者の利益とかはそれじたいを目標とするものではなく、医者が医者としての最善を尽くしたあとから結果的についてくるといったところだろう。(たとえば災害や紛争など究極の条件下にあって目の前の命を救わなければといった切迫した場面にあってさえ、そのとき医者の考えることは「自分に何ができるか」であって「どんな手段を使ってでも(極端にいえば自分の命を投げうってでも)この人を救いたい」ではないだろう。)
もちろん医者が医者という職業を志した最初の動機に「人の命を救いたい」「人に奉仕したい」という心があるだろうことは否定しない。あらゆる「奉仕(サーヴィス)」業の根っこにはそれがあるだろうから。しかし、その動機から職業(プロフェッショナル)として「医師」を選択した時点で、そして「医師」として立派に一人立ちしたときから、その人は、ただただ盲目的に人に奉仕するだけの者ではなく、一人のプロになっていますぜ。
そして、そのことはちっとも悪いことではない。オートバイを作るのがものすごく好きなホンダさんという人がいて、そのひとは消費者の存在なんて意に介さず、ひたすら自分の気に入る良いオートバイを作りたいと念じて製作に励む。そのひとが創造力に優れていて、また運が良ければ、これまで世に阿るようにつくられてきた製品とは格段に異なる画期的な製品が生まれるだろう。消費者はそのひとたちのプロとしての仕事から、自分にとって利益になる部分を都合良くもらってくればいいだけの話である。
オートバイづくりとはちがって医者の仕事は患者の身体という場をフィールドにしているし、医療にかぎらずサーヴィス業というのは消費者それぞれについて商品であるサーヴィスの内容が異なって当然でもあるし、医者と患者が少しずつ接触を重ねつつ、それぞれの要求や利害をすりあわせつつ、少しずつ微調整を繰り返しながら、実際の医療サーヴィスは遂行されていくものなんだろう。
大勢の患者が集まる病院では、一人ひとりの患者の利益を最優先することなど不可能だから、それこそ調整が必要で、どこまで自分の都合を押し通すのか、どこまでの不都合を受け容れるのか、わがままと言われるのを恐れずにどんどん要求したほうがいいみたい。単に病院の都合で不都合を強いられているのに、「これは先生(医者)がわたし/あなた(患者)のことを考えてくれてこのようにしてくれているのよ」「わたし/あなた(患者)には理解できないところもあるけどきっとこれが最善の道なのよ」とかわざわざ医者/病院の都合の良いように考えてあげる(たぶん患者の不安をのぞいてあげるための善意でもあるんだろうけど)ひとなどを見ていると、意地悪なわたしは横から口を挟んで「ちがいますよ」と冷たく言ってやりたくなるのだが(笑)、患者の気持ちを考えるとそんなこと言っちゃいけないんでしょね。どうも患者同士のなぐさめあい、周りの近親者が患者をなだめるために口々に言うことなどは、この種の欺瞞に満ちていて気にくわない。
患者と医者と(また病院と)利害がはっきり対立したり思惑がずれたりすることは当然のことなのであって、医者は「わたしはあなた(患者)のことを第一に考えてるんですよ」などと嘘をつくべきではないし、患者の側も「全幅の信頼」なんて医者に押しつけるべきではないだろう。いまだにびっくりするほどナイーブな人がいて、「先生のおっしゃることにまちがいはないから…」「先生がわたしにとって最善の道を勧めてくださるから…」と信じている患者とか、ろくに説明もせず(インフォームドコンセントをなおざりにして)「君は何も心配しなくていいから」「安心してわたしに任せていればいいから」とのたまう“名医”とかがいるらしい。そんな名医に全幅の信頼とやらを預けてそれが裏切られればなにもかもチャラのように言うひともいるが、そもそもそんな“信頼”があるかのように振る舞うほうがまちがっている。必要なコミュニケーションをせず、お互いに勝手な幻想を抱いてそれぞれが自分の都合の良いように考えているだけの信頼なんてもとから信頼じゃないぜ。
あらかじめ「各々の利害は異なる」という互いの了解があってこそ、きちんとコミュニケーションができる。互いの立場や条件、それぞれの意思を確認し、そのうえで、いろんな調整も関係も契約もできていくわけなんだから。そのコミュニケーションのベースになるのが、誠実であるとか、正直であるとか、互いを思いやることができるとか、そういう人間性への信頼ではないのかね。

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