2019年6月30日日曜日

叱られて

叱られるたびに かしこくなる
  利口になるごと きたなくなる
かってきままをとがめられ
それはわがままだとさとされて ききわけがよくなる
  おとなしくなるほどに けがれる

花はらら・寛容であり情け深い。また妬むこ・.星つぶぷ・とをしない。高ぶらない誇らない・蝶ひららら・無作法をしない自分の利益を求め・樹みるるる・ない苛立たない恨みをいだ・月よろしげやら・かない。不義を喜ばず真理を喜・鳥ちぴぴぴぴ・ぶ。そしてすべてを忍びすべ・ひとさりゅる・てを信じすべてを望みすべて・たましひよしはかなく・を耐える。

ああいつぴぴぴ*わがままをゆるしてくれない*なりなほほ*のは*ふふふふ*かれがあたしをあいしてくれないせいだ*うぃうぃうぃみもみにみにもにものみれど*あいされたくて*れみそふぁみみふぁそれくんくん*いろんな術を身につけて*まみままままみま*ぼろをまとって
   自分がみえなくなる
あいされたくて
  またはだかになって
  身をひくくひくくひくくかがめて
  だんだん薄よごれてくる

あなたは許さない。妬む。高ぶる、誇る、
身勝手に振舞う、苛立つ、恨む。そして、
耐えることをしない。

らららたんか●かしこさのみを評価され●ひょおいいい●聞き分けのよさだけを誉められ●じじじかなしひひひね●あいされ術を利用されすりきれて●あははああるものかひいな●固有のひかりをうしなった身はそのうち●だなたかしのはまよほね●忘れ去られ見捨てられそんなにもみすぼらし嘘と埃にまみれたのは●さなかににんなぐさむむ●あんた自身のせい●てぃてぃてぃあーしたひの●だと馬鹿にされ

わたしは許さない。妬む。高ぶる、誇る、
身勝手に振舞う、苛立つ、恨む。そして、
何も信じない。

わわあああんかな※社会的訓練ができていない※ふんふんふじじ※ヒステリー性向。いつまでも子供でいられるわけはない※たまくらばかりなりともさ※それじゃ損だよ。もっとかしこくひとより得な人生をえらびなさい※たかひももしてやりせぬ※ぼんやりしてると損だまってすいすいひとをだしぬけば得※ほほほんいひひ※いつも損ばかりしてるからといってすこしはひとから奪ってもゆるされる※うわわあんでもなんでもや※甘えの構造※りんりいんもして※得した奴はすこしばかり気がとがめてそれでも自分の獲物を手放す気は※だんすだんすうすんでききき※さらさらなく※ぱぱぴぴ※すべてが経済原則で量られるとても自由な※とんでとんでりりりりれれれ※資本主義社会。じぶんをとてもたかくみつもって※ながめながながとみつくるもに※経済原則を許容できない人間は

リフレイン◎プリンスチャーミングデヴィ
あなたがいるからあたしは◎みかよみかづきクレセント◎きたない男たちの呼ぶ声に耳をうばわれることなく平安にすごしていられるの◎いざよひデクレセントあれーぐろあれーぐろ◎あのだらしない気のよわい卑屈な小狡い輩たちはあなたの輝かしさに手も足も出ずあたしに近付いてはいけないのだと分かるのだ◎のんノントロッポやさしくやあーさしくエーデューア◎歯がみして口惜しんで妬んで悔やんで己が身の救いがたく卑小なることを思い知るのだわ
おおとおとおとリフレイン◎プリンスチャーミングがやってくるから◎さまさまららりりちちちち◎今日の月にも明日の天気にも季節の風にも◎らりらあらららりりり◎草花にもましてや馬鹿な人間たちの所行にもすこしも心をやらず◎はるはるははあはりんどふぃももも◎肢をながなが伸ばして◎よろしあなよろしてにんじゃくどぅもああ◎あたしは口をつむぎ耳をふたぎ眼を瞑る◎をををうおうお◎ほんとうの神さまはこのとおり公平で◎ぴぴんだぴいあにぴあに◎このように無条件にこんなにもふんだんに◎ぱぱぱぷぷぷぷぷぴぴぴあにしも◎あたしを愛してくれる経済原則を無視して◎フェルマータ◎勿論あなたの得になるように◎つるんるるんるんりーだ◎叱られてもしかられてもきれいでいられるようにおとなにならないように◎コーダコー◎かしこくならないように。

2019年6月29日土曜日

感覚憶

死ねと云いおめおめと生きよと言い
記憶が私をくるしめる

地下鉄の中でなぜふいにしびれて冷たく戦くのかマッチのあたまのように瞬時明晰に燃えてあなたのくたびれかけた皮膚の下にゆたかな水脈を聴いた指先
ひとりの夜の枕になぜありありとよみがえるのか脳幹までふかぶかと吸い込んだあなたのゆっくりとした代謝の匂い

こんなにもなまなましいのに
それがあたしに生きることを許してくれていたのだからそれがもはや記憶というかたちでしか与えられない以上

ちかづくことをゆるしてくれたつつまれて思いきり呼吸することさえ許してくれた夏の汗の匂いとか微香性のコロンとか特殊な腺の匂いとかそのどれでもないほかでもないあなただけに固有の甘い酸っぱいあたしを酔わせる発酵性の匂いそれが届く範囲にひとがちかづくことさえ嫉妬した
においをうけとるのにちょうどいい距離があったいつもゆるされるその間隔がすきだった
あたしはあなたの眼なんか見ちゃあいないの生きていてもいいですか? あたしの指があなたの胸のちかくの血管にくりかえしくりかえし問いただすとあなたの指先はだまって教えてくれたいいよとてもいいよ生きていてもいいんだよ幾度もいくども応えてくれた

だからあなたの忘れっぽさ無関心の沈黙は
あたしを文字どおり黙殺する
とても敏感な指先が知ってしまった
記憶力のよい脳幹近くの粘膜がきまぐれに再現する感覚憶が
あなたの不在をいやおうなくさせるいま
死ねと言いおめおめと
生きよと云い

2019年6月28日金曜日

迷走台風

雷鳴。
稲妻。
ざんざか降り。
特権的にも局所的なる嵐。
あられもなくふれもなくさたもなく
そこにある季節をむだなく洗い押し流す。
繊いほそい繊いとても細い線をつたって
怒りは忍び込み
平安穏健厚顔無恥なリノリウムに滲み達して、
すべてのデータを破壊しすべてのアクセスを断絶しすべてのシステムを混乱せしむ。

終わったよくもおわった!
エンドマークー100万個ぶつけてそんな
平和の終焉をよろこぶ
だったらよかったのに。

どおっと吹き飛んでいく。ばらばらと紙屑が
鉛の屑が腐蝕した珠が無限個ころろ地球の
表面にゆるやかに仕掛けられた傾斜を
つたって

よく電話は通じたものだ。ああこれは凄いよこんな状況で凄いことだよふらふら迷走した
たましいの渦は
恋いしがって離れてなつかしんであきらめて
思い切れずに喚きやっぱり離れてはなれて
離れていく遠ざかっていく
そんなにも可愛いちいさい女の子は
沖縄を今夜半直撃するも
小笠原諸島はすでに暴風雨圏なるも
本土をかすめず
日本国は微動だにせず
そこも領土だったの? ちりぢりに揺れてやぶれて弾けて飛び去ってしまった哀れな
いきものの欲望は?

みえない向こうの闇から聴こえてくる
ひどく単調な
歯ぎしりつーつーつーつーつーつーつーつーなんの意味も感情もなく絶望だけをつたえてつーつーつーつーつーつーつーつーつーつーそれでもつづいているだけでよかったのに
いつ途切れるいつきこえなくなるいつ消滅する耳をすますほどにほそくちいさくよわっておとろえて抑えきれず呼ばわるほどにとおざかる離れてしまう去っていくいってしまう
ついについにつーつーついに途絶える。

終わったよくもおわった!
朝無惨な灰青色の空に鰯雲ひとつふたつ
みっつエンドマーク100万個かぞえて
そんな季節の終焉をよろこぶ

しかし怒りはついになく
恥さらしなリノリウムはのっぺらぽうのままだらしなく
ああ。

2019年6月26日水曜日

さくらん

とてもみじかい夜の
あざとい音楽におびえて
ねんいりにけはいする。
あまりあまりあまりのへだたりを
なんてうたとい!

くちびるはことばによごれてつかれたださくらんぼさくらんぼさくらんぼやまほどくわえあわれなるだえきの匂いふくみねんまくのまずしきかいかんあそび制度にたよりなげなおとこの想像力せんぞがえりのおんなの悪趣味うそからうそへわたす吸引逃れるためのうそうそうそうそうそうそ。

もどかしげにきれ剥ぎとってもさらにぶあつい包皮の擦れ合う ぎしぎし たいえきはこうりゅうなくたいおんはでんどうせずとてつもなくよわよわしげにとりつかれるあいされたいあいしたいあいされないあいされたいあいせないあいしたいあいせないあいされたいあいされないあいしたいあいせないあいされないさえないゆめの とんま。

あかくあかいよるあおみどりの間さくらんぼの二重たいじはでかいあたまくっつけてくすくすわらいをつたえあい六月にとてもいきぐるしくゆあみしてこれがしあわせこれもふしあわせあれはしあわせあれがふしあわせ脆弱なろんしの あつれき むのうなゆびゆびゆびつきあわせてさとりたまえさとらせたまえ冷めたしんこうの まのわるさ。

わかっちゃいるけどとめられないよほどよほどの噴出ざあっとねさくらんぼの堅いかわにぎりぎりくらいついてだめ。はをたてるのは違法。 だめ。ちをながすのは反則。 だめ。あじわうのは禁忌。音楽! ああ死ぬほど死ぬまでおまえはかわいいねなにがあってもなにがなくてもおまえのすばらしさ! はなさない。

2019年6月23日日曜日

ボール箱に砂場

あー
あー あらあら し
 あらあら すね保母のD.C.もん
  手が粗雑な ぶちまけし
 惑
あー

ほないくで

あなたのハコをください。砂をいれて
 にいたしましょう。

さら
 さ
  置く

どんなに重い   口ほどに
ほどなくなが
  ながれ ぬ
  つまらせ
つまり

あなたのハコが欲しいのです。水平に
垂直に切込みをいれて
大小の四角をくみあわせて
 をつくります。

どれだけ
あそべ
 れだけ
たわむ
  だけくりかえ


 よりわ
悩みのない

かたすみの

もういっぽうの かたす
のもうひとつ ふた
の先に埋めようのない
距離がどうして
それは


  がれるのか

でも わ
たしかにきこえる

あなたにも
きこえ
でしょうか

かたすみのしずく
もう一粒
 つの一粒

2019年6月22日土曜日

ボール箱に砂場(というラベル)

『ボール箱に砂場』というのは七木まや名義で出版したわたしの唯一の活字化された作品集です。1冊だけ手元に残したそれをいま読み返すと、詩作を自己セラピーに利用した経緯があからさま過ぎて赤面します。
中学高校時代からそれなりに好きだった詩作の趣味ですが、20代後半のある時期、今から思えば「軽い鬱」だったんでしょうけど、あることをきっかけに精神的ピンチに襲われて、それを救ってくれたのが詩作だったわけです。そのとき、パソコンに向かって、一心に文字を綴り、文字を綴ることが、自分を癒すことになったその情景を、あたかも客観的に映像でも見るように想起することができます。
初めての詩集を出版するにあたり、時期尚早というアドバイスを信頼している人からいただきました。本当の(だっけか?)詩人を目指すなら安易に詩集というかたちで出版物を残すものではない。しばらくは辛抱して書き続けるべきだ。・・みたいなことを言われたと記憶しています。でも、わたしは、結局自費出版というかたちで本にしちゃった。それは、やっぱり、それがそのときのわたしにとって必要だったから、としか言いようがありません。
いちばんピンチのピークで書いた最初の詩を覚えています。そのときの天候と、そのときのパソコンも。そして、最後に、ああ抜けたなぁ・・と思い、安堵して書いた詩のことも。 そのホッとして書いた詩が、いま読み返すと緩すぎて(笑)。ようこんなもん活字にしたなぁと、いまでは恥がましく笑って振り返ることができるのですが・・・。
で、ほんまに、その「通り抜けた」あとで書いた詩のあと、わたしはピタッと書くのをやめてしまいました。 いわばプロの「詩人」となることをそこで放棄してしまったのかもしれません。表現として読者に見せることのできる詩よりも、自分自身を癒すためのものを選択してしまったわけだから。
・・なんて、恥をさらしてしまいましたが、でもまだ、表現として救えるものもあるのではないかと、『ボール箱に砂場』に収めた詩と、気分的にそれにつながるかなと思われるものに、このラベルをつけてアーカイブしていきたいとおもいます。
キナコの夢として書いた「童児神」のモチーフがそこにもあるので、「地母神」が最初のエントリーになりました。当時この詩を読んでくださった方が、宝塚の(もっと具体的には大地真央の)舞台を唄ったものと解釈してくださったのには、書いた本人がびっくりしました。わたしは特に宝塚のファンでも大地真央さんのファンでもないのです。偶然そのイメージが一致したんですね。

2019年6月21日金曜日

地母神

MAOはスタアだから、あなたがいないとレヴューははじまらない。

最初の神話

ほかのおおぜいの神がみを従えてあなたが座るのは舞台のまん中のヴィーナスのそこで生まれたあたたかい海の泡。とてもしあわせそうにさざめく宝石たちがやさしく護る女神のきらめき栄えある台座。
夢は夢でもとびっきりの夢MAOの左手がゆらぐと至上のおんがく神を讃えるはなやかな詩篇。右手にはあくまでかるくあくまでゆったりと妖精たちの舞。共感してざわめく海。あかるく微笑む空。みんなが貴い午後になによりもあなたあなたなのはMAO。
MAOが語るのはこの世にただひとつしかないだれもが記憶にとどめているだからいちばん陳腐ないちばん聖なる物語。とても単純でエレガントな論理。完璧な序破急。まことなる寓意。MAOがあたえてくれるエクスタシーのいまのいまいまがあれば滅びのときなど怖くない。いちどかぎりの至福の時代。これっきりの真実。すみずみまでいっぱいにひろがる上等の快感。
だからわたしはだれであってもだれでなくても赦されているの。のぞみをさまたげるものはなにひとつなくながれをとどめる批判なくこのうえなきグランフィナーレ。

そして暗転

名残りも惜しくしずかにやすらかにMAOが去ればフェスティバルはおしまい。夢からさめると地の中より這いでくる女たちは一粒ひとつぶ匿名の現実主義者。まずしきはたらき蟻。武器を手にてに敵を抹殺せんとして。
夢みたものはみんな罪。MAOを知っているのはおぼえているのは悪。ただの夢だとわかっていても容赦なき時代の裁きのまえに。
わかっでいるのよわかっていたのよはじめっから。しんじてなんかいないからそれが嘘だとわかっていたからわたしはもはやMAOにはみすてられ。それでも幻想を享楽した以上は執念深く嫉妬ぶかい女たちがわたしを許すはずなく。わたしは名札を貼りつけられ追われて逃げてそれでもみっともなく生きたくて臆面もなく臆病にもごめんなさいごめんなさい傷ついた自分を哀れにおもうMAOへの裏切り。うらみながら侮りながら闘おうとしない卑屈。

ふたたび顕現

海が割れると。
厳かに尊くも畏くも神がみの列は紫の雲のあいだよりしずしずと御降臨。
そんなあほな! あまりの展開に失笑するひまもなく現実主義者たちは猛り狂った浪に呑まれ口ぐちに呪いの言葉を吐きながら滅び去る。彼女らの語る正義は怒りにふるえながらああ道理無き末世よ、頽廃の幻がなぜ私たちを殺すの! こんな馬鹿なことって! あんたたちなんか何の実もない幽霊なのに! 世に害悪をまき散らす悪魔なのに。ただしいのは現実なのに!
現実が夢を滅ぼすべきなのに。
そのとおりですともあんたらはつねにただしい。わたしだってあの楽劇は虚構だとわかっていてそのつもりでたのしんでいたはずなのに。いまめのまえでおこっているできごとはいったいなんなのMAOのみえない影に怯えながら。いつのまにみについた自己防衛なぜだか生き残っている自分の肩を抱きながら。
神さまのとおりみちをさけて身を隠す石柱の陰。まぢかにみる女神たちはこうべを昂然と無表情にゆるく緩いあしどりで。ながく永い儀式の行列の最後尾にはまるまると肥った童児神。あやういはやあしでおとなたちのあとを懸命に追いかけて。やりすごしてそっとついていったの。舞台のはなみちのいちばん端からおとなしい海へひとりひとりまた空へかえっていく神がみの最後の童児神の姿がいまにも消えんとして。いかないで!
走っていってつかまえようとしたの。わたしにただひとつのこされたねがい。

カタストロフ

そのわたしのゆぴをかいくぐってすうっと消滅すべきだったのよ。だってかれはわたしのゆめなのだから。幻想の中の神さまなのだから。わかっていたはずなのだからそれでじゅうぶんだったのだから。
しかしてのひらはかれのしろいやわらかいししむらをとらえて。いきもののあたたかささえかんじたの四肢を愛らしくばたばたさせてMAOの幼児なるさいごのぎせいの童児神。うたぐりぶかいとまどいをとがめるすべすべながれるはだふわふわはずむにく。
でもかれを捉えてどうしようというのか?
虫の良いわたしをMAOはもはやゆるすまい。それがおまえの罰ハッピーエンドのないぶざまなおしばいMAOのいない海辺の廃墟生き易い地獄。石鹸臭いテレヴィ女優に身を堕としMAOは今日もわたしをまっすぐみつめ恐ろしい笑顔をうかべて。わたしわたしはわたしこそMAOのうつくしい赤子になりたかったのに。

2019年6月20日木曜日

うしろすがた ー 夢みるキナコ

いつも君のうしろすがたばかりみてきた。

なにかに夢中な君の
肩がふるえたり あがったりさがったり あたまがうごいたり
君のうしろあたまを 鑑賞しながら
君の感情を一緒になって味わっていた。

一心に作業する君の
背中のたたずまい 腕の動き 手の指の繊細な仕草
安らかに立った足から すこし傾けた頭まで
君の動作にみとれていた。

ダンスする君の
揺れる肩 うねる腰つき めくるめく のびる折れる交叉する 手足
俯く仰向くねじる 首あたまから 振れるたなびく髪 
フロアを踏む跳ねる飛ぶ 足先まで
君のリズムを 一緒になって感じていた。

でも 私が手をのばして触れることは許されない。
さわれない。
禁じられているから
眼だけで たいせつに たいせつに かいなでていた。

一度だけ
おまえを うしろから
つかまえることが できそうだった
一瞬
おまえの はだかの 白い やわらかい ししむらを
私の 両のてのひらに ふかく ふかく つつみこみ
いまにも 抱きあげることが できそうだった
瞬間が

でも
おまえは 私の両の手をすりぬけ
たたたたたたたっと 駆けて
空に跳びあがり
そのまま 中空に ふっと 消えてしまったのだ。
まるで 天の神に 喚ばれた
あがないの ちいさな いきもののように

うしろすがたのままで
そのまんま 永遠に
消えた
あれは

あの瞬間は

おまえの ししむらの 感触は
あんなにも ありありと 私のてのひらに
記憶されているのに

夢から醒めて ひとしきり泣いたよ。私は
ぽろぽろ 涙流して
えんえん 声だして 泣いたよ
それが夢だったのが 悲しくて
それが夢だったのに 安堵して

うつつにもどれば
君のうしろすがたは あいかわらず そこにある。
生きている にんげんとして そこにある。
躍動する ししむらとして そこにある。
でも やはり それは うしろすがたのままで
私の 手の届かないところにある。

前向いて喋ったりすると嘘つくからね、人間は。
なんて話ではない。

君は永遠にうしろすがたの ままだから。

2019年6月19日水曜日

恋するキナコ

たとえば
のぼっていくエスカレータで
おりてくるエスカレータに乗っている
素敵な子をチェックする。
ひとりひとり
 あ、この子いいな。
 この子、綺麗な顔だち。
 洗練されてる!
 この子もステキ
 おお!完璧!
JRから地下鉄まであるくまに
地下鉄から職場まであるくまに
すれちがう顔をいちいちチェックする。
ひとりひとり
 わ、可愛い!
 おお、かっこいい!
 地味に端正
 個性的。
 すっごい 繊細!
 おお!かんぺき
ステキな子にばっかり目がいく
綺麗な顔をさがしてあるく
私の眼の
面食い癖はとまらない

ああ
それでも
 どうしてこの子じゃいけないの?
 この子でもよかったやん
 こっちのほうが客観的には
 ずっとイケてるのに
 なんでこっちのほうを
 好きにならなかったの?
すれちがう子
すれちがう子
やっぱり
あの子
ではない。
あの子とちがう
べつの子 なのだ。

あの子の顔はひとつしかなく
それは 綺麗で素敵で申し分ないけど
たぶん 他の子にくらべて 圧倒的に秀でているとか
たくさんのなかで 客観的にナンバーワンとかではなくて
それでも
ひとつしかない。
あの子だけが
私のファンタジー。
いちばん好きなのは
あの子 だけ
そのファンタジーが生身の人間となって
どこかで生きているのが 奇跡である。
いまも どこかで 生きている。
私の いまが すれちがう
この子ではなく
いま おもわず 目の合った
こちらの子でもなく

2019年6月17日月曜日

デモ隊

その街の旧市街はどの建物も暗い赤紫色の石造りである。立派な建物は立派な石でできた立派な建物で、普通のアパートも同じ種類の石のちょっと安普請な建物で、現代的なショッピングビルなどでさえ外装だけは新しい看板だの電光掲示板だのいろいろごてごて飾り付けてあってもひと皮ひんむいた建物じたいはやっぱり赤紫の石造りなのだ。自然の川だか運河だかに沿って道はゆるやかに曲がり街全体では不定形な網の目状になっていて、たとえば西を指して歩いていたはずがいつのまにか北に向かって歩いているので油断できない。すぐ迷ってしまう。迷いながら歩いていたつもりがまたもや街の真ん中に出て来てしまった日曜日の朝。この地の日曜とあって薬局と一部のパン屋以外の商店はすべて閉まっている。しかたないしのんびり過ごそうと広場のベンチに腰をおろすとあたりに警察官がちらほら見え始め、昔ながらの大きいウォーキートーキーで通信しながらそのあたりを警戒するようす。何事ならんとおもっているとそのうち広場の向こうの道の奥になにやら喧噪が沸き立つように聞こえたかと思ったら最前列に赤っぽい旗が横列にいくつも翻っているの見え初め、それはすぐにデモ隊であることがわかる。デモ隊はシュプレヒコールを叫びつつそれでも全体的にはしずしずと広場に進んでやってくる。遠目には整然と見えたが近づくとそれぞれバラバラで思い思いのプラカードを掲げてその主張するところはさまざまでいろいろ要求はあるらしいのだが反政府デモというところでは一致しているらしい。デモ隊の傍にはあたかも護衛するかのように警官たちがつき一緒にしずしずと行進している。最前列付近は壮年の男たち青年の男たちが固めているのだが、その後ろあたりになってくると老人夫婦とか子ども連れとか普通の市民たちが普通に参加していてある列などは乳母車に幼児を乗せたお母さんたちがかたまって歩いていて、また別の列ではギターを抱えた若者たちが車のうえに集い昔懐かしフォークソング様の歌を歌っていたりで、デモ隊とはいえみなさん楽しげに参加していて、主張するところも労働問題であったり経済問題であったり原発問題であったりなじみのあるところばっかりなので、おっちょこちょいの外国人としても共感を表明する程度のささやかな参加でもできるかなと思われて、例によって頭で妄想しつつ現実に客観的にはニコニコ好意的に眺めていた。そこへ現地の初老の男が赤ら顔で登場して私の傍に立つ。デモ隊を指差しながら私に向かって何やらいろいろわめいている。このくにの言葉は少しは理解できるつもりなのだが男のしゃべる言葉は、このくにのなかでもこの地の訛が激しく入っているせいかまったく理解できない。のだが身振り手振り言葉の調子からデモ隊を激しく罵っていることはわかる。「非国民」みたいなことを言ってるのだろうか?と思っているとその指差す指がいきなり私に向けられ「おまえも移民だろう。ここでなにをしている!」とそこだけが意味を持った言葉として耳に突き刺さってきた。訛があろうとそこだけははっきり解った。私はたんなる旅行者で移民ではないのだが、そこで「私は移民ではない」と言うのもなにか間違っていると思い、とはいってもこの国粋主義者?に反論するほどの言語力はないのでただ不快な顔を示してその場を離れることにする。なんとなくデモ隊と一緒にしかし歩を同じうするのでなくぶらぶら歩いてその先にあるベンチにまた腰をおろした。それにしてもこの長いデモ隊はどこまで続くのか。この旧市街に住んでいる人たちぐらいは全戸参加してるんじゃないかと思うぐらい長々と続いたデモ隊のしっぽが見えかけたかと思ったらつむじ風がビラを捲き揚げるのが見えその風に乗ってくるかのように広東語のngoに似た音が低く低く地面を這いながら。

2019年6月14日金曜日

死ぬな

知っている人で自死してしまった人は数多いけど、特に辛い思い出になっている人は3人いて、ある共通点がある。3人とも、わたしにとって大切な人だったけど、特にわたしに最も近しい人だったというわけではない(そのうちの一人なんて個人的な付き合いすらなかった)こと。かれらはヒーロー/ヒロインとして死んだのではなく、無意味に死んだ(ハッキリ言って無駄死にした)こと。そして、わたしはそんな立場になかったにもかかわらず「どうしてそばにいてあげることができなかったのだろう?」と強く思ってしまったこと。
今でもその悔いがしつこくつきまとう。「そばにいてあげる」ことを想像すること自体、現実には馬鹿げたことであることはわかっている(かれらにはそれぞれその立場にふさわしい人がいた)し、もちろんわたしがそうしたからといって自死を阻止できたかもしれないなどと大それたことを思うわけでもない。それなのに、どうしてそれができなかったのだろうと悔やんでしまう。なにか、かれらがわたしの代わりになってくれたのかもしれない、という後ろめたさもあるのかもしれないけど、そういう投影はむしろ死者たちに対して失礼であろう。ただ、わたしも死ぬときには無意味に死ぬのだろうとは思う。(だから◯くん、死ぬなよ。わたしが知らんまにいなくなってしまわないでくれ・・)

2019年6月12日水曜日

わたしはたわし

オレが一人称オレなのは、わたしという一人称が嫌いだからだ。
わたしは、わたしは、を連呼する女をみると、たわしは、たわしは、に
きこえてくる。
そのうち、たわしあたまの、棒のようなからだつきの女が、みえてくる。
さけぶたわしの、まんなかあたりがどうにもいやらしくて 卑猥でさ。
茶色く ぴんぴんびっしり生えた毛がビーバー(もちろん隠語)を思い出させる。

ああ、でも たわしにまですら至らなくて幼児みたいに自分の下の名を自分の一人称にする女なんて論外だぜ。
どういうわけかそういうのにかぎって意気がってたりするのもいるけどああいうのはオレたちの部族ではない。
部族ではない。
誇り高きオレたちの。

ハルの一人称は、世間的には「わたし」だと思われているだろうが、「た」と「し」のあいだにかろうじて聞こえるか聞こえないかの風情で ちいさな「く」がはさまっている。
だから「わたし」ではなく「私」なのだ。
生まれついての(かどうかは知らんがそう思わせる)エレガンスでさ。なにか優雅で 高貴な カンジでさ あの「私」の発音はハルにしかできない。
ハルが男であったときから知っている。
ハルが男でいてくれたらよかったのにな。
大好きだし。
でも、きっと手は出せなかっただろうな。
オレにだって、手を出していい相手と そうでない相手はわかる。
ハルは、大事だから終始手は出せなかった。きっとこれからもずっと。

わたしわたし、たわしたわし、を連発する女の代表格が ペコだけど
あいつだけはまあ許しておく。
わたしわたしわたしを連発しないといけないほどのひ弱な人格があって
あいつはそれを奪われたらどうなってしまうかわからない。
でも じつは だれも ペコの 「わたし」 になんて 興味ない。
あいつはそれがわかってない。いや薄々わかっていながら、目をつぶっている。
だから、ちょっと、ほっとけないところがあってさ。
ホントはあんなタイプの女は大嫌いなんだけどさ。オレの裏人格みたいで
ほっとけないのさ。
誰とでも寝る女と 誰とも寝ない女
という裏ではないよ。念の為。

2019年6月10日月曜日

三月のあけがた。夢想

ことばが春の夜の風にのり
黒い梅の枝のように
あなたにむかって どんどんのびていく。

と、おもうまもなく
あらあらしい手によって
いともかんたんに振り払われてしまった。

ぱらぱらとむなしく散ったことばは
地に墜ちて
こんどは
下へ下へとどんどんもぐっていく…

せつない重み

2019年6月9日日曜日

ボール箱の隅に白墨で書いたサヨナラが
君の手に届くまでの長い長い猶予期間を

ボール箱の隅に白墨で書いたサヨナラが君の手に届けられるまでの長い長い猶予期間を
発送済ボール箱のなかにかくれ棲んで砂場つくって遊びながら
カナリア獲る猫の手肢を隠匿するためのサインを偽造しながら
君に聞こえぬように何度もつぶやく je ne vous aime pas をねんいりに蔽い隠しながら

せっかち配達人にああもっと遅くもっと遅れてよと囁きながら
め立つようにと大きく太く斜めに書きつけておいた白墨の字が
もしかしてなにかの拍子にすれてこすれて消えてしまってくれないものかと希いながら

君のことをまるで知らないのにだって好きなんだもんとはいい気なもんだ!鉢植えする
ひ弱なひこばえにさらさらの砂をまぶし水気を与えて塊をいくつもこねこね団子にして
かこった砦にモビルスーツの人形と家を配しクリスマスローズをあしらいツリーをたて
1年と1ヵ月ぶりにめでたく恋唄パート2の残滓かきまぜながら

あのときよりもっと大量の薬をからだに容れる羽目になりひきかえにぽろぽろ欠落する
穴・孔・洞・瘢痕・腫脹のたぐいはあのときよりさらにでかく無数にぼこぼこに空いて
その袖にすら未だふれることかなわぬ君の繊い腕ならすっとくぐりぬけてしまいそうな
おめず臆しておびえるうちにかえってかぜに剥がされつくして無くなってしまいそうな
おもいおもい物質的条件を呪いながら避けたくて避けられぬさかづきにおののきながら

箱にはいってから君へのサプライズこしらえるドロナワに自分であきれてわらいながら
砂場に造った庭をどのように説明すれば喜んでもらえるのやら
口の中で繰り返し繰り返し君へのささやかなプレゼンテーションのリハーサルしながら

なけなしのながらながらがなくなればみじかい猶予もおしまいになるのをおそれながら
証拠物件の死体のありかの輪郭ふちどるように白いチョークで
かならず書きつけておかねば許されぬサヨナラの文字をわざと荒っぽく書きつけながら
そこがただしいアドレスかどうかも知らず君の居場所を宛先に
わたしわたしわたしのぜんぶを時計とともにとじこめて封印し
けっきょく言えることといったらこれでぜんぶ「これでぜんぶ」がぜんぶと知りながら

そのあとはせめて配送路を運ばれるあいだじゅう熱心にわらっていようとつとめている

だから
本当に届くか届かないのか覚束ないけどきっと迂回しながらも

サヨナラの痕跡がいよいよ君の目に届いたときには思い出してほしい。一瞬でいいから
ぼくの名前を        こんな署名が  あったことを
そのあとはこのこっけいなそまつなひつぎは笑いとばしてご面倒でもすぐに折り畳んで
焼却炉になげこんであとかたなく焼尽してくれていいのだから

2019年6月7日金曜日

るおるお

るおるおと啼くものがいる
るおるおと啼くものはどこにいる
るおるおと啼くもののありかをしらず
  肉は悲し すべての書は読まれたり
と つぶやく声がある

2019年6月6日木曜日

せつな・い

虚空をやぶって
 音 が発せられる。
意味は津波のように あとから襲ってきて風景をなめつくす。
意味のやってくるまえの ほんのわずかな空隙 その刹那
不安にふるえる ことばが
いちばんうつくしい。

2019年6月5日水曜日

いきしに

かかえこ
 みにあえ
 なく失敗
 放出にも
 しくじる
 手のひら
 にぬれた
 感情がい
 ちまいべ
 っとり貼
 りついて
 いる審判
 の笛がピ
 ッと鳴り
 hold の
 宣告

  先刻承知
  保持して
  いてはボ
  ールゲー
  ムはなり
  たたない

にからだ
の湿気が
糊のよう
に作用し
てここを
脱け出す
ことがで
きない。

   ああうるさい
   発生源が近い

もしなにも
ながれのなかにはいっていなければ
くりかえすまい

いきしなに捨てていけばいい
そのていどの

ゴミ

ホコリ とて
僅かに なければ
澄明として
輝くこ ともあ

まい   が

きみにかくしたひとすじの
犀のつの
にはいった罅
もしくは
なだらかにおくれるひとたびの
逢魔
ひとむらの大砲
じゃとてたかがゲームじゃいきしにわけるといってげんじつのいきしに
かかわるわけでなし
ただ やわらかい沃土に
いたいたしげな いくせんすじもの
かすり瑕をつける

かなしいのびあがり
とめどのない
やすらへ
わすらひ
ながくて
ごめん

おおい!
もうもう くりかえす
おおいかくす
免責事項
おねげえします
みになってがんがえてみ
がんがん がん みて

さいしょうげんここでかくしんしたことがあらう
さいだいげんここでかくしんすることがあらう
ここにかくれていないすべてがあらわになる
かぎり
でも
ただしくてごめん
あわ
ただしくてごめん
          いきし てますか?
         へろへろ
        あいし てますか?
       なりふり で
      どこま で ふり
     ゆくの ですか?
    つづけるの ですか?
   やめる のですか?
  いかにして
  ひとは
   ほらほら
         はらほろひれ

よしんばしょうどうこときれてもなにもじゅうじゅうきずおふじこなんてあるわけない/にもかかわらずそれそこそのときにかぎってじゅうだいじこ/にじゅうだいじこ/にじゅうだいのじどうじこ?じどうしゃじこ?にじゅうさんじゅうにこときれていくじどうしょうどうのかずかず/ぶちぎれるハタチの児童の二十台のたまつき自己/事後の事故/しじゅうだいはしじゅうからその二倍ぢごくふたつぶんてんごくはんぶんけちけちするなば損害あらかじめヘッジしておくがよろし/しかしくわねどへっぽごさむらいじぇにはなくとも精神だし惜しみはしないのさそんなにきずおふのがいやか

生きしな に
息しな い
はずかし くない
はずかしく ない?
ほんたうに?
行きしなに
拾っていってよ

とりあえず徴は所詮とりあえずと知れり
それでも空白をうずめるために強迫的に
つぐことば世知にたけた世辞 世事にう
とい世知辛 市場サイアクのシンクロニ
シティ
                    まちなかで
           じゅうしょうでしぬのがいやか
           きずしょっていきるのがいやか
           不可能な身体になっていきるのは
           ふがのうか
           ふがいなか なかなか

ほら円のある竜巻/ふちのある空/きりとられた窓枠/うつりこんでしまった傷痕/削りとられた和解のふしぶし/すりきられたほまれのかずかず/なによせもない逢瀬/おしとられた無理きり/かわいそうな
かわいそうなあのこ!もてあますアマテラス/アマリリス/アイリス/アリス/リリス/イヴ/スピカ/カペラ/ヴェガ/えりざ/かみざ/蟹座/かすりざ/ほとけのざ/座椅子/ざいすいす/在スイス

イタリーとの国境をわたる/さんろくの/からす/三六の/ガラス/独身者の/大鴉/でんせんをわたる/てだれの/てぶれの/ひょうめんをつたふ/三界に/転生する/てんかいする/はんてんする/反る/帰る/換える/孵る/てごめの




えりしなにとってくるからとめんどくさそうに
  よばせてこわせてさかさづるのだ
いくさきからかえりのことなんか
  かんがえていてはだめ
まだわたしたちはかえりとに
  ついていない
     のだから

よんど
ころなくなきなきかえるみちすがらまだいきさ
きすらみえていないといふに

2019年6月4日火曜日

김치ではない

自分が在日コリアンの詩人とか紹介されると地元に凄すぎる大先輩がいるので俺ごときがそんなふうに名告るのはおこがましいけど、でも、ま、俺の生活のその他の部分がクズ過ぎるんで自分に誇りが持てる部分といえばそこだけしかないわけで、むしろ積極的にそう名乗ることにしている。含みは詩人なんかではとても食えませんので生活をたてる手段は別にあるんです。
そのクズな俺のたつきは・・雅之がどこやらでバラしちまったみたいだけど。
もちろんセックスワークに誇りを持ってるプロの人たちが多いことは承知しているしセックスワーカーが一律人間のクズだとか言いたいわけではない。だけどこの人類史上最も古い職業といわれるこの商売はバスマットのように人に踏みつけられ蔑まれてナンボのところも確かにあって(だからこそ崇高さを帯びるという逆転もまた確かにある。俺はもちろん古代の巫女のようには語れないが・・)クズはクズでしかないことを心得たうえでの稼業ではないかと思っている。もちろんこの世界でキャリアアップしていく気はなく(出世して?めでたく女衒になったらもっとクズだ)自分が商品価値のあるうちにせいぜい稼げるだけ稼ぐ。いまは貯金のためにそうしている。あるていど金がたまればすっぱり足洗って気立ての良い女の子と結婚して正業について身を固めるつもりだ。それまでのモラトリアム。もちろん楽ではないけど金稼ぐ手段だと割り切れば、ね。
しかし俺は、そうやって人間のクズに落ちぶれて風俗やってる自分をどこか他人事(「たにんごと」と読むな「ひとごと」と読んでくれ)として冷静に眺めている自分がいて、そのお陰で自分を保ってられる(つもりでいる)けど、雅之は弱すぎるだろう。もし俺があいつをこの世界に引きずりこんでしまったとすれば、取り返しのつかないことをしてしまったな。あいつには冷静に自分を眺める視点なんて持ちようがないだろ。馬鹿だから。このまんま際限なく堕ちていってしまわないかと心配でたまらない。
俺の長姉は(ちなみに長姉の下に次姉がいて俺は末っ子の長男にあたる)古い日本映画の大ファンで、雅之みたいな馬鹿がいやしくも京大出身で美男の名優とおんなじ名前なんて許せん・・と常々言っている。あいつの両親はそういう意味でつけたんじゃないらしいが。
ある日の馬鹿会話。
俺が(なんかの話の流れで)民団の建物の正面に嫌がらせのように警察署があるのはあれはホントに嫌がらせであって俺たちが何か悪いこと企んでないかと常に監視しているのだ・・という誰でも知ってる有名な話(重言か)をしていると、雅之
「ミンダンてなに?」
小学校のガキの頃からつるんでる友達のくせしてそんなことも知らんのか。
「在日コリアンはミンダン系とソーレン系に分かれるのだよ」
「へーなんで?」
「くに本体が二つに分かれてるからに決まってるだろ」
「へー・・で、島ちゃんはどっちなの?」
「さっきから話題に出ているミンダンである。」
「そうなの。それって北か南かどっちなの?」
「教えてやらん。お前みたいな物知らずは手がつけられない。宿題にするから調べて来い」
わざと意地悪な言い方するとテヘヘと笑った。これだから・・。
俺はといえば、件の民団のやってる韓国語講座に5年も通ってなかなか上達しないナサケナイ日本語ネイティブだ。
家族で本国の親戚を訪ねたり本国から親戚が訪ねてきたりするときは俺以上に韓国語がまったくダメな両親に代わって通訳を務めないといけないのだが笑ってしまうほど不備すぎて、親戚の側からも家族の側からも責めたてられ呆れられる。えーと、それって俺の罪なんですかぁ〜?
くにとの心理的絆はずいぶん薄くなってきている。韓流が話題になりK-POPのアイドルがテレビやなんやに出てきても特に自分とのつながりは感じないし。J-POPもK-POPも似たようなもんやん。(俺自身は洋楽でもっと遡って大昔のブルースやブルースロックが好き)。二人の姉も母も韓流ドラマや韓国映画よりも日本のドラマや映画の方が好きみたいだし。(まったく毛嫌いしているわけではなくそこそこ見ているのだが自分の国だからと特別な思い入れはないようだ)。
但し家族一同、困ったことにスポーツでは断然韓国を応援する。
俺もいまどきの面白い韓国映画、在日コリアン監督の映画に関してはたぶん日本人の普通の子らとそれらとの関係とあんまり変わりないだろうと思う。特に自分がこうだからどうということはない。
趙方豪(「ほうごう」とか読むな「ばんほう」と正しく読んでくれ)といえばそりゃ『ガキ帝国』の優しさすら帯びた兇暴さは申し分ないけど『三月のライオン』の繊細さの方がどちらかといえば好きだとか・・。
ちなみに方豪は、小さい頃から俺が実の親父よりなついてた叔父と同年代で面差しもどこか通うところがあって昔から俺のアイドル。
女優ならばエロい役を演じるときの李美淑이미숙がいいな。・・って古いよな。もちろん同時代ではなく後追いで発見している。実は韓国映画は昔のの方が好き。
俺が日本人の普通の子たち相手にくにネタを話すときは小ネタばっかりで・・
たとえば、在日の青年はちょっと政治的な発言したり活動したりすると3人の尾行がつく。って話も叔父から仕入れた。叔父はちょうど光州事件のあった頃、日本の国立大学で大学生をやっていて同じ大学の在日の学生がスパイ容疑をかけられ韓国当局に拘留されて酷い拷問を受けている事件の解放活動に加わっていた。
叔父が言うには、そんなふうに活動する在日の学生には一人につき3人の尾行がついていたと。一人は日本の公安警察、一人は韓国の諜報機関(悪名高きKCIA?)、いま一人はもちろん朝鮮の諜報機関。うーん、しかしそれって効率的なのか? でも実際にそれで引っ張られる学生もいたらしいし彼らの情報収集力はそれはそれは半端なく優れたものであったらしい。
叔父の世代だと朴正煕박정희だの全斗煥전두환だの口にするだに忌まわしくそれが今となってはパクの娘がなんでこんなにも票を集めてるんだ?といまどきの本国人を信じられないという口勿だがかつて学生も知識人も軒並み左翼であった時代に北朝鮮が地上の楽園とか崇め奉られ若い世代がどんどん帰国していったその後の裏切られ感はハンパなかろう。
総てこの叔父に教えてもらったことだが俺の祖の地にあたる済州島の事件にしても光州事件にしても最近知った神戸朝鮮人学校事件にしても理不尽で悲惨な話はいっぱいある。語られるべき話はいっぱいあって、もちろん悲惨ばかりではなく美しい話、愛すべき話、面白おかしい話、エロい話もグロい話も、祖国はゆたかな物語の群れに満たされている。深いふかい物語の霊のようなものが半島のそこかしこに宝石の鉱脈のように埋もれ隠されている。しかしそれを語るのは俺の任にあまる。それらを語るには自分はまだちっぽけすぎる。
だからとりあえず短い言葉を綴ることから始める。
それも日本語で。
某氏の映画タイトルではないが「あんにょんキムチ」な自分を自分のまま語るところから始めるか・・といったところか。
そうそうそれで思い出したけど俺は松江哲明サン(知り合いではないが)と違ってキムチは大好きだ。母が(「オモニが」とかは恥ずかしくて言えない。「ハルモニ」は言うかも?)漬けたキムチを美味しく毎食のように食べて大きくなったがこの母が漬けたキムチが、日本を訪ねてきた親戚一同の女性陣に物議を醸したことがある。もちろん市販の「キムチの素」なんか一切使っていない、近所の日本人主婦たちを自宅に招んで韓国料理教室まで開いている母が万全を期して渾身で漬け込んだ自慢のキムチである。親戚のなかでも歳の若い女性陣にはおおむね好評だったが年嵩の女性陣は「これは김치ではない기무치だ」と言い張るのだ。ローマ字で綴ると「kimchiではなくkimuchiだ」つまり本国の本物の김치ではなく日本式の偽物のキムチだというわけ。母にしてみれば内心煮えくり返るような思いであったに相違ないがそこは儒教式長幼の序が支配する席で無言のまま頭を下げるしかなかった。俺の舌には韓国で食べるキムチと母が漬けるキムチのどこが違ってんだかわからないけどな。単に俺の舌音痴のせいかもしれないが、また単に親戚のハルモニらのイビリ(順位を思い知らせるための上位から下位への牝鶏のツツキ・・ってホントにそんなのがあるのかどうか知らないが)という可能性もある。
   *
ついこないだのゴールデンウィーク。初めて一人で祖国を訪ねた。一人で行くのも初めてだったしいつも済州島の親戚の家に直行するので実はソウルに行くのも初めてだった。連休中の友達との約束が反故になって唐突に思いつき折良く比較的安めの(といっても連休中だから割高ではあったろうけど)航空チケットも手に入った。今回はソウルの空気だけ吸って来ようと思った。
旅先ではいつもそうするようにあてずっぽに街を歩きまわり街の中心部を流れる小さな川のそばが気持ちよさそうだったのでずーっと辿ってキリのいいとこまで行きまた対岸をずーっと戻ってきた。この川端は地元の人たちにとっても憩いの場になっているらしく何人かで滞留している人たちがいたり一人でぼうっと座っている人がいたり俺みたいにぶらぶら散歩している人がいたり川岸の壁面に絵や書が描いてあったりオブジェがあったりところどころでアートや写真の展覧会をやってたり・・。あとで地図をみて清渓川というのだと知った。
この街には街の真ん中に清い渓があるわけだ。
いつかのような渓谷ではないからハヤブサは飛んでなかったけど名前を知らない小鳥たちがせせらぎをちょんちょん渡っていたな・・。
(もちろん「ちょんちょん」がオチではない。俺の上の世代だとゾゾっとするだろか?俺はなにも・・)

2019年6月3日月曜日

いつかまた移動をはじめる日まで




…ではないものを
のみこむ

…ではないものをのみこんだやさきに
ささと
ささや
ささやか
ささくれ


くれだつ
…てのものが
ある

ささやかれ
かれ
かれ なる


の身体
を のみこむ



飲み込んだ瞬間を覚えている。記憶というより記銘というべきか。
それはJLG氏がみずから監督した映画のなかで黒い衣装に身をつつみ
みずうみのそばで如何にも映画的な道化師然として身軽な跳躍をみせていた、
その動きに反応してあてさきのないaimerのゆくえにmisfitな想いがあられもなくみそびれていくのを自覚したみぎりだったのかもしれない。

みずいろ

そのまえに
まずアンバー。
アンバーをダークに溶く
次第にダークに
底辺にはチャコールグレーをすこし毛羽だたせ
黒いシルエットとの境界線はくっきり
うえのほうは光色の黄を刷き
うっすらなでしこ
それから
灰色のまじったみずいろ。
みずいろ
みずいろはだんだん
上方にむかってだんだんインディゴブルーに
深くなる。

そのスキマに
ふいに鏡面が割りこむ。
白く白いハイライトを点々と置いてゆきながら
ゆれるチャコール
ゆれるアンバー
ゆれる黄
ゆれる水色
そしてインディゴ
そのつどあたらしい
波うつ水面
またふいに消え去る。

「うし」というコトバがこないだから肩胛骨の内側あたりに滞留している。
かたく確実な質量をもちおもく輪郭をもってそこに居住しているが
ちっとも不快ではない。
くくくくくく・・・とふくみわらいがもれそうな諧謔とメランコリーを帯びて
「うし」
「うし」
と自ら発音される
「うし」は
いまにも腿の前面あたりに第2の出張所を
ヒップのえくぼのあたりに第3の出張所をつくって
子分たちを送り出しそうな勢いである。
暴力団的に自動的に描かれるポートレートに「うし」という瘤が複数で不法滞在する。
あちこちで勝手に
「うし」
「うし」と
自ら発声する。
いつか移動する日まで
そしてまたふいに現前する
アンバーと黄のひかりとブルーとは
あおじろく放電する一定の厚みをもった狭めの肩と
くろく繊いくるぶしと
スローハンド早撃ちする恐怖のまなざしをそなえて
ひとをその場に凍らせたあげく
まったく不似合いな優しいコトバをくちにする。
目的語をとらない「愛する」
そういえば
フランス語の動詞の変化はまずこれで学ぶのである。
目的語をとらない「愛する」
日本語にはないコトバ
きのうはもっとのんびりしてて
「ひとはひとをいとおしくおもうものである」
という述懐のうらに
きょうは
「だれからものぞまれないひと」
があって
ひとりでにうごきだす。
かってに移動をはじめる

2019年6月2日日曜日

マルは大馬鹿だ。

 ひと(他者)に対しては容赦ないくせに自分に対しては最大限の気遣いを要求する。ひとは自分を崇めるべき讃えるべき誰よりも大切に扱うべき。自分はfragileでvulnerableなオルゴールなんだから。マルはいつもマルにかしづく男たちに囲まれてそのなかで女王然として気ままに尊大に振舞っている。
 しかし私は知っている。私はマルよりもその母親と早く知り合っているがマルが毛嫌いし一見正反対に見えるその母親と一点、母娘で非常に似ているところがあってそれは自己評価が極端に低いこと。二人とも「自分が嫌い」なのだ。母親の方は愚痴ばかり言いつつ夫のDV(主に精神的な)から逃れられないでいてむしろその被害者であることに自分の存在意義を見出しているしマルのニンフォマニアだって各方面に迷惑かけ倒し本人も傷つくだけの(蛸が一本いっぽん自分の足を食うに似て・・って自然の蛸はそんなことしないだろうが比喩でよくいわれるように)魂をみずからすこしずつ喰らって喰らって損なっていくような、あの性癖は肉食系と呼ばれる女子のそれとは同一ではない。だって肉食系女子なら自分の食指の動くところ上手に狩をして自分好みの男(とは限らないが)と上手に遊んで上手に捨てて誰にも迷惑かけず自分の旺盛な食欲を首尾良く満たしてしまいだろう。マルはそうではない。マルが連れてる(連れられている?)男はその都度その都度バラバラでマルにはタイプというものがない。つまり来る者来る者拒まず求められたら誰にでも尾いて(ついて)いく。それが何かとトラブルを引き起こし周囲の迷惑の種になる。上手に遊ぶどころか知らん間に他人(ひと)の男を盗る結果になってたりで泥棒猫とか罵られているところに居合わせたことがあるがあれはワザと盗ろうとして盗っているわけではなく(もしそのつもりならもっと巧くやるはずだ)マルの方がうまく(というより拙劣に)遊ばれただけなのだ。いつもはあれだけ強気で辛辣で女王様キャラのくせに(というよりその女王様キャラのままで)男の要求のいうがまま、なすがままになる。マルはそうやって自分を少しずつ削っていく。マルは自分を崇めさせ同時に自分を踏みつけにさせる。東大狙えるほど賢いくせしてその一点についてはマルは大馬鹿だ。
   *
 マルがヴォーカルを務めるバンドのライブを聴きにひとりで出かけた夜。演奏が終わって私の姿を認めたマルは「ハルっ!」(←キナコではないほうの私のニックネームね)と叫ぶやあのまんまるのからだで鞠のようにまっすぐ私めがけて飛んできてドッヂボールのように私の胸にドスンと収まり私をぎゅっと抱きしめた。それから熱いくちづけ・・オイオイ・・私はいいんだけど(いやよくはないけど)マルは女好きではないのではなかった?ひとしきり周りの注目を浴びヒューとか口笛吹かれたり呆れられたり囃し立てられたりしたあと・・私の目を上目づかいに捉え直して「うふふふふふふふふふ・・」と含み笑いするマルの目は化猫みたいにあやしく光っていた。入江たか子かチェシャ猫か狡さと愛らしさと邪(よこしま)と妖しをふくんだ猫目。含み笑いをずっとずっと続けるばかりであとは言葉が出ない。いやたぶん言葉を綴ることのできない状態。ドアへの狭い階段を降りるといつもガンジャのぷんと臭うクラブ。なにをやってんだか知らないがなにかやってることだけは見当ついた。
 ヴォーカルというよりヴォイスパフォーマンス。意味のない、メロディではない12音階に沿わない突飛な音を声帯や口腔や唇やからだのその他の部分を駆使していろいろたてる。背後にテクノっぽいリズムと音楽はあるもののそれに合わせるでもなく完全に外れるわけではなく音は言葉としては分節しないが耳の端々に意味のカケラを落としていくときもありマルが言うには日本の古典とか誰かの詩とかをやってたりすることもあるそうな。いつもあとの3人(ギター・ドラム・シンセ)は入念にリハーサルしているそうだが自分は最後の最後に(女神降臨よろしく)加わるだけでホントの即興性を保つためにいつもその場かぎりでやるのだと言っていた。
  *
 シンセ(というよりパソコンはじめあらゆる電子機器)担当の子がカナダからの留学生で結構なアウトドア派でお気に入りの渓谷があるというので新緑の頃その子とマルと私ともう一人いたっけな?誰だっけ?そうだ在日韓国人の詩人の男の子との4人でハイキングに行ったことがあった。なんでそんなメンバーになったか記憶がない。
「この子は在日韓国人でバイ(セクシャル)」とマルが紹介すると
「なんでそれくっつけて言うかな〜」と忌々しそうにその子。
「ごめん。で、詩人」
と言われると姿勢を正して
「〇〇です。よろしく」と初対面の二人に手を差し出した。
 いまどきその若さで詩人を誇らしく名乗るところに好感が持てた。
「では国籍もセクシャリティもバラバラな4人のアーティスト御一行様ということで・・」と私。
 5月の渓谷は本当に素晴らしくてまぶしくニュアンスある光と風と
山の木々も緑。渓流も緑。この素晴らしい風景は筆で書きつくすことができない。
 カナダ人がなぜ自分はこの渓谷が好きでよく訪れるのか美点を数々挙げたなかに
「僕の好きなfalconも飛んでいるし・・」
「falconてなんだ?」と在日韓国人。
「・・鷹、かな?」と私がフランス語の知識を引っ張ってきて言うと
「鷹はhawkでしょ?ホークスは鷹だもんね」とホークスファン(かどうか知らんけどプロ野球ファンではあるらしい?)韓国人。
 目の高さに渓谷を行き交うその鳥が確かに猛禽類であることを確かめながら私が
「あ、そうか。・・じゃ小型の鷹?」と言うと
マルが「隼(はやぶさ)」と正解を言った。
(・・東大受験生に負けた)。
 あんときは廃線のトンネルの中で4人でやった即興パフォーマンスがいちばんのハイライトだったな。
 トンネルの中だから音響がものすごく響いて快い。
 廃線のレール、大小の礫、石ころ、木ぎれ、金属片、手持ちのあらゆる持ちものを駆使して打ったり叩いたりぶつけたりこすったり思い思いの音をたて、その音を背景に4人のひとの声を重ねる。メロディや歌詞のある音楽ではなくマルがいつもやるような声のパフォーマンス。声量のあるマルに対抗して男3人が負けじと声をたてる。(え?私も男?)
 いい感じになってきたところでマルが私に命令する。
「ハル、踊って」
(そうだった)
(もちろんですとも!)
 私は立ち上がり、即興で舞う。
 そのときの衣装(そんな予定じゃなかったので単なる普段着の白シャツに墨黒のタイパンツ)にあわせて白の紙に薄墨で書を書いていくようなイメージ。
 白い紙が宙を舞う。流れるようにたゆたうように襞をつくりながらしなやかに胡金銓の映画内を吹く風に吹かれるように自由に気ままに・・。紙を追って、たっぷり墨を含んだ筆が舞う。紙と筆は中空を追いつ追われつトンネルの天井を指して光のある入り口を指して走り揮う。中空でなん戟(げき)かずつ切り結び追っては躱し(かわし)追っては躱しをくりかえしたあとついにわずかに筆が紙を捉える。すっとすれちがう。やわらかく接触する。するるるとこすれあう。紙を捉えた筆は巻きつかれながらもこの機をのがさずずんと筆圧を加えトンネルの側壁に紙をつなぎとめる。おしとめる。最初はたっぷりと水を含んだ墨色つづいてランダムにやってくる側、勒、努、趯、策、掠、啄、磔・・墨は伸び、かすれ、筆は割れ、虚空をめがける。テクストはアルチュール・ランボーかロラン・バルト・・かな?(もちろん踊ってる最中は夢中でそんなもん考える暇はないけど)。
 音にあわせ、音にずれ、おくれ、あそび、走り、跳び、あかるい五月の光のなかでそこだけは薄暗くひんやりするトンネルの空気をかきわけて私は踊った。
 やがて。
 ふう〜っとみんなの空気が収まりセッションが終わったあと。
 カナダ人が感に堪えたようにあらためてふうぅーーっと大きな息をついた。
「よかったなあ!・・すごくよかった!」
「こんなことならビデオに撮っとけばよかった・・」
 それを聞いてマルは最後にまた大きな声でカラカラカラ・・と笑った。(マルはたぶんそういう記録なんて信じていない。なにごとも即興が最上。いまが最高。2回目よりも初回だと信じる子だから)。
 あれは・・なんという至福のときだったろう。
 あの刻は もう二度と再現できないな。
 夜まで火を焚いて渓流の音を背に酒盛りしてほたえあった。帰るときはみんな上機嫌でかならずもういちどやろうねと誓い合ったけどその後ふたたびやるチャンスはないまま。



2019年6月1日土曜日

ペコの貌(かお)

顔に怪我したときの補償額は女性と男性で違うと聞いた。
それって差別だよね、と思う一方、それだけ女性では顔が人生を決めてしまう現実があるんだからしょーがないよねとも思う。
なんでわたしはこんなにもじぶんの顔が気になるのだろう?
わたしが女だから?
顔が良いと幸せ。
顔が悪いと不幸せ。
顔が良い人は幼い頃からみんなに可愛がられ恋愛も結婚も就職も社会関係も全部うまくいくし挫折もないから素直におおらかに育って性格も良いでしょ。
顔が悪い人は幼い頃からみんなに邪慳にされ何かと逆境に遭い性格もひねくれて人生ますます悪循環に陥るでしょ。
だからわたしははじめっから人生を諦めてるの。
わたしの顔では一生結婚なんかできない。幸せなんて望めない。
たまたま就職はできたからいまの会社にしがみつくしかない。
よっぽどブスなんだとお思いでしょう?
それどころか。
わたしの顔は怪物だ。
(・・いそいで注釈しておくと顔にアザがあったり傷があったり先天異常があったりする人たちの社会的活動はすごく大切だと思うしがんばってほしいと思う。でもそういう人たちの顔をいろんなメディア通じて見てみてもわたしには「怪物」とは思えない。むしろ綺麗だと思える人もいる。わたしの顔の怪物性はまたちがうカテゴリーなの。活動とかではどうにもならないたぐいの・・。)
(・・じぶんの顔に不満なら整形すればええやんという人もいるけど整形で調整できる程度の方々も羨ましい。目をちょっといじれば鼻をちょっといじれば理想の顔になれるんでしょ? 一重まぶたがずーっとコンプレックスだった中学生も高校か大学生になってプチ整形でもすればすぐなおるんだからこれほど簡単なことないじゃない?わたしの顔はひとつ一つのパーツがどうとかではなくむしろパーツの一つひとつはたとえば二重まぶたでそれなりに許せてもそれを収めるべき全体がもうダメだからダメなの。もう整形のしようがないの。)
わたしの顔の怪物はね。
たとえばゴヤのサトゥルヌスとかフランシス・ベーコンとかのたぐいね。
わたしの顔はほっとくとどんどん端へ端へとながれていく。どんどん輪郭が崩れる。際限なく広がっていってカオスになる。ニンゲンを逸脱してニンゲンの顔でなくなる。幽霊になりそして怪物の顔になる。
とくに夜。一人で部屋にいると自分の顔が端っこから融けてながれて中心が歪んで捩れてベーコンみたいな顔になっていくのがまざまざとわかる。
だから毎朝起きるとまずじぶんの両頰をぽんぽんと叩いて確認する。まだ固形物かしらん?融け落ちてデブリになってないかしらん?
おそるおそる鏡を見てニンゲンの顔に見えるか確認する。
ああよかった。まだニンゲンだ。
でも醜い。
ああ醜い。
醜いけどとりあえずニンゲンだ。
で、ホッとする。
でも鏡を見るのはほんのチラッと。あまりに醜くて正視できないから。社会人として化粧はしないといけないので最低限の化粧はするけど鏡を見ずにする。じぶんの顔を確認できない状態で化粧するわけだからひどい出来だろうとは思うけどそれしかしようがない。
なんでわたしはこれほど顔に取り憑かれているのだろう?
こんな変な妄執に取り憑かれていることを多くのわたしの知人友人らは知らない。そんなこと会社で口に出したりしないから普通の人と思われている。
思いあまって訪ねたセラピストは「醜貌恐怖」という言葉を口にした。女性のセラピストだったけどいろいろしゃべっているうちになぜだか突然怒り出した。確かにその女(ひと)は美人とは言い難いお顔の方だったけどべつにごくごくふつうの顔した女性だ。正確な文言は覚えてないけどこんな感じのことを言った。貴女は(わたしのことね)私(セラピストさん)に比べるとずっとずっと美人だ。私なんて外見に関してはコンプレックスのかたまりで不細工のせいで昔から随分損をしてきた。貴女なんかそんな風に損したことなんてないでしょ?心当たりある?ないでしょ?そんな貴女が自分を醜いと言い張るのはおかしい。決定的におかしい。おかしいだけではない、ホントに不細工な私みたいな女をないがしろにしている。美人なくせに自分は醜いのだと言い張る人たちはそうすることで自分よりも醜い幾多の女をないがしろにしたいだけなのだ。ただただ人を踏みつけにして自己防衛したいだけなのだ・・(みたいなことを怒りながら言ってた。)
ちょと呆気にとられてしまって・・
まーったく心当たりないんで・・
ええと、不美人だと心も歪むという典型の方ではありません?
わたし、わたしは自分よりもご面相の悪い人をないがしろにするつもりなどありません!
というか、そういうことが問題ではないの。じぶんの顔が怪物であることを問題にしているのであってほかの人のことなどなーんも考えていないの。比較の問題ではないの。なんでそれをわかってくれないのか・・。
べつの友達はこういう実験をしてくれた。女性の肖像写真を10枚用意する。ある一枚とべつの一枚を比べる。美人は右へ不美人は左へ。この検証を繰り返して右から左へと美人から不美人の順に並べる。で、あんたの顔の写真を出してごらん。(携帯で簡単に撮れるし。)あんたはこの人と比べて美人?不美人?いちばん右のいちばん美人よりは確かに劣るわよね。でもいちばん左のいちばん不美人よりは明らかにマシよ。自分の顔がこの美人の10段階のどの辺に入るか検証してごらん。で、一人ではできないわたしの代わりに検証してくれて、わたしの顔は真ん中より少し右寄り、つまり相対的に美人側に入ると判明した。ホラあんた美人じゃん。何が不満なん?なんでそんなにじぶんの顔が醜いなんて思い込んでるの?
そう言われるとなにも言い返せないんだけど・・。
でもやっぱり「怪物」という概念はまたちがうと思うんだけど・・。
だって客観的美人でも怪物顔っているでしょ?
おお!恐ろしい話を始めた。
たとえば(めちゃ古い例だけど)原節子ってとんでもなく美人だけど同時に怪物ではない?
おやおや貴女は自分と原節子を同列にお扱いになる?
いえいえいえいえいえいえ・・とーんでもない。いや、ただ、世間で言うブスとか不美人とかとわたしの怪物はちがうと言いたいだけで・・。
そんなにも自分がとくべつだと言いたいだけ?
じぶんのエキセントリックを売りにしたいだけ?
・・そうなるともうあとは責められるだけ。
・・何にも言い返せないけど悔しさがこみあげる。
けっきょくわたしの悩みは誰にもわかってもらえなくてそれっきりになる。
優しい人はむしろそのことに触れない。
わたしの醜貌恐怖を知ってる人はわたしの周りに数人いるけどべつにもう特にそのことを話題にすることはない。
めんどくさいから触れないだけか思いやりで触れないのかどちらかわかんないけど・・。まー後者と信じておこう。
わたしは毎日機嫌よく会社に出勤し12年間クビににもならず目立たないふつうのOLをこなし休みの日は大好きなアイドルのコンサートやイベントなどを見に行き休暇が取れればアイドル追っかけて日本各地・香港台湾北京まで行き少し長めの休みが取れたらニューヨークかロンドンに飛んで本場のミュージカルを見る。
優雅でしょ?自宅通勤でそれなりの会社のそれなりのOLとして鬱陶しい人間関係や理不尽な扱いに耐えつつ働き続けてきたからこそできることなんだけど。
そんな生活に満足している。
貯金なんて一切ないし一人暮らしの女性の貧困にいつ陥るやもしれないあやうさは常に常にわたしを脅かすけど・・
アイドルだけを心のたよりとしていっぱいいっぱいファンタジーに耽り現実の男の人とおつきあいなんてしないしお見合い話も受けない。
だってみんなわたしの本当の姿が見えていない。
いや見えていてわたしに本当のことを言わない。
わたしが
怪物だってことを。