2019年6月22日土曜日

ボール箱に砂場(というラベル)

『ボール箱に砂場』というのは七木まや名義で出版したわたしの唯一の活字化された作品集です。1冊だけ手元に残したそれをいま読み返すと、詩作を自己セラピーに利用した経緯があからさま過ぎて赤面します。
中学高校時代からそれなりに好きだった詩作の趣味ですが、20代後半のある時期、今から思えば「軽い鬱」だったんでしょうけど、あることをきっかけに精神的ピンチに襲われて、それを救ってくれたのが詩作だったわけです。そのとき、パソコンに向かって、一心に文字を綴り、文字を綴ることが、自分を癒すことになったその情景を、あたかも客観的に映像でも見るように想起することができます。
初めての詩集を出版するにあたり、時期尚早というアドバイスを信頼している人からいただきました。本当の(だっけか?)詩人を目指すなら安易に詩集というかたちで出版物を残すものではない。しばらくは辛抱して書き続けるべきだ。・・みたいなことを言われたと記憶しています。でも、わたしは、結局自費出版というかたちで本にしちゃった。それは、やっぱり、それがそのときのわたしにとって必要だったから、としか言いようがありません。
いちばんピンチのピークで書いた最初の詩を覚えています。そのときの天候と、そのときのパソコンも。そして、最後に、ああ抜けたなぁ・・と思い、安堵して書いた詩のことも。 そのホッとして書いた詩が、いま読み返すと緩すぎて(笑)。ようこんなもん活字にしたなぁと、いまでは恥がましく笑って振り返ることができるのですが・・・。
で、ほんまに、その「通り抜けた」あとで書いた詩のあと、わたしはピタッと書くのをやめてしまいました。 いわばプロの「詩人」となることをそこで放棄してしまったのかもしれません。表現として読者に見せることのできる詩よりも、自分自身を癒すためのものを選択してしまったわけだから。
・・なんて、恥をさらしてしまいましたが、でもまだ、表現として救えるものもあるのではないかと、『ボール箱に砂場』に収めた詩と、気分的にそれにつながるかなと思われるものに、このラベルをつけてアーカイブしていきたいとおもいます。
キナコの夢として書いた「童児神」のモチーフがそこにもあるので、「地母神」が最初のエントリーになりました。当時この詩を読んでくださった方が、宝塚の(もっと具体的には大地真央の)舞台を唄ったものと解釈してくださったのには、書いた本人がびっくりしました。わたしは特に宝塚のファンでも大地真央さんのファンでもないのです。偶然そのイメージが一致したんですね。

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