2019年6月2日日曜日

マルは大馬鹿だ。

 ひと(他者)に対しては容赦ないくせに自分に対しては最大限の気遣いを要求する。ひとは自分を崇めるべき讃えるべき誰よりも大切に扱うべき。自分はfragileでvulnerableなオルゴールなんだから。マルはいつもマルにかしづく男たちに囲まれてそのなかで女王然として気ままに尊大に振舞っている。
 しかし私は知っている。私はマルよりもその母親と早く知り合っているがマルが毛嫌いし一見正反対に見えるその母親と一点、母娘で非常に似ているところがあってそれは自己評価が極端に低いこと。二人とも「自分が嫌い」なのだ。母親の方は愚痴ばかり言いつつ夫のDV(主に精神的な)から逃れられないでいてむしろその被害者であることに自分の存在意義を見出しているしマルのニンフォマニアだって各方面に迷惑かけ倒し本人も傷つくだけの(蛸が一本いっぽん自分の足を食うに似て・・って自然の蛸はそんなことしないだろうが比喩でよくいわれるように)魂をみずからすこしずつ喰らって喰らって損なっていくような、あの性癖は肉食系と呼ばれる女子のそれとは同一ではない。だって肉食系女子なら自分の食指の動くところ上手に狩をして自分好みの男(とは限らないが)と上手に遊んで上手に捨てて誰にも迷惑かけず自分の旺盛な食欲を首尾良く満たしてしまいだろう。マルはそうではない。マルが連れてる(連れられている?)男はその都度その都度バラバラでマルにはタイプというものがない。つまり来る者来る者拒まず求められたら誰にでも尾いて(ついて)いく。それが何かとトラブルを引き起こし周囲の迷惑の種になる。上手に遊ぶどころか知らん間に他人(ひと)の男を盗る結果になってたりで泥棒猫とか罵られているところに居合わせたことがあるがあれはワザと盗ろうとして盗っているわけではなく(もしそのつもりならもっと巧くやるはずだ)マルの方がうまく(というより拙劣に)遊ばれただけなのだ。いつもはあれだけ強気で辛辣で女王様キャラのくせに(というよりその女王様キャラのままで)男の要求のいうがまま、なすがままになる。マルはそうやって自分を少しずつ削っていく。マルは自分を崇めさせ同時に自分を踏みつけにさせる。東大狙えるほど賢いくせしてその一点についてはマルは大馬鹿だ。
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 マルがヴォーカルを務めるバンドのライブを聴きにひとりで出かけた夜。演奏が終わって私の姿を認めたマルは「ハルっ!」(←キナコではないほうの私のニックネームね)と叫ぶやあのまんまるのからだで鞠のようにまっすぐ私めがけて飛んできてドッヂボールのように私の胸にドスンと収まり私をぎゅっと抱きしめた。それから熱いくちづけ・・オイオイ・・私はいいんだけど(いやよくはないけど)マルは女好きではないのではなかった?ひとしきり周りの注目を浴びヒューとか口笛吹かれたり呆れられたり囃し立てられたりしたあと・・私の目を上目づかいに捉え直して「うふふふふふふふふふ・・」と含み笑いするマルの目は化猫みたいにあやしく光っていた。入江たか子かチェシャ猫か狡さと愛らしさと邪(よこしま)と妖しをふくんだ猫目。含み笑いをずっとずっと続けるばかりであとは言葉が出ない。いやたぶん言葉を綴ることのできない状態。ドアへの狭い階段を降りるといつもガンジャのぷんと臭うクラブ。なにをやってんだか知らないがなにかやってることだけは見当ついた。
 ヴォーカルというよりヴォイスパフォーマンス。意味のない、メロディではない12音階に沿わない突飛な音を声帯や口腔や唇やからだのその他の部分を駆使していろいろたてる。背後にテクノっぽいリズムと音楽はあるもののそれに合わせるでもなく完全に外れるわけではなく音は言葉としては分節しないが耳の端々に意味のカケラを落としていくときもありマルが言うには日本の古典とか誰かの詩とかをやってたりすることもあるそうな。いつもあとの3人(ギター・ドラム・シンセ)は入念にリハーサルしているそうだが自分は最後の最後に(女神降臨よろしく)加わるだけでホントの即興性を保つためにいつもその場かぎりでやるのだと言っていた。
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 シンセ(というよりパソコンはじめあらゆる電子機器)担当の子がカナダからの留学生で結構なアウトドア派でお気に入りの渓谷があるというので新緑の頃その子とマルと私ともう一人いたっけな?誰だっけ?そうだ在日韓国人の詩人の男の子との4人でハイキングに行ったことがあった。なんでそんなメンバーになったか記憶がない。
「この子は在日韓国人でバイ(セクシャル)」とマルが紹介すると
「なんでそれくっつけて言うかな〜」と忌々しそうにその子。
「ごめん。で、詩人」
と言われると姿勢を正して
「〇〇です。よろしく」と初対面の二人に手を差し出した。
 いまどきその若さで詩人を誇らしく名乗るところに好感が持てた。
「では国籍もセクシャリティもバラバラな4人のアーティスト御一行様ということで・・」と私。
 5月の渓谷は本当に素晴らしくてまぶしくニュアンスある光と風と
山の木々も緑。渓流も緑。この素晴らしい風景は筆で書きつくすことができない。
 カナダ人がなぜ自分はこの渓谷が好きでよく訪れるのか美点を数々挙げたなかに
「僕の好きなfalconも飛んでいるし・・」
「falconてなんだ?」と在日韓国人。
「・・鷹、かな?」と私がフランス語の知識を引っ張ってきて言うと
「鷹はhawkでしょ?ホークスは鷹だもんね」とホークスファン(かどうか知らんけどプロ野球ファンではあるらしい?)韓国人。
 目の高さに渓谷を行き交うその鳥が確かに猛禽類であることを確かめながら私が
「あ、そうか。・・じゃ小型の鷹?」と言うと
マルが「隼(はやぶさ)」と正解を言った。
(・・東大受験生に負けた)。
 あんときは廃線のトンネルの中で4人でやった即興パフォーマンスがいちばんのハイライトだったな。
 トンネルの中だから音響がものすごく響いて快い。
 廃線のレール、大小の礫、石ころ、木ぎれ、金属片、手持ちのあらゆる持ちものを駆使して打ったり叩いたりぶつけたりこすったり思い思いの音をたて、その音を背景に4人のひとの声を重ねる。メロディや歌詞のある音楽ではなくマルがいつもやるような声のパフォーマンス。声量のあるマルに対抗して男3人が負けじと声をたてる。(え?私も男?)
 いい感じになってきたところでマルが私に命令する。
「ハル、踊って」
(そうだった)
(もちろんですとも!)
 私は立ち上がり、即興で舞う。
 そのときの衣装(そんな予定じゃなかったので単なる普段着の白シャツに墨黒のタイパンツ)にあわせて白の紙に薄墨で書を書いていくようなイメージ。
 白い紙が宙を舞う。流れるようにたゆたうように襞をつくりながらしなやかに胡金銓の映画内を吹く風に吹かれるように自由に気ままに・・。紙を追って、たっぷり墨を含んだ筆が舞う。紙と筆は中空を追いつ追われつトンネルの天井を指して光のある入り口を指して走り揮う。中空でなん戟(げき)かずつ切り結び追っては躱し(かわし)追っては躱しをくりかえしたあとついにわずかに筆が紙を捉える。すっとすれちがう。やわらかく接触する。するるるとこすれあう。紙を捉えた筆は巻きつかれながらもこの機をのがさずずんと筆圧を加えトンネルの側壁に紙をつなぎとめる。おしとめる。最初はたっぷりと水を含んだ墨色つづいてランダムにやってくる側、勒、努、趯、策、掠、啄、磔・・墨は伸び、かすれ、筆は割れ、虚空をめがける。テクストはアルチュール・ランボーかロラン・バルト・・かな?(もちろん踊ってる最中は夢中でそんなもん考える暇はないけど)。
 音にあわせ、音にずれ、おくれ、あそび、走り、跳び、あかるい五月の光のなかでそこだけは薄暗くひんやりするトンネルの空気をかきわけて私は踊った。
 やがて。
 ふう〜っとみんなの空気が収まりセッションが終わったあと。
 カナダ人が感に堪えたようにあらためてふうぅーーっと大きな息をついた。
「よかったなあ!・・すごくよかった!」
「こんなことならビデオに撮っとけばよかった・・」
 それを聞いてマルは最後にまた大きな声でカラカラカラ・・と笑った。(マルはたぶんそういう記録なんて信じていない。なにごとも即興が最上。いまが最高。2回目よりも初回だと信じる子だから)。
 あれは・・なんという至福のときだったろう。
 あの刻は もう二度と再現できないな。
 夜まで火を焚いて渓流の音を背に酒盛りしてほたえあった。帰るときはみんな上機嫌でかならずもういちどやろうねと誓い合ったけどその後ふたたびやるチャンスはないまま。



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