2019年7月30日火曜日

ひとりで死ぬな

確かに衝撃、だった。
そこには俺たちの知らなかった篤彦の生い立ち、家庭環境、家庭の事情、そして篤彦の経験しなければならなかった余りにも苛酷なできごとのかずかず・・がこと細かに書かれていた。
凄まじいDV。肉体的にも精神的にも。
子どもの頃から、父親からも母親からも、それどころか祖母や祖父らからも、殴られ蹴られ責め立てられ、ロクな世話をされずに生きてきている。
ことにキツいのは母親で・・
篤彦の実父を追い出して別の男とくっつき、この男もまた篤彦を虐待し、その後はその男もまた捨てて若い男と駆け落ちし、篤彦の貯金に手をつけて家を出る。その後も金が必要になれば篤彦を呼び出しては、母子の情を質にとって、必要な金を巻き上げその都度裏切り去っていく。
篤彦はこの両親の借金の一部を背負う羽目にもなっているらしい。

ブログには、詳細に覚えているらしい子ども時代の、酷い仕打ちを受けた場面の一齣一齣が克明に記述され、
自分を苛んだ家族や周囲の人びとへの感情が記述され、
現在の自分の状況もリアルタイムで記される。どうやら精神科医にかかっているらしいこともわかった。

篤彦が、いつもおどおどした目をしていたことを思い出した。
いざとなると喧嘩は異様に強かった。何度か目撃したが、あんなに喧嘩慣れしたスマートな闘い方をする奴は初めて見た。まず相手の攻撃を封じ込め急所を突いて戦意を喪失させる。そして自分も相手もあまりダメージを受けない先にうまく終結させる。
それでいて、普段は臆病者を装った。トラブルには巻き込まれないように、おおきな身をいつもちいさく縮めてひっそりと、俺たち二人に隠れるように生きていた。
金魚の糞は・・隠れ蓑だったか。

ブログにはいつもコメントを寄せる常連たちがいて、篤彦を励ましていた。
一方で口汚く罵っていくコメントもあって、そういうのはすぐに削除され、ブロックするのかしばらくは消えるが、また現れる。同一人物かどうかはわからない。たぶん複数。
そういう奴らがどこやらの匿名掲示板で篤彦を名指しで誹謗中傷しているらしいこともわかった。
気になるのは、篤彦がいちいち傷ついていることだ。
自分は社会に迷惑をかけるばっかりのクズなんだからひとりで死ぬ。
自分が死ねばみな満足なんだろう。
みたいな書き込みがあっては、好意のコメントを書く読者らに心配をかけ、しばらく落ち着いてはまた「ひとりで死ぬ」が始まる。

俺はブログの最初の最初から読んで、何度も読んだ。
涙が溢れて溢れて・・たまらなかった。
篤彦、なんでこのこと俺たちに言わなかった?
なんで俺たちに助けを求めなかった?
なぜ?

マルは「失敗」したらしい。
他の読者らに混じってブログに励ましのコメントを送り続けていた。
なじんだ頃にメッセージを送り、自分の正体を明かして「一度会いませんか?」と申し出た。すると
なんとブロックされてしまい、コメントもメッセージもできなくなってしまったらしい。
「篤彦、あたしたちには知られたくなかったんだ」
「高校時代、そんなことおくびにも出さなかったでしょ」
「あたしたちだけには知られたくなかったんだ」
「・・それなのに。あたしったら・・なんて無神経なことを」
「余計に篤彦を傷つけることをしちゃったよ・・」
マルはそう言って、また泣いた。
雅之と俺とは顔を見合わせ・・どうしていいかわからなかった。
「どうする?」
「どうするって・・」
「ひとりで死なせるわけにはいかないよなぁ・・」

「そうよ」
「ひとりで死なせちゃだめよ」
それが、とりあえずの結論。

2019年7月26日金曜日

医の善意を疑え

 先般のエントリーは医学的ロゴスがしっかりした倫理で縛られており個々の医師の動機が善意・誠意で支えられていることを最低限の条件として語ったものだけど、もちろん世の中には悪徳医師も欲得医師もいるしそれ以前に医の世界であっても資本主義の論理、金儲けの動機から自由でいられるわけがないのであって・・それはまた別の話。
 もういまさら言っても詮無いことかもしれないが、ひところのピンクリボン運動に当の当事者らに(t...も含めて)冷淡な者が多かったのもその事情。「癌は早期発見・早期治療が大切」とか「乳癌を早期発見するためにマンモグラフィー検診を」とか、100%間違っているとは言えないもののかなりの程度で怪しい(どれくらいの程度正しくてどれくらい怪しいかは諸説あるので決めつけずにおくけど)言説を100%正しいかのように言いたててキャンペーン張るのは、これはどう考えてもマンモグラフィというかなり高価な機械をどんどん売るための宣伝戦略としか見えなかった。ちなみに受けたことない人は知らないだろうけど、あれが平気だという人ももちろんいるだろうけど、あんな心身ともに苦痛を強いる検査はもう二度とまっぴらごめんだねという人も多いはず。世の中にはもっと楽な検査(エコーとか)もお安い検査(エコーとか)もタダの検査(自分で触る)だってあることをもっと周知させたほうがいいんじゃないの。さらにマンモはこれまでは見落とされてきたステージ1未満の癌のタネも見つけてしまい、そんなもん当面放っておいても問題ないかもしれないのに、見つかってしまった以上放っておくというわけにもいかないということで治療の機会が増えてしまう(=医師のお仕事が増える)ことにもなるのではないか。このあたり善意と誠意の医師からは猛反論ありそうな気もするが・・。
 あと、新薬が開発されてから(そのお薬が効く)新しい病気が発見されるというのもよく知られた話で、新しい病気は言い過ぎであっても、これまで放っておかれてたようなちょっとした不具合がいきなり病気としてクローズアップ(ちなみにクロースアップが正しい発音)されて、治療せずにはおかれないような気にさせられてしまう。もちろん新薬をどんどん売るための宣伝キャンペーンなわけです。その病気を放置することによるデメリットと、新薬の副作用などのデメリットの軽重を比較するなんてことは決して勧められず、その病気を退治することが国民的一大事であるようなキャンペーンが張られる・・。(具体的に何のことを言ってるかおわかりだろうか・・)。

2019年7月25日木曜日

医学的ロゴスに抵抗する(承前)

先日見たカナダ映画。主人公はMtFをめざして加療中の少女。つまり男の体をもって生まれたものの心は女で、体も女になるべく治療中。物語の前半は頑張り屋さんの主人公が生き甲斐とするバレエに打ち込みさまざまな困難にぶちあたりつつも前向きな方向で終わるんだろうなと思わせる展開。ところが後半になるにつれ雲行きが怪しくなり遂に訪れたカタストロフでヒロインは思わぬ選択を果たす。たぶん普通の観客が見れば、あああ自暴自棄になっちゃって衝動的に飛んでもないことやらかしちゃったな・・と思いかねない行為に走る。ところが、わたしが見るに、これは、はっきり明晰な意識のもとに選びとられた彼女の選択なのだ。彼女に「(彼女にとっての)最善の道」を示唆し提案する医学的ロゴスに対するみごとな反抗。鮮やかな逸脱であり、飛翔である。一見非合理このうえなく野蛮そのものの行為であるけれど・・。(でも現実には良い子は真似しちゃダメよ。)
       
informed consentの考えかたと実践はまぁ行き渡って久しいと思う。のっけから「ぜんぶ先生(主治医)にお任せします。私たち(患者とその家族)はなんでも先生の言う通りにしますので・・」とやって、その場で患者本人に怒られた(ついでに医師にも諭された)t...の母みたいな人はいまでは少ないだろう。(それでもいまだに現人神みたいに振る舞う医師とかそれに盲目的に従う患者の話は聞かんでもないけど)。しかし患者のことを全人的に思い遣ることのできる完璧に良心的な医師がそれをやるのでさえ、consentの場は医学的ロゴスの支配する場である。ロゴスに習熟し十分な経験と知見のもとにおこなわれる医師の示唆と提案のまえに、患者ができる選択といえば、せいぜい自分のニーズのどこを優先させたいかという程度のことで、実際には治療の主導権とか決定権とかを本当の意味で患者本人が握るのは難しい。
だからといって医学的ロゴスの支配に一方的に服(まつろ)うばかりではイケナイのである。それが正しければ正しいほど・・あらゆる数値や確率やエヴィデンスでもってその合理性を堅牢にすればするほど・・。
ことに精神の病に苦しむ人を見ていれば如実にわかる。医学的ロゴスは人間の身体を管理しやすいもの困った問題を起こしにくいものに改変し収束させていく。「その方が患者本人も生き易いでしょ辛くないでしょ」という善意のもとに。ところが人間の生身の体は入ってくる異物(薬剤)に物言わず抵抗する。いわゆる耐性ができて医学的ロゴスが要求する平衡状態を保つためにだんだん薬剤量は増えていく。結果「薬漬け」という状態ができてしまう。精神の病にかぎらず、普通の人でも生活のあらゆる側面で(ちょっと眠れないとか気分がすぐれないとかちょっと便秘気味とか風邪気味とかいうだけで)薬によるコントロールが習慣化されている米国のような国では、薬漬けの平衡状態を保ってる人が多いんだろうなぁと推測する。いったん薬漬け平衡ができてしまうとその平衡を保つためには薬の量は増えるばかりなのであって、そこから脱却するには、あるときそれこそ英雄的な決心をして、体に理不尽な苦痛を強いることになろうとも減薬だの断薬だのをすることが必要になるのだろう。それは、はっきり医師以上の専門知識で武装して医師に対峙しようというN...(ちなみにアメリカ在住・日米ハーフのアメリカ人)のような姿勢がもっとも望ましいかもしれないけど、本当の意味でここから脱けようとするなら、一見非合理で野蛮な逸脱こそが必要なのかもしれない。
だからといって怪しい代替療法の数々を勧めているわけではないよ。あんなの善意の医師とはまさしく対蹠的な金儲けだけが目的の詐欺商法だからね。そんなのに頼るなんて愚の骨頂ですから・・念の為。
t...に関していえば、キモセラピストの看板掲げている主治医に、彼が前任者に代わって主治医になった瞬間から「私は抗癌剤は嫌だからね。あれだけはぜったいやらないから」(ドラッグか・・。てドラッグなんだけど)とろくな理由も言わずに連呼し(理由は一応あったんだけどこのさい理由は問題ではないと思う)実際にその選択を迫られた場面にあってさえ「んんん・・こういう場合の標準治療はコレなんだけどなぁ・・」とか気弱げに選択肢は示してくれたうえで患者本人の決定を尊重してくれました。
という話を手柄話のように語るとそれはあなたがラッキーだっただけでそれしか選択肢のない厳しいケースだってあるんだからと言われそうな気もするが、とにかくもt...に関していえば抗癌剤なしで初発を生き延び思いがけぬ(生存率がぐっと下がる)再発もやっぱり別の療法で生き延びなんとか10年以上寛解状態がつづいておりますのでどうぞご心配なく。(だれも心配してない?)
           
ところでスマートハウスの一つのアイデアとして(もう実現されているのかもしれないが)、住人がトイレに入ったりお風呂に入ったり睡眠や食事や休息時や活動時やあらゆるときの住人の身体状態を数値でモニタリングしておき、なにか異変があればなんらかの提言をしたり緊急時には救急車を差し向けたりというのがあるらしいけど、それってそれこそ医学的ロゴスによる住人の監視と管理だよね。それってユートピアですか?ディストピアですか? そのおかげで独居老人の孤独死が減るだろうとか語られるけど、既に独居老人であるわたしはぜったい嫌だな。それくらいなら(たまたま誕生日がおなじの)永井荷風のように死にたいと思う。あとには多大な迷惑をかけるだろうけどそれも頑固かつやたらプライドの高い老人の命を賭けた抵抗を表明する野蛮このうえない所業の痕跡・残骸としてご甘受いただくしかあるめえ。(・・てなにイキってんだ? BGV 伊藤大輔『忠次旅日記』のラストが流れていると思いねえ・・)

2019年7月24日水曜日

医学的ロゴスに抵抗する

t... wrote:
こんにちは、t...です。
○○のこと、お約束しておいてずっと放ってあってすみません。
実はあれからすぐ、乳癌の再発が見つかるということがあって、ちょっと心身ともにばたばたしてました。

N... wrote:
うーん、大変ですね。今のところ命に関わる場所ではないとはいえ、不安だと思います。t...さんのことだから、周囲にサポートしてくれる人がいるとは思いますが、そういう時にどうやってサポートするかなんてことも、あらかじめ話し合っておくなんてことも重要かもしれないですね。 
私の年代(先週28歳になりました)だと、まだ周囲にそういう話はないわけですが、ちょっと先になるとありそうなので。

t... wrote:
それにしても、医学的ロゴスのもとに自分の身体を管理されるってのは嫌なもんですね!

N... wrote:
そうそう。
私は、自分の体が十分に××ホルモンを分泌しないから十代の頃からホルモン剤を体に「入れさせられて」きたんですけど、医療に自分の体が曝されるのが嫌で約2年前にホルモン摂取を止めてしまったんですね。 
今のところ大丈夫ですけど、このまま放置していればいずれ必ず「△△症」になるのが分かっているのに、endocrinologistには行きたくないし、ホルモンを摂りたくはない。 
もちろんそれじゃ自分自身が後で苦労するのが分かっているので、ホルモンに代わる薬剤を自分でいろいろ調べて、自分が専門医以上の知識を身に付けた上で医者に行くつもりです。
どんな薬剤を選んでも(ホルモン剤を含めて)、長期的使用による副作用の調査なんて行われていないわけですから、ギャンブルみたいなものだと思いますが。

・・・(後略。あとは用件)

2019年7月23日火曜日

雅之は嘘をつく

雅之が女になろうとしているなんてもちろん嘘だ。
肩幅が狭くて小柄で、茶色っぽい(染めているのかどうかは知らない)ゆるやかにウェーブのかかった髪を長く伸ばしている。
女物のシャツやブラウスやワンピやスカートを好んで身にまとい、それがサマになっている。
だから、背後から女性に間違えられることなんてしょっちゅうある。
前から見ても、顔の輪郭はわりといかつくて鷲鼻気味の鼻にすこし難はあるけど、あどけない二重まぶたの目で大きなヘーゼルにちかい色の瞳をしていて、女の子とみえても不思議ではないアイドル顔である。
コーカサス系とのハーフとも見てみえなくもない見てくれで、知らない人にそう聞かれると「ロシア人の血が1/4混じってるんです」とか嬉しそうに大嘘つくのが常である。
でも、中身はれっきとした男の子。女物を(ファッションで)着るのと女装するのとは大違い。雅之には女装趣味はないし、性自認もはっきり男の子だ。
私が、自分が性別を選び直した経緯を話した小さな講演会で、雅之はなぜかその会場にいて、私を憧れの目で眺めていた。私は、性別をもとの戸籍の男から女に変えた。好きなのは女性で(その当時つきあってたカノジョもいたし)、だからMtFレズビアンというわけね。どうやら雅之は、そういうなんだか「とくべつな」性のありかたに憧れを抱いたらしい。
自堕落にも売春をしてるんじゃないかと、雅之の友人はマジで心配していたけれど、それも嘘ではないかと思う。嘘というよりフィクションね。そういう、現実の自分がぜったいできない冒険を、嘘物語のなかでしているだけ。
そんな大きな嘘だけでなく、こまかい嘘もしょっちゅうつく。
「今日なにしてたの?」
「だれと会ってたの?」
みたいな質問にたいして、実際に自分がそういうふうに実施した事実を話すのではなく、そういうふうにしておく嘘のおはなしを語る。いや、騙る。時と場と相手に応じて。事実はそうではないけどそうしておこう、みたいな感じ?
知ったかぶりもはげしくて、
「〇〇、知ってる?」
みたいな質問にたいして、実際に知ってるかどうかよりも「知ってることにしておくのか、知らないことにしておくのか」の方が重要らしく、しばし考えた末に、前者ならば「知ってる」と答え、後者ならば「知らない」と答える。
知らないかぶりもあって・・
重々知り尽くしていることを、まったく知らないふりして、素っとぼけて質問して、相手に語らせる。
で、聞いて初めて知ったふりして
「へ〜」
とか、感心したふりをしている。
こういうのは虚言癖というのかな?
ちょっと違うような気もする。
雅之なりのコミュニケーションの流儀?
嘘はつくけど、そのことで人を騙したり、窮地に追いやったり、自分に都合の良い状況をつくったりして、自己の利益を謀るわけではない。
他者にたいして悪意ある嘘ではなく、自分のことをこういうふうにしておきたいみたいな嘘? そういうふうにみせておこう、みたいな?
見栄っ張り?
事実とはちと異なるちいさな虚構の世界をつくりあげて、そのなかで生きている。
だから、それが嘘だとばれても、たいして悪びれるわけでもない。
罪のない嘘なので、嘘だとわかった周囲も、べつにそれを追及したりせず、嘘は嘘のままでおいといてやる。「そんなの嘘でしょ!」とか「嘘つき!」とか怒るひとは滅多にいない。
あきらかに(みんなが見抜く)嘘なのに、それが嘘だとわからないひともいるけどね。
正直に生きている人、というか嘘をつく習慣のないひとには、見抜けないのかもしれない。
というか、どうでもいいのかもしれない。
私のような同類には、雅之の嘘はかんたんに見抜けるけどね。
だって私もおんなじことしてるもん・・。
嘘は習慣性だという。でも、それってイケナイことなのかな?
嘘は方便とか、そういう話ではないのだよ。

2019年7月17日水曜日

マルという女

篤彦の最期を語らなければならない。
その前に・・マルという女のこと。
俺たちとマルは同じ高校の同窓生にあたる。俺たちが3年生のとき、新1年生として入学してきた。
元は男子校だったのが共学校になって、とりわけ優秀な女子生徒たちを確保することに成功したらしい。
共学になってからの男女の学力差が大きすぎて困っているともあとで聞いた。
なかでも優秀な新1年生の女子がいて、ひさびさに東大現役合格生が出そうだと、職員室全員色めき立っている。そういう噂が生徒の方まで聞こえてきた。教師らも嬉しそうに語っていたしな。
ところが、入学当初からその抜きん出た学力でたちまち学校中に名を馳せたその新1年生女子。夏休みの始まる前に、今度は別の方面で話題を攫(さら)っていった。
こちらはよろしくない噂で。
いやその噂、火のないところに立った煙などではまったくなく、まるっきりの事実であったこと。俺も雅之もちゃんと実体験させていただいたのだけど・・。
公衆便所
って大昔からある身も蓋もない言い草だよな。それにあまりにマッチョで俺は嫌いだけど、言い得て妙とも言えるからどうしようもない。
超優秀な新1年生を持ち上げるのに懸命だった教師らは、今度は一斉に渋い顔になり、何とか噂を揉み消そうと必死になった。けど、事実は事実であることを多くの男子生徒らが実体験してしまったんだから、しょーがない。
それに、揉み消しようにも揉み消しようのないことを、当の1年生女子が始めてしまったのだ。
彼女は、1学期の中途あたりから、昼休みや放課後に校庭や校内の共通スペースでパフォーマンスをやリ始めたのだ。そして、こちらの活動もたちまちのうちに学校中を席巻した。
本人曰く、中学生の頃からピン芸としてよくやってたという。
ちびまる子ちゃんの主題歌を替え歌にして、ピーヒャラピーヒャラ・・踊るポンポコリン・・と踊りをつけながら、学校内外の時事評論を面白おかしく歌ってみせるのである。
歌詞も巧みならば、歌声も美声ではないがすごい迫力があって、生徒らみんなの目を瞠(みは)らせた。
自虐ネタも多くて、自分の尻軽さを自分で嗤うだけでなく、教師からどんだけ説教を受けたかも抜かりなくネタにした。教師らは、ほかのことでも順繰りにサカナにされるので、渋い顔顔がますます苦虫になったけどな・・。
そこで彼女についたあだ名が「マル子」というわけ。
小さい体で色が白くまるまる太っていて、白いゴム鞠(まり)みたいだったこともあり、いつしか小さく約(つづ)まって「マル」という名に落ち着いた。
そういうわけで、あらゆる方面で学校中の注目を集めたマルだったが、当然というか同性の親しい友達はできなかったようで、またファンは大勢いたけど適切な意味でのボーイフレンドも友人もいなかったようで、なぜだか夏休み以降は、俺と雅之と篤彦の三人と行動を共にすることが多くなっていた。
篤彦は、どうやらマルに手を出さなかった男子生徒の一人だったようだ。
俺たちには知る由もなかったが、マルに説教垂れたりもしていたらしい。
同じような説教を教師らにされても洟もひっかけなかったマルは、篤彦の言うことにだけは神妙におとなしく耳を傾けていたらしい。それはそれは、俺たちには不思議だったけど・・。
つまり、力関係はこうだ。マルは俺と雅之の上に君臨する。俺は雅之を支配し、篤彦は雅之にくっつく金魚の糞。そしてマルは、この三人組の中でいちばん弱い篤彦に、頭が上がらなかったというわけ。篤彦はどちらかといえばマルを迷惑がっていたようでもあったけど。
ね、安定してるでしょ?
そんなわけで、俺たちの最終学年の2学期と3学期は、変な女のマルも入れて3人組+1匹(マルはおかしな獣みたいに俺たちに尾いてきていた)で楽しく過ごした。
でも、卒業してからはバラバラになってしまった。俺は普通の私学の文系大学、雅之は美術系の短大、篤彦は大学に行かず専門学校という選択をしたもんで。
しかも、相変わらず近所に住んでいて家同士(特に母親同士)仲の良い雅之と俺とはそれなりに付き合いは続いたが、篤彦は卒業後誰にも何も言わずどこかに引っ越してしまったらしく、連絡がつかなくなってしまった。
    *
それから2年、マルが最終学年になった頃。
本人曰く、校内では随分おとなしくなって教師らをホッとさせている。その代わり校外に活躍の場を求めていると。さる場所で知り合った年上の男たち数名とバンドを組んでいるのだと。
ある日、そのバンドの初ライブの知らせを受け取り、俺と雅之と二人、いそいそとライブハウスに駆けつけた。
またちびまる子ちゃんの替え歌でもやるのかと思っていたら、そのときは見違えるほど大人っぽくキラキラに化粧して真っ黒のコスチュームをまとったマルは、歌詞があるのかないのかわからない意味不明のコトバを、これまたわけのわからない電子音とちょっと変なビートに乗せて、がなり立てていた。
つまりは、全体としては意味不明の狂騒的な雑音に近い音のパフォーマンス。何が何だかわからなかったが、でもまあ、ともかく、カッコいいことはカッコよかったな。
で、その時のこと。
ライブが終わってからも打ち上げがあるというので図々しくも居座った俺たちを見つけると、マルは開口一番、
「篤彦はどうしたのよ?」と、絡むように言う。
「篤彦よ、なんで篤彦を連れてこなかったのよ?」
俺たちよりも篤彦に会いたかったわけね。
「えーと・・あの、だって、篤彦引っ越したらしくって、所在不明なんだ」
と事実を述べると、
「あんたら、篤彦がどうしてるか知ってるの?」
と、ふたたび絡むように言う。
「いや・・知らないけど・・」
「マルは知ってるの?」と雅之。
「あたしも知らない。でも知ってる。・・知ってるのは、篤彦が書いてるブログだけ」
「ブログ? へえ・・篤彦がブログ書いてんの?」
「そんなことするタイプだとは思わなかったけどな」と雅之。
「篤彦、まずいよ。あれ、決定的にまずい」とマル。
「へええ・・なんで?」
「読んでみるとわかる」
「へえええ・・」
そう言われたって、その時点ではなにがどうなんだか、サッパリわからない。
「あんたら、篤彦のこと、放っといちゃダメよ! ちゃんと見張ってやってよ」
「見張るったって・・居場所もわかんないんだよ?」
「そーゆーマルは、何もしないわけ?」と雅之。(ただしいツッコミである)。
「やれるんならとっくにやってるよ。あたしだって、あたしだって、あたしだって、何にもできないんだから困ってんじゃん・・」
そう言い終わると、一息、息を吸いこんでから、マルは大声で泣きはじめた。
吠えるような泣き声で、傷ついたおおきな獣のように泣いた。
泣いて泣いて泣いて・・いつまでも泣き止まなかった。
店の人も、その席にいたほかの人たちも、びっくりしてしまって、なんとかマルをなだめようとしたが、無駄だった。
長く長く長く・・続くマルの泣き声は、ライブのパフォーマンスそのものよりも、ずっとずっとずっと俺たちの記憶に残ったよ。
酔ってたうえに、なんだかイケナイお薬とかもやっていたのかな?
ふだんからハイテンションなマルが、それに輪をかけてハイテンションだったから、すぐわかったけど・・。

2019年7月14日日曜日

イカレポンチ

よそゆきしたくできましたか?
寒波情報ゾクゾクながし
パープルのルージュ佳くおうつりになる
嘘の香水ふりまき
こん 紺 紺 紺 ゆきがふる らん 藍 藍 藍 あめがふる
17ビートでよろり よろし あなよろし

こんなクレヴァスに突っ込むのも亦
快感!

はざまに伸ばせば
目蓋の裏にクッキリ蒼い廃墟を映す目眩のレディに
触れることもあります
ふれ ふれ ふれたい 衝動 やみがたく
もう やみ 闇の中ならこんなにまざまざと
かの楼のシルエットを見ることができる
のに
かの夜
いまはぼんやりのっぺり薄い天井しか見えぬその日
依るべなく
ねじりおとす 捻 地下鉄に降りる階段へ

通路 通 際限なく だだぼれに開きつづけて 開 開 開 開 館!
正気も失せたヒトの腐臭 コリント式に崩折れた カフェ・ジャポネスク
天蓋に貼りつく行列蟻 蟻 蟻 ありく ありく ありく たび
ひねり潰す
いかれぽんちの脳髄を
つぷ つぷ
つぷ
ぽつんと
この
血の球は
現実。

2019年7月13日土曜日

彼女の状況についてのいくつかの判断

みぢかいあした
とまれまれまれにはよしなしづかし
ごかしごかしじゃ日も暮れやせぬ

(失礼しました失礼しました失礼しましたと耳の傍で百万遍吠えたら余計失礼に当たるに相違ない)

けそうして
ゆるゆるはじけむとしてござんすか
なかなかにさよかとはいいづらく
まけまけ

(しぬまでしぬほどしぬばかりにと胸の傍で百万遍つぶやいても却ってええかげんにしねといわれるばかりでございます)

ぴんくりぱんからゆうろぺってしもうたの
さまれまれまれにもえるべのほとり霧ふかくゆうしかなしむてか
ほいほえ

Elle est amoureuse.
Elle est amoureuse.

れいもん
ふみいいみいみいさむいよ
けっちゃくっておちょぞかし
よろしゅうによろしゅうにおちょくられられ
ほんでもほってほりしかったこと

(はづかしいはづかしいはづかしいといくら身を縮めてもこれだけ肉が余っておれば目障りとしかいいようがない)

ちゃんちゃかちょんちょこ
あたしはだれれもんね
死ぬるまへにはめもりいをすべて消去しておかねばなりませぬ

だって恥でしょうおおお
がすうぴぬ
やすうけあい

Elle hésite!

ところよころばしからば
墓碑銘にゃんにゃかにょんにょんとぢし
むにゅみゅのろしとって
ほなこつほっとしたらあきまへんで

(善人のみなさまうつくしいおとこのこたちやさしゅう死てもろてほんまにうれしゅうございました)

2019年7月10日水曜日

ナガサキヤ の

三角のかすてらにね
とおろりチョコレイトをかけるのだよ
たらあり しずくをのこらずなめて
あまいからもつと
辛くてももつと

昔ばんばんじんが
かみやのおんなのこをさらっていった
辻に
わかい白人の娘がやってきて
スパニッシュかと訊くとくびをふって
アルゼンチンとこたえる
ナニワミュージックでおどってるんだってさ
おかねはたくさん呉れるけどねとにほんごで喋り
ぼくはスペイン語がはなせない
ともだち ともだちがほしいのだ
かえりたい けどかえれない
あぶらみのおおい焼鳥ばりばりくいながら

つらくても
たべなきゃいけない
そらのたべもの
むなし
あめのたべもの
ぬれつ
頂戴 ちょうだい ちょおだいよお
たまわりもの
まんな

こんこはもおほしがってがまんできないにゃら
ぺろおりいいかげん時ばかり喰って
さまつひさまりつんつん
快楽が
そんなにうれしいかい
じんじんどちじゃんじゃんずきずきくら
カルナバルながすだけながし
ながれて

だから
からだは
まなざしをなくすのだ
あらぬか

ながれて
はてる処もうしなひ
遊離する
よくよく宙釣りのかっとびきかい

金髪の姐ちゃん中空たまんなってまともにうかばれず
きょういっぱいのせんねんぢごく
おいしいね

2019年7月9日火曜日

台風の夜

でも篤彦はもういない。
いまでは
雅之の耳のなかに響く声だけの存在になっちまった。
・・つまりこの世に生きた生身の存在ではなくなっちまった
ってこと。
その話をする前に。
一度だけ篤彦と一緒の夜を過ごしたことがある。
って誤解を招くよな(笑)。一緒にオールナイトの映画館で朝まで一緒にいたというだけの話。
あの日、台風が近づいてきていたのを気にせず、俺と篤彦と二人で、ある映画館に映画を観に行った。
入れ替え制の最終回の上映に入ろうとして、映画館のスタッフにこう言われた。
「台風が近づいていて、この上映が終わる時間帯には交通機関などが止まる可能性があります。ですので、この回の上映は中止になります。」
そうなのか、それはいいよ。
でも、だとしたら、俺たちの持ってる(金券ショップで調達してきた)前売券が無駄になってしまう。
「ん。じゃあこの前売券、払い戻ししてくれる?」
「・・あの、この前売券は明日までになっておりますので、払い戻しはできません。」
「明日までったって、俺たち高校生だよ? 今日は祝日なので来れたけど、明日だと平日だから来れない。つまり、せっかく買ったのにこの前売券は無駄になる。そういう事情があるんだから払い戻してくれないと」
「・・すみません。規定上払い戻しはできません。」
ちょっと怯えたような眼をした温順しそうな(おとなしそうな)男のスタッフだったが、いくら言っても聞かなかった。
何度かの押し問答の末、俺が「では支配人呼んで来い」と言いかけたのを篤彦が制して
「島ちゃん、もういいよ」
と言った。
篤彦は、こういうとき優しい。
客の立場ではなく店(とか売る側)の立場を理解する。
映画館スタッフが困惑しているのを目にして「もういいよ」と言った。
チェッ! 仕方なく退散した。
何する? 二人でゲーセン行って遊んで時間つぶししているうちに、本当に台風はやってきて、帰りの電車が残らずストップしているのを聞かされた。
「・・うわぁ・・どうする?」
「オールナイトの映画館でも行くか」と篤彦。
「だってさっきのとこだって上映中止だって。どこ行っても同じやないか?」
「大丈夫。俺の知ってるとこなら必ずやってるから」
「どこだよ?それ」
で、台風でも動いている地下鉄を使ってその映画館に行くと、篤彦の言うとおりだった。
顔馴染みらしいモギリのおばちゃんは、台風のなんのとは一言も言わず、俺たちが高校生であることもわかっていながら、普通にチケットを切って通してくれた。
そのときが俺は初めてだったが、あとでときどき行くようになったその映画館は、入れ替え制などとケチくさいことは言わず、一度チケット買って入ったら朝から晩まで、オールナイト明けまでいたって構わない。
あとから聞くと、俺の叔父もしばしば通ったことがあったということだった。韓国映画や中国映画をよくやっていて、ほかの館では観られないものが観られた。
ビル一つがまるごと映画館になっていて、2階の2館がロードショー館。大手がやらないような(というか落ちこぼれてきた)類の映画を封切りでやっていた。1階はロードショー落ちの映画を2本立てでやる二番館。地階は洋ピン中心のピンク映画館だった。すべての館が連日オールナイト。篤彦は中学生の頃からこの館によく来ていて、オールナイトで朝まで居たりして、モギリのおばちゃんらに可愛がられていたらしい。
実はそこに篤彦の特殊な事情があったんだけど・・でもまあ、その台風の夜はそんなことは知らなかった。
どの映画にしようか?と迷った末、封切館の一つに入った。
なんだかひどい映画だったな! B級SFの匂いがぷんぷんするチープなヨーロッパ映画で、美形の(つまり外見のよろしい)人々ほど位が高く支配階級である未来の惑星で、醜形のミュータントらが反乱軍を組織し、その惑星に侵略して悪の限りを尽くす、みたいな。で、そのミュータント軍団には、世界的に有名な醜形女優だったり、侏儒(ミジェット)の俳優だったり、ホンモノの障害者(ということば自体は俺は嫌いだけど)がぞろぞろキャスティングされているのだ。これってPC的に(もちろんpersonal computerではなくてpolitical correctnessのほうな)どうなんだ?? いや、障害者(ということばは嫌いだが)独特の身体的条件を生かした表現自体はいいと思うよ。そういうコンテンポラリーダンスだのアール・ブリュットだの素晴らしいと思いこそすれ文句をつける筋合いなどない。しかし、わざわざ「醜形ミュータントの悪の侵略軍」って設定って、どないやねん??
とは言え、篤彦と俺はゲラゲラ笑いながらその映画を楽しく鑑賞し、外ではびゅーびゅー台風の暴風雨が吹き荒れているのを聞いて、2度目の上映の途中くらいですっかり眠くなって二人して寝てしまって、気がつくともう朝で、台風一過、爽やかな綺麗な青空になっていた。気持ちよく映画館を出て朝の電車で家に帰り、遅刻して学校に行き、授業中はすやすやと居眠りした。

2019年7月8日月曜日

三人組

俺と雅之は幼馴染でご近所さん同士。一緒に電車乗って剣道の道場通ったり、やっぱり一緒に電車乗ってサッカーのクラブチームに通ったりした。母の韓国料理教室の常連である近所のおばちゃんに教えてもらったことだが、俺と雅之はその電車内で美少年コンビとしてひそかに有名だったらしい。(いや俺が「美少年」とか自称したわけじゃないし)。
しかしまあ言われてみれば思い当たる。電車の中で他人(「たにん」と読むな「ひと」と読んでくれ)の迷惑かえりみず(いやすこしは顧みて)じゃれあってた俺たちふたり、大人になってから記憶の映像を遡及的に構成すると、まあ絵になってたんだろうな。
俺は一重まぶたで顎が細く鼻筋がすっと通った典型的な東アジア系(弥生系?渡来民族系?)の顔、雅之は日本人にしては髪の毛も瞳の色も茶色っぽく二重まぶたで目大きく鼻高くハーフじゃないかと言われたりもするぐらい(本人図に乗ってそう言われると「ロシア人の血が1/4入ってるんですと大嘘ついたりしていた)バタ臭い顔(というか縄文顔?)。対照的な二人の美少年(だから自称したわけじゃないって)が、電車の中でほたえあい、大人たちの鑑賞の的になっていたわけだ。
サッカーやめてからは二人ともスポーツはしなくなったが、俺は本が好きでよく読むタイプ、雅之はおバカだけど美術的センスがあってよく絵を描くタイプ。正反対のタイプがよく二人でつるんでいた。俺がたくさん本読んでることを尊敬し、俺が言うことをなんでも信じるので、嘘ついてからかったりホラ話がどこまで通じるか試したり、バカ話に興じるのがおもしろかった。(「あんたたち見てたら漫才みたい」とはのちに知り合ったマルのセリフ。「トリオ漫才」とは言われなくて篤彦はすこし悔しそうな淋しそうな顔をしていた。)
篤彦がこの鉄壁の二人に加わったのはいつ頃だっけか? どちらかといえば小柄な俺たちに対し、篤彦はがっちりと体が大きくこち亀の両さんの少年時代か、みたいな四角い顔。そのくせ意外と気は小さく、三人の中ではリーダー格の俺の顔をいつも窺うようなところがあった。セクシャリティとかではなく男子校のホモソーシャルな関係の中で、篤彦は俺の顔を窺いつつ雅之が好きだったようだ。雅之が入ると篤彦も追って美術部に所属し、大きなどんがらにいかつい顔してニコニコ機嫌よく小柄でハーフっぽい顔した雅之に金魚の糞みたいについて歩くのが傍(はた)から見ていてちと笑える光景だった。
俺はいつしか詩を書くことを覚え、高校生のあいだに一冊の手作り小冊子を編んだ。そして雅之に挿絵を依頼した。「俺のはいいの?」と篤彦。「いい、お前のは下手だもん」と言ったときの悔しそうな顔。「それに、俺の詩の雰囲気と合わないし」と言うと、少しホッとしたような顔をした。編集作業は三人でおこなった。ああでもない、こうでもないと、詩をならびかえたり、レイアウトしてみたり、どんなイラストをつけるか下絵を描いたり、三人であたまつき合わせて何日も過ごしたのがめちゃくちゃ楽しかったな。
できあがると販売に奔走したのはまず篤彦で、ほとんど押し売りのように学校中のクラスメートに売って歩いた。俺と雅之のファンの女子は多かったので(いや、ほんまに客観的に)けっこう売れた。休日には三人でターミナル駅まで出かけていき、座りこんで通行人に売ったりもした。おもに初老以上のおっちゃん、おばちゃんらが「頑張りや〜」と声かけて買ってくれたのがうれしかったな・・。

2019年7月7日日曜日

うらがえしの球

やわらかい。腹のいちばん膨らんだところに細いほそいストローをつきさして深海の
エキスを吸い取る。かたい。管は高純度の
シリカガラスで
精巧につくられていなければなりません。
電解物
自然に風化してるから表面特性とてもわるい。猫の
瞳孔に棲む特殊な菌類が窒素濃度60%以上
湿度11%常温常圧下でガリウム砒素のうえにつくった薄膜を
パックして13分44秒ピールオフ。
生殖にもっとも適した12倍体エイプは
エピタキシャル成長して超微細パターン
腐蝕版に刻む酸化チタン系セラミクスうごく。選択的にふるまう。

ひとの顔はみえない。

太陽風に吹かれてα線がはこんできた
T細胞アルカロイドの毒。1131Hzに同調して
情宣活動をおこなう。A級危険思想のがれるすべはなく
陽子が崩壊するごとにひこうきは
おちる。
靉霪霓霄霎霽靆霆霑霈霾霏雰霹霤靂
げんきにチャーム微粒子のみほせば白亜紀の
羊水マントル亀裂し無辜の鄒鄙鄲鄰
家畜は斃れる。
そこに褶曲収斂して皰皴皹皺いい凶々しき
コンチェルト颪颯颶飄飆2892人乗客船は
しずむ。
まうえから悪意。齣齟齠齦齧齬齪齷齲齶
みんな死んでしまう。
赧赭ああ灼けるテラレッド。アイはアマンは
しんでしまう。
錆びた鉗子がひっぱりだす催奇形遺伝子。

ひとの顔はどこにもみえない。

地球の皮をつるりんちょとめくる角質を
げりげり削ぎおとす麝香鹿の裏革で
たんねんにみがきあげたするする半透過膜
界面活性良好にて剥離層くるりんちょ
うらがえせば
インサイダウト流行遅れの
蝶鮫の象皮病
ブリッジをいれましょう単結晶酸化珪素の
アップサイダウン
NYの表層では
モーニンコンファランス発色剤どっちゃり
黒豚の三枚肉薫煙吟醸かりかりに焼いてね
炭化するまでパラコートわすれないで
手帳にいれてね

さらにさらに
うらがえせば。天体はたんに網膜
あをそこひ希薄な神経叢。ひっくりかえって
なにも聴こえない。

かわいた産屋に
ひとのかおは
無い。

2019年7月6日土曜日

恋するキナコ・純情篇

いまの女優で言えば(ここはあらためて時代に応じて更新されるかもしれないが)土屋太鳳か橋本環奈か。ただ、二人とも短軀で弾けるようなボディの存在感が似ているというだけであって、顔立ちはもっときつくて猫顔で、ことに目が猫目そのもので、昔昔の鈴木杏にそっくりかもしれない。
その猫娘、めちゃ素直で人懐っこく、私のことを「尊敬」してくれているのは犇々と(牛三頭分)伝わる。
あの日、私の右隣にちょこんと陣取り、私の話に真剣に耳を傾けていた。テキは、ホントにまったくどうしようもなく話をすればするほど死ぬほど無知で無教養で、単純な言い回しひとつ知らず、言葉を知らず、世界史や日本史の重要局面を知らず、抽象概念も知らない。それをいちいち解説してやると真剣に聴いている。(明日まで覚えているかどうか、定かではないが・・)。
えーと、すなわち、要点は、彼女は私のことはこのうえなく尊敬できる先輩として慕ってくれてはいるけれど、恋愛対象としてはこれっぽっちも見てくれてないということね。
・・あああ・・私ってばなんて純情でおバカなことを書いてること!

2019年7月5日金曜日

聖愚金曜日

おまえが人生をはかるやりくちは週刊フライデー星占欄に眼ずらしひとりわらいにかっとタナボタ不倫の期待へ胸ときめかすたぐい。
まあまあ感性だからすべてよしとへらへらへ恥じいることだにせず。

アフタファイヴのぶらんこはフラストレーションにふちどられたひたいをかくしてふらりふら。陽光もとよりあらわれず雷すら降ることなく。すくいのめがみは特価1000円駅のまえ被昇天女学館。

このよかぎりの満足をごしょうだいじにすりきれるまでなめながら呆けるフラフープ。
体力だけは万全の構えで容姿知能中流ほどのおつかれヤリガイものほしげによくばりフラッパー負け惜しみに義務と寛容と不公平。

それでも愛はある!
軽蔑と怠惰のおおいなる優しさきりきりささくれだつ道化は低脳な鏡像段階もっともっともっとのぼってあしたはきっと英雄ほめそやされあまやかされ休日ピーカン照り。

まったくほんまにどあつかましいあきれるほどの天下太平
その阿呆んだらが好きなんやけど。

2019年7月4日木曜日

ひろしまや

ふつふつと
なまぬるいのかぬくいのか
うしろあかるい
その温度である。

三和ミュージックのうらてをはいって三軒目
ほんらいならば銭湯なのだが現象はめしやであって。
引戸いちまいへだててうぞうむぞうのうじのせかい

タイルのゆかにもやをしきつめ
生理食塩水のおつゆを張り
陰部がじゅうぶんつかるようにあしをまげて
べっちょりすわります
うわべがだいすきもやしに玉子をいっこおとして
おいしい
うまい
おいしい
うまい
したをぬらす
ぶっかけめし。
みなさんうゑておられた
さすがにひえておられた

    ほとほとあそぶみやこどものこゑ。さいさへはやもてんでんやろうて
    謡。さわぎ。ならし。

けものどものちご
おおきなどんがらして
ずらずら
ゐならびてよわく
さだめてこころよく
おびえて
うえからあしらう乳いろのあかり
さかながくいたい

よしや貌がない。
ひろしまやのおかあちゃんは

とてつもなくやさしい
たなびくゆうれいにごはんをやるほどに。
それでけっこうもうけてるんやろからもんくはなかろと世間はいうのだが。

2019年7月1日月曜日

一千齣のアニー

石灰岩の酷いにおい
海鈴蘭のかすかなにおい
しろい崖下の小舎にはむかしながらのスタイル英国人夫妻が棲んでいて
黴くさい栄耀につつまれた老人と
年歯の離れた背の高い細君プラチナブロンドおとこみたいに刈り上げ幅広の肩を強調するチャコールグレイのペンシルストライプスーツに身を固め

毎朝仔猫の分泌する水臭いミルクをこっぷに一杯のみながら
わたしたち
ねこを飼っていても女王陛下に
お目にかかれるかしらね? と
真剣に案じながら日々を暮している

菩薩の美徳も才能もキャリアも子をおもう母ごころもみんな使い捨て商品。およめさんに不要品の札ぺたんと貼られようやく見つけたのが生まれてこのかた愛されたいおれは愛されたいのだと喚く以外に何もしたことのないぐうたら亭主

ほらまた
すきとおった天使のかけらが降ってくる

二匹の仔猫はあの荒れた海で拾ってきた。
がりがりに痩せて全身つめたい潮水でずぶ濡れになって黒毛に真っしろの斑がはいった牡のほうは息絶えだえだったけど
牝のほうは灰色虎毛すこし肥っていてまだしも元気があった
あのときからあなたあたしにあまえる口実またみつけたわね
ひきずりあげて懐で懸命にあたためたの。
のんきそうな牝猫しらぬふりであなたと遊んでいたわ

とどこおりなく
よどみなく
おもいにふけるひまもなく
その流儀がかっこよくて

それしかできなくなっていた。
92分間の16mmフィルム作品もう雨がざあざあ降っていて
ぼんやりきいろいランプのひかりのなか
並んだあずきいろのシートは
すりへってビロード剥がれおちていた。
緑灰色のすずしい眼。アニー! 黒革のスーツにぴったりしろい膚をつつみ薄い唇よく動いて口腔の大きな闇にダイアモンド一粒。
ゆびさきが昂奮してつめたく痺れていた

絶頂だったのよ。ルージュがあれほどくっきり滑らかに引けた夜はなかったわ
あたしはひこうきが怖いの。でも好きなの
離陸するまえが
ふっと地上をはなれてきけんなそらにはいり
ぐんぐん上昇していくときが。
もう水平飛行にはいってしまうとああここまできちゃったんだなあってうれしいようなほっとするようながっかりするようなきもち
ああここまで
もうここまで
もうひきかえせないところまで。
着陸のときはもういちどドキドキするけど
それも終わっちゃったらもうかなしくてしかたなくて行き先のことがあたまに浮かんできてそこであたしを待ち構えているさまざまな責任を考えて暗澹たる気分になるのよ大袈裟にいえばね。
それはおとこにはじめて抱かれる夜のように

ひこうきが降り立った海には
ずぶ濡れの仔猫が
あたしを待っていたのよ。
酷薄な眼をした若いスイス人プロデューサはわたしの国の皇太子殿下とおなじファーストネーム
あなたの名声をおざなりに誉めてから
復讐の唄を歌うあたしに拍手をくれたわ
びっくりするほど美しくて気まぐれであたしの好みにぴったりの男の子。
そしてあたしの部屋にある時計という時計が
いっせいに遅れはじめた。

とんでとんでもっととんでよ!
吝嗇家
カルヴィンの末裔
宣教師みたいなお説教しないでさ!
たった千齣なの?
あなたがあたしに与えてくれた出番は?

なにもかも言い訳。終わったあとのながいながい屁理屈。

すっかり元気になった牡猫を竹籠に閉じ込めて海岸沿いを走る汽車に乗り込んだの。片方にしか走らない単線。籠のなかで牡猫は黴菌みたいに単性繁殖してちいさなこどもをいっぱい生んだわ同じ毛をして同じ貌のまったくおなじ染色体の。そして生臭いミルクをどんどん出したわあたしの膝はすっかりびしょびしょに汚れて。

なめるような記憶
牝猫の楽観主義もてあまし
むこうの黒い森から若い鹿のこえ。きっと
むすこ夫婦の御幸。
細君の焼く黒い菓子は
すこし酸っばくなりかけた
猫性脂肪生クリームたっぷり挟んで
かすかにあまい乳糖のかおり