2019年7月9日火曜日

台風の夜

でも篤彦はもういない。
いまでは
雅之の耳のなかに響く声だけの存在になっちまった。
・・つまりこの世に生きた生身の存在ではなくなっちまった
ってこと。
その話をする前に。
一度だけ篤彦と一緒の夜を過ごしたことがある。
って誤解を招くよな(笑)。一緒にオールナイトの映画館で朝まで一緒にいたというだけの話。
あの日、台風が近づいてきていたのを気にせず、俺と篤彦と二人で、ある映画館に映画を観に行った。
入れ替え制の最終回の上映に入ろうとして、映画館のスタッフにこう言われた。
「台風が近づいていて、この上映が終わる時間帯には交通機関などが止まる可能性があります。ですので、この回の上映は中止になります。」
そうなのか、それはいいよ。
でも、だとしたら、俺たちの持ってる(金券ショップで調達してきた)前売券が無駄になってしまう。
「ん。じゃあこの前売券、払い戻ししてくれる?」
「・・あの、この前売券は明日までになっておりますので、払い戻しはできません。」
「明日までったって、俺たち高校生だよ? 今日は祝日なので来れたけど、明日だと平日だから来れない。つまり、せっかく買ったのにこの前売券は無駄になる。そういう事情があるんだから払い戻してくれないと」
「・・すみません。規定上払い戻しはできません。」
ちょっと怯えたような眼をした温順しそうな(おとなしそうな)男のスタッフだったが、いくら言っても聞かなかった。
何度かの押し問答の末、俺が「では支配人呼んで来い」と言いかけたのを篤彦が制して
「島ちゃん、もういいよ」
と言った。
篤彦は、こういうとき優しい。
客の立場ではなく店(とか売る側)の立場を理解する。
映画館スタッフが困惑しているのを目にして「もういいよ」と言った。
チェッ! 仕方なく退散した。
何する? 二人でゲーセン行って遊んで時間つぶししているうちに、本当に台風はやってきて、帰りの電車が残らずストップしているのを聞かされた。
「・・うわぁ・・どうする?」
「オールナイトの映画館でも行くか」と篤彦。
「だってさっきのとこだって上映中止だって。どこ行っても同じやないか?」
「大丈夫。俺の知ってるとこなら必ずやってるから」
「どこだよ?それ」
で、台風でも動いている地下鉄を使ってその映画館に行くと、篤彦の言うとおりだった。
顔馴染みらしいモギリのおばちゃんは、台風のなんのとは一言も言わず、俺たちが高校生であることもわかっていながら、普通にチケットを切って通してくれた。
そのときが俺は初めてだったが、あとでときどき行くようになったその映画館は、入れ替え制などとケチくさいことは言わず、一度チケット買って入ったら朝から晩まで、オールナイト明けまでいたって構わない。
あとから聞くと、俺の叔父もしばしば通ったことがあったということだった。韓国映画や中国映画をよくやっていて、ほかの館では観られないものが観られた。
ビル一つがまるごと映画館になっていて、2階の2館がロードショー館。大手がやらないような(というか落ちこぼれてきた)類の映画を封切りでやっていた。1階はロードショー落ちの映画を2本立てでやる二番館。地階は洋ピン中心のピンク映画館だった。すべての館が連日オールナイト。篤彦は中学生の頃からこの館によく来ていて、オールナイトで朝まで居たりして、モギリのおばちゃんらに可愛がられていたらしい。
実はそこに篤彦の特殊な事情があったんだけど・・でもまあ、その台風の夜はそんなことは知らなかった。
どの映画にしようか?と迷った末、封切館の一つに入った。
なんだかひどい映画だったな! B級SFの匂いがぷんぷんするチープなヨーロッパ映画で、美形の(つまり外見のよろしい)人々ほど位が高く支配階級である未来の惑星で、醜形のミュータントらが反乱軍を組織し、その惑星に侵略して悪の限りを尽くす、みたいな。で、そのミュータント軍団には、世界的に有名な醜形女優だったり、侏儒(ミジェット)の俳優だったり、ホンモノの障害者(ということば自体は俺は嫌いだけど)がぞろぞろキャスティングされているのだ。これってPC的に(もちろんpersonal computerではなくてpolitical correctnessのほうな)どうなんだ?? いや、障害者(ということばは嫌いだが)独特の身体的条件を生かした表現自体はいいと思うよ。そういうコンテンポラリーダンスだのアール・ブリュットだの素晴らしいと思いこそすれ文句をつける筋合いなどない。しかし、わざわざ「醜形ミュータントの悪の侵略軍」って設定って、どないやねん??
とは言え、篤彦と俺はゲラゲラ笑いながらその映画を楽しく鑑賞し、外ではびゅーびゅー台風の暴風雨が吹き荒れているのを聞いて、2度目の上映の途中くらいですっかり眠くなって二人して寝てしまって、気がつくともう朝で、台風一過、爽やかな綺麗な青空になっていた。気持ちよく映画館を出て朝の電車で家に帰り、遅刻して学校に行き、授業中はすやすやと居眠りした。

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