2019年6月4日火曜日

김치ではない

自分が在日コリアンの詩人とか紹介されると地元に凄すぎる大先輩がいるので俺ごときがそんなふうに名告るのはおこがましいけど、でも、ま、俺の生活のその他の部分がクズ過ぎるんで自分に誇りが持てる部分といえばそこだけしかないわけで、むしろ積極的にそう名乗ることにしている。含みは詩人なんかではとても食えませんので生活をたてる手段は別にあるんです。
そのクズな俺のたつきは・・雅之がどこやらでバラしちまったみたいだけど。
もちろんセックスワークに誇りを持ってるプロの人たちが多いことは承知しているしセックスワーカーが一律人間のクズだとか言いたいわけではない。だけどこの人類史上最も古い職業といわれるこの商売はバスマットのように人に踏みつけられ蔑まれてナンボのところも確かにあって(だからこそ崇高さを帯びるという逆転もまた確かにある。俺はもちろん古代の巫女のようには語れないが・・)クズはクズでしかないことを心得たうえでの稼業ではないかと思っている。もちろんこの世界でキャリアアップしていく気はなく(出世して?めでたく女衒になったらもっとクズだ)自分が商品価値のあるうちにせいぜい稼げるだけ稼ぐ。いまは貯金のためにそうしている。あるていど金がたまればすっぱり足洗って気立ての良い女の子と結婚して正業について身を固めるつもりだ。それまでのモラトリアム。もちろん楽ではないけど金稼ぐ手段だと割り切れば、ね。
しかし俺は、そうやって人間のクズに落ちぶれて風俗やってる自分をどこか他人事(「たにんごと」と読むな「ひとごと」と読んでくれ)として冷静に眺めている自分がいて、そのお陰で自分を保ってられる(つもりでいる)けど、雅之は弱すぎるだろう。もし俺があいつをこの世界に引きずりこんでしまったとすれば、取り返しのつかないことをしてしまったな。あいつには冷静に自分を眺める視点なんて持ちようがないだろ。馬鹿だから。このまんま際限なく堕ちていってしまわないかと心配でたまらない。
俺の長姉は(ちなみに長姉の下に次姉がいて俺は末っ子の長男にあたる)古い日本映画の大ファンで、雅之みたいな馬鹿がいやしくも京大出身で美男の名優とおんなじ名前なんて許せん・・と常々言っている。あいつの両親はそういう意味でつけたんじゃないらしいが。
ある日の馬鹿会話。
俺が(なんかの話の流れで)民団の建物の正面に嫌がらせのように警察署があるのはあれはホントに嫌がらせであって俺たちが何か悪いこと企んでないかと常に監視しているのだ・・という誰でも知ってる有名な話(重言か)をしていると、雅之
「ミンダンてなに?」
小学校のガキの頃からつるんでる友達のくせしてそんなことも知らんのか。
「在日コリアンはミンダン系とソーレン系に分かれるのだよ」
「へーなんで?」
「くに本体が二つに分かれてるからに決まってるだろ」
「へー・・で、島ちゃんはどっちなの?」
「さっきから話題に出ているミンダンである。」
「そうなの。それって北か南かどっちなの?」
「教えてやらん。お前みたいな物知らずは手がつけられない。宿題にするから調べて来い」
わざと意地悪な言い方するとテヘヘと笑った。これだから・・。
俺はといえば、件の民団のやってる韓国語講座に5年も通ってなかなか上達しないナサケナイ日本語ネイティブだ。
家族で本国の親戚を訪ねたり本国から親戚が訪ねてきたりするときは俺以上に韓国語がまったくダメな両親に代わって通訳を務めないといけないのだが笑ってしまうほど不備すぎて、親戚の側からも家族の側からも責めたてられ呆れられる。えーと、それって俺の罪なんですかぁ〜?
くにとの心理的絆はずいぶん薄くなってきている。韓流が話題になりK-POPのアイドルがテレビやなんやに出てきても特に自分とのつながりは感じないし。J-POPもK-POPも似たようなもんやん。(俺自身は洋楽でもっと遡って大昔のブルースやブルースロックが好き)。二人の姉も母も韓流ドラマや韓国映画よりも日本のドラマや映画の方が好きみたいだし。(まったく毛嫌いしているわけではなくそこそこ見ているのだが自分の国だからと特別な思い入れはないようだ)。
但し家族一同、困ったことにスポーツでは断然韓国を応援する。
俺もいまどきの面白い韓国映画、在日コリアン監督の映画に関してはたぶん日本人の普通の子らとそれらとの関係とあんまり変わりないだろうと思う。特に自分がこうだからどうということはない。
趙方豪(「ほうごう」とか読むな「ばんほう」と正しく読んでくれ)といえばそりゃ『ガキ帝国』の優しさすら帯びた兇暴さは申し分ないけど『三月のライオン』の繊細さの方がどちらかといえば好きだとか・・。
ちなみに方豪は、小さい頃から俺が実の親父よりなついてた叔父と同年代で面差しもどこか通うところがあって昔から俺のアイドル。
女優ならばエロい役を演じるときの李美淑이미숙がいいな。・・って古いよな。もちろん同時代ではなく後追いで発見している。実は韓国映画は昔のの方が好き。
俺が日本人の普通の子たち相手にくにネタを話すときは小ネタばっかりで・・
たとえば、在日の青年はちょっと政治的な発言したり活動したりすると3人の尾行がつく。って話も叔父から仕入れた。叔父はちょうど光州事件のあった頃、日本の国立大学で大学生をやっていて同じ大学の在日の学生がスパイ容疑をかけられ韓国当局に拘留されて酷い拷問を受けている事件の解放活動に加わっていた。
叔父が言うには、そんなふうに活動する在日の学生には一人につき3人の尾行がついていたと。一人は日本の公安警察、一人は韓国の諜報機関(悪名高きKCIA?)、いま一人はもちろん朝鮮の諜報機関。うーん、しかしそれって効率的なのか? でも実際にそれで引っ張られる学生もいたらしいし彼らの情報収集力はそれはそれは半端なく優れたものであったらしい。
叔父の世代だと朴正煕박정희だの全斗煥전두환だの口にするだに忌まわしくそれが今となってはパクの娘がなんでこんなにも票を集めてるんだ?といまどきの本国人を信じられないという口勿だがかつて学生も知識人も軒並み左翼であった時代に北朝鮮が地上の楽園とか崇め奉られ若い世代がどんどん帰国していったその後の裏切られ感はハンパなかろう。
総てこの叔父に教えてもらったことだが俺の祖の地にあたる済州島の事件にしても光州事件にしても最近知った神戸朝鮮人学校事件にしても理不尽で悲惨な話はいっぱいある。語られるべき話はいっぱいあって、もちろん悲惨ばかりではなく美しい話、愛すべき話、面白おかしい話、エロい話もグロい話も、祖国はゆたかな物語の群れに満たされている。深いふかい物語の霊のようなものが半島のそこかしこに宝石の鉱脈のように埋もれ隠されている。しかしそれを語るのは俺の任にあまる。それらを語るには自分はまだちっぽけすぎる。
だからとりあえず短い言葉を綴ることから始める。
それも日本語で。
某氏の映画タイトルではないが「あんにょんキムチ」な自分を自分のまま語るところから始めるか・・といったところか。
そうそうそれで思い出したけど俺は松江哲明サン(知り合いではないが)と違ってキムチは大好きだ。母が(「オモニが」とかは恥ずかしくて言えない。「ハルモニ」は言うかも?)漬けたキムチを美味しく毎食のように食べて大きくなったがこの母が漬けたキムチが、日本を訪ねてきた親戚一同の女性陣に物議を醸したことがある。もちろん市販の「キムチの素」なんか一切使っていない、近所の日本人主婦たちを自宅に招んで韓国料理教室まで開いている母が万全を期して渾身で漬け込んだ自慢のキムチである。親戚のなかでも歳の若い女性陣にはおおむね好評だったが年嵩の女性陣は「これは김치ではない기무치だ」と言い張るのだ。ローマ字で綴ると「kimchiではなくkimuchiだ」つまり本国の本物の김치ではなく日本式の偽物のキムチだというわけ。母にしてみれば内心煮えくり返るような思いであったに相違ないがそこは儒教式長幼の序が支配する席で無言のまま頭を下げるしかなかった。俺の舌には韓国で食べるキムチと母が漬けるキムチのどこが違ってんだかわからないけどな。単に俺の舌音痴のせいかもしれないが、また単に親戚のハルモニらのイビリ(順位を思い知らせるための上位から下位への牝鶏のツツキ・・ってホントにそんなのがあるのかどうか知らないが)という可能性もある。
   *
ついこないだのゴールデンウィーク。初めて一人で祖国を訪ねた。一人で行くのも初めてだったしいつも済州島の親戚の家に直行するので実はソウルに行くのも初めてだった。連休中の友達との約束が反故になって唐突に思いつき折良く比較的安めの(といっても連休中だから割高ではあったろうけど)航空チケットも手に入った。今回はソウルの空気だけ吸って来ようと思った。
旅先ではいつもそうするようにあてずっぽに街を歩きまわり街の中心部を流れる小さな川のそばが気持ちよさそうだったのでずーっと辿ってキリのいいとこまで行きまた対岸をずーっと戻ってきた。この川端は地元の人たちにとっても憩いの場になっているらしく何人かで滞留している人たちがいたり一人でぼうっと座っている人がいたり俺みたいにぶらぶら散歩している人がいたり川岸の壁面に絵や書が描いてあったりオブジェがあったりところどころでアートや写真の展覧会をやってたり・・。あとで地図をみて清渓川というのだと知った。
この街には街の真ん中に清い渓があるわけだ。
いつかのような渓谷ではないからハヤブサは飛んでなかったけど名前を知らない小鳥たちがせせらぎをちょんちょん渡っていたな・・。
(もちろん「ちょんちょん」がオチではない。俺の上の世代だとゾゾっとするだろか?俺はなにも・・)

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