2019年9月8日日曜日

て、インパクトあるタイトルですねぇ・・。
とはいえ最新の生存率データによれば(種類にもよるけどわたしのやったのなんかは)、もはやまったく死病でもなんでもないのですけどね。
そもそも癌って漢字の字面が凶々しく、いかにも死に至る岩の塊って感じ。でも英語(や主な西洋語では)ただの可愛い「カニさん」ですから。ま、しかし英語(や西洋語)ネイティブにとって「蟹」が可愛いかどうかはわからんか。彼らにとって蟹はやっぱり凶々しく長い肢を広げて死病を身体に張りつける存在なのかもしれないし・・。(しかしいつも思うんだけど英語(や西洋語)話者が星座を聞かれて、「蟹座」と答えないといけない人はその語感を気にしたりしないんだろうか?「あなた何座?」「cancer」だなんてね。)
話がずれた。tarahine(ブログ連載中のタイトルは『85歳からダンス』)という連作のテーマは「身体」ですからして病気の話は避けて通れません。
筆者が別のハンドルネームでやってたフェミニズムのサイトで「絶対書いてね」とエールを送られ「絶対書くから」と約束した以上ぜったい書くつもりでいるし、そしてどうせ書くなら当たり前の闘病記だの病気がモチーフの(口当たりの良い)物語だのにはしたくないし。
常々世間にある闘病記だの闘病ドキュメントだの物語の中でギミックとして使われるケース(少女マンガの白血病といえば定番でしたもんね)は言うに及ばず、真面目にテーマやモチーフに織り込んだ物語とかノンフィクションとかでさえ、何を読んでも何を見ても、この病気の語られ方そして読み取られ方が、いったん当事者になってみるとものすごく違和感のあるものなのです。(と、これは多かれ少なかれ当事者になったことのある方ならみんな感じておられると思う)。
描かれる細部がやっぱり微妙に違ってたりずれてたり(物語の鍵になってる部分にそういう間違いがあると目も当てられないし)、また端的に患者はすべて健気に癌と闘う悲劇のヒロインとはかぎらないし(筆者は少なくともちがうし)。・・ただスーザン・ソンタグではないがやはり隠喩としての病という側面はあるかもしれない・・それはまた追い追い書いていきますが。
2つ前のエントリーにある「瘤のある自画像 」という詩を書いたときにはまったく気づいてなかったけどこれはあきらかに事態を預言していたことになるし・・。
で、これはちゃんと言っておかないといけませんが、(これを言うためのエントリーでもあるのですが)、現実の筆者の状態はこれを書いてる時点で初発も再発も無事乗り越えて長期寛解状態が長く続いています。(定義上「完治」とは言えないんです)。まあ立派にサバイブしたものと考えられますので、どうぞご心配なく。
なおtarahineの連作はフィクションの嘘日記で主人公は現実の筆者であって筆者でありませんので全てが筆者の体験とは限りません。念の為

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