2019年10月8日火曜日

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現在(といっても今在るかどうかわからないが1997年4月1日小包を出しに行ったときは確かにあった)中央郵便局のあるところは(信頼できるといわれている)歴史教科書等によれば100年前から由緒ある中央郵便局であるということだが私にいまある記憶によれば30年前ここはたしかに1,000年前からここはこうだったとひとびとのいう果物卸売市場があった。ゆっくり移動撮影して7分25秒かかるほどの間口にドリーすべらせ何か寄生植物の蔓を編んだ籠をせなにオレンジ檸檬ライム西洋梨いちご杏さくらんぼアヴォカドまんごー芭蕉いろんなめずらしい果物の山とつみあげられたうえに美味しそうな白熱電球の美人ライト処々ともるひろい市場をあるきまわる。ここ1週間の滞在で見たことのなかったマンダリンがあるのをみつけへたくそな(現地に行ってからおぼえたばかりの)スペイン語で「どこの産か?」と問うと親爺は「中国産だ」という。小粒のふわっとしっかりした粒揃いに有田を見出していたわたしは重ねて「日本産ではないのか?」と問うと親爺は「ああそのとおりだ。中国の(なかの)日本だ」と答えるのでうつむいて言い訳がましく「わたしは日本人だから」と呟き「2kg頂戴」と籠をさしだす。秤に2kgぴったりのみかん籠に入れてもらい財布をさぐってお金を出そうとすると親爺はすでに市場の仲間たちとべつのおしゃべりに夢中になっていて此処1ヵ月まともな肉の配給がないとか今日はいよいよ塊肉が大量に出るらしいとかハムしか出ないのではないかとか豚のたべられないおまえは気の毒だとかハムを少しずつ削って夕食の貧しいおかずにするのはやりきれないとかひんぴんと受け渡されるハムの語感にぶっとい脚の筋肉ぷりぷり私を蹴ろうとして脹れ漲るのを感じ蹄がしゅわっと目の前とおりすぎるのをあやうく躱して私は出しかかっていたニッケル硬貨2枚引っ込め気づかれぬうちにとそそくさその場を離れる。結果的にただで手に入れたみかん背にコリント通り北へ進むと左手に酸性雨なみだたれる建国英雄の銅像といつもつるつるに磨かれている黒い石の碑があってあらかじめセットされたおざなりの花束とロウソクと泣き女(子供つき)が供えられている。ゆるやかに段をのぼり剣呑な石の喉元に籠のみかんをそのままざらんとあけてひとつかに重ねカンマがわりに手をあわせそれから自分のために3個だけ取り戻しいざりさがると2~3日前から耳について離れない声がまた執濃く囃したてるとられたものはとりかえせトランスポートとらまえるトラックにトライ・・・ざぶん!筒状に空洞になった情報端末に視線をくれ病状の宣告はあと2年の猶予をくれてもうこれいじょう睡れないわやわやといそがしくいごきまわるゆめをいちいちキャッチアップすることなどできぬ何いいだすかわからない渡来人たちのほこりに一人ひとりフォローすることなどできぬぼろぼろに穢されたうつろを抱え疲れ果ててヒジャブの少女をかどわかしてくる純情下劣にうちのめされどうにもならないどうやることもできないひとひとひとのみがわりにfuckfuckfuckをかさね無残な不潔な非人道的なここまで堕ちたくないとだれしもなぜおもうのだろう?生きるためにはどうして墜ちずにいなければ或る水準を保ってきしむ板を渡さねばならぬのだろう?ぎしぎし板をわざにゆるがせ錠をやぶるほどの酒かっくらって紫陽花をかかえたjohnnyは「今晩おれの子供が生まれたから」と嘘をのべて死をもてあそぶありふれたあかぬけないあかぎれたあそびにわたしを誘った。しょぼくれはてた贅沢にもゴールデン(すら)アンバーむさぼりそこがだれか高貴なひとの墓であることはまちがいないのに火の玉の人食い鬼のドルイド幽霊の俗説が圧し倒している天罰覿面ばちかぶりに剥き出しに曝されたごつい石をかさねた遺跡で夜明けを迎えて二人だらだらみかんの小袋を吸いながら春分だったらよかったのにねとなまりきった感覚をなぐさめあいつつかつての英語教師にwish you were hereをふくむ絵はがきを出しに中央郵便局へとまたロケバスを駆っていく。

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