2019年8月12日月曜日

接着霊

死の像が目の前にいきなり現われた。それは、おせんべなどばりばり食いながら一面のガラス張りの窓をへだてて夜の街の光を映画みるようにぼっと眺めてたら、唐突に空一面にでかい目玉をした死に神の顔がぬっと現われガラスにへばりつかんばかりにしてこちらを覗きこんでいたという具合。あたしは怯えた。というより沈黙した。死の現前ってのはかくも圧倒的でひとから言葉を奪うのだなあというとても当り前の感想。次の瞬間、彼はバリバリバリと轟音を立てる戦闘ヘリコプターのかたちを借り、ゆっくりと照準をこちらに合わせて、あたしに向かって砲撃を開始したのだが、なんとガラスいちまい隔ててあたしは無事だったのだ! 連続する砲撃音に確かに部屋は爆撃されてめちゃくちゃに火の海瓦礫の空中に舞い散る修羅場となったのだが、なぜかあたしの身ひとつは無事...。

その事件をピークに死の像は急速にひゅるひゅるひゅるとゴムに引かれていったみたいに遠ざかり、いまは向こうのほうに小さく見える。入れ換わりにこんどは接着霊があたしのそばに寄り添いはじめた。だんだん抜けていく髪の毛とともに。
抜けていくのは抗癌剤のせいというより新しいヘアマニキュアのせいかもしれないけどね。手軽にできるようになったぶんこのところ頻繁にしてるから。

ああ、接着霊ってのがわかんないでしょ。あたしだってついこないだまで知らなかったのだ。

あたしはスパイかそれとも電気調査員みたいな仕事で各家庭をまわっている。その家は、上司の家かそれともモデルルームかそれとも上得意だったのか、わざと変な配線がしてあって、ダミーの配電盤があって、ほんものの配電盤はテーブルの下に隠してあったりする。このテーブルの下のこのリモコンからエアコンを操作するんですよとかなんとか、そこのご主人とおしゃべりしながら調査している。

その家は病院も兼ねていたのか? あたしも手術しないといけないのだが、もうとうの先から妹(現実の妹)も入院していて癌の手術を受けなければならない。しかも病状は深刻で、次の手術が最終手術になるかもしれない(つまりそれで死んでしまうかもしれない)。のに、本人はいたって元気でのんびりそのへんをパジャマで散歩してたりして、いろいろ世間話などしている。スパイのこと電気のこと...しかしよくきいてみると、彼女はこの病院(ホスピスというか癌の末期患者の病院)にいるつもりではなく、前にいた病院(普通の病院)にまだいるつもりのようすで、ああやはりもう混乱していて自分の状況がよくわかってないんやねえ...と可哀想にと憐れむような仕方ないようなあきらめるような見守るような気持ち。あたしも手術があるのでそちらに向かいながらふと見ると、長い後ろ一文字のみつあみの髪の毛が頭のお鉢ごとすぽっと落ちていて、「あれ、これ妹のだ」。抗癌剤で抜けたのか。本人は、変に手で切ったようなどうでもいいショートカットの艶の不自然な固い黒髪でいる(かつらなのか?)。あたしは手術に向かう(歩いていく)彼女を見送りながら、ああ目が覚めたときにまた会えたらいいな。でも生きて会えるのは最後だろうか? あたしが手術の最中にもう彼女は逝ってしまっているだろうか? と哀しいような諦めのようなわずかな希望に縋りつくような気分でいる。

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