2019年5月5日日曜日

レフトウィング

 キャピタルの中央に出るには地表のうらがわに沿ってのろのろと走る電車網の駅しかない。繰り返し訪れる地殻のしわぶきに疲労して、ここももうすぐ封鎖されるという。
 空しい繁栄を偲ばせる大袈裟な高速道路網は、屋根を成すようにすっぽり街を覆っている。そこに出入りするステーションは街のセンターからかなり離れた西の郊外に一ヵ所東の郊外に一ヵ所あるだけで、そこもあまり利用されることなく、大型トラックや小型ひこうきやリニアの類は轟音をたてながらときたまキャピタルの上を素通りしていくばかりだ。
 街の端のほうへ行くほど高架は低くなり、真下を通ると、警告する獣の吠え声のような断末魔のようなオルガスムのような新交通機関の波が断続的に体感される。
 もっと敏い耳ならば、このさかまくようなうなりの渦の中に金属質のハム音がかすかに飛び交っているのを感じ取ることができるだろう。この鋭い風波は、街の中心に行くほど濃く密になってぶんぶんびんびん神経を切り裂いて走るかまいたちの群れ。ごじゃごじゃにもつれた繊維の塊になる。
 密度は一定しない。濃密な円柱の時間などどこにもない。そのつど直径の違う球になって溶媒の中を遊走する感覚素だ。牝から離れた女類の囁く部屋の周辺で貧乏な哺乳類はいちばん美味しい場所を捜しあてることに長けている。辺縁の低周波領域と中心の高周波領域の境目あたり。巧みに黄金分割が引かれるあたりに、いつもの商人宿を見い出す。
 坂のいちばん下にある駅を降りて石畳を昇ってすこし行ったところ。瞼の上にコンクリート性の心臓がある。そこがキャピタルの繁華街それとも最も辺境か、いつも混乱してわからなくなる。地の傾斜がまん中をめざしているのか周辺がいちばん高いのかそれとも変則的に波打っているのか、いつも不安定だ。表面上。パチンコ玉をそっと置いてみればころころと流れる。どっちの方向へ?感覚とはいつも逆の方向へ。やはり傾斜はあるのか。あるに違いないが、不安定だ。
 ひからびた運河と埋め立てられた川とで構成されたこの街には、水気というものがなく何も腐るものはない。運河ぞいにびっしりと虱のようにたかっているのは、顔の赤黒いまたは黄黒い浮浪者たち。虱の吐き出す白い糸が道に沿って地の傾斜にしたがって風や磁力につられてふわふわ流れ漂い束になって縺れて、街に特有の迷路をつくっている。
 糸玉を解きほぐすことがとりあえず目先の目的なのだが、ほぐしきれないのは最初からわかっている。生き物の最初を起点として最後が目標とかけ離れた到着点となるひと続きの迷路。否応なくつるつる出てくる繊維に沿ってつんのめるように歩きまわる。
 表面下にはとろりとしたテクスチャーの中に竪穴、横穴いろいろ掘って性格の規格化された経済人たちが住みなしている。しつこく巣食う夢を手品のように鮮やかに増産し切り売りしながら肥満し街をどんどん細らせていく。擬装土を歩く動物にはヴィブラートの幻想化が必要だ。街角の隅ずみに権力を及ぼすべく。あらゆる真皮の下に受肉のリズムを流しこむべく。あちこちに力学の見えない集落があるのだが、絶えず盛衰を繰り返し人種も人口もさまざまに移り行くので正確な実態を掴んだためしがない。
 皮膚にふかく食い込んだ亀裂に沿ってわざとらしい翡翆が植えられ染色体毒殺をふりまいている地下一帯は、どんどん延びる博物館。街の油虫の境界線である。館内には念入りに殺菌され漂白された標本の虫たちがプログラムに沿って交配され、外に棲息する微笑み鼠の世界では仁義無き生存競争がヒトの約20分の1のスパンで繰り返されていて、大型黒色種が小型茶色種に駆逐され壊滅的な打撃を受けながらも創造者としての誇りだけは譲り渡さず一時的な自殺協定が結ばれている。地熱による奇形が定着した白色種は生命力の弱さを逆手に取って巧妙にプログラムの内部に入り込んで寄生し、宿主を破壊しシステムを改変し無意味を奪還し外の秩序も内のネットワークも取り返しのつかない混乱が指摘されている。
 抜け穴が運良く辿り着ける美術館のその建物には、コロラチューラが現在に属すのか含まれるのか時間の波間に顔を出すつるつるの顔だけが彼女と呼べるのか果てしない論議と計算式がだらだらと続く一郭がある。終わりのない難問の遊戯の快楽をあがなうように、一定の確率で殺人事件が起こるその都度、手慣れた手つきで事件を解析してみせる探偵が雇われる。
 そこから異次元にある衛星放送の群衆が待ち望むショータイム。


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