2019年5月23日木曜日

リプレイ

美術館に来てみたら美術館は閉まっていた。はじめ閉まっているともわからなかった。後日開館日に再訪してみてそこが入り口だとわかった開口部は閉館日にはぴったり閉ざされて単なるのっぺりした塀となり普段はそこが入り口なのだということすらわからない。おかげで閉館であることを知らずどこが入り口なのかしらん?と探す当方はぐるり四方ではなく建物のかたちの都合で変形五角形となった周囲をぐるり一周めぐって矢張り塀しかなく腑に落ちずに二周目を回り終え三周目に入った直後ようやく角っこの柱の上に美術館の印があってその下に小さな金属プレートがあるのに気づきそこに開館日が記されてあって本日はそれに当たらない旨を漸く理解する。
なんでちゃんと調べてから来ないかな。どっと疲れてふいと息をつきあらためて美術館の建物を見上げるとてっぺんに金の馬がいて晩い(おそい)午後の陽差しにだるそうに光っていた。金ぴかに光って私を見降ろすような位置にいてもべつに私を馬鹿にするでもなく澄ましているのでもなくただただただただそこに居た。
わざわざここまで出向いた徒労感をなんとしよう? でも美術館の表側にはそれほど広くもないが悪くない公園がゆったりと広がっていて水辺までつづく段差のそちこちに若い子たちが思い思いに集っているのだった。少し歩いてベンチに腰をおろしスケートボードに興じる子らの一群れ(ひとむれ)を見るともなしに見ていると彼らはいまどきラジカセを使ってラジカセから音楽を流しながらしかしその音楽に合わせるわけでもなく上手い子も下手な子も思い思いに愉しげに滑っているのだった。いちばん小さい子で9〜10歳ぐらい大きい子で16〜17歳ぐらいといったところか。しかしあんたらいつの時代の子どもやねん?ヨーロッパの若者はアメリカより10年単位で遅れるんかい?(周回遅れかそれとも周回遅れの先端か?)。それとも、もしやしてその一群(いちぐん)そっくりタイムスリップでもして来たんかい?
と思った矢先ラジカセからふいに私も知っている英国の流行歌が流れる。それがたしか4〜5年前の歌。また幾重にも折り重なったタイムラグにくらくらくる。私がいっときしつこくしつこくリプレイしていたその曲は若き黒人ミュージシャンの歌のくせして麻薬性あるヨナ抜きメジャーの旋律を持っていて、ある女性の名前に直結しその女性の名前を聞きたいだけの動機でしつこくしつこくリプレイしていたその歌が、なぜかここでもしつこくリプレイされあたまのなかで流れるメロディと共鳴してスケボーする彼らの動きを目で追いながら私の感情もいったい今の今にあるのかかつてのあのときのかつてを繰り返し繰り返しリプレイしているのかわからないままスケボー少年らの同じルートを何度もなんども繰り返し滑る動きとともにいったりきたりしながらすこしずつの差異をくわえながらやはりリプレイを繰り返すのだった。
んな感慨に耽りつつもはや立つ気がしなくなって快く重たいお尻を石のベンチにかるくめり込ませながらみるといつのまにか空の色・空気の色が薄暮にうつろうとしている。夕食にはまだ早い。もうすこしこのリプレイを眺めていようか。(だってリプレイには麻薬とおなじく習慣性があり快くて快くて快くてなかなか抜け出せない。・・って重言か)。
なにかかるいお酒が飲みたいな。いやむしろ強めのショットか・・。
わたしはもううごきたくないんでだれかもってきてくれ。
と日本語でつぶやいてもこの無邪気そうな顔たち稚い体躯たちのなかにそれがわかりそうな子はひとりもいそうにない。

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