2019年5月30日木曜日

マルはバカではない

勿論オレは妊娠なんてしない。バカではないからな。
ちなみに一人称はオレ。クラスに何人かボクっ娘(一人称「ボク」で喋る女子)はいるが、ぶってる感じで嫌だ。オレとしてはオレがいちばん居心地良いのだが、だからといって他人の前で「オレ」で喋るとボクっ娘とおなじく変に(別の方向に)ぶってる感じに思われそうなので他者に対しては「あたし」などをつかう。(それでも時に「オレ」が出てしまう。そうそう奇異にはおもわれていないようではあるが。)
一人称オレではあるが性自認オンナで性的指向はヘテロだ。同性に対してはディープキスまではあるがそれ以上は経験ない。
で、バカの話だった。
オレはバカではないから決して妊娠などしない。ペコに説教などされなくても。
めんどくさいから説教させておくけど。
バカはうちのハハだ。ハハは母だ。ハハハハだ。ハハハハハハハハ・・といくら笑っててもまにあわないくらい大バカだ。
バカはすぐ妊娠する。
オレのうえに年子のアネがいてオレと弟のあいだに9年が空いている。あのオヤヂと9年たってもまだやる気があったのかよ(みたいなことを)ハハに訊くと、困った顔して、いやそれはずーっとやっていて(あるいはやられていて)何度も堕胎したのだという。
いま8歳の弟は体力的にこれが最後のチャンスかもしれないと思いオヤヂに泣いて縋ってお願いしてキープすることにしてめでたく産んだのだという。
何度も堕胎?
結婚している夫婦で?
どうでもいいけど避妊ぐらいしろよ。(ああペコのセリフだ)
・・だってお父さんが嫌がるんだもん。
おめえら原始人か。
(・・これがわが両親か。)
・・いつもわたしのアタマが悪いせいにされてたのよ。
・・わたしがバカなせいで排卵日とか危険日とかの計算まちがいするのだと。
それは、しかし。それ以前のバカのせいではないのか。
(・・ああ目が赤くなりそうだ。)
ことほど左様にハハはバカだ。
そのうえいつもバカだバカだと言われ続けて自分でもそれを否定しないから余計にバカになる。
バカと言われ続けてン十年。
寧ろ(むしろ)バカに安住している。
たとえば日常のワンシーン。
我が家の夕食はハハのバカを血祭りにあげる場だ。
ハハがなにかバカを言う。
おもしろ可笑しく言えればよし。もしダメならオヤヂが不機嫌なままで盛り上がりなく「お母さんはバカだな」の冷たい一言で終わる。
面白いバカ話ができた場合。
オヤヂが大声で「お母さんはバカだなあ!」と晴れやかに言う。
みんなが大声で笑う。
ひとしきり笑う。
(で、その日がたとえば肉鍋だとする。)
「お母さんはバカだから良い肉と悪い肉の区別がつかないよなあ」
「お母さんはこんな旨い肉も味がわからないよなあ」
「お母さんに肉なんかやってもブタに小判だなあ」
「お母さんに肉をやるなよぉ」
「お母さんなんか麩ぅでも食うてればいいんだから」
ということになりハハは肉に箸をつけることができない。
(最後にみんなの食い残しがあれば未練がましく食っている。)
勿論オヤヂはいちばんおいしい肉を取る。
おいしい肉を食いながら自慢話をする。ひとしきり。
自分がどれだけ部下に崇められているか。人格者であるか。
会社の実績にどれだけ貢献してどれだけ大事にされているか。
自分がどれだけ物知りであるか。
それからオレにくる。
「〇〇(オレの本名)は賢いから肉をどんどん食べなさい」
「東大合格のためにも食べなさい」
「おお、どんどん食べなさい」
ひとしきり二人で食べる。
それから弟が負けじと手を挙げる。
「ボクもアタマがいいよ!」
「そうか」とオヤヂが目を向ける。
「その証拠を示しなさい」
「昨日の塾の算数テスト、クラスで3位だった」
「3位か。それではまだ賢いとはいえないな」
「つぎはぜったい頑張る」
「よし。それでは肉食べていいぞ」
弟は勢いづいて、他の家族に真相を知られぬうちにとでもいうように慌てて肉をかっさらい口に押し込む。ガツガツ食べる。
弟はハハに似てバカだが、この家ではバカはバカを見、アタマが良いと得することだけは早いうちに見抜いている。
そんなことしてもなーんも自分の得にはならないことをまだ理解せずオヤヂに愛されることがまず至上命令だから塾の宿題は解答を丸写しする。塾のテストはできる子の答案を盗み見て丸写しだと気づかれるから気づかれないよう適度に修正して良い点を取る。毎回クラス3位のからくり。
バレるのが早いか。弟がその無益さに気づくのが早いか。
まぁ小3では無理あるまい。
弟はハハに似て犬の目をしている。
ヒトの愛情をもとめて(瀬戸内サンに倣って「需める」と書きたいところだがここはひらがなにしておこう)一心にヒトを見あげる犬の目。つぶらな瞳。
ちがうのは、ハハの目には既に絶望が宿っていることだ。絶望的にもとめる目であり返報がけっしてないことを知っている目であり恨みがましい目である。その恨みがましい目がオヤヂの虐めゴコロに火を点ける。
「お母さんがあんな目をするから余計に虐めたくなる」
「虐められっ子はあんな目をするから余計に虐められるのだ」
「虐めっ子は元から悪いわけではない。虐めっ子を虐めっ子にするのは虐められっ子のあの目なのだ」
(という理屈。)
弟の犬の目にはまだ希望がある。返報すなわちオヤヂの愛情をもとめてキラキラ光る。
このごろはオヤヂと一緒になってハハを苛んで(さいなんで)いる。
オレはイジメには加わらないけどな。
傍観者は既に加害者か。それならそうだけど。
それよりいちばん呪わしいのはオレがこの家でいちばんオヤヂに似ていることだ。
まるい顔、まるい体、陰険な目。物心つくとオレは嫌というほどオヤヂに似ていた。
オレの目と、オヤヂの目は、陰険な猫の目だ。
かわいい猫目ではない。ひとを見くだす目。
生まれたときからはじまったアネとオレとのデスマッチで先勝したのは当然可愛げのある目を持ちあわせたアネである。(アネは猫型とも犬型ともどちらにも分類しがたくその目は時に応じて犬っぽくも猫っぽくも光るがとりあえずこの家では一番の美形である。幼児の折の写真を見ても申し分なく可愛らしい。)幼き頃オヤヂからもハハからも溺愛されるアネをオレは猛烈に嫉妬した。
逆転したのはアネが小3オレが小2で揃って進学塾に行き始めてからでアネは中の下がせいぜいだったのがオレはいつもトップで最難関確実と言われた。
それからアネは早々に闘いを降り中高は中堅私学に進学したあと大学はここから遠く離れた地方の女子大を選んで両親を失望させた。名前を聞けば地元では誰でも知ってる名門女子大であるらしいが近年偏差値の降下が甚だしく定員を集めるのにも難儀する凋落校。そんなもんそちらの地元で地元の老舗企業のOLになるとか地元の金持ちの息子を摑まえるための嫁入り道具にするとかには重宝かもしれないが600キロ離れたこの地からそんな大学行ったところでなんの役に立つかよ? ホンキで彼の地の金持ちのボンボンを摑まえるつもりでもなければ両親への意趣返しで人生降りたとしか思えない選択をアネは(そんなにも若い身空で)してこの家から去った。
ひきかえオレは最難関の女子進学校に首尾良く合格。中高通じて成績最優秀をキープ。直近の模試で東大文I B判定(限りなくAに近い)。正直本人はA判定の文IIIでもいいと思っているがオヤヂに言わせるととんでもない必ず文Iに合格しゆくゆくは官公庁の役人あくまで弱者を虐める強者の立場にオレを立たせたい。ひとを見くだす目をして。
「おまえが男だったらよかったのに」
紫式部か。
「でもいまの時代は男も女もないからな。おまえはかならず東大法学部に行け。おまえは人の頭に立つ子だ。オレに似ているからな。」
そういうときだけ男女共同参画。そういうオヤヂは実は三流大学しか出ていない。
会社でも碌な地位を与えられていない。それなのにプライドだけは一人前で自分が誰よりも賢いと思っている。
自分が知っていることを客観的に吟味する基本的な手続きも知らず自分が(たまさかに)知っていることを絶対的に正しいと信じている。日本語版Wikipediaを修正しまくるのがオヤヂの趣味でしかし修正してはすぐに上書きされるのが常でパソコンに向かって毒づいているのをよく目にする。(ま、Wikipediaじたいそういう仕組みなのかもしれないが。)ことほど左様にオヤヂはバカだ。
オレはバカではないからこういう家族が大嫌いだ。
この家族の全員をオレは見くだしている。
ことほど左様に見くだすしかない家族を持ったのが
オレの悪しき宿縁。オレの鎖であり枷である。

2019年5月29日水曜日

アクチベータ

 チェックインが済むとクラークの男は私に小さな石鹸のようなものを手渡した。黄色みをおびた白の粉石けんを固めたような物体。「これは部屋の水系をアクティベートするものだ。部屋に入ったらまずこれを井戸に放り込め。それから5分待つと水が使えるようになる。」と言う。部屋に入ってみる。荷物を置き、窓を開け、ぐるりと室内を確かめると、なるほど部屋の隅に円筒形の腰までの高さぐらいの物体が床から生えるように立っているのが見え、これが井戸なのか?覗いてみてもそこは暗闇でかなり奥底の深いようで何も見えない。耳を澄ますと幽かに(かすかに)水の揺蕩う(たゆたう)音がするような気がする。気がするだけで確信がもてない。念のためバスルームの扉をあけ(バスタブがない。シャワーだけ。いまどきはこれが普通。ま、仕方なかろう)、洗面台のカランをひねってみる。何も起こらない。カランを締め直し、部屋にもどって件のアクチベータを井戸に投げ入れる。何秒かたって(かなり深そうだ)ちゃぽーんと響く水音がして確かにそれが井戸なのだとわかる。ベッドに座ってきっかり5分待ち、再びバスルームに入ってカランをひねると、少しためらうように空気がこぼこぼと出てきたあとに水が勢いよく噴き出した。てのひらで受け止めるとこの地にあっては貴重であろう冷たく清冽な水で、試しにコップに汲んでみるとさーっと水泡(みなわ)が消えたあとは塵ひとつ見えない、光に透かしてみてもおかしな色は少しもついていない、透明な美しい水だ。(が、もちろんそのまま生水を飲むわけではない)。
 再び部屋に戻って荷物の整理を済ませベッドに腰をおろして暫しぼんやりする。傍らにかつて付き合っていた女の幻像がいるような気がする。「あなたはそうやっていつも・・・」「あなたは・・・なんだから」。私のこれこれこの言動のこういう点が気に入らないから、ついてはここをこう改善してくれ、と言ってくれればよいものを、一気に「あなたはいつも・・・する」「あなたは(これこれこういう種類の人間)だ」になる。でも言われてみると彼女の言う通りで、確かに私はその種の人間なのだった。他人に対する気遣いに欠けている。言われてみると確かに他人のことなど気遣ったことがない。彼女のほうは気が利き過ぎるほど気が利いて、私がなにか身動きをするとすぐに私の必要とするものが向こうからやって来た。それがいちいち的確なので、初めて知り合った頃は気味悪いほどで、この女は自分の考えていることを悉く読めるのかと疑ったぐらいだ。いちど「不気味なぐらい手際が良い」と口にしたら「馬鹿」と言われた。のちのち世間ではそれが女性によくあるむしろ通常のことで、私自身が他者に対して気が利かなさ過ぎるということを学習した。それにしても(私の基準にしてみれば)かなり極端な学習だったと思うが。
 最後の喧嘩をしたのもこの地への旅だった。いま泊まっている宿よりもランク違いに高級なこの地で一二を争う有名なラグジュアリーホテルだった。ラグジュアリーといってもこの地だからかなりお得なのよ。だとしたらここを選ばなきゃ損じゃない?と言う彼女を憎んだ。着いた途端なにか些細なことで口喧嘩となり、いつものように私は言い負かされ不貞腐れ(ふてくされ)旅の疲れもあってそのまま大きなベッドを独り占めして眠ってしまった。目が覚めるともう夜で、部屋は暗く彼女の姿はなかった。私は煙草に火を点け(当時は吸っていた)暗いままベッドに座っていた。どれくらい待っただろう?わさわさと物音がして部屋のドアが開き、ぱたんと閉まり、彼女が帰ってきた。私に気づくと「あらあら暗いまま!どうして明かりを点けないのよ?」とかなんとか言って、明かりをつけてまわり、最後にベッドの傍に立つと私を見下ろすようにして「夕食、ひとりで食べて来たわ」と言う。そういえば眠りこむ寸前に彼女が「おなかが空いた。ちょっと早いけど晩ご飯に行こう」と言い、わたしが「まだ腹は減ってない」と答えた記憶がある。「どこで食べたんだ?」「この上のレストラン」「ホテルのレストラン?」(私だったらありえない選択)「こんな国では珍しい本格的なフランス料理ですごく美味しかったわよ。美いワインもあったし。」。私が腹を空かせていることはわかっているだろうに、わざとそのまま突っ立っている。「街に出ないか?」「何しに?」「決まってるだろう。オレの晩ご飯」「もう食べたし」「お前は、だろ」。なんで付き合わなきゃいけないのよ?と目が言っていたが、口には出さなかった。そのままたっぷり時間をかけてわたしを見下ろしている。当時の私は(これも今とちがって)昼食であれ夕食であれ独りで食べることには耐えられなかった。それも知り尽くしている彼女は、さああなたに恩を着せるわよとばかり十分に時間をとってわたしを睨め(ねめ)つけた末に「いいわよ。じゃ行きましょ」と言った。
 その地は高低差のある道の入り組んだ街で、あたかも平地に一応の区画割りをしたあと空から大きな親指と人差し指が降りてきて土地をぎゅっとひねりあげたかのようだった。ひとつの道をたどるとそこは曲がりくねり、上ったかと思ったら下っていく。ぐるっとまわるともとの交差点に出る。そこにはあらゆる肌の色の人間がいて、そのなかでもいろんな民族系、ちいさな部族系がいるようだった。ブロークンな英語がどこでも通じたが、それとはべつにこの地の共通語もあるようで、「こんばんは」と「ありがとう」だけはその言葉を覚えて言うようにしたが、どうやらそれもこの地の多数派の言語であるに過ぎないらしく、そうではない耳慣れないアクセントや発音のおしゃべりをあちこちの隅で耳にした。「ありがとう」は何度も聞き何度も口にしたが、どうもそれを口にするタイミングがこの地の習慣と異なっているらしく、「どういたしまして」にあたる言葉を言うべきときに「ありがとう」を言い、逆のときに逆を言っているようではあるが、「どういたしまして」を言うべきときにもけっきょく「ありがとう」を連発してしまい、また変な顔をされるのだった。
 お祭りではない普通の夜だったが、街は明るく喧噪に充ちていて、皆が楽しみ興奮し「踊ろう」「踊ろう」と口々に言っているかのようだった。わたしは歩きまわるだけで愉快でたまらず、あちこちの細道に折れては迷子になり、またもとの交差点に出、また異なる人々の群れに目をやり耳を傾け、すべての路地に足を踏み入れねばおさまらない勢いだったが、彼女が次第に疲れて不平を言ったので、レストランに入ることにした。英語で「東風」という名が添えてあるが土地の言葉で「×××」という名前が大書してあってそれが屋号であるらしい。ウェイトレスにこの店の名はどう読むのだと聞くと「×××」と言い、復唱すると笑っただけでそれが正しい発音なのかどうかわからない。一般的な「東風」というのではなく、どうやら土地に吹く特別な風の名称であるらしい。料理は土地の材料を使って少し中華風のアレンジがしてあるようで、美味かった。土地の酒も美味しかった。連れはもちろんあまり手をつけなかったが私はもりもり飲み食いした。彼女はすぐ帰りたがったが私はそのまま帰りたくなかったので、踊る店を見つけて入って少し踊った。彼女は見ているだけだった。
 ホテルに戻るとフロントクラークの女性に「明日は東風がきついようですから窓をしっかり閉めておやすみください。」と言われ「×××のことか?」と訊くと莞爾(にっこり)笑って「そうです。」と答えた。翌朝、東風は来なかったようで至極平穏な朝を迎えたが、その代わりとでもいうように彼女が消えていた。書き置きもなにもなかった。そしてそのまま私の目の前にふたたび姿を現すことはなかった。
 それからもう20年以上が過ぎている。同じ街の同じ入り組んだ街路なのに猥雑さがかなり薄められ、小綺麗になって世界のどこでも目にするチェーン店もわざわざ目立つように見かけられた。人々の活気も心なしかややトーンダウンした感もあったが、それでも「踊ろう」「踊ろう」と口々に言っているかのようであるのは、変わらないこの地の気質のようにも見えた。広場のあったところに出ると20年前にはなかったガラス張りの筒状のビルが建ちその前に大きな噴水ができていて、夜ともあって色とりどりのイルミネーションがほどこされ、大小さまざまの噴水がリズムにあわせて水のショーを繰り広げるのであった。人々はそれに見入ってのんびり噴水のまわりに座ったり寝そべったりして冷たい水がかかるのをむしろ喜んでいた。20年前に入った「東風」なるレストランは見つからなかった。場所も正確には覚えていなかったが、たぶん新しい店になったんだろう。
 20年前のフロントクラークの女性の言葉を思い出し、このホテルでは尚更であろうと思い窓をしっかり閉めて眠ることにした。白いペンキのところどころ剥げた木製のぼろっちい鎧戸である。
 翌朝、鎧戸の割れ目や隙間から針穴写真機のように入って来る光が美しくその眩(まばゆ)さに目覚めたつもりが、光ではなく音で目が覚めたことに気づく。それは鎧戸をがたがた揺らせ隙間から入り込んでこちらのガラス窓まで激しく打つ風の音だった。窓の傍まで寄ってみると、外を相当な勢いで風が吹いているらしい。風が捲き揚げるのか、砂がざざっと鎧戸にぶつかるような音も聞こえてくる。東風か・・。それにあたる土地のことば「×××」を忘れてしまっていた。風が収まるまでしばらく発てないな。窓も開けられない。隙間から入る光が外の映像やいろんな色の光を映して部屋のなかをダンスするようであるのを、そういえば針穴写真機はもとはカメラ・オブスクラというのだったっけか。カメラというのはいまのイタリア語でも部屋を意味するのだった。などとぼんやり考えながら・・。そのカメラに閉じ込められゆきかう光の戯れのなかにいる我を愉しみながら・・。

2019年5月28日火曜日

あまりの駅

あまりの駅は唐突にあなたにやってくる。それはある日の終電うとうとしているあいだに降りる駅を乗り過ごして車窓の外にぽつぽつひろがる街のあかりをながめているといつのまにか終着駅も過ぎたみたいでまったく見知らぬくらやみにときどきぽつぽつと光がみえるようになる。街はどこまでつづくのだろう?地上はどこまでつづくのだろう?みえる光がまったくなくなってくらやみになればどこへ着くのだろう?この電車はどこまでいくのだろう?その先にあまりの駅がある。
あまりの駅は生涯に数回だけあなたにおとずれる。もちろんおとずれないままに終わるひとだってたくさんいる。だけどあまりの駅がおとずれてしまえばおしまいだ。あまりの駅を知らなければならない。あまりの駅に気づかなければならない。あまりの駅をのがしてはならない。でもそこで降りてはならない。

2019年5月26日日曜日

sketch(というラベル)

世界中の街をほっつきあるくのが好きなんだけど、もちろん資金にも時間にもそう余裕があるわけではないから全世界行くわけにはいかないし(できたらたくさんのところに行きたいけど)、あまり下調べせずに行ってあてずっぽにあるきまわるもんだから折角行っても必見の場所を見逃していたりするし、こまめに写真撮ったり見たもの食べたもの経験したことの記録取ったりしないし(いっとき動画は撮ってて編集して作品にしたりしたこともあったけど・・これはまた機会あったらやりたいけど)、ただ、わたしにとって重要なのは、どこかわたしの知らない街へ行ってその街の空の下にいること、だけなのだと思う。旅行で見た美しいものの印象を言葉で説明しようとしてもやっぱり写真や動画に敵わないし、普通に旅行日記書いてたんでは世界中を巡っている(あるいは現地に住みついている)プロ〜セミプロの旅人たちにはとても敵わない。で、わたしにできることを考えて、いつもの手で妄想入れた印象記を書くことを思いついたわけです。したがって全てのsketchに現実の下地がありますが、いろいろ混ざってたり虚構や妄想がいっぱい盛ってあったりわたしの記憶に埋蔵されてる「嘘旅日記」ということで続けてみようかな、と。
たとえば某所で「スケボー少年たちのいる風景が好き」と書いたのが「リプレイ」「内辺」に反映されてます。いずれも現実の記憶の再編です。

2019年5月25日土曜日

内辺

昔から在る繊維系の卸売市場の広い敷地がありそれを周囲から突き刺そうとするかのように鋭く図々しく割り込んでくる新しい(といってもそれほどピカピカに新しいわけではない)ショッピング系のビルがいくつかありそのあまった隙間を体裁だけ公園にしたものだからその公園はずいぶん変なかたちをしている。あまって突き出たところに言い訳みたいに何かの碑が立っていたり(現地の字で書いてあるので読めない。いや一字一字発音することはかろうじてできるが意味が分からない。)現代彫刻が突き刺してあったりする。管理事務所かそれとも何か小さな博物館でもあるのかと疑った立派なガラス張りの建物は単にトイレがあって地下の自転車置き場につながるだけの建物であった。三つの地下鉄駅からちょうど等間隔ぐらいの距離にありどこに行くのもどこから来るのも不便。というか、わざわざこの公園を目指して来る人はあまりいないと思われ一つの地下鉄駅から別の地下鉄駅へ歩いて移動しようという人なのかここを突っ切るのが一番近道とばかりに通り道にしている。それでも帰宅時間にあたるであろうこの時間帯にそれほどの集団移動はなくサラリーマン風OL風が三三五五急ぎ足で通り抜けていくのみ。のんびりしているのは近所の住民たちか犬とか幼児とか荷物とかあるいは杖だけとか連れて公園の変なかたちの内辺に沿ってつつましくしつらえられたベンチにもっとひっそりぽつぽつ座っている。そんな公園もそれが唯一の美点なのか(あるいは欠陥なのか)開発の残滓の地の歪みの名残なのだろうおもしろい高低差があってそれが斜面だったり段差だったりするもんだからスケボー少年たちの格好の餌食である。この地のスケボー少年たちはみんな白い顔をしていて端正な顔だちの子も素朴な顔の子もいればおしゃれな子もそうでない子もいるが全体的に上品で育ち良さげに見える。現地の言葉で遠慮なく声かけあいながら滑っているのがまるで鳥の歌のように聞こえて心地良い。
ああ、いいな。夕暮れのこういう気分がいいな。その頃はその国のことばをほとんど解さなかったわたしの耳に少年たちがほたえる(「ほえたてる」の誤植ではない自動詞「ほたえる」)声はメロディとしてごくごく近しいのに意味は殆ど分節せず気分だけはすこしわかって心地よくてたまらない。わたしはわたしも付近住民なんですという顔しておんなじようにひっそり気配を殺してベンチに座り急ぎ足で通り抜ける帰宅民らを横目で流しながらスケボー少年たちをぼんやりうっとり眺めているのだった。

2019年5月24日金曜日

波が来る

足を踏み出したとたん空気のなかに匂いの霧が分厚くたちこめているのに気づく。それは小さな風となって鼻孔を打ち、このなにやら香辛料と埃の香りがこの街の印象を決定づける。黄白く乾いた道を住居に邪魔されながら折れ曲がり折れ曲がり行くと、溝のならびに沿って粗末な布がけの屋台が建ち並んでいる道に出る。屋台は裸電球を連ねた線でつながっていて、何軒かおきに同じものを商う店が出現するもののどれも異なる食物を売っていながら味付けにはおなじ香辛料を使っているのか同系統の匂いの流れが縞模様をなして旅人の鼻に流れこんで来るのだ。屋台の主らはこのくにでは少数派であるはずの中東系の顔つきをしていていずれもいずれも姿かたちもみすぼらしく難民だかまだ貧しい移民だかの風情である。その子どもらは道ばたに座り込んでなにやら石を使った遊びをしていたり猫と戯れたり道を駆け回ったり。屋台の客らも同じく故郷の味を求めて来るのか同じ顔つきの難民だか移民だかの風情の人々か、あるいは好奇心でこの異民族の屋台を冷やかして歩くこのくにでは多数派であるらしい裕福な風情の人々か、あるいはさまざまな出自の旅人たちか。そういえば朝から何も食っていないことを憶い出し俄に(にわかに)腹が減ってきたので店先を冷やかしてあるくだけでなく何軒かおきにおなじものがあってこの屋台通りでは最も売れ筋であるらしい食べ物を求めることにする。まず匂いを確かめ作り方を確かめ「これは何だ?」と聞くと知らない言語の知らない言葉が返ってきて「・・・?」と鸚鵡返しすると「ちがう・・・だ」とまた言う。「・・・?」とまた鸚鵡返しすると首を振り、私がうまく発音できないのを笑う風だが嫌な笑い方ではなく、こちらも笑ってひとつ求める。どら焼きのような生地を揚げた皮の部分は玉蜀黍(とうきびorとうもろこし)だかなんだか穀物の味しかせず、中身はトマトと肉の組み合わせかと勝手に想像していたら肉気はまったくなく赤はトマトでもなく豆をくたくたに煮たもので赤はもともとの豆が赤いのかそれとも別の赤い材料が入っているのかわからない。先ほどから嗅覚だけで利いていた香辛料が口の中で強烈に弾け、同時に鼻まで逆流した。おいしいともまずいともいえず、ただただ初めて食べた味だった。旅先で初めて食した味は口に合わぬと切り捨てずとにかく食べる主義であるし空腹でもあったし求めたものは最後まで食べる。と、先ほどまで満天青空だったのが俄に(にわかに)灰色の雲が立ちこめ太い破線を描いて雨が落ちて来る。慌てて屋台の隙間の雨除けになる布のあるところに退避し、目の合った店主に「雨だね」と声をかけるとまたもや聞き知らぬ言語で「・・・だ」と言う。彼らの言語で雨を「・・・」と言うのかと問うとそうではない、雨のなかでもこれは特殊な「・・・」なのだと言う。pの音から始まりあいだに発音できないhに似た音が入り最後は曖昧なuに似た母音で終わる言葉だった。繰り返したがまたもや発音できないこちらに対して微笑が返って来ただけだった。
いつのまにか中東系の顔が少なくなり、大勢の人々が縁日の屋台が本宮まで続いているように道の先に皆が目的地としあるいはそこから帰ってくる場所があることに気づき人の流れとともに道なりに歩いていく。脇にスロープのついたコンクリートの階段を上がっていくと本殿ならぬ巨大な白い箱型のショッピングセンターがあらわれ人々はそこに吸い込まれそこから吐き出されていくのであった。買いたいものがあるわけではないのだがそこまで来たのだから本宮に参っておこうと中に入ると中も巨大な倉庫のようでありとあらゆる商品が見本品は別として箱のままで積み上げられ買い物客はカートを押しながら店の中を縦横無尽に歩きまわり箱のままの商品をどんどんカートに放り込んでいくのである。気づくと店員らはアフリカ系ばっかりで買い物客らは若いカップルで来ているコーカサス系がちらほら目に付くほかは見渡す限り東洋系の人々ばっかりでなかでもしゃべっている言葉から(普通話の)中国系が多い。買いっぷりの良いのもその中国系の人々でカートはたちまち商品の箱で満杯になりしかも家族みながその満杯のカートをそれぞれに押しているのである。私だって外からみれば立派な東洋系だがその人たちと同様に見られるのが癪なわけでもないのだが買いものが目的ではないのだということを誇示するようにカートは押さずしかし店内の小道を残らずまわると先ほどの屋台の道よりももっとどっと疲れがやってくる。それにしても屋台のところからして中東系とかここではアフリカ系とかコーカサス系とか東洋系とか民族系なんて虚構であることぐらい心得ているのに、なんだってこんなふうに綺麗に色分けできてしまうのだ?この地では?とりわけ謎なのがアフリカ系の人たちでこの地ならばもっとたくさんいてしかるべきなのに屋台通りではほとんど見かけなかった。この店の中でも客としてはほとんど見かけない。だが、この店の店員という店員、見る限りすべてアフリカ系の人たちなのだった。なんなんだこのくには?そういえば店の品物はなぜか白が多くていかにも白の店、白人の店、白人の趣味の店といわんばかりなのだ。(その割に客に白人は尠い(すくない)が)。よく見ると店のロゴらしいマークのそばに国旗があってそれはどうやら北欧系のくにの国旗なのだ。そのロゴと国旗の麗々しく飾られた店の真ん中にさらに上階に上がるエスカレーターと階段がありここは神殿をなぞらえて階段をどんどん上がっていくと最上階はテラスのようなところに出ていく。そこも真っ白に塗られていて白い大きな船の船首部分の甲板のようなしつらえになっている。遠くに海が見渡せる。ああ、こんなところに海が。海は沖のほうが泡立つような風情で綿を丸めて並べたようにも見える。船の舳先にあたる部分から下を覗き込むと波打ち際が見えたが波は押し寄せてはいず逆にすーっと引いているように見える。私の知っている海とは違うようだと思っていると、もくもくもくと遠くのほうで綿のように見えていた泡立ちがこちらに向けてゆっくりと押し寄せて来ているのが見えた。波が来るのだ。でもあんなに遠くから? 海を知らぬ身で何が正解かわからないまま再び階段を下り買い物客の喧噪を抜け階段を下り屋台の続く道までやってくる。

2019年5月23日木曜日

リプレイ

美術館に来てみたら美術館は閉まっていた。はじめ閉まっているともわからなかった。後日開館日に再訪してみてそこが入り口だとわかった開口部は閉館日にはぴったり閉ざされて単なるのっぺりした塀となり普段はそこが入り口なのだということすらわからない。おかげで閉館であることを知らずどこが入り口なのかしらん?と探す当方はぐるり四方ではなく建物のかたちの都合で変形五角形となった周囲をぐるり一周めぐって矢張り塀しかなく腑に落ちずに二周目を回り終え三周目に入った直後ようやく角っこの柱の上に美術館の印があってその下に小さな金属プレートがあるのに気づきそこに開館日が記されてあって本日はそれに当たらない旨を漸く理解する。
なんでちゃんと調べてから来ないかな。どっと疲れてふいと息をつきあらためて美術館の建物を見上げるとてっぺんに金の馬がいて晩い(おそい)午後の陽差しにだるそうに光っていた。金ぴかに光って私を見降ろすような位置にいてもべつに私を馬鹿にするでもなく澄ましているのでもなくただただただただそこに居た。
わざわざここまで出向いた徒労感をなんとしよう? でも美術館の表側にはそれほど広くもないが悪くない公園がゆったりと広がっていて水辺までつづく段差のそちこちに若い子たちが思い思いに集っているのだった。少し歩いてベンチに腰をおろしスケートボードに興じる子らの一群れ(ひとむれ)を見るともなしに見ていると彼らはいまどきラジカセを使ってラジカセから音楽を流しながらしかしその音楽に合わせるわけでもなく上手い子も下手な子も思い思いに愉しげに滑っているのだった。いちばん小さい子で9〜10歳ぐらい大きい子で16〜17歳ぐらいといったところか。しかしあんたらいつの時代の子どもやねん?ヨーロッパの若者はアメリカより10年単位で遅れるんかい?(周回遅れかそれとも周回遅れの先端か?)。それとも、もしやしてその一群(いちぐん)そっくりタイムスリップでもして来たんかい?
と思った矢先ラジカセからふいに私も知っている英国の流行歌が流れる。それがたしか4〜5年前の歌。また幾重にも折り重なったタイムラグにくらくらくる。私がいっときしつこくしつこくリプレイしていたその曲は若き黒人ミュージシャンの歌のくせして麻薬性あるヨナ抜きメジャーの旋律を持っていて、ある女性の名前に直結しその女性の名前を聞きたいだけの動機でしつこくしつこくリプレイしていたその歌が、なぜかここでもしつこくリプレイされあたまのなかで流れるメロディと共鳴してスケボーする彼らの動きを目で追いながら私の感情もいったい今の今にあるのかかつてのあのときのかつてを繰り返し繰り返しリプレイしているのかわからないままスケボー少年らの同じルートを何度もなんども繰り返し滑る動きとともにいったりきたりしながらすこしずつの差異をくわえながらやはりリプレイを繰り返すのだった。
んな感慨に耽りつつもはや立つ気がしなくなって快く重たいお尻を石のベンチにかるくめり込ませながらみるといつのまにか空の色・空気の色が薄暮にうつろうとしている。夕食にはまだ早い。もうすこしこのリプレイを眺めていようか。(だってリプレイには麻薬とおなじく習慣性があり快くて快くて快くてなかなか抜け出せない。・・って重言か)。
なにかかるいお酒が飲みたいな。いやむしろ強めのショットか・・。
わたしはもううごきたくないんでだれかもってきてくれ。
と日本語でつぶやいてもこの無邪気そうな顔たち稚い体躯たちのなかにそれがわかりそうな子はひとりもいそうにない。