るおるおと啼くものがいる
るおるおと啼くものはどこにいる
るおるおと啼くもののありかをしらず
肉は悲し すべての書は読まれたり
と つぶやく声がある
2019年6月7日金曜日
2019年6月6日木曜日
2019年6月5日水曜日
いきしに
かかえこ
みにあえ
なく失敗
放出にも
しくじる
手のひら
にぬれた
感情がい
ちまいべ
っとり貼
りついて
いる審判
の笛がピ
ッと鳴り
hold の
宣告
先刻承知
保持して
いてはボ
ールゲー
ムはなり
たたない
の
にからだ
の湿気が
糊のよう
に作用し
てここを
脱け出す
ことがで
きない。
ああうるさい
発生源が近い
もしなにも
ながれのなかにはいっていなければ
くりかえすまい
いきしなに捨てていけばいい
そのていどの
ゴミ
ホコリ とて
僅かに なければ
澄明として
輝くこ ともあ
る
まい が
きみにかくしたひとすじの
犀のつの
にはいった罅
もしくは
なだらかにおくれるひとたびの
逢魔
ひとむらの大砲
じゃとてたかがゲームじゃいきしにわけるといってげんじつのいきしに
かかわるわけでなし
ただ やわらかい沃土に
いたいたしげな いくせんすじもの
かすり瑕をつける
かなしいのびあがり
とめどのない
やすらへ
わすらひ
ながくて
ごめん
おおい!
もうもう くりかえす
おおいかくす
免責事項
おねげえします
みになってがんがえてみ
がんがん がん みて
さいしょうげんここでかくしんしたことがあらう
さいだいげんここでかくしんすることがあらう
ここにかくれていないすべてがあらわになる
かぎり
でも
ただしくてごめん
あわ
ただしくてごめん
いきし てますか?
へろへろ
あいし てますか?
なりふり で
どこま で ふり
ゆくの ですか?
つづけるの ですか?
やめる のですか?
いかにして
ひとは
ほらほら
はらほろひれ
よしんばしょうどうこときれてもなにもじゅうじゅうきずおふじこなんてあるわけない/にもかかわらずそれそこそのときにかぎってじゅうだいじこ/にじゅうだいじこ/にじゅうだいのじどうじこ?じどうしゃじこ?にじゅうさんじゅうにこときれていくじどうしょうどうのかずかず/ぶちぎれるハタチの児童の二十台のたまつき自己/事後の事故/しじゅうだいはしじゅうからその二倍ぢごくふたつぶんてんごくはんぶんけちけちするなば損害あらかじめヘッジしておくがよろし/しかしくわねどへっぽごさむらいじぇにはなくとも精神だし惜しみはしないのさそんなにきずおふのがいやか
生きしな に
息しな い
はずかし くない
はずかしく ない?
ほんたうに?
行きしなに
拾っていってよ
とりあえず徴は所詮とりあえずと知れり
それでも空白をうずめるために強迫的に
つぐことば世知にたけた世辞 世事にう
とい世知辛 市場サイアクのシンクロニ
シティ
まちなかで
じゅうしょうでしぬのがいやか
きずしょっていきるのがいやか
不可能な身体になっていきるのは
ふがのうか
ふがいなか なかなか
ほら円のある竜巻/ふちのある空/きりとられた窓枠/うつりこんでしまった傷痕/削りとられた和解のふしぶし/すりきられたほまれのかずかず/なによせもない逢瀬/おしとられた無理きり/かわいそうな
かわいそうなあのこ!もてあますアマテラス/アマリリス/アイリス/アリス/リリス/イヴ/スピカ/カペラ/ヴェガ/えりざ/かみざ/蟹座/かすりざ/ほとけのざ/座椅子/ざいすいす/在スイス
イタリーとの国境をわたる/さんろくの/からす/三六の/ガラス/独身者の/大鴉/でんせんをわたる/てだれの/てぶれの/ひょうめんをつたふ/三界に/転生する/てんかいする/はんてんする/反る/帰る/換える/孵る/てごめの
蛙
か
えりしなにとってくるからとめんどくさそうに
よばせてこわせてさかさづるのだ
いくさきからかえりのことなんか
かんがえていてはだめ
まだわたしたちはかえりとに
ついていない
のだから
よんど
ころなくなきなきかえるみちすがらまだいきさ
きすらみえていないといふに
みにあえ
なく失敗
放出にも
しくじる
手のひら
にぬれた
感情がい
ちまいべ
っとり貼
りついて
いる審判
の笛がピ
ッと鳴り
hold の
宣告
先刻承知
保持して
いてはボ
ールゲー
ムはなり
たたない
の
にからだ
の湿気が
糊のよう
に作用し
てここを
脱け出す
ことがで
きない。
ああうるさい
発生源が近い
もしなにも
ながれのなかにはいっていなければ
くりかえすまい
いきしなに捨てていけばいい
そのていどの
ゴミ
ホコリ とて
僅かに なければ
澄明として
輝くこ ともあ
る
まい が
きみにかくしたひとすじの
犀のつの
にはいった罅
もしくは
なだらかにおくれるひとたびの
逢魔
ひとむらの大砲
じゃとてたかがゲームじゃいきしにわけるといってげんじつのいきしに
かかわるわけでなし
ただ やわらかい沃土に
いたいたしげな いくせんすじもの
かすり瑕をつける
かなしいのびあがり
とめどのない
やすらへ
わすらひ
ながくて
ごめん
おおい!
もうもう くりかえす
おおいかくす
免責事項
おねげえします
みになってがんがえてみ
がんがん がん みて
さいしょうげんここでかくしんしたことがあらう
さいだいげんここでかくしんすることがあらう
ここにかくれていないすべてがあらわになる
かぎり
でも
ただしくてごめん
あわ
ただしくてごめん
いきし てますか?
へろへろ
あいし てますか?
なりふり で
どこま で ふり
ゆくの ですか?
つづけるの ですか?
やめる のですか?
いかにして
ひとは
ほらほら
はらほろひれ
よしんばしょうどうこときれてもなにもじゅうじゅうきずおふじこなんてあるわけない/にもかかわらずそれそこそのときにかぎってじゅうだいじこ/にじゅうだいじこ/にじゅうだいのじどうじこ?じどうしゃじこ?にじゅうさんじゅうにこときれていくじどうしょうどうのかずかず/ぶちぎれるハタチの児童の二十台のたまつき自己/事後の事故/しじゅうだいはしじゅうからその二倍ぢごくふたつぶんてんごくはんぶんけちけちするなば損害あらかじめヘッジしておくがよろし/しかしくわねどへっぽごさむらいじぇにはなくとも精神だし惜しみはしないのさそんなにきずおふのがいやか
生きしな に
息しな い
はずかし くない
はずかしく ない?
ほんたうに?
行きしなに
拾っていってよ
とりあえず徴は所詮とりあえずと知れり
それでも空白をうずめるために強迫的に
つぐことば世知にたけた世辞 世事にう
とい世知辛 市場サイアクのシンクロニ
シティ
まちなかで
じゅうしょうでしぬのがいやか
きずしょっていきるのがいやか
不可能な身体になっていきるのは
ふがのうか
ふがいなか なかなか
ほら円のある竜巻/ふちのある空/きりとられた窓枠/うつりこんでしまった傷痕/削りとられた和解のふしぶし/すりきられたほまれのかずかず/なによせもない逢瀬/おしとられた無理きり/かわいそうな
かわいそうなあのこ!もてあますアマテラス/アマリリス/アイリス/アリス/リリス/イヴ/スピカ/カペラ/ヴェガ/えりざ/かみざ/蟹座/かすりざ/ほとけのざ/座椅子/ざいすいす/在スイス
イタリーとの国境をわたる/さんろくの/からす/三六の/ガラス/独身者の/大鴉/でんせんをわたる/てだれの/てぶれの/ひょうめんをつたふ/三界に/転生する/てんかいする/はんてんする/反る/帰る/換える/孵る/てごめの
蛙
か
えりしなにとってくるからとめんどくさそうに
よばせてこわせてさかさづるのだ
いくさきからかえりのことなんか
かんがえていてはだめ
まだわたしたちはかえりとに
ついていない
のだから
よんど
ころなくなきなきかえるみちすがらまだいきさ
きすらみえていないといふに
2019年6月4日火曜日
김치ではない
自分が在日コリアンの詩人とか紹介されると地元に凄すぎる大先輩がいるので俺ごときがそんなふうに名告るのはおこがましいけど、でも、ま、俺の生活のその他の部分がクズ過ぎるんで自分に誇りが持てる部分といえばそこだけしかないわけで、むしろ積極的にそう名乗ることにしている。含みは詩人なんかではとても食えませんので生活をたてる手段は別にあるんです。
そのクズな俺のたつきは・・雅之がどこやらでバラしちまったみたいだけど。
もちろんセックスワークに誇りを持ってるプロの人たちが多いことは承知しているしセックスワーカーが一律人間のクズだとか言いたいわけではない。だけどこの人類史上最も古い職業といわれるこの商売はバスマットのように人に踏みつけられ蔑まれてナンボのところも確かにあって(だからこそ崇高さを帯びるという逆転もまた確かにある。俺はもちろん古代の巫女のようには語れないが・・)クズはクズでしかないことを心得たうえでの稼業ではないかと思っている。もちろんこの世界でキャリアアップしていく気はなく(出世して?めでたく女衒になったらもっとクズだ)自分が商品価値のあるうちにせいぜい稼げるだけ稼ぐ。いまは貯金のためにそうしている。あるていど金がたまればすっぱり足洗って気立ての良い女の子と結婚して正業について身を固めるつもりだ。それまでのモラトリアム。もちろん楽ではないけど金稼ぐ手段だと割り切れば、ね。
しかし俺は、そうやって人間のクズに落ちぶれて風俗やってる自分をどこか他人事(「たにんごと」と読むな「ひとごと」と読んでくれ)として冷静に眺めている自分がいて、そのお陰で自分を保ってられる(つもりでいる)けど、雅之は弱すぎるだろう。もし俺があいつをこの世界に引きずりこんでしまったとすれば、取り返しのつかないことをしてしまったな。あいつには冷静に自分を眺める視点なんて持ちようがないだろ。馬鹿だから。このまんま際限なく堕ちていってしまわないかと心配でたまらない。
俺の長姉は(ちなみに長姉の下に次姉がいて俺は末っ子の長男にあたる)古い日本映画の大ファンで、雅之みたいな馬鹿がいやしくも京大出身で美男の名優とおんなじ名前なんて許せん・・と常々言っている。あいつの両親はそういう意味でつけたんじゃないらしいが。
ある日の馬鹿会話。
俺が(なんかの話の流れで)民団の建物の正面に嫌がらせのように警察署があるのはあれはホントに嫌がらせであって俺たちが何か悪いこと企んでないかと常に監視しているのだ・・という誰でも知ってる有名な話(重言か)をしていると、雅之
「ミンダンてなに?」
小学校のガキの頃からつるんでる友達のくせしてそんなことも知らんのか。
「在日コリアンはミンダン系とソーレン系に分かれるのだよ」
「へーなんで?」
「くに本体が二つに分かれてるからに決まってるだろ」
「へー・・で、島ちゃんはどっちなの?」
「さっきから話題に出ているミンダンである。」
「そうなの。それって北か南かどっちなの?」
「教えてやらん。お前みたいな物知らずは手がつけられない。宿題にするから調べて来い」
わざと意地悪な言い方するとテヘヘと笑った。これだから・・。
俺はといえば、件の民団のやってる韓国語講座に5年も通ってなかなか上達しないナサケナイ日本語ネイティブだ。
家族で本国の親戚を訪ねたり本国から親戚が訪ねてきたりするときは俺以上に韓国語がまったくダメな両親に代わって通訳を務めないといけないのだが笑ってしまうほど不備すぎて、親戚の側からも家族の側からも責めたてられ呆れられる。えーと、それって俺の罪なんですかぁ〜?
くにとの心理的絆はずいぶん薄くなってきている。韓流が話題になりK-POPのアイドルがテレビやなんやに出てきても特に自分とのつながりは感じないし。J-POPもK-POPも似たようなもんやん。(俺自身は洋楽でもっと遡って大昔のブルースやブルースロックが好き)。二人の姉も母も韓流ドラマや韓国映画よりも日本のドラマや映画の方が好きみたいだし。(まったく毛嫌いしているわけではなくそこそこ見ているのだが自分の国だからと特別な思い入れはないようだ)。
但し家族一同、困ったことにスポーツでは断然韓国を応援する。
俺もいまどきの面白い韓国映画、在日コリアン監督の映画に関してはたぶん日本人の普通の子らとそれらとの関係とあんまり変わりないだろうと思う。特に自分がこうだからどうということはない。
趙方豪(「ほうごう」とか読むな「ばんほう」と正しく読んでくれ)といえばそりゃ『ガキ帝国』の優しさすら帯びた兇暴さは申し分ないけど『三月のライオン』の繊細さの方がどちらかといえば好きだとか・・。
ちなみに方豪は、小さい頃から俺が実の親父よりなついてた叔父と同年代で面差しもどこか通うところがあって昔から俺のアイドル。
女優ならばエロい役を演じるときの李美淑이미숙がいいな。・・って古いよな。もちろん同時代ではなく後追いで発見している。実は韓国映画は昔のの方が好き。
俺が日本人の普通の子たち相手にくにネタを話すときは小ネタばっかりで・・
たとえば、在日の青年はちょっと政治的な発言したり活動したりすると3人の尾行がつく。って話も叔父から仕入れた。叔父はちょうど光州事件のあった頃、日本の国立大学で大学生をやっていて同じ大学の在日の学生がスパイ容疑をかけられ韓国当局に拘留されて酷い拷問を受けている事件の解放活動に加わっていた。
叔父が言うには、そんなふうに活動する在日の学生には一人につき3人の尾行がついていたと。一人は日本の公安警察、一人は韓国の諜報機関(悪名高きKCIA?)、いま一人はもちろん朝鮮の諜報機関。うーん、しかしそれって効率的なのか? でも実際にそれで引っ張られる学生もいたらしいし彼らの情報収集力はそれはそれは半端なく優れたものであったらしい。
叔父の世代だと朴正煕박정희だの全斗煥전두환だの口にするだに忌まわしくそれが今となってはパクの娘がなんでこんなにも票を集めてるんだ?といまどきの本国人を信じられないという口勿だがかつて学生も知識人も軒並み左翼であった時代に北朝鮮が地上の楽園とか崇め奉られ若い世代がどんどん帰国していったその後の裏切られ感はハンパなかろう。
総てこの叔父に教えてもらったことだが俺の祖の地にあたる済州島の事件にしても光州事件にしても最近知った神戸朝鮮人学校事件にしても理不尽で悲惨な話はいっぱいある。語られるべき話はいっぱいあって、もちろん悲惨ばかりではなく美しい話、愛すべき話、面白おかしい話、エロい話もグロい話も、祖国はゆたかな物語の群れに満たされている。深いふかい物語の霊のようなものが半島のそこかしこに宝石の鉱脈のように埋もれ隠されている。しかしそれを語るのは俺の任にあまる。それらを語るには自分はまだちっぽけすぎる。
だからとりあえず短い言葉を綴ることから始める。
それも日本語で。
某氏の映画タイトルではないが「あんにょんキムチ」な自分を自分のまま語るところから始めるか・・といったところか。
そうそうそれで思い出したけど俺は松江哲明サン(知り合いではないが)と違ってキムチは大好きだ。母が(「オモニが」とかは恥ずかしくて言えない。「ハルモニ」は言うかも?)漬けたキムチを美味しく毎食のように食べて大きくなったがこの母が漬けたキムチが、日本を訪ねてきた親戚一同の女性陣に物議を醸したことがある。もちろん市販の「キムチの素」なんか一切使っていない、近所の日本人主婦たちを自宅に招んで韓国料理教室まで開いている母が万全を期して渾身で漬け込んだ自慢のキムチである。親戚のなかでも歳の若い女性陣にはおおむね好評だったが年嵩の女性陣は「これは김치ではない기무치だ」と言い張るのだ。ローマ字で綴ると「kimchiではなくkimuchiだ」つまり本国の本物の김치ではなく日本式の偽物のキムチだというわけ。母にしてみれば内心煮えくり返るような思いであったに相違ないがそこは儒教式長幼の序が支配する席で無言のまま頭を下げるしかなかった。俺の舌には韓国で食べるキムチと母が漬けるキムチのどこが違ってんだかわからないけどな。単に俺の舌音痴のせいかもしれないが、また単に親戚のハルモニらのイビリ(順位を思い知らせるための上位から下位への牝鶏のツツキ・・ってホントにそんなのがあるのかどうか知らないが)という可能性もある。
*
ついこないだのゴールデンウィーク。初めて一人で祖国を訪ねた。一人で行くのも初めてだったしいつも済州島の親戚の家に直行するので実はソウルに行くのも初めてだった。連休中の友達との約束が反故になって唐突に思いつき折良く比較的安めの(といっても連休中だから割高ではあったろうけど)航空チケットも手に入った。今回はソウルの空気だけ吸って来ようと思った。
旅先ではいつもそうするようにあてずっぽに街を歩きまわり街の中心部を流れる小さな川のそばが気持ちよさそうだったのでずーっと辿ってキリのいいとこまで行きまた対岸をずーっと戻ってきた。この川端は地元の人たちにとっても憩いの場になっているらしく何人かで滞留している人たちがいたり一人でぼうっと座っている人がいたり俺みたいにぶらぶら散歩している人がいたり川岸の壁面に絵や書が描いてあったりオブジェがあったりところどころでアートや写真の展覧会をやってたり・・。あとで地図をみて清渓川というのだと知った。
この街には街の真ん中に清い渓があるわけだ。
いつかのような渓谷ではないからハヤブサは飛んでなかったけど名前を知らない小鳥たちがせせらぎをちょんちょん渡っていたな・・。
(もちろん「ちょんちょん」がオチではない。俺の上の世代だとゾゾっとするだろか?俺はなにも・・)
そのクズな俺のたつきは・・雅之がどこやらでバラしちまったみたいだけど。
もちろんセックスワークに誇りを持ってるプロの人たちが多いことは承知しているしセックスワーカーが一律人間のクズだとか言いたいわけではない。だけどこの人類史上最も古い職業といわれるこの商売はバスマットのように人に踏みつけられ蔑まれてナンボのところも確かにあって(だからこそ崇高さを帯びるという逆転もまた確かにある。俺はもちろん古代の巫女のようには語れないが・・)クズはクズでしかないことを心得たうえでの稼業ではないかと思っている。もちろんこの世界でキャリアアップしていく気はなく(出世して?めでたく女衒になったらもっとクズだ)自分が商品価値のあるうちにせいぜい稼げるだけ稼ぐ。いまは貯金のためにそうしている。あるていど金がたまればすっぱり足洗って気立ての良い女の子と結婚して正業について身を固めるつもりだ。それまでのモラトリアム。もちろん楽ではないけど金稼ぐ手段だと割り切れば、ね。
しかし俺は、そうやって人間のクズに落ちぶれて風俗やってる自分をどこか他人事(「たにんごと」と読むな「ひとごと」と読んでくれ)として冷静に眺めている自分がいて、そのお陰で自分を保ってられる(つもりでいる)けど、雅之は弱すぎるだろう。もし俺があいつをこの世界に引きずりこんでしまったとすれば、取り返しのつかないことをしてしまったな。あいつには冷静に自分を眺める視点なんて持ちようがないだろ。馬鹿だから。このまんま際限なく堕ちていってしまわないかと心配でたまらない。
俺の長姉は(ちなみに長姉の下に次姉がいて俺は末っ子の長男にあたる)古い日本映画の大ファンで、雅之みたいな馬鹿がいやしくも京大出身で美男の名優とおんなじ名前なんて許せん・・と常々言っている。あいつの両親はそういう意味でつけたんじゃないらしいが。
ある日の馬鹿会話。
俺が(なんかの話の流れで)民団の建物の正面に嫌がらせのように警察署があるのはあれはホントに嫌がらせであって俺たちが何か悪いこと企んでないかと常に監視しているのだ・・という誰でも知ってる有名な話(重言か)をしていると、雅之
「ミンダンてなに?」
小学校のガキの頃からつるんでる友達のくせしてそんなことも知らんのか。
「在日コリアンはミンダン系とソーレン系に分かれるのだよ」
「へーなんで?」
「くに本体が二つに分かれてるからに決まってるだろ」
「へー・・で、島ちゃんはどっちなの?」
「さっきから話題に出ているミンダンである。」
「そうなの。それって北か南かどっちなの?」
「教えてやらん。お前みたいな物知らずは手がつけられない。宿題にするから調べて来い」
わざと意地悪な言い方するとテヘヘと笑った。これだから・・。
俺はといえば、件の民団のやってる韓国語講座に5年も通ってなかなか上達しないナサケナイ日本語ネイティブだ。
家族で本国の親戚を訪ねたり本国から親戚が訪ねてきたりするときは俺以上に韓国語がまったくダメな両親に代わって通訳を務めないといけないのだが笑ってしまうほど不備すぎて、親戚の側からも家族の側からも責めたてられ呆れられる。えーと、それって俺の罪なんですかぁ〜?
くにとの心理的絆はずいぶん薄くなってきている。韓流が話題になりK-POPのアイドルがテレビやなんやに出てきても特に自分とのつながりは感じないし。J-POPもK-POPも似たようなもんやん。(俺自身は洋楽でもっと遡って大昔のブルースやブルースロックが好き)。二人の姉も母も韓流ドラマや韓国映画よりも日本のドラマや映画の方が好きみたいだし。(まったく毛嫌いしているわけではなくそこそこ見ているのだが自分の国だからと特別な思い入れはないようだ)。
但し家族一同、困ったことにスポーツでは断然韓国を応援する。
俺もいまどきの面白い韓国映画、在日コリアン監督の映画に関してはたぶん日本人の普通の子らとそれらとの関係とあんまり変わりないだろうと思う。特に自分がこうだからどうということはない。
趙方豪(「ほうごう」とか読むな「ばんほう」と正しく読んでくれ)といえばそりゃ『ガキ帝国』の優しさすら帯びた兇暴さは申し分ないけど『三月のライオン』の繊細さの方がどちらかといえば好きだとか・・。
ちなみに方豪は、小さい頃から俺が実の親父よりなついてた叔父と同年代で面差しもどこか通うところがあって昔から俺のアイドル。
女優ならばエロい役を演じるときの李美淑이미숙がいいな。・・って古いよな。もちろん同時代ではなく後追いで発見している。実は韓国映画は昔のの方が好き。
俺が日本人の普通の子たち相手にくにネタを話すときは小ネタばっかりで・・
たとえば、在日の青年はちょっと政治的な発言したり活動したりすると3人の尾行がつく。って話も叔父から仕入れた。叔父はちょうど光州事件のあった頃、日本の国立大学で大学生をやっていて同じ大学の在日の学生がスパイ容疑をかけられ韓国当局に拘留されて酷い拷問を受けている事件の解放活動に加わっていた。
叔父が言うには、そんなふうに活動する在日の学生には一人につき3人の尾行がついていたと。一人は日本の公安警察、一人は韓国の諜報機関(悪名高きKCIA?)、いま一人はもちろん朝鮮の諜報機関。うーん、しかしそれって効率的なのか? でも実際にそれで引っ張られる学生もいたらしいし彼らの情報収集力はそれはそれは半端なく優れたものであったらしい。
叔父の世代だと朴正煕박정희だの全斗煥전두환だの口にするだに忌まわしくそれが今となってはパクの娘がなんでこんなにも票を集めてるんだ?といまどきの本国人を信じられないという口勿だがかつて学生も知識人も軒並み左翼であった時代に北朝鮮が地上の楽園とか崇め奉られ若い世代がどんどん帰国していったその後の裏切られ感はハンパなかろう。
総てこの叔父に教えてもらったことだが俺の祖の地にあたる済州島の事件にしても光州事件にしても最近知った神戸朝鮮人学校事件にしても理不尽で悲惨な話はいっぱいある。語られるべき話はいっぱいあって、もちろん悲惨ばかりではなく美しい話、愛すべき話、面白おかしい話、エロい話もグロい話も、祖国はゆたかな物語の群れに満たされている。深いふかい物語の霊のようなものが半島のそこかしこに宝石の鉱脈のように埋もれ隠されている。しかしそれを語るのは俺の任にあまる。それらを語るには自分はまだちっぽけすぎる。
だからとりあえず短い言葉を綴ることから始める。
それも日本語で。
某氏の映画タイトルではないが「あんにょんキムチ」な自分を自分のまま語るところから始めるか・・といったところか。
そうそうそれで思い出したけど俺は松江哲明サン(知り合いではないが)と違ってキムチは大好きだ。母が(「オモニが」とかは恥ずかしくて言えない。「ハルモニ」は言うかも?)漬けたキムチを美味しく毎食のように食べて大きくなったがこの母が漬けたキムチが、日本を訪ねてきた親戚一同の女性陣に物議を醸したことがある。もちろん市販の「キムチの素」なんか一切使っていない、近所の日本人主婦たちを自宅に招んで韓国料理教室まで開いている母が万全を期して渾身で漬け込んだ自慢のキムチである。親戚のなかでも歳の若い女性陣にはおおむね好評だったが年嵩の女性陣は「これは김치ではない기무치だ」と言い張るのだ。ローマ字で綴ると「kimchiではなくkimuchiだ」つまり本国の本物の김치ではなく日本式の偽物のキムチだというわけ。母にしてみれば内心煮えくり返るような思いであったに相違ないがそこは儒教式長幼の序が支配する席で無言のまま頭を下げるしかなかった。俺の舌には韓国で食べるキムチと母が漬けるキムチのどこが違ってんだかわからないけどな。単に俺の舌音痴のせいかもしれないが、また単に親戚のハルモニらのイビリ(順位を思い知らせるための上位から下位への牝鶏のツツキ・・ってホントにそんなのがあるのかどうか知らないが)という可能性もある。
*
ついこないだのゴールデンウィーク。初めて一人で祖国を訪ねた。一人で行くのも初めてだったしいつも済州島の親戚の家に直行するので実はソウルに行くのも初めてだった。連休中の友達との約束が反故になって唐突に思いつき折良く比較的安めの(といっても連休中だから割高ではあったろうけど)航空チケットも手に入った。今回はソウルの空気だけ吸って来ようと思った。
旅先ではいつもそうするようにあてずっぽに街を歩きまわり街の中心部を流れる小さな川のそばが気持ちよさそうだったのでずーっと辿ってキリのいいとこまで行きまた対岸をずーっと戻ってきた。この川端は地元の人たちにとっても憩いの場になっているらしく何人かで滞留している人たちがいたり一人でぼうっと座っている人がいたり俺みたいにぶらぶら散歩している人がいたり川岸の壁面に絵や書が描いてあったりオブジェがあったりところどころでアートや写真の展覧会をやってたり・・。あとで地図をみて清渓川というのだと知った。
この街には街の真ん中に清い渓があるわけだ。
いつかのような渓谷ではないからハヤブサは飛んでなかったけど名前を知らない小鳥たちがせせらぎをちょんちょん渡っていたな・・。
(もちろん「ちょんちょん」がオチではない。俺の上の世代だとゾゾっとするだろか?俺はなにも・・)
2019年6月3日月曜日
いつかまた移動をはじめる日まで
鵜
う
…ではないものを
のみこむ
…ではないものをのみこんだやさきに
ささと
ささや
ささやか
ささくれ
ず
くれだつ
…てのものが
ある
ささやかれ
かれ
かれ なる
雁
の身体
を のみこむ
*
飲み込んだ瞬間を覚えている。記憶というより記銘というべきか。
それはJLG氏がみずから監督した映画のなかで黒い衣装に身をつつみ
みずうみのそばで如何にも映画的な道化師然として身軽な跳躍をみせていた、
その動きに反応してあてさきのないaimerのゆくえにmisfitな想いがあられもなくみそびれていくのを自覚したみぎりだったのかもしれない。
みずいろ
そのまえに
まずアンバー。
アンバーをダークに溶く
次第にダークに
底辺にはチャコールグレーをすこし毛羽だたせ
黒いシルエットとの境界線はくっきり
うえのほうは光色の黄を刷き
うっすらなでしこ
それから
灰色のまじったみずいろ。
みずいろ
みずいろはだんだん
上方にむかってだんだんインディゴブルーに
深くなる。
そのスキマに
ふいに鏡面が割りこむ。
白く白いハイライトを点々と置いてゆきながら
ゆれるチャコール
ゆれるアンバー
ゆれる黄
ゆれる水色
そしてインディゴ
そのつどあたらしい
波うつ水面
またふいに消え去る。
「うし」というコトバがこないだから肩胛骨の内側あたりに滞留している。
かたく確実な質量をもちおもく輪郭をもってそこに居住しているが
ちっとも不快ではない。
くくくくくく・・・とふくみわらいがもれそうな諧謔とメランコリーを帯びて
「うし」
「うし」
と自ら発音される
「うし」は
いまにも腿の前面あたりに第2の出張所を
ヒップのえくぼのあたりに第3の出張所をつくって
子分たちを送り出しそうな勢いである。
暴力団的に自動的に描かれるポートレートに「うし」という瘤が複数で不法滞在する。
あちこちで勝手に
「うし」
「うし」と
自ら発声する。
いつか移動する日まで
そしてまたふいに現前する
アンバーと黄のひかりとブルーとは
あおじろく放電する一定の厚みをもった狭めの肩と
くろく繊いくるぶしと
スローハンド早撃ちする恐怖のまなざしをそなえて
ひとをその場に凍らせたあげく
まったく不似合いな優しいコトバをくちにする。
目的語をとらない「愛する」
そういえば
フランス語の動詞の変化はまずこれで学ぶのである。
目的語をとらない「愛する」
日本語にはないコトバ
きのうはもっとのんびりしてて
「ひとはひとをいとおしくおもうものである」
という述懐のうらに
きょうは
「だれからものぞまれないひと」
があって
ひとりでにうごきだす。
かってに移動をはじめる
う
…ではないものを
のみこむ
…ではないものをのみこんだやさきに
ささと
ささや
ささやか
ささくれ
ず
くれだつ
…てのものが
ある
ささやかれ
かれ
かれ なる
雁
の身体
を のみこむ
*
飲み込んだ瞬間を覚えている。記憶というより記銘というべきか。
それはJLG氏がみずから監督した映画のなかで黒い衣装に身をつつみ
みずうみのそばで如何にも映画的な道化師然として身軽な跳躍をみせていた、
その動きに反応してあてさきのないaimerのゆくえにmisfitな想いがあられもなくみそびれていくのを自覚したみぎりだったのかもしれない。
みずいろ
そのまえに
まずアンバー。
アンバーをダークに溶く
次第にダークに
底辺にはチャコールグレーをすこし毛羽だたせ
黒いシルエットとの境界線はくっきり
うえのほうは光色の黄を刷き
うっすらなでしこ
それから
灰色のまじったみずいろ。
みずいろ
みずいろはだんだん
上方にむかってだんだんインディゴブルーに
深くなる。
そのスキマに
ふいに鏡面が割りこむ。
白く白いハイライトを点々と置いてゆきながら
ゆれるチャコール
ゆれるアンバー
ゆれる黄
ゆれる水色
そしてインディゴ
そのつどあたらしい
波うつ水面
またふいに消え去る。
「うし」というコトバがこないだから肩胛骨の内側あたりに滞留している。
かたく確実な質量をもちおもく輪郭をもってそこに居住しているが
ちっとも不快ではない。
くくくくくく・・・とふくみわらいがもれそうな諧謔とメランコリーを帯びて
「うし」
「うし」
と自ら発音される
「うし」は
いまにも腿の前面あたりに第2の出張所を
ヒップのえくぼのあたりに第3の出張所をつくって
子分たちを送り出しそうな勢いである。
暴力団的に自動的に描かれるポートレートに「うし」という瘤が複数で不法滞在する。
あちこちで勝手に
「うし」
「うし」と
自ら発声する。
いつか移動する日まで
そしてまたふいに現前する
アンバーと黄のひかりとブルーとは
あおじろく放電する一定の厚みをもった狭めの肩と
くろく繊いくるぶしと
スローハンド早撃ちする恐怖のまなざしをそなえて
ひとをその場に凍らせたあげく
まったく不似合いな優しいコトバをくちにする。
目的語をとらない「愛する」
そういえば
フランス語の動詞の変化はまずこれで学ぶのである。
目的語をとらない「愛する」
日本語にはないコトバ
きのうはもっとのんびりしてて
「ひとはひとをいとおしくおもうものである」
という述懐のうらに
きょうは
「だれからものぞまれないひと」
があって
ひとりでにうごきだす。
かってに移動をはじめる
2019年6月2日日曜日
マルは大馬鹿だ。
ひと(他者)に対しては容赦ないくせに自分に対しては最大限の気遣いを要求する。ひとは自分を崇めるべき讃えるべき誰よりも大切に扱うべき。自分はfragileでvulnerableなオルゴールなんだから。マルはいつもマルにかしづく男たちに囲まれてそのなかで女王然として気ままに尊大に振舞っている。
しかし私は知っている。私はマルよりもその母親と早く知り合っているがマルが毛嫌いし一見正反対に見えるその母親と一点、母娘で非常に似ているところがあってそれは自己評価が極端に低いこと。二人とも「自分が嫌い」なのだ。母親の方は愚痴ばかり言いつつ夫のDV(主に精神的な)から逃れられないでいてむしろその被害者であることに自分の存在意義を見出しているしマルのニンフォマニアだって各方面に迷惑かけ倒し本人も傷つくだけの(蛸が一本いっぽん自分の足を食うに似て・・って自然の蛸はそんなことしないだろうが比喩でよくいわれるように)魂をみずからすこしずつ喰らって喰らって損なっていくような、あの性癖は肉食系と呼ばれる女子のそれとは同一ではない。だって肉食系女子なら自分の食指の動くところ上手に狩をして自分好みの男(とは限らないが)と上手に遊んで上手に捨てて誰にも迷惑かけず自分の旺盛な食欲を首尾良く満たしてしまいだろう。マルはそうではない。マルが連れてる(連れられている?)男はその都度その都度バラバラでマルにはタイプというものがない。つまり来る者来る者拒まず求められたら誰にでも尾いて(ついて)いく。それが何かとトラブルを引き起こし周囲の迷惑の種になる。上手に遊ぶどころか知らん間に他人(ひと)の男を盗る結果になってたりで泥棒猫とか罵られているところに居合わせたことがあるがあれはワザと盗ろうとして盗っているわけではなく(もしそのつもりならもっと巧くやるはずだ)マルの方がうまく(というより拙劣に)遊ばれただけなのだ。いつもはあれだけ強気で辛辣で女王様キャラのくせに(というよりその女王様キャラのままで)男の要求のいうがまま、なすがままになる。マルはそうやって自分を少しずつ削っていく。マルは自分を崇めさせ同時に自分を踏みつけにさせる。東大狙えるほど賢いくせしてその一点についてはマルは大馬鹿だ。
*
マルがヴォーカルを務めるバンドのライブを聴きにひとりで出かけた夜。演奏が終わって私の姿を認めたマルは「ハルっ!」(←キナコではないほうの私のニックネームね)と叫ぶやあのまんまるのからだで鞠のようにまっすぐ私めがけて飛んできてドッヂボールのように私の胸にドスンと収まり私をぎゅっと抱きしめた。それから熱いくちづけ・・オイオイ・・私はいいんだけど(いやよくはないけど)マルは女好きではないのではなかった?ひとしきり周りの注目を浴びヒューとか口笛吹かれたり呆れられたり囃し立てられたりしたあと・・私の目を上目づかいに捉え直して「うふふふふふふふふふ・・」と含み笑いするマルの目は化猫みたいにあやしく光っていた。入江たか子かチェシャ猫か狡さと愛らしさと邪(よこしま)と妖しをふくんだ猫目。含み笑いをずっとずっと続けるばかりであとは言葉が出ない。いやたぶん言葉を綴ることのできない状態。ドアへの狭い階段を降りるといつもガンジャのぷんと臭うクラブ。なにをやってんだか知らないがなにかやってることだけは見当ついた。
ヴォーカルというよりヴォイスパフォーマンス。意味のない、メロディではない12音階に沿わない突飛な音を声帯や口腔や唇やからだのその他の部分を駆使していろいろたてる。背後にテクノっぽいリズムと音楽はあるもののそれに合わせるでもなく完全に外れるわけではなく音は言葉としては分節しないが耳の端々に意味のカケラを落としていくときもありマルが言うには日本の古典とか誰かの詩とかをやってたりすることもあるそうな。いつもあとの3人(ギター・ドラム・シンセ)は入念にリハーサルしているそうだが自分は最後の最後に(女神降臨よろしく)加わるだけでホントの即興性を保つためにいつもその場かぎりでやるのだと言っていた。
*
シンセ(というよりパソコンはじめあらゆる電子機器)担当の子がカナダからの留学生で結構なアウトドア派でお気に入りの渓谷があるというので新緑の頃その子とマルと私ともう一人いたっけな?誰だっけ?そうだ在日韓国人の詩人の男の子との4人でハイキングに行ったことがあった。なんでそんなメンバーになったか記憶がない。
「この子は在日韓国人でバイ(セクシャル)」とマルが紹介すると
「なんでそれくっつけて言うかな〜」と忌々しそうにその子。
「ごめん。で、詩人」
と言われると姿勢を正して
「〇〇です。よろしく」と初対面の二人に手を差し出した。
いまどきその若さで詩人を誇らしく名乗るところに好感が持てた。
「では国籍もセクシャリティもバラバラな4人のアーティスト御一行様ということで・・」と私。
5月の渓谷は本当に素晴らしくてまぶしくニュアンスある光と風と
山の木々も緑。渓流も緑。この素晴らしい風景は筆で書きつくすことができない。
カナダ人がなぜ自分はこの渓谷が好きでよく訪れるのか美点を数々挙げたなかに
「僕の好きなfalconも飛んでいるし・・」
「falconてなんだ?」と在日韓国人。
「・・鷹、かな?」と私がフランス語の知識を引っ張ってきて言うと
「鷹はhawkでしょ?ホークスは鷹だもんね」とホークスファン(かどうか知らんけどプロ野球ファンではあるらしい?)韓国人。
目の高さに渓谷を行き交うその鳥が確かに猛禽類であることを確かめながら私が
「あ、そうか。・・じゃ小型の鷹?」と言うと
マルが「隼(はやぶさ)」と正解を言った。
(・・東大受験生に負けた)。
あんときは廃線のトンネルの中で4人でやった即興パフォーマンスがいちばんのハイライトだったな。
トンネルの中だから音響がものすごく響いて快い。
廃線のレール、大小の礫、石ころ、木ぎれ、金属片、手持ちのあらゆる持ちものを駆使して打ったり叩いたりぶつけたりこすったり思い思いの音をたて、その音を背景に4人のひとの声を重ねる。メロディや歌詞のある音楽ではなくマルがいつもやるような声のパフォーマンス。声量のあるマルに対抗して男3人が負けじと声をたてる。(え?私も男?)
いい感じになってきたところでマルが私に命令する。
「ハル、踊って」
(そうだった)
(もちろんですとも!)
私は立ち上がり、即興で舞う。
そのときの衣装(そんな予定じゃなかったので単なる普段着の白シャツに墨黒のタイパンツ)にあわせて白の紙に薄墨で書を書いていくようなイメージ。
白い紙が宙を舞う。流れるようにたゆたうように襞をつくりながらしなやかに胡金銓の映画内を吹く風に吹かれるように自由に気ままに・・。紙を追って、たっぷり墨を含んだ筆が舞う。紙と筆は中空を追いつ追われつトンネルの天井を指して光のある入り口を指して走り揮う。中空でなん戟(げき)かずつ切り結び追っては躱し(かわし)追っては躱しをくりかえしたあとついにわずかに筆が紙を捉える。すっとすれちがう。やわらかく接触する。するるるとこすれあう。紙を捉えた筆は巻きつかれながらもこの機をのがさずずんと筆圧を加えトンネルの側壁に紙をつなぎとめる。おしとめる。最初はたっぷりと水を含んだ墨色つづいてランダムにやってくる側、勒、努、趯、策、掠、啄、磔・・墨は伸び、かすれ、筆は割れ、虚空をめがける。テクストはアルチュール・ランボーかロラン・バルト・・かな?(もちろん踊ってる最中は夢中でそんなもん考える暇はないけど)。
音にあわせ、音にずれ、おくれ、あそび、走り、跳び、あかるい五月の光のなかでそこだけは薄暗くひんやりするトンネルの空気をかきわけて私は踊った。
やがて。
ふう〜っとみんなの空気が収まりセッションが終わったあと。
カナダ人が感に堪えたようにあらためてふうぅーーっと大きな息をついた。
「よかったなあ!・・すごくよかった!」
「こんなことならビデオに撮っとけばよかった・・」
それを聞いてマルは最後にまた大きな声でカラカラカラ・・と笑った。(マルはたぶんそういう記録なんて信じていない。なにごとも即興が最上。いまが最高。2回目よりも初回だと信じる子だから)。
あれは・・なんという至福のときだったろう。
あの刻は もう二度と再現できないな。
夜まで火を焚いて渓流の音を背に酒盛りしてほたえあった。帰るときはみんな上機嫌でかならずもういちどやろうねと誓い合ったけどその後ふたたびやるチャンスはないまま。
しかし私は知っている。私はマルよりもその母親と早く知り合っているがマルが毛嫌いし一見正反対に見えるその母親と一点、母娘で非常に似ているところがあってそれは自己評価が極端に低いこと。二人とも「自分が嫌い」なのだ。母親の方は愚痴ばかり言いつつ夫のDV(主に精神的な)から逃れられないでいてむしろその被害者であることに自分の存在意義を見出しているしマルのニンフォマニアだって各方面に迷惑かけ倒し本人も傷つくだけの(蛸が一本いっぽん自分の足を食うに似て・・って自然の蛸はそんなことしないだろうが比喩でよくいわれるように)魂をみずからすこしずつ喰らって喰らって損なっていくような、あの性癖は肉食系と呼ばれる女子のそれとは同一ではない。だって肉食系女子なら自分の食指の動くところ上手に狩をして自分好みの男(とは限らないが)と上手に遊んで上手に捨てて誰にも迷惑かけず自分の旺盛な食欲を首尾良く満たしてしまいだろう。マルはそうではない。マルが連れてる(連れられている?)男はその都度その都度バラバラでマルにはタイプというものがない。つまり来る者来る者拒まず求められたら誰にでも尾いて(ついて)いく。それが何かとトラブルを引き起こし周囲の迷惑の種になる。上手に遊ぶどころか知らん間に他人(ひと)の男を盗る結果になってたりで泥棒猫とか罵られているところに居合わせたことがあるがあれはワザと盗ろうとして盗っているわけではなく(もしそのつもりならもっと巧くやるはずだ)マルの方がうまく(というより拙劣に)遊ばれただけなのだ。いつもはあれだけ強気で辛辣で女王様キャラのくせに(というよりその女王様キャラのままで)男の要求のいうがまま、なすがままになる。マルはそうやって自分を少しずつ削っていく。マルは自分を崇めさせ同時に自分を踏みつけにさせる。東大狙えるほど賢いくせしてその一点についてはマルは大馬鹿だ。
*
マルがヴォーカルを務めるバンドのライブを聴きにひとりで出かけた夜。演奏が終わって私の姿を認めたマルは「ハルっ!」(←キナコではないほうの私のニックネームね)と叫ぶやあのまんまるのからだで鞠のようにまっすぐ私めがけて飛んできてドッヂボールのように私の胸にドスンと収まり私をぎゅっと抱きしめた。それから熱いくちづけ・・オイオイ・・私はいいんだけど(いやよくはないけど)マルは女好きではないのではなかった?ひとしきり周りの注目を浴びヒューとか口笛吹かれたり呆れられたり囃し立てられたりしたあと・・私の目を上目づかいに捉え直して「うふふふふふふふふふ・・」と含み笑いするマルの目は化猫みたいにあやしく光っていた。入江たか子かチェシャ猫か狡さと愛らしさと邪(よこしま)と妖しをふくんだ猫目。含み笑いをずっとずっと続けるばかりであとは言葉が出ない。いやたぶん言葉を綴ることのできない状態。ドアへの狭い階段を降りるといつもガンジャのぷんと臭うクラブ。なにをやってんだか知らないがなにかやってることだけは見当ついた。
ヴォーカルというよりヴォイスパフォーマンス。意味のない、メロディではない12音階に沿わない突飛な音を声帯や口腔や唇やからだのその他の部分を駆使していろいろたてる。背後にテクノっぽいリズムと音楽はあるもののそれに合わせるでもなく完全に外れるわけではなく音は言葉としては分節しないが耳の端々に意味のカケラを落としていくときもありマルが言うには日本の古典とか誰かの詩とかをやってたりすることもあるそうな。いつもあとの3人(ギター・ドラム・シンセ)は入念にリハーサルしているそうだが自分は最後の最後に(女神降臨よろしく)加わるだけでホントの即興性を保つためにいつもその場かぎりでやるのだと言っていた。
*
シンセ(というよりパソコンはじめあらゆる電子機器)担当の子がカナダからの留学生で結構なアウトドア派でお気に入りの渓谷があるというので新緑の頃その子とマルと私ともう一人いたっけな?誰だっけ?そうだ在日韓国人の詩人の男の子との4人でハイキングに行ったことがあった。なんでそんなメンバーになったか記憶がない。
「この子は在日韓国人でバイ(セクシャル)」とマルが紹介すると
「なんでそれくっつけて言うかな〜」と忌々しそうにその子。
「ごめん。で、詩人」
と言われると姿勢を正して
「〇〇です。よろしく」と初対面の二人に手を差し出した。
いまどきその若さで詩人を誇らしく名乗るところに好感が持てた。
「では国籍もセクシャリティもバラバラな4人のアーティスト御一行様ということで・・」と私。
5月の渓谷は本当に素晴らしくてまぶしくニュアンスある光と風と
山の木々も緑。渓流も緑。この素晴らしい風景は筆で書きつくすことができない。
カナダ人がなぜ自分はこの渓谷が好きでよく訪れるのか美点を数々挙げたなかに
「僕の好きなfalconも飛んでいるし・・」
「falconてなんだ?」と在日韓国人。
「・・鷹、かな?」と私がフランス語の知識を引っ張ってきて言うと
「鷹はhawkでしょ?ホークスは鷹だもんね」とホークスファン(かどうか知らんけどプロ野球ファンではあるらしい?)韓国人。
目の高さに渓谷を行き交うその鳥が確かに猛禽類であることを確かめながら私が
「あ、そうか。・・じゃ小型の鷹?」と言うと
マルが「隼(はやぶさ)」と正解を言った。
(・・東大受験生に負けた)。
あんときは廃線のトンネルの中で4人でやった即興パフォーマンスがいちばんのハイライトだったな。
トンネルの中だから音響がものすごく響いて快い。
廃線のレール、大小の礫、石ころ、木ぎれ、金属片、手持ちのあらゆる持ちものを駆使して打ったり叩いたりぶつけたりこすったり思い思いの音をたて、その音を背景に4人のひとの声を重ねる。メロディや歌詞のある音楽ではなくマルがいつもやるような声のパフォーマンス。声量のあるマルに対抗して男3人が負けじと声をたてる。(え?私も男?)
いい感じになってきたところでマルが私に命令する。
「ハル、踊って」
(そうだった)
(もちろんですとも!)
私は立ち上がり、即興で舞う。
そのときの衣装(そんな予定じゃなかったので単なる普段着の白シャツに墨黒のタイパンツ)にあわせて白の紙に薄墨で書を書いていくようなイメージ。
白い紙が宙を舞う。流れるようにたゆたうように襞をつくりながらしなやかに胡金銓の映画内を吹く風に吹かれるように自由に気ままに・・。紙を追って、たっぷり墨を含んだ筆が舞う。紙と筆は中空を追いつ追われつトンネルの天井を指して光のある入り口を指して走り揮う。中空でなん戟(げき)かずつ切り結び追っては躱し(かわし)追っては躱しをくりかえしたあとついにわずかに筆が紙を捉える。すっとすれちがう。やわらかく接触する。するるるとこすれあう。紙を捉えた筆は巻きつかれながらもこの機をのがさずずんと筆圧を加えトンネルの側壁に紙をつなぎとめる。おしとめる。最初はたっぷりと水を含んだ墨色つづいてランダムにやってくる側、勒、努、趯、策、掠、啄、磔・・墨は伸び、かすれ、筆は割れ、虚空をめがける。テクストはアルチュール・ランボーかロラン・バルト・・かな?(もちろん踊ってる最中は夢中でそんなもん考える暇はないけど)。
音にあわせ、音にずれ、おくれ、あそび、走り、跳び、あかるい五月の光のなかでそこだけは薄暗くひんやりするトンネルの空気をかきわけて私は踊った。
やがて。
ふう〜っとみんなの空気が収まりセッションが終わったあと。
カナダ人が感に堪えたようにあらためてふうぅーーっと大きな息をついた。
「よかったなあ!・・すごくよかった!」
「こんなことならビデオに撮っとけばよかった・・」
それを聞いてマルは最後にまた大きな声でカラカラカラ・・と笑った。(マルはたぶんそういう記録なんて信じていない。なにごとも即興が最上。いまが最高。2回目よりも初回だと信じる子だから)。
あれは・・なんという至福のときだったろう。
あの刻は もう二度と再現できないな。
夜まで火を焚いて渓流の音を背に酒盛りしてほたえあった。帰るときはみんな上機嫌でかならずもういちどやろうねと誓い合ったけどその後ふたたびやるチャンスはないまま。
2019年6月1日土曜日
ペコの貌(かお)
顔に怪我したときの補償額は女性と男性で違うと聞いた。
それって差別だよね、と思う一方、それだけ女性では顔が人生を決めてしまう現実があるんだからしょーがないよねとも思う。
なんでわたしはこんなにもじぶんの顔が気になるのだろう?
わたしが女だから?
顔が良いと幸せ。
顔が悪いと不幸せ。
顔が良い人は幼い頃からみんなに可愛がられ恋愛も結婚も就職も社会関係も全部うまくいくし挫折もないから素直におおらかに育って性格も良いでしょ。
顔が悪い人は幼い頃からみんなに邪慳にされ何かと逆境に遭い性格もひねくれて人生ますます悪循環に陥るでしょ。
だからわたしははじめっから人生を諦めてるの。
わたしの顔では一生結婚なんかできない。幸せなんて望めない。
たまたま就職はできたからいまの会社にしがみつくしかない。
よっぽどブスなんだとお思いでしょう?
それどころか。
わたしの顔は怪物だ。
(・・いそいで注釈しておくと顔にアザがあったり傷があったり先天異常があったりする人たちの社会的活動はすごく大切だと思うしがんばってほしいと思う。でもそういう人たちの顔をいろんなメディア通じて見てみてもわたしには「怪物」とは思えない。むしろ綺麗だと思える人もいる。わたしの顔の怪物性はまたちがうカテゴリーなの。活動とかではどうにもならないたぐいの・・。)
(・・じぶんの顔に不満なら整形すればええやんという人もいるけど整形で調整できる程度の方々も羨ましい。目をちょっといじれば鼻をちょっといじれば理想の顔になれるんでしょ? 一重まぶたがずーっとコンプレックスだった中学生も高校か大学生になってプチ整形でもすればすぐなおるんだからこれほど簡単なことないじゃない?わたしの顔はひとつ一つのパーツがどうとかではなくむしろパーツの一つひとつはたとえば二重まぶたでそれなりに許せてもそれを収めるべき全体がもうダメだからダメなの。もう整形のしようがないの。)
わたしの顔の怪物はね。
たとえばゴヤのサトゥルヌスとかフランシス・ベーコンとかのたぐいね。
わたしの顔はほっとくとどんどん端へ端へとながれていく。どんどん輪郭が崩れる。際限なく広がっていってカオスになる。ニンゲンを逸脱してニンゲンの顔でなくなる。幽霊になりそして怪物の顔になる。
とくに夜。一人で部屋にいると自分の顔が端っこから融けてながれて中心が歪んで捩れてベーコンみたいな顔になっていくのがまざまざとわかる。
だから毎朝起きるとまずじぶんの両頰をぽんぽんと叩いて確認する。まだ固形物かしらん?融け落ちてデブリになってないかしらん?
おそるおそる鏡を見てニンゲンの顔に見えるか確認する。
ああよかった。まだニンゲンだ。
でも醜い。
ああ醜い。
醜いけどとりあえずニンゲンだ。
で、ホッとする。
でも鏡を見るのはほんのチラッと。あまりに醜くて正視できないから。社会人として化粧はしないといけないので最低限の化粧はするけど鏡を見ずにする。じぶんの顔を確認できない状態で化粧するわけだからひどい出来だろうとは思うけどそれしかしようがない。
なんでわたしはこれほど顔に取り憑かれているのだろう?
こんな変な妄執に取り憑かれていることを多くのわたしの知人友人らは知らない。そんなこと会社で口に出したりしないから普通の人と思われている。
思いあまって訪ねたセラピストは「醜貌恐怖」という言葉を口にした。女性のセラピストだったけどいろいろしゃべっているうちになぜだか突然怒り出した。確かにその女(ひと)は美人とは言い難いお顔の方だったけどべつにごくごくふつうの顔した女性だ。正確な文言は覚えてないけどこんな感じのことを言った。貴女は(わたしのことね)私(セラピストさん)に比べるとずっとずっと美人だ。私なんて外見に関してはコンプレックスのかたまりで不細工のせいで昔から随分損をしてきた。貴女なんかそんな風に損したことなんてないでしょ?心当たりある?ないでしょ?そんな貴女が自分を醜いと言い張るのはおかしい。決定的におかしい。おかしいだけではない、ホントに不細工な私みたいな女をないがしろにしている。美人なくせに自分は醜いのだと言い張る人たちはそうすることで自分よりも醜い幾多の女をないがしろにしたいだけなのだ。ただただ人を踏みつけにして自己防衛したいだけなのだ・・(みたいなことを怒りながら言ってた。)
ちょと呆気にとられてしまって・・
まーったく心当たりないんで・・
ええと、不美人だと心も歪むという典型の方ではありません?
わたし、わたしは自分よりもご面相の悪い人をないがしろにするつもりなどありません!
というか、そういうことが問題ではないの。じぶんの顔が怪物であることを問題にしているのであってほかの人のことなどなーんも考えていないの。比較の問題ではないの。なんでそれをわかってくれないのか・・。
べつの友達はこういう実験をしてくれた。女性の肖像写真を10枚用意する。ある一枚とべつの一枚を比べる。美人は右へ不美人は左へ。この検証を繰り返して右から左へと美人から不美人の順に並べる。で、あんたの顔の写真を出してごらん。(携帯で簡単に撮れるし。)あんたはこの人と比べて美人?不美人?いちばん右のいちばん美人よりは確かに劣るわよね。でもいちばん左のいちばん不美人よりは明らかにマシよ。自分の顔がこの美人の10段階のどの辺に入るか検証してごらん。で、一人ではできないわたしの代わりに検証してくれて、わたしの顔は真ん中より少し右寄り、つまり相対的に美人側に入ると判明した。ホラあんた美人じゃん。何が不満なん?なんでそんなにじぶんの顔が醜いなんて思い込んでるの?
そう言われるとなにも言い返せないんだけど・・。
でもやっぱり「怪物」という概念はまたちがうと思うんだけど・・。
だって客観的美人でも怪物顔っているでしょ?
おお!恐ろしい話を始めた。
たとえば(めちゃ古い例だけど)原節子ってとんでもなく美人だけど同時に怪物ではない?
おやおや貴女は自分と原節子を同列にお扱いになる?
いえいえいえいえいえいえ・・とーんでもない。いや、ただ、世間で言うブスとか不美人とかとわたしの怪物はちがうと言いたいだけで・・。
そんなにも自分がとくべつだと言いたいだけ?
じぶんのエキセントリックを売りにしたいだけ?
・・そうなるともうあとは責められるだけ。
・・何にも言い返せないけど悔しさがこみあげる。
けっきょくわたしの悩みは誰にもわかってもらえなくてそれっきりになる。
優しい人はむしろそのことに触れない。
わたしの醜貌恐怖を知ってる人はわたしの周りに数人いるけどべつにもう特にそのことを話題にすることはない。
めんどくさいから触れないだけか思いやりで触れないのかどちらかわかんないけど・・。まー後者と信じておこう。
わたしは毎日機嫌よく会社に出勤し12年間クビににもならず目立たないふつうのOLをこなし休みの日は大好きなアイドルのコンサートやイベントなどを見に行き休暇が取れればアイドル追っかけて日本各地・香港台湾北京まで行き少し長めの休みが取れたらニューヨークかロンドンに飛んで本場のミュージカルを見る。
優雅でしょ?自宅通勤でそれなりの会社のそれなりのOLとして鬱陶しい人間関係や理不尽な扱いに耐えつつ働き続けてきたからこそできることなんだけど。
そんな生活に満足している。
貯金なんて一切ないし一人暮らしの女性の貧困にいつ陥るやもしれないあやうさは常に常にわたしを脅かすけど・・
アイドルだけを心のたよりとしていっぱいいっぱいファンタジーに耽り現実の男の人とおつきあいなんてしないしお見合い話も受けない。
だってみんなわたしの本当の姿が見えていない。
いや見えていてわたしに本当のことを言わない。
わたしが
怪物だってことを。
それって差別だよね、と思う一方、それだけ女性では顔が人生を決めてしまう現実があるんだからしょーがないよねとも思う。
なんでわたしはこんなにもじぶんの顔が気になるのだろう?
わたしが女だから?
顔が良いと幸せ。
顔が悪いと不幸せ。
顔が良い人は幼い頃からみんなに可愛がられ恋愛も結婚も就職も社会関係も全部うまくいくし挫折もないから素直におおらかに育って性格も良いでしょ。
顔が悪い人は幼い頃からみんなに邪慳にされ何かと逆境に遭い性格もひねくれて人生ますます悪循環に陥るでしょ。
だからわたしははじめっから人生を諦めてるの。
わたしの顔では一生結婚なんかできない。幸せなんて望めない。
たまたま就職はできたからいまの会社にしがみつくしかない。
よっぽどブスなんだとお思いでしょう?
それどころか。
わたしの顔は怪物だ。
(・・いそいで注釈しておくと顔にアザがあったり傷があったり先天異常があったりする人たちの社会的活動はすごく大切だと思うしがんばってほしいと思う。でもそういう人たちの顔をいろんなメディア通じて見てみてもわたしには「怪物」とは思えない。むしろ綺麗だと思える人もいる。わたしの顔の怪物性はまたちがうカテゴリーなの。活動とかではどうにもならないたぐいの・・。)
(・・じぶんの顔に不満なら整形すればええやんという人もいるけど整形で調整できる程度の方々も羨ましい。目をちょっといじれば鼻をちょっといじれば理想の顔になれるんでしょ? 一重まぶたがずーっとコンプレックスだった中学生も高校か大学生になってプチ整形でもすればすぐなおるんだからこれほど簡単なことないじゃない?わたしの顔はひとつ一つのパーツがどうとかではなくむしろパーツの一つひとつはたとえば二重まぶたでそれなりに許せてもそれを収めるべき全体がもうダメだからダメなの。もう整形のしようがないの。)
わたしの顔の怪物はね。
たとえばゴヤのサトゥルヌスとかフランシス・ベーコンとかのたぐいね。
わたしの顔はほっとくとどんどん端へ端へとながれていく。どんどん輪郭が崩れる。際限なく広がっていってカオスになる。ニンゲンを逸脱してニンゲンの顔でなくなる。幽霊になりそして怪物の顔になる。
とくに夜。一人で部屋にいると自分の顔が端っこから融けてながれて中心が歪んで捩れてベーコンみたいな顔になっていくのがまざまざとわかる。
だから毎朝起きるとまずじぶんの両頰をぽんぽんと叩いて確認する。まだ固形物かしらん?融け落ちてデブリになってないかしらん?
おそるおそる鏡を見てニンゲンの顔に見えるか確認する。
ああよかった。まだニンゲンだ。
でも醜い。
ああ醜い。
醜いけどとりあえずニンゲンだ。
で、ホッとする。
でも鏡を見るのはほんのチラッと。あまりに醜くて正視できないから。社会人として化粧はしないといけないので最低限の化粧はするけど鏡を見ずにする。じぶんの顔を確認できない状態で化粧するわけだからひどい出来だろうとは思うけどそれしかしようがない。
なんでわたしはこれほど顔に取り憑かれているのだろう?
こんな変な妄執に取り憑かれていることを多くのわたしの知人友人らは知らない。そんなこと会社で口に出したりしないから普通の人と思われている。
思いあまって訪ねたセラピストは「醜貌恐怖」という言葉を口にした。女性のセラピストだったけどいろいろしゃべっているうちになぜだか突然怒り出した。確かにその女(ひと)は美人とは言い難いお顔の方だったけどべつにごくごくふつうの顔した女性だ。正確な文言は覚えてないけどこんな感じのことを言った。貴女は(わたしのことね)私(セラピストさん)に比べるとずっとずっと美人だ。私なんて外見に関してはコンプレックスのかたまりで不細工のせいで昔から随分損をしてきた。貴女なんかそんな風に損したことなんてないでしょ?心当たりある?ないでしょ?そんな貴女が自分を醜いと言い張るのはおかしい。決定的におかしい。おかしいだけではない、ホントに不細工な私みたいな女をないがしろにしている。美人なくせに自分は醜いのだと言い張る人たちはそうすることで自分よりも醜い幾多の女をないがしろにしたいだけなのだ。ただただ人を踏みつけにして自己防衛したいだけなのだ・・(みたいなことを怒りながら言ってた。)
ちょと呆気にとられてしまって・・
まーったく心当たりないんで・・
ええと、不美人だと心も歪むという典型の方ではありません?
わたし、わたしは自分よりもご面相の悪い人をないがしろにするつもりなどありません!
というか、そういうことが問題ではないの。じぶんの顔が怪物であることを問題にしているのであってほかの人のことなどなーんも考えていないの。比較の問題ではないの。なんでそれをわかってくれないのか・・。
べつの友達はこういう実験をしてくれた。女性の肖像写真を10枚用意する。ある一枚とべつの一枚を比べる。美人は右へ不美人は左へ。この検証を繰り返して右から左へと美人から不美人の順に並べる。で、あんたの顔の写真を出してごらん。(携帯で簡単に撮れるし。)あんたはこの人と比べて美人?不美人?いちばん右のいちばん美人よりは確かに劣るわよね。でもいちばん左のいちばん不美人よりは明らかにマシよ。自分の顔がこの美人の10段階のどの辺に入るか検証してごらん。で、一人ではできないわたしの代わりに検証してくれて、わたしの顔は真ん中より少し右寄り、つまり相対的に美人側に入ると判明した。ホラあんた美人じゃん。何が不満なん?なんでそんなにじぶんの顔が醜いなんて思い込んでるの?
そう言われるとなにも言い返せないんだけど・・。
でもやっぱり「怪物」という概念はまたちがうと思うんだけど・・。
だって客観的美人でも怪物顔っているでしょ?
おお!恐ろしい話を始めた。
たとえば(めちゃ古い例だけど)原節子ってとんでもなく美人だけど同時に怪物ではない?
おやおや貴女は自分と原節子を同列にお扱いになる?
いえいえいえいえいえいえ・・とーんでもない。いや、ただ、世間で言うブスとか不美人とかとわたしの怪物はちがうと言いたいだけで・・。
そんなにも自分がとくべつだと言いたいだけ?
じぶんのエキセントリックを売りにしたいだけ?
・・そうなるともうあとは責められるだけ。
・・何にも言い返せないけど悔しさがこみあげる。
けっきょくわたしの悩みは誰にもわかってもらえなくてそれっきりになる。
優しい人はむしろそのことに触れない。
わたしの醜貌恐怖を知ってる人はわたしの周りに数人いるけどべつにもう特にそのことを話題にすることはない。
めんどくさいから触れないだけか思いやりで触れないのかどちらかわかんないけど・・。まー後者と信じておこう。
わたしは毎日機嫌よく会社に出勤し12年間クビににもならず目立たないふつうのOLをこなし休みの日は大好きなアイドルのコンサートやイベントなどを見に行き休暇が取れればアイドル追っかけて日本各地・香港台湾北京まで行き少し長めの休みが取れたらニューヨークかロンドンに飛んで本場のミュージカルを見る。
優雅でしょ?自宅通勤でそれなりの会社のそれなりのOLとして鬱陶しい人間関係や理不尽な扱いに耐えつつ働き続けてきたからこそできることなんだけど。
そんな生活に満足している。
貯金なんて一切ないし一人暮らしの女性の貧困にいつ陥るやもしれないあやうさは常に常にわたしを脅かすけど・・
アイドルだけを心のたよりとしていっぱいいっぱいファンタジーに耽り現実の男の人とおつきあいなんてしないしお見合い話も受けない。
だってみんなわたしの本当の姿が見えていない。
いや見えていてわたしに本当のことを言わない。
わたしが
怪物だってことを。
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